「森の記憶 」 二人展 (その1)





<その1> 小松嘉門 木版画展


作品展の会場に向かう途中から、予報通り雨が落ちてきた。
右に左にと大きなカーブが続く山道に、ゆらゆらと陽炎のような霧が這い始めたと思う間もなく、
視界は白く閉ざされた。
対向車のライトが行き過ぎる山の中の一本道は、雨に濡れた植物たちの濃厚な気配がたちこめている。
先ほどまでの晴天とは打って変わった空の下、何やら非現実の世界に入り込んだような錯覚を覚えながら、
出がけにふとバッグに入れてきたバッハのリュート組曲のCDをセットする。
生き物のような霧と一体化した低音弦の響きが、水の流れのように、身体の奥深くまで染みてくる。

まるで時間が失われたような不思議な感覚とともに、どうにか会場にたどり着いたのは
予定時刻もかなり過ぎたころだった。




画像






会場の左側の壁一面を飾っていたのは、小松嘉門さんの木版画。
その作品のほとんどは、小松さんがバリ島で出会った巨大な樹木たちだ。
小松さんの作品は内面へと向かう強い求心力にみちている。
生命そのもののような巨大な樹は、見上げるような高みから無数の気根を下ろして、地上とつながっている。
大地から栄養を取りこんだ気根は、太く大きくなって本来の樹と一体化し、そのままひとつのジャングルのようだ。
梢に揺れる無数の葉は、一枚一枚、丸刀で点描のように彫り込まれ、わずかに差し込む光を白く反射している。
直径が何メートルあるのかも定かでない、樹の幹や枝の質感、立体感を表現するのは、
髪の毛一筋ほどの線を連続させるという気が遠くなるような作業だ。
そのひと彫りひと彫りによって命を注ぎ込まれた作品たちは、
時間と命がそのまま流れ込んで形になったかのような、圧倒的な存在感とともにそこにあった。




バリの樹に魅せられた嘉門さんは、何度も何度も現地に足を運んでは、写生を繰り返したという。
そんなある日、現地の知人と一緒に、戦いの女神、ド゙ゥルーガーの神殿を訪ねた時のことである。
満月の晩であった。
鬱蒼と茂る森を抜けてその神殿に近づいた時、友人はそっと唇に指を当てて、
これからは何もしゃべるなと、嘉門さんに釘を刺したそうだ。
神殿でしばらく瞑想の時をすごしてから再び森を出ると、

「嘉門、お前は何も感じなかったのか?」

小松さんにそう尋ねた知人は、言い知れぬ恐怖で震えていた。
その姿を目の当たりにした小松さんは、彼の神は確かに臨在したのだと感じたのだった。
翌日、白昼の下で再びその神殿を訪れた小松さんは、昨夜は闇の中で森と見えたものが、
実は一本の巨大な樹であったことを知った。
神殿へと続いていた通路は森ではなく、樹の間にできた大きなウロのようなものであったのだ。

何年か後に、再び同じ場所を訪れた小松さんは、その樹が無残にも切り倒されてしまったことを知る。
そればかりか、誰ひとりその理由を語ろうとはしない。
仮に雷に打たれたといった類の理由であったなら、怖れとともに口を閉ざす必要はないだろう。
それまで神聖な樹としてあがめられていた木が、伐り倒されねばならなかった理由は今も知らされないままだ。
だがしかし、今私の目の前に小松さんが描いた「あの樹」が「あのとき」の姿そのままに立っている。
この事実こそが、小松さんをしてこの樹の絵(木版)を描かせた理由なのかもしれない。




私たちの知らない世界には、理解し得ない不思議な出来事がたくさんあって、
不思議は不思議のまま、人々の心の奥深くしまい込まれている。
それはそれで、人間の知恵を超えた深い意味があるのだろう。


大地の記憶深く根を張った大樹は、一つの宇宙を包含してそびえている。
その中心にあるものは「知らされないことを受け入れる」という世界の豊饒さなのかもしれない。






     ★ 森の記憶 二人展 (その2) 吉野剛広展 → http://folli-2.at.webry.info/201407/article_1.html









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この記事へのコメント

HT
2014年06月30日 11:04
こんにちは。
見ていると恐ろしくなるような木版画ですね。大きさが良くわからないのですが、大きなもののように感じます。実際に夜中にこんな木の前に行ったらやっぱり怖くなるのではないでしょうか。そんな大切な木が切られてしまったのにはそれを信仰してきた地元の人たちにしかわからないことなのでしょうし、言えない何かがあるのでしょうね。信仰ってそういったものなのかもしれませんね。
しっぽ
2014年06月30日 18:54
木版画なんですね。
デューラーやアルトドルファーなど北の感じを一瞬うけましたが やはり南の障気みたいなまがまがしさも感じます。
この方の作品どこかで見たような記憶もしますが~違うようです。

あまり大きくはないのでは?

