Ondine オンディーヌ






     月の光が 銀色の糸のように降る森で

     眠りながら 目覚めている

     小さな獣たち

     そして 私




     夜空を泳ぐように 発光する 星ぼし

     ひたひたと 凍りつく

     記憶のかけらは 

     月の引力にひきずられて

     音もなく 夜の波間へと沈んでゆく 




         ああ かつて 

         確かにこんな時があった

         一度はひとつになった私たちの吐息が

         凍りついたまま砕けた夜

         指先に血を滲ませながら

         そのかけらを拾い集めていた夜が




     ひき潮のように失われていった時間

     もう二度と 満ちることはない

     もう二度と 戻ることはない








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      しのびやかに 星辰は巡り

      月はひとり しめやかに 空を歩む




           ああ たとえば

           手のひらで水をすくうように

           流れる星と一緒に落ちていったものたちを

           すくい取ることができたなら




       それは浄らかに 喉を滑り落ちてゆくだろう

       そして私たちも 

       透き通った氷のかけらが溶けるように

       月の光と一緒に 冷たい水の中へ溶けてゆくだろう





       三半器官は 内耳の奥の小さな巻貝

       帰ることが出来ない海を懐かしみながら

       そっと 耳を澄ませば

       忘れたはずの 名前が 

       ほら・・・




by aosta   2013/01/28







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満月の夜、久しぶりで吉原幸子さんの詩集「オンディーヌ」を読み返していた時、
誰かにそっと呼ばれたような気がしたのです。
真っ白な雪が、全ての直線の上に丸く降り積もっている庭に出て夜空を見上げていると、
月が囁きかけてきました。

この「オンディーヌ」は、吉原さんへの私的なオマージュ。
もしかしたら、青い月の光とともに落ちてきた言葉かもしれません。







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この記事へのコメント

ぶんな
2013年01月28日 22:12
>ひき潮のように失われていった時間
もう二度と 満ちることはない
もう二度と 戻ることはない

区切りとなる年代に達するたびに、以前のようには届こうとはしない、引き寄せようともしないものが、ひとつづつ増えていく感じがしています。もしかすれば感性が剝落していっているのかもしれません。しかしこの3行の喪失感は、感性がむしろ失われずに繊細に生きてあるからこそ、一層の痛ましさが胸に染みます。「わたしの耳は貝の殻、海の響きを懐かしむ」が思い出されます。
この詩に照らされて、詩人の心に遠くなった自らが見えました。
月の言葉を聞いてみたくなりました。


2013年01月29日 07:06
◇ぶんなさん

おはようございます。
舌足らずの詩を、深く読みとって下さいましてありがとうございます。
あれからまた読み直すうち、何か所か、手を入れました。
これが最善、と言うところまでは、なかなか辿りつくことができません。
言葉は手強いですね。

>「わたしの耳は貝の殻、海の響きを懐かしむ」

上田敏訳のこの詩は、私が初めてノートに書き写した詩でした。
まだ中学に上がる前、「詩」という概念も定かでなかったころ。
どこで目にしたのかは覚えていませんが、「海潮音」という名前も多分単純に気に入ったのでしょう(笑)
でも今思えば、それが始まりだったのですね。

ぶんなさんのご指摘通り、このフレーズは、まさにこのコクトーの詩がダブルイメージとしてありました。
カタナンケ
2013年01月29日 09:07
三半規管は 内耳の奥の ちいさな巻貝
帰ることが出来ない 海をなつかしみながら、、

わたしも 「私の耳は貝の殻、、、」コクトーの詩を
思い浮かべましたよ、、
帰ることはできないけど 思い出はあせるどころか
ますます鮮明になって、、
2013年01月29日 17:25
◇カタナンケさん

ありがとうございます。
今回の「オンディーヌ」には、上田敏訳のコクトーだけでなく、吉原幸子さんの詩を読んで触発されたイメージも散りばめた一種のオマージュの意味も込めてみました。それぞれのイメージが無理なく繋がって一つの世界を作り上げることができたら、という不適なな試みでもあります(笑)

