夢の話  ホイッスラー「青と金のノクターン 」




夢の中で、私は子どもと二人で歩いていた。
海が迫る道の向こうに見えるのは古びた木造の校舎。多分小学校。


(何のために学校へ向かっているのか、夢を見ている側の私にはまったくわからない。)
校門をくぐった覚えはないのに、私たちはいつの間にか、校庭の中にいた。

広い校庭の一角に、小さな入り江のように青い海が入り込んでいる。
(海、とは思ったけれど、大きな川かもしれないし、湖かもしれない。)
なだらかな校庭の斜面はそのまま入り江にと繋がって
波打ち際の水は、水底の丸石の形がはっきり分かるほど透き通っている。

「お母さん、靴が壊れそうだよ。。」
唐突に言われて子どもの足元に目をやれば、なるほどゴム底も白い真新しい靴の踵部分が破れかかっている。
これでは歩き難かろうと、私は立ち止まって仔細に靴を検分する。
(それなのに、すぐにこの靴のエピソードは忘れられてしまい、脈絡がつかめないまま場面は変わっている)
いつの間にか見覚えのない青いゴムボールを手にしてた子どもが私に言う。
「お母さんがご用を済ませてくるまで、みんなと一緒に遊んでるから。」
なるほど言われて見れば、校庭には三々五々、子どもたちの姿が見える。
子どもたちが波がさざめくように集まって来た様子を視野の隅に捉えながら
私は一人で校庭を横切ってゆく。
途中、手入れの行き届いた花壇がある。
まだ蕾もなく、緑色の葉だけをさわさわと繁らせているのは、大株のデルフィニウムだ。
このデルフィニウムが花を咲かせたところを見たことなどないはずなのに、
私はその花の色が紫を帯びた深い青であることを、当然のことのように知っている。




画像
「青と金のノクターン オールド・バターシー・ブリッジ」 ジェームズ・M・ホイッスラー (1834-1903)





夢の中で、私は目的地に辿り着くことは出来ない
目覚めは予期せぬときに訪れ、夢は唐突に終わってしまう。
繰り返された鮮烈な青のイメージ。
そういえば、夢の中で子どもが履いていたローファーにも、青い紐飾りが付いていた。


始まりもなければ終わりもない
物語の断片のように、部分だけが切り取られたていた記憶。
眠りの中で紡がれた夢に続きはあったのだろうか。
思えば、夢の中で子どもの声を聞いた覚えはない
声は最初からそれと了解されて、意味だけが私の心に届いていた。
夢の中に音はない
「ない」「ない」だらけの世界、そして夢は、どこまで行っても夢で、とりとめもない
ただ視覚だけの記憶は、どこまでも澄み切った青に染められていた。






ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)はアメリカの印象主義の画家。
「青と金 オールド・バターシー・ブリッジ」は彼の代表作ともいえるノクターン・シリーズの中のひとつ。
霧とも霞ともつかないおぼろな薄明の中で橋とその上を行き交う人々のシルエットだけがぼんやりと描かれ、
対岸の建物の輪郭は、背景の中で滲むように浮かび上がっている。
それらは皆、青く立ち込めたヴェールに包まれて、神秘的な薄明かりの中にある。
絵の右手上方から落下してゆく儚い金色の粒子は、消え行くものの定めゆえの美しさに煌めいている。

ホイッスラーには写生の習慣がなかったと言われている。
彼の作品の多くは記憶の再現である。
彼は、記憶の中で成熟し、やがて美しく結晶してゆくものを描いた。
ホイッスラーが他の印象主義の画家たちと同じく、浮世絵に多大な影響を受けたことは、シンプルかつ大胆な
構図からも明らかであるが、この「ノクターン・シリーズ」に限っては、明確な線が線として描かれることはなかった。
彼がこのシリーズで描いたものは、光と闇の狭間でうつろう色彩である。
光と闇、もしくはその二つが交錯する瞬間の幻想的な美しさを彼は愛した。
それは始まりも終わりも定かでない一つの夢の時間。
私たちが垣間見ることが出来るのは、流れてゆく大河にも似た時間の、ほんの一瞬。たったひとしずく。
その一瞬に確かな意味を見出すことは、殆ど不可能なことかもしれない。
だがしかし、意識の流れの中で、瞬間は確かに永遠に繋がっている。
だからほら。
ホイッスラーの絵の中で、金色の光は終わることのない夢のように、永遠に落下し続けている。
私たちが落下の意味を問い続ける限り。







