桜桃忌




先日改元なったばかりだと思っているうちに、早や6月。


愛人山崎富栄と玉川上水で無理心中した太宰の遺体が上がったのは、奇しくも太宰の誕生日6月19日。
享年38歳。あまりにも早すぎた死に、今更ながら絶句する思い。
のちに「桜桃忌」と名付けられたこの日は、太宰ファンにとって、心に刻まれる特別な日となった。
その大切な日に開催される朗読会。
私が敬愛する中村雅子さんが、太宰の真実に迫ります。
一人でも多くの方が足を運んでくださることを願ってのご案内。


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思えば、今を去る数十年前、大学生だった私は、太宰にゆかりの深い三鷹に住んでいた。
6月ともなれば、毎朝けたたましく鳴きたてるオナガの声で目を覚ます。
下宿の前は、狭い道路一本を隔てて玉川上水。
上水沿いで、鬱蒼と枝を広げる木々は、オナガばかりでなく、鳥たちの格好の住処であった。
オナガの鳴き声は囀りというのには程遠い悪声で、朝の目覚めはいつも苦痛を伴っていた。
加えて信州に生まれ育った私にとって6月は、露寒(つゆざむ)という言葉通りの季節であったのであるが、大学生となって迎えた東京の6月は、朝からじっとりと汗ばむ毎日であった。
一般の家では、エアコンなどまだ珍しかった時代である。
それどころか、貧乏学生の私には、扇風機の用意もなかった。

太宰の墓がある禅林寺で、法要が営まれると、教えてくれたのは誰だったのだろう。
桜桃忌のことを知らないわけではなかったが、毎日、波のように寄せ来る暑さが、私の足を重くした。
故郷の6月とはあまりに違う暑さと湿度を言い訳に、目と鼻の先の禅林寺に足を運ぶことはついになかった。
4畳半の自室のささやかな本棚には、黒い背表紙の新潮文庫で太宰がぎっしり並んでいたにも関わらず、
友人と太宰について語ることもないままに・・・

彼の作品は、赤向けの肌のようにいつもひりひりと私に痛かった。
当時の私にとって、彼は特別な存在で、だからこそ、その思いを、誰にも知られてはならなかった。
20代の終わりとともに、ひっそりと片付けてしまった太宰の諸作品を読み返すためには、その後30年もの年月が必要だったのだ。

そして今。30年どころか、すでに還暦を過ぎた今になって、なぜかふたたび太宰が恋しい。
その昔、気が付かなかった太宰の明るさ、優しさが、愛おしい。
かつてひりひりと痛んだ思いは、いつしか言葉にならぬまま許されたかのようである。
「桜桃忌」という響きには、過ぎ去った遠い日への、瑞々しい郷愁がある。





この記事へのコメント

masako
2019年06月07日 20:30
まあ❗
aostaさん。嬉しいシェアをありがとうございますm(_ _)m。
実はこちらの朗読会、早々と満席になりました。有難いことでございます。
たけさんの優しい津軽弁を皆様にお聴きいただく機会が持てて本当に良かったと思いますm(_ _)m
2019年06月11日 08:55
◇masakoさま

すでに満席なんですね!時すでに遅し、たいへん失礼いたしました。
一昨年でしたか、お邪魔させていただいた会場ですね。
今回は伺えずに残念です。タケさんの実声も聴きたかったのですが、ワークショップや幸田先生との朗読会も考えておりますので、またよろしくお願いいたします。

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