消えがてのうた part 2

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zoom RSS アノニム コンサート  あるいは” 旅する物語”

<<   作成日時 : 2015/10/12 15:59   >>

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ここ数年、何回もお世話になっているアノニム・ギャラリー&カフェさんで、
今秋も朗読コンサートをさせていただくことになりました。

プログラムは、またまた「ノックグラフトンの昔ばなし」ほか。
八ヶ岳の山梨側、北杜市は清春の「旅と空想の美術館」でコンサートを行った時には、まさかその後、
3回も同じプログラムをやることになろうとは、考えもしませんでした。
これもみなご縁。本当にありがとうございます。
1回目より、2回目。 2回目より3回目!
もっと良いものにしなくては、とばかり、だんだん欲が出てきました(^^ゞ

昔ばなしは、こどものためだけの物ではありません。
長い歴史の中で語り伝えられて来た物語には、大人だってワクワクしてしまう面白さがあります。
もうご存知のお話でも、読むのではな、聴くことによって、また別の面白さに出合うことができるはず。
朗読する物語は同じですが、第二部でのリコーダー演奏の曲目はちょっと変えてみたいと考えています。
前回、前々回にご都合がつかなかった方、朗読やリコーダー演奏にご興味のある方、
この機会にぜひお出かけください。

朗読する物語は前回と同じですが、音楽にはまた違った趣向を凝らしました。
心の奥深くまで届く、温かなリコーダーの音色とともに、言葉と音楽によって作り出されるもう一つの世界を
深まりゆく秋の雰囲気の中でお楽しみいただけたら、と思います。


画像

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さて、今回の会場となるアノニムは、茅野市郊外の小さなギャラリーです。
オーナーのAさんは、かつて某美術館の学芸員をしていらした方。
たまたまドライブをしていて出会った一軒の民家にひと目ぼれしてしまいました。
そしてこの場所で、若い作家を応援するという積年の夢を実現したいと思われたのです。
懐かしい祖父母の家の雰囲気、とでも言えばいいのかしら・・・・
古民家というには、もう少し時代が必要かもしれません。昭和中期ころと思われる、田舎の民家です。
Aさんが手入れをされている(でも決してやりすぎない!)庭には、かつては家族みんなが集まって
味噌を作ったり、雨の日はその軒下で作業をしたという土蔵もあります。
どっしりと厚い土壁や屋根の下を横に走る見事な柱には、年月を経たものだけの風格を感じます。



人が住まなくなって久しいその家の、畳を上げて床を張り、壁板も手直しする一方で、
時代を感じさせる欄間や格子はそのままに残し、全く新しい空間に生まれ変わらせたのはAさんご自身でした。
そのAさん、屈強の男性かと思えばさにあらず!
まだお若い女性なんですよ。
小柄で華奢な身体のどこにそんなエネルギーがあるのか、お合いするたびに不思議に思います。

美味しいコーヒーやハーブティーをいただけるカフェコーナーは、新しい出会いや再会の場でもあります。
ご近所のおじいちゃんやおばあちゃんをはじめ、八ヶ岳山麓に移り住んだ若い作家さんたちが
なごやかに言葉を交わしあう雰囲気も、ひとえにAさんのお人柄ゆえなのでしょう。

年齢やバックボーンに関わらず楽しんでいただける内容で、というリクエストをいただいたとき、
思いついたのが、このプログラムでした。
朗読にしてもリコーダー演奏にしても、毎回コンサートのたびに新しい発見と喜びがあるのですが、
お客様と一体になって楽しむという趣向にピッタリのこのプログラム。
さあ、今回はどんな発見があるのでしょう。





ちょっと長くなりますので、ここから先は興味のある方にお読みいただければと思います。
今回私が読むのは、かたやアイルランド、かたや日本の昔ばなしです。
この広い世界にはそれぞれの国や民族に伝えられてきた数えきれないほどの昔ばなしがありますが、
そのどれもが、文字とは無縁。
人から人、口から口へと何世代にも渡って伝えられてきたものでした。
それはアイルランドでも日本でも変わりはありません。
ご承知の通り、世界のあちこちには、よく似た昔ばなしがたくさんあります。
物語は世代だけでなく遠く海を超え、遥かな山を越えて伝わっていったのですね。
「ものがたり」もまた、旅をするのです。

遠来の客をもてなして、見知らぬ土地の話を聞くことは、移動手段の発達していなかった時代の人々にとって、
わくわくするような楽しみだったに違いありません。
置き土産として、または贈り物として、残された物語はその土地の習慣や風俗と溶け合いながら、
より身近で親しみのあるお話へと変わっていったのでしょうね。