★関連ブログ 『ささやかな地異は そのかたみに・・・』
              「黒と金のノクターン  落下する花火 」→ http://folli-2.at.webry.info/200902/article_1.html






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この記事へのコメント

アルト笛
2013年02月09日 12:04
近頃はあまり夢を見なくなりましたけれど、言われてみれば夢の中の色はないはずなのに、あったように錯覚することは結構あるように思います。
この方の描かれる青の色、誰しもどこかで見た懐かしさと、どこで見たのか思い出せないもどかしさが交じり合うような不思議な青ですね。朝もやなのか、夕暮れ迫り街の灯りがチラホラしだした頃なのか、ひとしきり絵に見入りました。思い出せないけど暖かい記憶が残るような感触の青です。
カタナンケ
2013年02月09日 13:24
なぜか、、
わたしも 青い物をあつめ メスの関心を引く なんとか鳥のように
青い物が大好き~
ノクターンは やはり 「青」の連想をさそいますね、、
ノクターン イン ブルー 、、
そして ブルーというよりも
ASULという方が  あるいは 蒼というほうが
好ましい~
すてきな 絵画 すてきな詩~
ルネ
2013年02月09日 18:46
ホイッスラーの絵とaostaさんの文章が溶け合って、私も夢の中を歩いているような気持ちになりました。
私は良く夢を見るのですが、起きてすぐに反芻しないと忘れてしまいますね。
ホイッスラーという画家のことは知らなかったのですが、とても魅力を感じます。
画集を買ってみようかしら。
2013年02月10日 06:51
◇アルト笛さん

おはよううございます。
夢の中の色・・・ずいぶん昔にまで遡って、強く印象に残った夢がいくつかあります。今となっては「夢の断片」としかいいようのない切れ切れの記憶でしかないのですが、私の場合、色のイメージはかなり強いです。夢は人間だけでなく動物も見るんですね。人が夢を見ている時と全く同じように、ボンボンが眠りながらしきりに鼻を鳴らしたり、手足を動かしていたりしたことを思い出します。

ホイッスラーは広重におおきな影響を受けた人のようです。
この「オールド・バターシー・ブリッジ」で描かれた橋の切り取り方などまさに広重的。
朝とも黄昏とも判らない薄闇の中、ちらちらと瞬いている明かりとともに、懐かしいという感覚が広がって行きますね。
2013年02月10日 07:13
◇カタナンケさん

>ノクターンはやはり「青」の連想をさそいますね

そう言えば昔「蒼いノクターン」というシングル・レコードを持っていました。
そうそう、あのポール・モーリアです!やはりノクターンは「青」ですね(笑)。
ほのかに紫がはいったASUL(アズール)。素敵な表現をありがとうございます。昔はカモミールから抽出したというアズレン。アズレンブルー。
その昔子どもの感染症予防のために常用していたうがい薬が、抗菌効果の高いアズレンでした。赤いイソジン、紫色のアズレン、オレンジ色のファンギゾン。この三つにはずいぶんお世話になりました(~_~;)

ASULのイメージがちょっと変わってしまいましたね。すみません。
個人的な思い出とは別に、本当に美しい蒼だと思います!
2013年02月10日 07:26
◇ルネさん

>起きてすぐに反芻しないと忘れてしまいますね。

私も夢は大抵忘れてしまいます。夢を見ていた、という記憶だけは残っても、はてどんな夢だったかしら、と首をかしげることもしばし。でも今回は、あまりにも青のイメージが鮮烈で、断片とはいえ忘れ難い夢でしたので、すぐにメモをしました(笑)。
脈絡のない断片的なイメージではありますが、夢も私の意識の中から生まれてきたのだと考えれば、忘れるのが偲びがたくて^^;

