風の庭 (アンディ&ウィリアムス ボタニック・ガーデン 2)




ひっそりとした木陰の道を抜けると、そこには風と水の気配が満ちていた。

自然のままに植栽されたウッドランドは、色とりどりの花が咲き匂うガーデンを過ぎた一角にあった。




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水際(みぎわ)で揺れていたのは風草。
「風草」とは誰が名付けたのか、どんなにかすかな風の気配にも、さらさらと優しげにそよぐ。
この繊細な草姿に、これ以上似つかわしい名前はないだろう。
優美に枝をしなだれさせた柳の影も、水面(みなも)で風とともに揺れていた。

ああ、ここは風の庭だ。





                 誰が風を見たでしょう?

                 ぼくもあなたも見やしない、

                 けれど木の葉をふるわせて

                 風は通りぬけてゆく。




風をこんな風な言葉にしたのは、19世紀ヴィクトリア朝の女性詩人クリスティナ・ロセッティ。



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野辺にあっても、庭の片隅で芽吹いても、最後まで注意を引くこともないまま、ともすれば雑草として引き抜かれる運命にあるこのちいさな草が風と戯れる時の繊細な美しさ。
風草だけではない。
花壇で咲き匂う花々の色や形に惑わされたまま、野にある花、草たちの必要にして充分、簡素で瑞々しい美しさに気づかないとしたら、それはなんと心寂しいことだろう。



「風は想いのままに吹く。
あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。」


世界は風に満ちている。
でも、多くの人は風に気が付かない。
風を見ることはできなくても、風の器である草の葉や草の花に目を留めるとき、喜びとともに風を感じることが出来るかもしれない。






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        Who has seen the wind?   


              Who has seen the wind?
              Neither I nor you:
              But when the leaves hang trembling
              The wind is passing thro'

              Who has seen the wind?
              Neither you nor I:
              But when the trees bow down their heads
              The wind is passing by.


                               Christina Georgina Rossetti (1830年- 1894)







◆写真は先日訪れたアンディ&ウィリアムスガーデン ウッドランドで





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この記事へのコメント

Anfang
2011年06月03日 09:31
この詩はどこかで読んだ事ある・・・懐かしい。
クリスティナ・ロセッティの名前をみて記憶が蘇りました。
小学生~中学生の時、世界文学全集の中で出会っていました。
正確な言葉は覚えていませんが”どちらが~の?”を繰り返す詩が好きでした。
bunbun
2011年06月03日 12:08
このページを読み、すぐにヨハネ3の8を思い浮かべておりましたら、書いてくださっていました。感謝です。
瑞々しさに心潤いました。水面に映る草木の影、ほんとうに心惹きつけられます。
>花壇で咲き匂う花々の色や形に惑わされたまま、野にある花、草たちの必要にして充分、簡素で瑞々しい美しさに気がつかないで過ぎるとしたら、それはなんと寂しく、また心貧しいことだろう。
一昨年まではスクーターで郊外を駆けて存分に五月の風を浴び爽やかな野山をカメラに収めたりも(おさめ、の字はこれで良かったでしょうか?誤字でしたら教えてください)したのですが、この頃は自宅の庭に花々を持ち込むことばかりに捕われ、野の風に揺れる草花を忘れておりました。ヒメジオン、ヒメオドリコソウなどは庭にもあり、可愛いなと思いつつ見ておりますが、野にでればもっともっと沢山の草花が息づいているのですものね。それに虫たち。野の繊細な美しさを訪ねて野に出てみようかと思い立ちました。
>The wind is passing by.
人と人のであい、人と事物とのであいもこのようであるかとも思われます。
琳々
2011年06月03日 14:07
風と草と光と水際。まるでささやかなオーケストラのようだと思いました。風草は好きです。グラス類は何て風によく似合うのでしょう。確かに美しい園芸用の花も庭を引き立てますが、名も知れぬ可憐な野の花も庭には必要ですね。自然と一体になった庭、そこは風の遊ぶ庭。
2011年06月03日 21:23
◇Anfangさん

コメントありがとうございます。
Anfanguさんと同じように私もロセッティの詩に一種の懐かしさを感じます。
今回ご紹介しましたのは、西条八十の訳ですが、いくつかある翻訳の中でも一番有名で知られている訳ですね。素朴な問いかけではありますが、何か芯のようなものを感じます。
2011年06月03日 21:56
◇bunbunさん

こんばんは。
そう、ヨハネです。気づいていただけて嬉しいです。
ありがとうございました。

このウッドランドは、アンディ&ウィリアムスガーデンにあるたくさんのテーマ・ガーデンの中でも 、20000㎡を超える敷地面積 の約半部を占める一番大きなガーデンですが、人は一番少ない。単に広いから少なく見えるから、という理由ではなく明らかに少ないのです。やはり花が咲き乱れる華やかなガーデンのほうが阿藤的に人気だったことは、ウッドランドの素晴らしさを考える時、残念でなりません。ほとんどだれもいないガーデンは、見る側のしてみれば、最高ではありましたが、素晴らしいだけに残念です。