そして何より、昔ばなしは、読むものではなく、聴くものだったということ。
おそらくは、夜。
火を囲んでいるのは大人と子供たち。
雨の晩だったかもしれない。いや、雪の降る寒い夜だったかもしれません。
荒々しい音を立てて、風が吹きすさぶ日もあったでしょう。
でも、家の中ではとろとろと暖かく火が燃えて、みんなが同じ物語に耳を澄ませています。
大人も子供も、一緒に見知らぬ世界へと旅をして、また同じところに帰ってくる。
物語とは、そんな力に満ちたものであったはずです。

私たちの時代は、視覚的な情報があふれています。
けれども、「百聞は一見にしかず」という言葉が、どんな場合にも当てはまるとは限りません。
見ることに頼らず、聴くことによって養われる豊かさを、もう一度思いだして欲しい。
それは同時に、「言葉」が本来の力を取り戻すことでもあるのではないか。
私が「朗読」をしたいと思う所以です。

今回のアイルランドと日本の昔ばなしに共通するモチーフ、それは!
(もう朗読を聴かれた方はご存知だと思いますが)
○○です(*^^)v




     
★アノニム 「おと と ことば と よる 」 →  http://folli-2.at.webry.info/201408/article_2.html









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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。
コンサート頑張ってくださいね。
昔話ってそうやって伝わってきたものなのですねぇ〜。全くそんな風に思ってみたこともありませんでしたが、確かに似たような感じの話は彼方此方にありますね。何処かで生まれて、伝わって来て、その地のお話として根付いてしまった…素敵ですねぇ。
HT
2015/10/12 17:49
◇HTさん

コメント、ありがとうございます。
7月以来、コンサートが続きましたが、ここでひと息つけるかなと思っていたのですが、いただいたお話は断らない、というのがお約束(^^ゞ
もうひと頑張りせねばなりませぬ。

長々と書きました文章を、丁寧にお読みいただき、ありがとうございました。神話も一つの物語と考えれば、神話自体、互いにリンクしあっているものが見えてくると同時に、人って、同じようなものに共感するんだな、って気が付きます。
何に喜び、何を悲しむのかといったことも、みな変わりはないのです。
今の時代は「見ること」で、欲望が増長されることが多いような気がしています。もっと「聴く」ことに心を傾けるようになれば、もしかしたら、世界も変わるかもしれません。
aosta
2015/10/12 19:56
aostaさんの文章がとてもお上手で味わい深く読ませて頂きました。
私はコダーイの理念に基づくわらべうたによるソルフェージュ教授法を何年かにわたり学んで来ましたが、学びながらダイレクトにわらべうたの力を感じておりました。教授法が吹っ飛ぶくらい(笑)。わらべうたも昔話同様に世界の国々にその国特有のものがあり、楽譜もなければ誰が作った歌なのかもわからずに伝承されていったのです。その中には人々の営みがあり、季節があり、自然があり、いましめがあり、神様への畏敬があり、子への愛があり、すべての生き物たちへの慈しみがあります。aostaさんの文章を読むほどに、昔話と同じで、大変に共感いたしました。 aostaさんの伝えたいお気持ちにも大変に共感いたします。 それらに触れることは、そうやって伝承されてきたものにどっぷり浸ることでもあり、魂の栄養になるような気がいたします。
「聴く」ということは「耳を澄ます」ことであると同時に「心を澄ます」ことでもありますものね。そして視覚からの情報の無い中でこそ得られる豊かな豊かな想像の世界が、そんな静かで澄んだ心に描かれていくのでしょうね。
今の時代にいる私たちは本当にせせこましく、また現実的で、待てなくなっています。自分自身の反省も込めて、「聴く」ことを大切にしていきたいと思いました。
ヘビーなコメントになってしまい、大変失礼いたしました。
keikoさん
2015/10/12 23:17
貴女の文章を読んでいるとその忙しさを感じませんね⁉「かまって😁」と叫んでいるのはお庭だけ?それもそのうち、雪がリセットしてくれるでしょう。
さえ
2015/10/13 12:43