森は苦手かな~
2014年07月01日 06:23
◇HTさん

コメントありがとうございます。

>見ていると恐ろしくなるような木版画ですね。

確かにおっしゃる通り、私も恐いと感じました。黒と白だけの世界に描き出された巨木は、エネルギーそのもでしたし、150×140㎝という大きさも影響したかと思います。視界いっぱいにこの作品世界が広がります。
バリ島では、もともとのアニミズム的信仰に、ヒンドゥーが加わってバリ独特の宗教になっているようです。

>それを信仰してきた地元の人たちにしかわからないことなのでしょう

確かに「信じる」ということはそういうことなのかもしれませんね。
2014年07月01日 06:46
◇しっぽさん

>やはり南の障気みたいなまがまがしさも感じます。

うぅ~ん。いい得て妙です!

南の瘴気! ぴったりの言葉ですね。
熱帯性気候で雨の多いバリでは樹が成長するのも凄く早いそうです。
あっという間に見上げるほどの大木になる。私が初めて小松さんの作品を目にした時感じたものも、一種の「湿度」と、異形の樹たちに、何か植物を超えたエネルギーのようなもの(しっぽさんの言葉を借りれば、「まがまがしさ」でしょうか)でした。

たまたま作品展の最終日とあって、作家である小松さんが会場にいらっしゃり、直接お話を伺ったことで、また違う世界が見えてきました。
小松さんのお話では、樹はたくさんの命をはぐくむ場所でもあるということです。
樹のうろや枝に鳥や昆虫が落して行った草の実や種から発根した様々な植物が成長し、鳥や昆虫に食べ物や隠れる場所を提供する。いろいろな生き物たちが共生する世界なのだそうです。

>あまり大きくはないのでは?
縦横150×140㎝という大作です。
プレス機で何回にも分けて刷り上げると伺いました。

ヒンドゥー教には像や猿の姿をした神々が大勢いますが、キリスト教をはじめとする一神教が砂漠の宗教であると同じく高温多湿という季候風土が生み出したものであることに間違いないと思います。

>森は苦手かな~

魑魅魍魎が棲んでいそうなイメージですか(笑)?

2014年07月01日 07:30
こんにちは。

あの木版画、まるで生き物のように見えました。
確かに少し怖れを感じます。
実物を見ると作者の魂を感じるのでしょうね。
> 「知らされないことを受け入れる」
おっしゃるとおり、そういうところも必要ですよね。
しっぽ
2014年07月01日 08:13
何か引っかかるものがあった記憶を辿りました。若い友人がカンボジアの旅で送ってきれた何枚かの画像です。等身大の彫刻なんですが そこから発せられる ある雰囲気のようなもの。日本にも西欧二もない独特のもの。通じるものを感じました。アマゾンなんかとも違うかな~
世界は広いですね。
作者はどんな方でした?興味あります。
しっぽ
2014年07月01日 08:18
ついしん

しょうき  変換できませんでした。
私のスマホがお馬鹿?いや 私がお馬鹿?

良い1日を(*´∀`)
ぶんな
2014年07月01日 14:57
忙しくしているうちに画面が進化してました。
すごい版画、そして微妙な霊妙な雰囲気が伝わってきます。
作家の集中力のすごさです。
2014年07月02日 06:12
◇kojiさん

コメントありがとうございます。

実際の作品はどれも縦横1mを超える大作ぞろいで、見るものを圧倒します。
確かに異形の樹たちには、植物という概念を超えたエネルギーを感じますね。
自然のスケールが違います。
こうした風景の中で生活する、生きることは、私たちの想像を超えています。
風土が人間の価値観や、生き方を決める大きな要素である、ということにもうなづけますね。
2014年07月02日 06:26
◇しっぽさん

アルトドルファー!
しっぽさんもお詳しいですね!
私はアルトドルファーと聞いてもアレキサンダー大王の戦いを描いた作品しか頭に浮かびませんでしたので、慌てて調べてみました(^^ゞ
なるほど、版画作品もたくさん残しているのですね。細かい線に寄る表現、モノトーンの暗い画面と言う点では確かに似た雰囲気です。デューラーの精緻な線もしかりです。でもしっぽさんが言われるようにこの二人は、生温かく湿度の高い南の空気とは無縁ですね。熱帯の自然(樹木)には得体のしれないエネルギーを感じます。ここは確かに命が循環する場所。輪廻という思想が生まれる場所です。

>作者はどんな方でした?興味あります。

小松嘉門さん、細面の華奢な感じの方です。
一見優しそうですが芯のある方だとお見受け致しました。
小松さんのHPアドレス添付しますね♪
2014年07月02日 06:30
◇しっぽさん