ホイッスラーの作品には、「ノクターン」や「ハーモニー」といった音楽に関係したタイトルがつけられたものがいくつかあります。
彼がタイトルに込めた思いを想像しながら絵を見るのもひとつの楽しみです。
カタナンケ
2013年02月10日 12:43
「青」のブログ見にきて~
ねこギター
2013年02月10日 20:46
ホイッスラーの「ノクターン・シリーズ」私も好きです。岸辺の建物の小さい明り、それを移す川面が、頼りない記憶のかけらのような郷愁を誘います。人物も影のように描かれて、本当に虚ろな夢の中の光景みたいですね。
「ない」「ない」づくしの中でも、「夢の中で、私は目的地に辿り着くこと出来ない」というところが特に共感しました。楽しい夢の場合でも肝心なところで、いつも目が覚めたり、「あ、これは夢」だと気付いたりします。夢は面白いですね。続きものの夢を見たり、同じ夢を見たり。夢を覚えていると映画を1本観たような何だか得した気分になります(^^)。
私の場合は、本屋めぐりをする夢をたまに見るのですが、いつもの古本屋(実在しない)で、次々に欲しい本を見つけるところで目が覚めます。
ぶんな
2013年02月11日 14:53
ホイッスラー、深い霧に吸い込まれてゆきそうな存在を留めるひっかかりがどこにもないような不安定さを、この独特な構図の橋が辛うじて救ってくれている、そんな感じがしました。
「ない」「ない」尽くしの視覚だけの記憶が澄み切った青に染められている。不思議な感じがします。
この記事を見たせいか、明け方にか夢を見ていました。真っ白な雪から、きれいなエニシダの緑が伸びていて、見ると花が咲いているんですね。えっ?、この真冬に?と目を近づけましたら、パンジーに似た形のきれいな青い花が一輪咲いていました。そこにたしかにくっきりと、すっきりと咲いているのです。単純な夢ですが、実にきれいでした。それがまた、いまだに、実際にどこかに存在しているような気がしてならないのです。私の夢はいつも単純です。景色の夢が多いです。
2013年02月11日 20:48
広重の両国花火は花火の上がる空の広がりが印象的なのだけれど、
この絵は花火の前を橋が横切って空が狭いなぁ...と思って見ました。
しかし、橋の向こうに花火があるから奥行きを感じるんですね。
橋か花火、どちらか一方だと視線があまり動きません。おもしろいです。
2013年02月12日 14:38
◇ねこギターさん

お返事をお待たせしてしまい、申し訳ございませんんでした。
岸辺の建物に灯る明かりと、煌めきながら舞落ちてくる火の粉。
その双方が、同じように水面でちらちらと揺れるように映っている・・・・
どちらがどちらとも判らない輝きのあわいが、本当に夢のようです。
私が10歳まで住んでいた家は、湖の近くでした。さすがに家から湖が見えることはありませんでしたが、小さな子どもの脚でも充分歩いて行ける距離でした。遊びに夢中になって時間が経つのも忘れ、気がつけば、空は夕暮れて火点し頃。湖の対岸に浮かび上がった青い稜線の山々と、遠く、小さく瞬いていた街の明かりは、私の懐かしい記憶です。

>夢を覚えていると映画を1本観たような何だか得した気分になります(^^)。

ねこギターさんもやっぱり!!私も同じくです(笑)。
忘れてしまうのがもったいなくて、文字にするくらいですから^^;
夢を忘れたくない、と言う気持ちには、言い換えれば、夢もまた私の人生の時間の一部、と考えるようになったということも関係しているかもしれません。
新約聖書の中の「若者は幻を見て、老人は夢を見る」と言う一節を、しみじみと思い出します。
2013年02月12日 14:54
◇カタナンケさん

お返事の順序が逆になってしまい、本当にすみません!!

>「青」のブログ見にきて~

いまこのコメントをお返しする間にお邪魔してまいりましたよ。
光を透かして見る青の美しいこと!
同じ光でも、青という色に濾過されると、特別な光に変化するような気がします。
「青の歴史」という本が筑摩から出ていますが、ちょっと面白い本です。URL欄にリンク致しましたので、もし御存じないようでしたら、覗いて見て下さいな。
カタナンケ
2013年02月13日 16:49
URL 見ましたよ、、
面白げなので さっそく図書館予約~
借り手がいないから すぐに手にはいりそう~
ありがとう~
2013年02月16日 06:48
◇ぶんなさん

おはようございます。
八ヶ岳は昨日一日雪でしたが、そちらの雪はどんな様子ですか?
大雪注意報や低音注意報が当たり前になった感のある今年の冬です。連日の雪はさすがにきついですね。