◇keikoさん

コメント、ありがとうございます。
私にコダーイのソルフェージュ教授法について、何の知識もないことが残念です。コダーイと聞いて連想するのは、月並みですが「ハーリ・ヤーノシュ」と「ミサ・プレヴィス」くらい。(そうそう、ツィンバロンというハンガリーの楽器を知ったのも、確かこの「ハーリ・ヤーノシュ」でした)
民族音楽(民謡)について語るなら、私の好きなバルトークをその道に導いたのもコダーイでしたよね。
コダーイにせよ、バルトークにせよ、それまで音楽的に評価されることの少なかった民謡にスポットを当てたのが、東欧の音楽家だった、というのが興味深いです。いわゆる西欧とは異なった独自の文化と歴史をもった東欧には、それだけ豊穣な民謡の土壌があったということでもありますよね。
近世史の表舞台からは一歩引いた立場にあった東欧だからこそ、守られた伝統もあったのかとも思いました。

<楽譜もなければ誰が作った歌なのかもわからずに伝承されていったのです>

この一点において、わらべ歌も民話も同列のものであったことを改めて確認させていただきました。楽譜でも書物でもなく、ただ口伝えに伝えられて来たもの。
それを伝えてきたのは名もなき人々であった、ということが、私には、とても重要なことのように思われます。
営々と日々の暮らしを営み、歴史の中に埋もれていった人々にしか伝えることのできない様々な思いを表現するものが、歌となり物語となって伝播していった背景を考えるとき、そこには確かに生活があり、人生があり、祈りがあったことを実感いたします。
aosta
2015/10/13 22:26
◇keikoさん

長くなりましたが、もう少しお付き合いください(^^ゞ


過去のブログで松本地方に伝わる夏祭りと、その祭りで歌われるわらべ歌について書きましたところ、思いがけずたくさんのコメントをいただいたことがありました。
もしかしたら、そのやりとりにKeikoさんも興味を持ってくださるのでは、と思いつきましたので、該当ブログのURLを添付させていただきますね。
お暇な時にでもお読みいただければ幸いです。

「聴く」ことと「聞く」こと。
同じ「きく」でも大きな違いがあるように思います。「見る」ことと同じく、私たちは「聞く」ことに慣らされてしまって「聴く」ことが忘れられつつあるように思っています。keikoさんが仰られているように、静かに目を閉じて、心の耳を開く時間を、もっともっと大切にしたいですね。
aosta
URL
2015/10/13 22:29
◇さえさん

こんばんは。

相変わらず、庭の手入れをする気持ちの余裕がありません(;^ω^)
先日、急な招待をいただいて出かけたバラクラの庭とは大違いです。
巨大化した雑草で、さながら我が家は「浅茅が宿」と化しております。

雪が降っても、残念ながらリセットにはならないんです〜。
今のうちに雑草をやっつけておかないと、来年の春にそのツケがまわってきますから。
陽気の良い時に、できる限り草を退治したいと思います。
aosta
2015/10/13 22:38
ご丁寧なお返事を頂きありがとうございました。

夏祭りのブログ、皆さまのコメント、大変面白く拝読いたしました。
これこそ伝承の興味深いところだなあ、としみじみ感じ入るほど、時や地域をこえて伝えられ記憶のどこかに残っていくのですね。

実際にうたっていた時には、そんなに深い考えをもっていなくても、要所要所のことばにひっかかりを持ちながら(たとえば、しおれ草ってなんだろう、とか、ボンボンて、おもしろいなあ、とか)、その時はそういうものだとして無意識に片付けていたとしても、年月が経ち、ふと何かのきっかけで思い出した時、そのうたの意味を反芻し、自身の人生の経験と何らかの結びつきを感じながら味うように、人々の中で絶えることのない野の草の小さな、小さなタネのように、土壌(心)の中でねむっているのかもしれません。 昔話も、くりかえし、くりかえし聴いて、そのことがすぐにどう影響するということでなしに、おはなしの中の何かしらのひっかかりが(登場人物のことばかもしれないし、物の名前かもしれないし、国の名前かもしれないし、おまじないや妖精のことかもしれないし、、)、人々の心の中に小さな小さなタネのように残っていくのでしょうね。とても豊かなことのように思います。

そうそう。折しもちょうど、少し前に私も「聞く」と、「聴く」の違いをブログで書かせて頂いたところでした。「聴く」の文字には「心」という字があることに、ある時感動したんです。心を伴ってきく、これは意識や自らの意志とともにきくということなのでは、と。音楽的な観点からちょっと書かせていただきました。
keikoさん
2015/10/14 09:50
◇keikoさん

