秋海棠



長いこと探していて、やっと見つけた秋海棠の苗を、去年の春さきに植えた。

寒さには強いと聞いていたのに、春になってもいつまでも新芽が出てこない。
半ば諦めていたのだが、知らないうちに草の間で大きくなり、花が咲いてそれと知れた。
秋海棠(しゅうかいどう)・・・・
そっと声に出して見れば、優しいその響きとともに遠く過ぎていった日々が懐かしく思い出される。


秋海棠が足元でこぼれるように咲く小径の先にその店はあった。
大学を卒業して実家に帰り、地元の会社に勤めていたあの頃、毎日足しげく通っていた喫茶店だ。

本の話、映画の話、音楽の話・・・・
いつも豊かな話題と友人に囲まれていた学生時代とは変わり、当時の職場ではそうした話に興じる相手は
皆無に等しかった。
楽し気に談笑する仲間たちの輪に加わることを良しとせず、昼休みともなれば独り本を広げていたあの頃。
あのかたくなさは、若さゆえの矜持の裏返しだったのだろうか。
仕事はといえば、一度覚えてしまえばあとは毎日繰り返されるルーティーン・ワーク。
早くも会社に飽いていた私は、家に帰るたび、毎日のように、辞めたい辞めたいと訴えたが、
「いずれ辞めるにしても3年は我慢しなさい。」そう言っては母取り合わなかった。


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秋海棠 シュウカイドウ科シュウカイドウ属(ベゴニア属)の多年生草本球根植物
茎は塊茎から出て直立し、高さ40~60cm。葉は扁心形で左右非対称ゆの葉を互生させる。
秋、淡紅色の花が細い柄の上に下垂して咲く.
中国名「秋海棠」の音読み。ヨウラクソウ(瓔珞草)とも呼ばれる。






駅前の賑やかな商店街から一本外れた住宅地で、小さな喫茶店をみつけたのはそんな時だった。
母と娘の二人でひっそりと開けていたその喫茶店で、私は水を得た魚のように生き返った。
私よりひと回り以上年上の娘さんと、毎日カウンター越しに読んだ本の話や見たい映画の話、
好きな音楽の話に花を咲かせた。
茶道・華道をよくされたお母様には、陶磁器についていろいろ教えていただいた。
決して声高に話すお二人ではなかったが、私たちには共有する世界があった。

「いつも銀行の方から回ってくるでしょ。駅からの近道、知ってる?」
玲子さんが(娘さんの名前は玲子さんといった)教えてくれたのは、その店に通い始めて間もない頃だった。
教えられた通り、駅前からちょっとわかりにくい路地を抜けると、思いがけず秋海棠の花が満開の小径に出た。
果たしてこの道でよいのかと、危ぶみながら歩を進める私の足元で、秋海棠の花が、葉が、さわさわと揺れた。
秋海棠の花の間から、ついついと伸びた水引草が、逆光の中で赤く光っていた。
草花に導かれるように小径を行くと、ちょうど店の裏口に出た。
枝折り戸を抜け、建物沿いに歩をめぐらすと、そこは店の玄関だった。
ちょうど三角形の斜辺にあたるその路地は、確かに知る人も少ない近道であった。





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       江戸時代初期に日本に持ち込まれて以降、園芸用として栽培される。
         貝原益軒の『大和本草』に「寛永年中、中華より初て長崎に来る。
         (中略)花の色海棠に似たり。故に名付く」と記されている。近年は同属の多くの種が持ち込まれ
         園芸用として栽培されており、それらは主に「ベゴニア」と呼ばれているが、
         本(亜)種は古くから秋海棠の名前で定着していたため、ベゴニアとは呼ばない。







いつしか、母と約束した3年が過ぎ、私自身仕事を面白いと感じられるようになってからも、
その店で過ごす時間の楽しさは変わらなかった。
それから何年も後、私が仕事を辞めた時も、結婚の話が決まった時も、真っ先に報告したのは玲子さんだった。
年上とはいえ、未婚で病弱な玲子さんは私とのおしゃべりを毎日楽しみにしていてくれた。
それだけに、結婚で諏訪を離れると告げることが辛かった。

結婚のお祝いに、と彼女からいただいたのは、呉須の色もゆかしく古錆びた茗荷の絵皿だった。
「茗荷はたくさん芽が出るから縁起ものなのよ。」玲子さんは、そう言葉を添えた。



思いがけずも花を咲かせた秋海棠の花群れの近くには、今年植えた茗荷が勢い良く葉を茂らせている。
「今年は無理だけど、きっと来年は飽きるほど食べられるわよ。」
茗荷の苗をくださった隣人はそう言った。


秋海棠に茗荷。
どちらも玲子さんにつながる思い出の花だ。奇しくも玲子さんの命日が近い。


                 ◇ 「 薄 風 忌 」 → http://folli-2.at.webry.info/201211/article_1.html








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この記事へのコメント

たまき
2014年09月18日 11:48
素敵な喫茶店…いいですね~(*^^*)♪
そしてお母様の言葉…三年は我慢…私も三年は頑張ってみま…す…と歯切れが悪いf(^_^;
かいどう、ってリンゴかと思いきや、シュウカイドウはベゴニアを連想してしまいました…調べます♪\(^-^)/
不思議の種をありがとうございます~☆
しっぽ
2014年09月18日 14:18
秋海棠 これなんですね。名前を知っているだけの花でした。ありがとうございました。
海棠というのもありますか?春に咲く小さな花、桜の仲間かしら?