「お父さん、霊気です。」
じゃなかった、瘴気。
うちのパソコンでも変換されませんでしたので、「しょうき」と平仮名で検索して「瘴気」を発見しました。以降は「瘴気」と正しく変換されます。

「姫さま、瘴気じゃぁ~。」
瘴気と言えばナウシカです!
2014年07月02日 08:52
◇ぶんなさん

おはようございます。

花が咲けば咲いたで、ちょっと出掛ければ出掛けたで、新しい発見や出会いがあり、書きたいと思うことの半分もブログに出来ないでいます^^;

>作家の集中力のすごさです。

版画と言っても、まずは下絵の制作から始まるのですが、その下絵のために膨大な量のスケッチを繰り返し、構図を決めやっと下絵に取りかかるわけですが、版画の下絵の場合、ネガとポジが通常と逆転しているわけですから、ただ描けばいいというものではないようです。
さらに、完成した下絵を版木に転写し、やっと彫るという作業にかかるのですが、なんといっても作品の大きさが半端ではないので、彫りあげるまでに、ものによっては、一年以上掛ることもあるのだそうです。
そして印刷。これも手作業です。もちろんバレンでこするという次元の大きさではないので、何回にも分けてプレス機で印刷します。
このプレスも作品ごと、部分ごと、微妙な調整が必要ということで、一枚の作品が刷り上がるまで、信じられないような手間と時間がかかるのというお話でした。
その間。一時も集中力を絶やすことができない、過酷ともいえる工程の結果が、小松さんの作品なんですね。
私など、想像するだけで、溜息が出そうです。
ぶんな
2014年07月02日 22:40
ていねいに工程まで教えていただき感謝です。
近くに仏像を彫っておられる方がいて、20センチ大なんですが、かなりのお作。この位の大きさでもどれほど手間がかかるか察しはつきましたが、これぐらいのになると、体力勝負の側面もあると思わせられます。芸術的な確信に満たされているからこそ集中もできるんでしょうね。すごいです、ほんとうに。
2014年07月03日 06:12
◇ぶんなさん

おはようございます。

>近くに仏像を彫っておられる方がいて

立体となると、また違う御苦労があるのでしょうね。
最近は3Dプリンターなるものが登場して、マスコミをにぎわせていますが、3Dプリンターと言えど、仏像はコピー出来ないでしょうね。
「仏作って魂入れず」。「魂」はコピーできませんものね。
カタナンケ
2014年07月03日 20:09
二週間ヨーロッパをクルージングしてきて
写真の整理が億劫で なまけものになっています、、

バリ島の 樹ですね、、
美術館となりの 森=ジャングルの中にあるような ホテル?コテッジに
泊まった事あります、、
ただ 大樹に囲まれでいたけど わたしは 明るい神々しか
感じなかったな、、
夜の ケチャダンスも おどろおどろしい所があるけど
なにか 明るい、、
ドイツの森林にやどる 自然の力=神は
この版画のように 重く重厚にのしかかるようなのでは、、と
想像しますが、、
私個人が ドイツの針葉樹と バリの 広葉樹? 熱帯の樹の
違いをまえもって 感じ取っているせいなのかな、、
2014年07月04日 07:23
◇カタナンケさん

お帰りなさい!
二週間のクルージング、楽しんでいらっしゃいました?
昔とちがいデジタルカメラだと写真の数も桁違いに多いでしょうね。ゆっくりぼちぼちと整理なさって、またブログにもアップしてください。

>バリ島の 樹ですね

小松さんは現地の人から観光客が足を運ぶことのない、この場所を案内してもらったようです。
小松さんと現地の方との信頼関係があって初めて訪れることが可能になった場所は、バリの森が呼吸し、神々の住まう場所でした。 人も森も観光客には見せない本当の顔を持っているのかもしれません。

ドイツの森といえば、シュヴァルツヴァルトをイメージしますね。
(行ったことはありませんが)ドイツトウヒなどの針葉樹が密生する森は、その名の通り「黒い森」なのでしょう。
針葉樹の多くは競うように直立して天を目指しますが、バリの樹は、どこからどこまでが一本の木なのかわからないほど、せめぎあい、無数の気根が絡み合うようにして成長していくようです。
いわば観光化されていない野生の森。
ヨーロッパの森とバリの森では空気の感じがかなり違うと思われます。
つまり「湿度」の違いと、そこで生息する生き物たちが発散する「気」のようなもの。
小松さんの作品からは、何者かが息を潜めているような濃密な気配が感じられました。

それにしてもカタナンケさんはいろんな場所を旅行していらっしゃるんですね(^^♪
ケチャ、ガムラン音楽、私もとても興味があります(^^♪

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