エニシダの花は私も大好きです。
実家の庭でも毎年春になると、遅咲きの八重桜ときそうように金色の花を咲かせていました。雨上がり雨、雫を一杯連ねた重みで弓形に撓っている枝を弾くたび、小さな水玉がキラキラとダイヤモンドのように輝きながら散るのです。子供の頃の懐かしい光景です。

私が見る夢は、いつも私(多分・笑)を通して展開します。印象に残る光景や景色の記憶も、そこには必ず「私が見ていた景色」という意識が残っています。
一番昔の夢の記憶は、小学校のころのものです。私は諏訪湖に向かってだらだらと下っている道を自転車を押しながら歩いているのです。石畳の道がぬれて光っていました。湖の対岸で暮れ残った山並みがばら色に輝いて、きれいだけれど、何かいぶかしく不安な夢。石畳の坂道、とは母の実家近くにあった神社参道の石畳だと思うのですが、本来その道から諏訪湖は見えません。どうしてこの夢がそんなに印象的だったのか、分からないのですが、いまでもその光景は良く覚えていて、現実の景色の中で似たような場面に遭遇するとどきりとしてしまいます。
ぶんな
2013年02月16日 22:43
ていねいなお返事を有難うございます。
こちらは1日おきに20~30センチ積もります。少々疲れぎみ。除雪、外回りは主人がやっていますが、家周りは人が歩ける程度で間に合わせています。除雪の労力も、降雪があまりにたて続くと余力がなくなってしまいそうです。
まして、そちらでは、ほんとうに頑張っておられることと思います。もうすぐ、きっと良い春が来るはずです。
aostaさんの夢はまるで絵画を見ているようです。あるいは、夢で、未来をすこしだけ垣間見ていることもあるのでしょうか。
2013年02月19日 08:06
◇ぴぴんさん

お返事を差し上げるのがすっかり遅くなってしまい、本当に申し訳ありません。
ホイッスラーの作品への洞察に満ちたコメント、とても嬉しく拝見いたしました。
ぴぴんさんのコメントに触発されて、改めて広重の「江戸百景」を開いてみました。広重の空は本当に広い。空だけでなく、空間の捉え方が素晴しい。彼の作品を初めて目にした印象派の画家たちが、心を奪われたことも当然ですね。
ホイッスラーのこの作品にしても仰角で見上げる橋、それも橋脚を中心とした大胆なアングルなど広重の影響なくして考えられないと思います。加えて青。
広重は青という色の使い手でもありました。
「橋の向こうに花火があるから奥行きを感じる」というぴぴんさんのご意見、本当に仰るとおりですね。縦長のキャンバスに描かれた世界は、遠く薄闇の中に消えていくような建物。水面にその輝きを反映している光は、火の粉とも街の灯りとも判然としないままどこか遠くに誘うかのように、ちらちらと揺れている。現とも幻ともつかない場所、まさに「夢の時間」。

視線が動く、というご指摘も私には新鮮でした。
なるほど!です。ありがとうございます。
2013年02月19日 08:09
◇カタナンケさん

図書館予約は正解だと思います(笑)。
ちょっとアカデミックな内容ですが、ご興味があれば面白い本だと思います。
青という色だけで、分厚い本が一冊書けてしまうことにも驚きますね。
2013年02月21日 20:48
◇ぶんなさん

こんばんは。
今夜も寒いです。連日の真冬日はともかく、ここ数日-20度以下の日が続いています。3日ほど前派-26度。ここ10数年でも最低温だと思います。朝起きて温度計を見て、まず自分の目を疑ったのですが、温度計に間違いはなかったようです。
今朝の新聞では諏訪六市町村のすべてでこの冬の除雪費用が底をつき、新しく予算をつける必要に迫られていると報じられていました。そればかりか融雪剤もすべて使いきってしまって入荷待ちなのだとか・・・
道路は完全にアイスバーン状態、我が家の周りは雪のバリケードで覆われています。寒さも雪の量も今年は尋常ではありません。このあたりでもそうなのですから、ぶんなさんがお住まいの辺りはさぞ難儀をしていらっしゃるのではありませんか?
春はもうそこまで来ているはずなのに、これからが長いんですよね(-"-)」

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