>帰ることはできないけど思い出はあせるどころかますます鮮明になって

帰ることが出来ないからこそ、ますます鮮明になるというのが真実なんのかもしれませんね。
2013年01月29日 18:21
そう、三半規管は小さくてもとても大切な物ですよね。 貝殻、大好きでよく拾っていますが、人間の体の中の巻貝も大切にしないと。 一昨年ダイビングを始めて中耳炎&外耳炎をいっぺんにやってしまって耳ってとても痛いですね。 帰る事のできない・・なんだか寂しい言葉の響き・・・
ねこギター
2013年01月30日 20:58
いくつものイメージが流れるように連なって素敵な詩ですね。
上空の輝く月や星々から、森へ、海へ、そして私たちの耳―記憶と誘う。
吐息、引き潮、氷…、それらをつなぐ水のイメージがなんと美しいことか。
私にはとくに「時間」という言葉が強く響きました。
自分の年齢もあるのでしょうか、若い頃に考える思弁的な時間とは違う感情が湧き上がってきます。
いつでも行けると思っていた場所は今はもう存在せず、そしてもう二度と会うことの出来ない人がいる。
それらはもう記憶の中にしかないと気づいて―。
私も『月下の一群』の中でコクトーの「耳」は大好きですね。
月といえば、私などは、酔っ払って夜道をふらふらと月と会話しながら帰った記憶しか浮かんできません。(^^ゞ
2013年01月30日 23:18
◇mintさん

こんばんは。
コメントありがとうございました。

>一昨年ダイビングを始めて中耳炎&外耳炎をいっぺんに

鼓膜を痛められたのですか?私は経験がありませんが、本当に痛いと言う話は聞いたことがあります。一方で、程度にもよるのでしょうが、損なわれた鼓膜が再生すると言うようなことも聞いた覚えがあります。海の底の素晴らしい世界を体験するためには、やはりいろいろとロスクも伴うのでしょうね。
mintさんのお耳、もう大丈夫ですか?
「海の響き」は聞えますか?
2013年01月30日 23:46
◇ねこギターさん

コメントを拝見しまして、まずは赤面。
どこでどう勘違いしたのか、「月下の一群」を「海潮音」と勘違いしていました。
あえて直接にはそれと指摘せず、コメントの中でさらりと私の勘違いに気づかせて下さいまして、ありがとうございました。いったい、何を考えていたのやら、お恥ずかしい限りです。

「オンディーヌ」への御感想、ありがとうございます。
そのまま素直に喜んでよろしいですか?
ご指摘の通り、この詩は題名から始まって、それぞれのフレーズを水のイメージで繋げたいという思いがありました。
昨年末に降った雪が溶けないままに、さらに新しい雪が降り積もって、どこもかしこも真っ白です。月に照らされ、透き通るように青く底光りする雪景色は、まるで海の底か、水を湛えた深い淵のようにも思えてきます。
低きに流れることを定められた水と、過去に戻ることのできない時間は似た者同士。どちらも一つの方向に向かって流れて過ぎてゆくものですね。

>酔っ払って夜道をふらふらと月と会話しながら帰った記憶

酔っぱらってふらふら。いいなぁ。
坂道をお月さまが転がってきませんでしたか?
青い煙と一緒に、ほうき星がくるくると回りながら落っこちてきたことは?
ねこギター
2013年01月31日 11:36
私の場合は、月に向かって石を投げたり、ピストルで撃ったりしなかったので、追いかけられることはなかったです。
翌朝ポケットの中に、ほーき星が入っていたりもなかったです。(笑)
足穂は、お月様と仲良くケンカしてうらやましい。
私の場合は朔太郎の「月に吠える」かなあ。
あっ、私のセルフ・イメージは猫だったっけ。
そういえば消したい記憶もいっぱいあるなあ。ははは。(-_-;)
2013年01月31日 17:07
◇ねこギターさん

>ほーき星が入っていたりもなかったです。

それは残念。
いつかホーキ星を手に入れたら、きっと教えてくださいね。
そうそう月夜の晩に出歩くときには、ポケットにほころびがないか確認してからお出かけ下さい。折角のお星様が、ぽろんとこぼれおちたりしたら大変ですから。
足穂、大好きでした。
もちろんいまでもときどき眺めています。御存命中に一度お会いしたかった!!

朔太郎はやはり猫でしょうか。屋根の上で「おわあ おわあ」と鳴く猫。月の下では「のをあある とをあある やわあ」と吠える犬。朔太郎は本当に凄いオノマトペ使い(?)だと思います。

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