消えがてのうた part 2

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zoom RSS ふたつの「なめとこ山」 鹿沼市と朝日村

<<   作成日時 : 2018/02/27 16:35   >>

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記事のアップが前後してしまいましたが、1月28日に栃木県鹿沼市で今年最初の朗読コンサートを、
翌月2月18日には長野県の朝日村でを2回目を行いました。


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朝日村の図書館スタッフの方が作って下さったフライヤー。ぼおっと煙るような山並と柿の色が本当に素敵



いずれも図書館から依頼のあった朗読コンサートです。
偶然ではありますが、演目はどちらも宮澤賢治の朗読でした。
書店でも特設コーナーが設けられたり、雑誌で特集されたりと、最近とみに脚光を浴びることが多くなったように思う宮澤賢治。時代が賢治を必要としているのでしょうか。

私にとって賢治の作品は、何回読んでも汲みつくすことができない魂の井戸のようです。
冷たく透き通ったその水は、するすると身体の中に落ちてゆき、静かに清浄に、心に沁みてゆきます。
賢治が考えていた人間とは、より善きものへと進化する生き物であったはずでした。
けれども、今私たちが生きている時代は、彼が理想としたイーハトーブから、はるか遠く隔たってしまいました。
今、私たちを賢治へと向かわせるのは、もはや手が届かないほど遠くなってしまったもの、喪われつつある大切なものへの思いなのかもしれません。
賢治の物語に身を浸すことは、再び賢治と出会い、忘れていた思いにもう一度近づくことでもあります。
そしてそれは、彼が願った魂のベクトルをたどることでもあります。


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鹿沼市での朗読コンサートの翌日、図書館のスタッフの方に案内していただいた蝋梅の里。
原種から始まって品種改良されたものまで、日本最多と言われる蝋梅が静謐な香りを漂わせていました。




鉱物の結晶にも、大地のぬくもりにも、意識のあるものにも無いものにも、等しく愛情を傾けた賢治は、生きることを語るときも、死について語るときも、畏敬と情愛に満ちたそのと口吻が変わることはありません。
賢治にとって、生きること存在することとは対立しあうものではなく、互いが畏怖の念を持ち、親和的にあるがままに在る、ということだったような気がします。
そして、その理想への思いがあればこそ、信仰を支えとして、自らを省みることなく人々に尽くすことに東奔西走したのでしょう。



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会場の鹿沼市図書館の視聴覚室。窓外にはゆったりとした山容の男体山を望むことができます。




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鹿沼市だけでなく、宇都宮から足を運んでくださったお客様もいらっしゃいました。




今の私たちは、自己犠牲という言葉に、何となく胡散臭いものを感じてしまう。
甘い感傷だと一笑に付される。偽善だとそっぽを向かれる。

むしろそんな現代だからこそ、私たちは賢治に触れたいと思うのかもしれません。


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松本市に隣接する朝日村は高原野菜とお蕎麦が特産。
柔らかな響きが気持ちよいホールは、地元の森林から切り出されたカラマツで造られています。




それにしても、賢治は手強い。
何回朗読していても、ちょっとした気持ちのゆるみが、見えてしまう。
気持ちのあり方が、そのまま形になる。
これは賢治に限ったことではなく、朗読のすべてにおいて言えることなのだけれど、賢治の場合は自分の甘さが倍返しで帰ってくるような気がします。

そのたびごとが初めてで、そのたびごとが最後なのだという思いで朗読しなければ、伝えたいことも伝わらない。
一期一会。 心しよう!と思います。



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
きちんと 宮沢賢治を 読んだことがありません
「あめにも 負けず、、」は 英語で
翻訳されたのを 持っていますが、、
このような 風景の中で きくと ひとしお
内容が身に しみ込むような気がします〜
カタナンヶ
2018/02/28 11:47
◇カタナンケさん

こんばんは。
今回の朝日村のコンサートでも「なめとこ山の熊」って、こんなお話だったんですね。」という感想をいただきました。賢治って童話のイメージが強いから、子供のころ読んでも、大人になって読み返す人は案外少ないのかもしれませんね。
悲しいことや辛いこと、生きることの理不尽さ・・・
年を重ねなければわからないことばかりです。様々な経験を重ねることで初めて賢治が言わんとしたことに近づけるのかもしれません。
aosta
2018/02/28 21:08

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