木や花の名前を沢山知っておられるのは素敵です。

でも私も母の弟たちや姉に可愛がられて育ちました。同じ!


その小さな喫茶店はもうないのですか?いつまでもあると思っていたものが、気がついてみたら無い…私達は
そういうことを幾つも経験して大人になるのかしら…
カタナンケ
2014年09月18日 17:25
↑ しっぽさんは これから大人に成る方なのかしら、、
素敵~

シュウカイドウはわたしも 80歳で亡くなった絵付けの先生から
頂いた苗でした、、
お茶も懐石料理も そして ヨーロピアンの絵付けもなさる
白髪がまるで 外人さんのように 彫りの深いお顔の
うつくしい先生でした、、
シュウカイドウ、、響きもやさしく 控えめですこしさびしい おはなですね

わたしも いま ブログに写真のせてるので
ビックリだわ~
しっぽ
2014年09月18日 19:27
↑そうですね、暦が回ってしまいましたから、またゼロから始めます…か!!しゅうかいどうは響きが美しいです。
HT
2014年09月19日 02:09
こんばんは。
遅くなってしまって申し訳ございません。
素敵なお話ですね。秋海棠と言うお花、見たことがあるような気がしますが、それがそうなのかはわからないですが良く似ているような…。喫茶店のお嬢様は亡くなられてしまったのですね。今もその命日を覚えていらして、青春の頃、現在のaostaに繋がるものを育んでくれた大切な方ですものね。私にも、今の仕事に入った時に私の事を実の子供のように大切にしてくれた方がおりまして、その方の命日は忘れたことありません。今も昔と変わらずに奥様やそのお嬢さんが接してくれています。大切にしてくれた方の事忘れたらいけないですよね。
2014年09月19日 10:33
◇たまきさん

お久しぶりです!!!
コメントをいただき、とても嬉しいです!(^^)!

石の上にも三年、という言葉がありますが、三年頑張れれば、何か結果が出るのかもしれませんね。私も場合もいつの間にか母の言葉に丸め込まれた形で3年どころか結婚するまで同じ会社で働くことになりました(^-^; やはり仕事が面白くなるまでには、それなりの時間と経験が必要なのでしょうね。

秋海棠と聞いただけでは、林檎の名前と思ってもおかしくないですね。最近の林檎はなかなか凝った名前のものが多くて、なんと読むのか迷うこともあります。

秋海棠は、ベコニアの仲間です。名前の由来等、写真の下に書き添えましたのでお読みいただければと思います。一般的なベコニアと一番違うのは、多年草というところかしら。これから毎年増えてわさわさと花をつけてくれるのでは、と期待しています。
2014年09月19日 10:47
◇しっぽさん

こんにちは(^^♪
江戸時代に中国から渡来したこの花が、在来の海棠の花に似ていたこと、花を秋に咲かせることなどから、秋海棠という名前がつけられたそうです。海棠は桜が散るころ、ぽったりした感じの花が俯いて咲きます。信州では4月の末から5月の連休にかけて満開になります。桜と同じくバラ科ですか、こちらはリンゴ属とありました。
(あら、リンゴ属とすれば、↑のたまきさんの感想は間違っていたわけではなさそうです!)
喫茶店は今も同じ場所に、代替わりしたものの当時のままで営業していますが、人が変わればお雰囲気も変わります。私が利用することはなくなりました。
ぶんな
2014年09月19日 22:19
シュウカイドウ、庭のそちこちに咲いています。
ありし日の矜持、もしかすれば周囲に煙たがられたかもしれませんが、その分もまたaostaさんの蘊蓄となったのでしょう。
喫茶店、今は懐かしい。ドトール、タリーズ、スタバに押されたか、随分と多くの喫茶店が姿を消しました。頑張っている老舗もありますが。いまの若い方々は、どこでどんな風にお喋り、議論、待ち合わせをしているものなのでしょう。息子達からも喫茶店に入ったという話しは聞きません。しないだけなのかどうか。地方ちょっとさびしい事になっていますが、それを意識して頑張っている方々もまたいらっしゃるので。
2014年09月20日 05:46
◇カタナンケさん

秋海棠が茎の先で俯いて咲いている様子は、意かにも秋の風情がありますよね。
近縁種のベコニアにこうした雰囲気はありません。よく似ていていますが、私には、別物です。秋海棠の、すらりと細長い心臓形でしかも左右対称でないこと、長く伸びた茎の先で俯き加減に花をつけること、に対し、ベコニアの葉っぱは、厚めで光沢のある丸い葉です。花は茎が伸びないまま葉の上咲く。花だけ見ればそっくりなのに、たたずまいが違えば趣もまったく違います。不思議ですね。
カタナンケさんは絵付けの先生からいただいた、とのことですが、お茶なさった方と伺えば、この花を茶花として愛でられていたのではないかしら?

