seiren (青蓮)という幻




「ぜひ青蓮をご覧ください。」
初対面のその人は言った。

予備知識もないまま、seirenという響きに私が連想したのはギリシャ神話だった。
美しい歌声で舟人を惑わし、船を難破させるという伝説の生き物。
しかし彼(か)の人は「青という字と蓮で青蓮。せいれんと読みます」とおっしゃる。
ギリシャ神話と特段の関係はなさそうである。
「彼の人」とは舞台衣装デザイナーの時広真吾氏。
行きつけの喫茶店で偶然お目にかかり、非公開の撮影会にご招待いただいた。
思いもよらぬ僥倖である。
会場が自宅からほど近い槻木舞台というのもありがたい。



ということで、撮影会当日。
前日までの雨も上がり、気持ちよく晴れ渡った朝。


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舞台袖に立つ青蓮は予感に満ちて 青く静かな佇まい





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ひたひたと歩むつま先に広がる 水のような静けさ





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俯く面に宿る憂い






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長く優美な裳裾が広がれば 孔雀にも似て





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孔雀王 その眼差しに映るものは何か



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まとう衣は風を呼び 風をはらむ




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彼岸から此岸(しがん)へと風は渡り 見えない風が可視となる




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金扇の陰 小面の謎めく含羞



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いかな託宣が彼女に委ねられてあるか
答えを知る者のあるはずもなく




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花冠(はなかんむり)の姫は微笑みながら 移ろう季節の中 生と死のあわいを行き来する





時広氏デザインの衣装を纏って青蓮なる人物が舞ったのは、今を去ること150年前、槻木という小さな集落に作られた舞台である。
娯楽というものが年に数えるほどだった時代、ある時は旅回りの役者の舞台に喝采を送り、またある時は、村人総出の賑やかな祭りや宴に興じたであろう、言うなれば農村共同体の核とも言える場所。
長いこと打ち捨てられていたこの建物が、大鹿歌舞伎を招聘することで、再び息を吹き返したのは4年前のこと。
以来、槻木舞台にかつてと同じように人々が集い、交感する場所となった。
最後の最後に、舞姫としての青蓮とデザイナーの時広氏が同一人物であったことを知らされ驚愕した私。
自らデザインした衣装を纏って舞う、という行為に込められた思いの深さに打たれる。
あるいは絹、あるいは麻、そして綿。ある時は光を放ち、光に融け、ある時は光を吸収する様々な衣装たち。
光と蔭の中で面差しを変える面に変幻自在の衣を纏うことで、青蓮は異界を生きる精霊となる。






この記事へのコメント

kayo子
2017年04月18日 04:55
素晴らしい時空だったのですね。
能とギリシャ悲劇が融合し、その先へ…。そのように感じました。ブログを拝見するだけでも、幽玄さと清涼感のある風が、通り抜けました。
katananke05
2017年04月18日 11:06
興味ぶかい建築物が お近くに在るのですね、、
ワタシの待ちには 青蓮と おなじ字をかく チェーンてんの中華料理店が
あるので ん?と 思いましたが
青い蓮の精の 舞でしょうか、、
素敵な舞台でしたね~
2017年04月23日 06:22
◇kayo子さま

コメントをいただきありがとうございます。
御無沙汰したままで申し訳ございません。今回、青蓮さんが舞った三つの舞いはそれぞれテーマが異なるのですが、一番最初、宮沢賢治の詩に乗って待った作品(画像では3枚目まで)がまさにそんな感じでした。抑制されたほんのわずかな動きで、本来無表情な面の表情がちょっとした陰に陽に揺れては変わる。
能の小面での舞は2作目からでしたが、これがまた素晴らしい。
動きに連れて変化する衣装、面・・・
儚さと永遠、移ろうものと留まるもの・・・
まさに幽玄という言葉の通りでした。
2017年04月23日 06:34
◇katanankeさん

おはようございます。
コメントをありがとうございました。
そうですか、中華屋さん(笑) 確かにありそう。
名前のイメージって一度固定するとなかなかそこから抜け出せなくなりますもの。チェーン店とありますがこちらにはまだ進出していなくてよかった(;^ω^)
私にとって「青蓮」はあの日に舞った精霊。名前の雰囲気と舞が完全に同一化しています。槻木舞台は国の重要文化財に指定されている大鹿歌舞伎が演じられる舞台と同じく農村の娯楽の中心として造られたもののようです。
回り舞台まであるうえ、150年前の芝居の台本、舞台衣装、小物なども残されているとか。当時の台本、衣装での再演ができたら素晴らしいでしょうね。
とし
2017年04月23日 11:09
これは、写真を見るだけでも「すごい!」と感じますね。実際にこの空間で、目の前で踊る姿をぜひ一度見てみたいものです。写真も素晴らしい。
2017年04月23日 13:09
◇としさん

今回の時広さんとの出合いは本当に偶然だったのですが、その後共通の友人知人がいることが判明いたしました。縁って不思議ですね。撮影会とありますが、私はいつもの使い慣れたデジカメを持参。もっと雰囲気のある写真を撮りたかったのですが実際のところ難しいですね。写真を素敵と感じて頂けたのも、時広さんの衣装と舞の素晴らしさのおかげです!
とし
2017年04月23日 13:53
お返事ありがとうございます。 人にも場にも、どこかですっと導かれているのですね。
写真は、外の光が感じられ、しかも逆光なのに人物もしっかり写っています。また衣装が翻っているところに動きが感じられます。やはりそれは素晴らしいです。
aostaさんの文章は、さっと通り過ぎることができないんですよね。単なる報告ではなく、aostaさんの感性を通して伝えられるものだから、こちらもじっくりと味わいたいと思います。
2017年04月24日 05:13
◇としさん

おはようございます。
再コメント、ありがとうございます。

人にも場所にも「導かれる」・・・若いころにはあまり気づかなかった「導き」を最近、感謝をもって感じられるようになりました。年を重ねることで見えてくるもの、その豊かさにはおどろくばかりです。

逆光だから、暗いから、とフラッシュを使ってしまうと、平面的な写真になってしまうような気がして、フラッシュは滅多に使いません。決して高価なカメラではありませんが、最近のカメラは本当に高性能で私のわがままにもちゃんと対応してくれます。峯田さんが気に入ってくださったとすれば、カメラの手柄かな~(笑)
こうして写真を残しておくことで、記憶は残るのですが、ただファインダーばかりのぞいていると、大切なものを見逃してしまいそう。しっかり自分の眼で観ることもわすれないようにしなくては!

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