我が家の庭でもこの季節はヒメジオンやハルジオンが花盛りです。
一つ一つを見れば可憐なのですが、さすがに一面となりますと、いくら可憐でも問題があるかと(笑)思案しておりましたところ、ヒメジオンは蕾を摘んでおひたしにするという話を聞きました。ひと時花を愛で、また、おひたしとして味わう。これもまた素敵な楽しみ方だと思います。
2011年06月03日 22:23
◇琳々さん

こんばんは。
やはり風草がお好きと伺い、とても嬉しいです。

>風と草と光と水際。まるでささやかなオーケストラのようだと

風と光は充分でも「水」となると難しいですね。
個人の庭で池を作る、と言うの単純に広さの事を考えただけでも、はかなり難しそうですが、水の音、揺らめき、反射には無作為の美を感じます。
水があると、集まる昆虫や鳥も増えるのでしょうね。
我が家の「水辺の庭」は水辺とは名ばかりで、川が出来るのは激しく雨が降った時だけ(笑)。でも川になる位ですから、いつも湿っています。
わずかではありますが、この場所が気に入り、増えつつある植物もあります。
繁茂していた雑草も整理しましたので、風も遊びにやってきます♪
かげっち
2011年06月09日 12:45
ロセッティのことは知りませんでした、ありがとうございます。幼い頃、これの歌を母が口ずさんでいた記憶があります。

実は木管奏者として、木管楽器を英語やドイツ語ではずばり、Windということがあるのを、昔から面白いと思っていました。「風」も「息」もヘブライ語では「神の霊」と同じ言葉なので、木管楽器は聖霊の楽器だと自称しています(笑)
2011年06月09日 21:29
◇かげっちさん

こんばんは。
そうでしたか、お母様もこの歌がお好きだったのですね。
静まり返った夜更け、梢を鳴らしていく風の音は、確かに何ものかの息吹き、命のエネルギーそのものに聴こえてきます。西条八十の翻訳による詩は、一見平易で合用のようにも思えますが、ロセッティの原詩は、本文にも引用いたしましたヨハネ3-8に触発されて書かれたのだとか。この詩で歌われている風は、見ることはできなくとも、確かに「在りて在る」何ものかの存在を予感させます。

人間に「音楽」を教えてくれたのも、太古の風であったのかもしれません。
木管楽器はWind、人の息。呼吸はまさに風そのもの。
木という自然の素材と人の息が奏でる音は、心にも身体にも一番近しく、また懐かしく感じられます。そして音楽とは想いをを遥かな高みにまで引き上げてくれるもの。なるほど「木管楽器は聖霊の楽器」なのかもしれません。
かげっち
2011年06月13日 16:06
応答ありがとうございます。
母はロセッティを英語でも歌うことがあったので、教会附属幼稚園のようなところで宣教師の方から教わったのかもしれません。こんど聞いてみます。妙な歌を英語やロシア語で歌える人なのです(カチューシャとか)。

アダムとエバが後悔したのは「涼しい風が吹く頃」でした。これも神の霊の「吹き方」を感じさせる記述だと思います。ドイツ語だとblasenでも「風が吹く」「吹奏する」ですね、英語のblowなんでしょうか。

一方、笛など楽器を奏でる者の先祖はユバルだとありますが(創4:21)、彼がどのような人物なのか聖書の記述は途絶えてしまいます。ですから勝手に「木管は聖霊の楽器」などと名乗っては叱られてしまいますね。ことにオルガン奏者あたりからブーイングが聞こえそうです(笑)
2011年06月14日 00:26
◇かげっちさん
 再コメント、ありがとうございます。

>妙な歌を英語やロシア語で歌える人なのです

私も幼稚園時代フランス人のシスターや神父様からフランス語の歌をいくつか教えていただきました。意味など全然わからないまま丸ごと覚えさせられた歌ばかり(笑)
ロセッティの原詩は、美しく韻を踏んでいるところがあって、やはり英語で歌った方が素敵ですね。もちろん西条八十の訳も素晴らしいのですが、もともとの詩が持つ意味の深さには及ばないような気がします。

>「涼しい風が吹く頃」

神様の気配は風の気配とともに記述されていますね。
なぜか私はこの創世記のフレーズから、とても視覚的な印象を受けます。同時に触覚、嗅覚も総動員しての「風」の気配です。

オルガンは鍵盤楽器ではありますが、構造からするならば管楽器二近いものですよね。8フィートの低音リコーダーは、時としてオルガンの響きかと錯覚することもあるくらいです。オルガンが響きわたる時は、風が満ちる時でもあるのでしょうね。

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  • ロセッティに寄せて

    Excerpt:                               大切なものを受け止めたくて Weblog: 消えがてのうた part 2 racked: 2013-07-14 15:48