>シュウカイドウ、響きもやさしく控えめですこしさびしいおはなですね

昔から文人墨客に愛されてきた所以も、まさにそこにあるのでしょう。
ベコニアには悪いですが、やっぱり私は秋海棠の花の方が、断然好きです(^^♪
2014年09月20日 05:57
◇しっぽさん。

>暦が回ってしまいましたから、またゼロから始めます…

ふふふ(^^♪
来月には私の暦も回りそうですよ。
一緒にゼロから始めましょう!

>そういうことを幾つも経験して大人になるのかしら…

人は「失う」ことを知って大人になってゆくのでしょうね。
痛みを伴う喪失が、時間とともにさまざまに変容していく・・・・
文学の多くは、形こそ違え、そうした喪失の痛みが結実したものなのかもしれません。
2014年09月20日 06:18
◇HTさん

おはようございます。

>秋海棠と言うお花、見たことがあるような気がしますが

少し前まで、秋海棠はどこのお家の庭でもひっそりと咲いていた花ですから、HTさんもきっとご存知だと思います。
洋種の華やかな花が咲き乱れる庭が目立つ最近では、和の花が少なくなりましたね。実は昨日主人と松本までお墓参りに行ってきました。そのあと、沢村からお城まで住宅街の中を歩いたのですが、手入れされた庭に咲いている花のほとんどが洋種でした。昔でしたらこの季節は菊の花の香りが漂っていたのでしょうね。

玲子さんは、もともとの持病が進行して、もう20年以上前に亡くなられました。
まだ60歳にもなっていなかったでしょうに、早すぎる死でした。
私の20代に玲子さんがいてくれたことの意味は、考える以上に大きかったと思います。HTさんのお言葉にもありますが、「現在の私に繋がるものを育んでくれた大切な方」なのです。HTさんにも同様の方がいらっしゃるんですね。
折に触れて思い出す玲子さんの面影は当時と全く変わっていません。私だけが年を重ねていくことは寂しいですが、玲子さんは、私の思い出の中で今でも確かに生き続けています。
2014年09月20日 06:43
◇ぶんなさん

コメントありがとうございます。

>ありし日の矜持、もしかすれば周囲に煙たがられたかもしれません

ひどくとっつきの悪い人だと思われていたことは確かです^^;
本を読む、という行為が私にとって一つの防波堤だったのかもしれません。
そうはいっても、いつまでも孤立しているわけにもいかず、良くしたもので、ひとり、ふたりと友人が出来て、当時から何十年も経った今も繋がっている方もいて、ありがたいことと思います。

>随分と多くの喫茶店が姿を消しました

今はどこも同じですね(溜息)。
この辺りでも、昔から続いている喫茶店は数えるほどしかありません。
「待ち合わせ」と言えば喫茶店といった時代があったことさえ、うそのようです。
大手のコーヒー・チェーン店はいつも大勢のお客さんでにぎわっていますが、かつての喫茶店とは時間の流れ方が違うような気がします。

>いまの若い方々は、どこでどんな風にお喋り、議論、待ち合わせをしているものなので しょう

それそれ!!
私にも皆目見当がつきません。その場限りの他愛ないおしゃべりに終始し、喫茶店で議論している若者など全く見かけなくなりました。
かつは喫茶店文化というものが生き生きと息づいていた時代がありました。
喫茶店に陣取って作品を書いていたり、自宅の客間代わりに喫茶店を使ったりしていた作家も多かったようです。地方でも喫茶店が文化を牽引していた時代もあったかと思います。今では考えられないことですが、憧れの喫茶店の常連になりたくて背伸びする、なんてこともありました。
2014年09月20日 06:44
◇ぶんなさん

長くなりましたので、二つに分けますね(*^^)v

少しづつではありますが、新しい喫茶店が増えていることも事実です。
ただ客層からいいますと、若者というより、かつての喫茶店を懐かしむ熟年の方たちが多いような気がします。時々、若い人が喫茶店で本を読んでいる光景など見ると、ほっとします。私にとっても、喫茶店は美味しいコーヒーを飲みながら読書に没頭できる大切な場所でしたから。

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