こんな風にコメントのやりとりをさせて頂き、とても嬉しいです。
夏祭りのブログにも、丁寧に目を通して下さり、ありがとうございました。記憶にも残らないと追い昔に蒔かれた小さなタネのお話、うんうんと頷きながら読ませていただきました。
「記憶」とは個人の記憶であると同時に、地域の記憶であり、民族の記憶にもつながるものなのではないでしょうか。毎日の生活の中では意識されることのない、深層心理の奥深くにしまい込まれた記憶、もしくは小さなタネこそが、実のところ、今の私たちを作っている根っこそのものなのではないかとも考えます。長い時間 世代や地域を超えて伝承されて来た物語には多様なバリエーションがあって当然ですが、その「核」となるモチーフは変わらない。もしかしたら、keikoさんが仰るところの「小さなタネ」は、この「核」に非常の近いものなのかもしれませんね。

たまたま、友人から勧められた梨木香歩の「冬虫夏草」を読んでいました。空腹に耐えかねたある夫婦が、神域で捕まえたイワナを食べてしまったことで、自らがイワナになってしまったという場面を読んだとき、ふと松谷みよ子の「龍の子太郎」を思い出しました。信州をはじめとする全国の民話をもとに創作されたこの物語の中では、産み月を間近に控えたひとりの女が、空腹のあまりイワナを独り占めして食べてしまったことで龍に姿を変えられてしまいました。イワナを(3匹)食べることによって、異形のものとされてしまうというモチーフは全国各地にあるようです。
でもなぜイワナなのか。
aosta
2015/10/15 15:43
◇Keikoさん

続きです。
イワナではなく、イモリというバリエーションもあるようですし、インドネシアには一人で卵を食べつくした男が龍になってしまうという話もあるとか。いずれも、何を食べるか、誰と食べるかということの本質的な意味を問うモチーフのように思いました。わらべ歌の歌詞も、素朴さのなかに、さまざまな暗喩を含んでいるというところは民話とまったく同じだと思います。メロディーと言葉がひとつになったわらべ歌は、より直接的に心の奥深くまで染みてくるような気がします。メロディーと対になっているからこそ、ふと湧き上がってきたときには、胸が締め付けられるように切実な思いや不思議な懐かしさに捕らわれるものでもあるのでしょう。時に脈絡のないように見える昔話やわらべ歌も、論理を超越したところで、私たちの感情の根っこを揺さぶる力に満ちています。折に触れて、根っこに立ち返る。伝承とはそうしたものなのかもしれません。

「聞く」ことと「聴く」こと。
「聴く」の文字には「心」という字があることに、ある時感動したとおっしゃるkeikoさん、私も同じところに気が付いて思わず娘に話したところ「校長先生のお話によく出てくるはなしだよね。」って一蹴され愕然としたことがあります。
校長先生がみな、マニュアル本を参考にお話をしているとは思いませんが、残念なことにいかにもありそうな話ではあります。自分で気が付いたからこそ、感動したのに、一気に気持ちがしぼんでしまいました(-.-)
音楽的な観点から・・・・
気になります。あとでそちらにお邪魔させていただきますね。
aosta
2015/10/15 15:50
梨木香歩さんの [冬虫夏草」
イワナの夫婦の話

江國かおりさんの 「ヤモリ かえる シジミチョウ」
ヤモリがすきな 男の子の話

わたしは サンショウウオにも
何かおなじような 民話があるかも、、と
感じるのですが、、
katananke05
2015/10/20 20:19
◇カタナンケさん

おはようございます。

梨木さんの「冬虫夏草」、ずっと気になっていて、やっと読むことができました。
すごい本でした。
「家守忌憚」の続編という形式をとっていますが、こちらは長編になっていたんですね。長編とはいえ、各章ごとに味わい深く、美しく、見事に彫琢されて読み終えた後も、しばらくぼおっとしておりました。
彼女の作品には、異なる世界の空気、湿度、草木の香りまでが濃密に描かれているので、読んでいるとその世界の住人になってしまったような錯覚に陥ります。でもあの世界だったら、そのまま住み着いてしまってもいいかな。ゴローにも会えるし(^^♪

江國かおりさんの 「ヤモリ かえる シジミチョウ」
タイトルだけは知っていますがこちらも未読。
長編では「抱擁、あるいはライスには塩を」、短編集では「すいかの匂い」が印象に残っています。特に「すいかの匂い」は大好きです。いつか朗読したいと思う作品のひとつでもあります(^^ゞ
「ヤモリ かえる シジミチョウ」
ヤモリ好きの私としては見逃すことのできない作品なのですが、梨木果歩、小川洋子に続いてどっぷりつかってしまいそうで、少々用心していたのでした。
が、しかし・・・・!
いままさに、禁は破られようとしています。
イワナにヤモリ、サンショウウオときたら、どうしたって、読まねばなりますまい。
aosta
2015/10/21 06:01

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