キース・ジャレット「ゴルトベルク変奏曲」(J.S.バッハ)




そろそろ夕食も終わるという時間、玄関ブザーが鳴った。

ドアを開けると、宅配便。
サインをして荷物を受け取ると「雪になりましたね。」と声をかけられた。
そこで初めて屋外に眼を向けると、暗い空からさらさらと雪が落ちている。
雪の中で街灯がぼおっと煙るように点っていた。
寒さが急に身に沁みる。
音もなく降り続ける雪のひとひらひとひらを見ているうちに、
どこからか懐かしい響きが聞えてくるような気がした。

バッハのゴルトベルク。
しんしんと降り積もる雪のようなキース・ジャレットのチェンバロの響きだ。




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ことさらチェンバロの音色に魅かれるようになったのは、この八ヶ岳山麓に住み始めてから。
真冬の凍てつく光がどこまでも青い空を輝かせる真昼。
張りつめた氷に乱反射する硬質な光はチェンバロの響きを思わせた。
そして初夏になれば、夏山の緑を濡らす五月雨に、高い梢をざわざわと揺らしてゆく風に、
私はチェンバロの響きを感じていた。



かつてジャズピアニストだったころの奔放さは息を潜め、キース・ジャレットのゴルトベルクは端正で清潔だ。
聴き方によっては、メリハリに欠けるという向きもあるかもしれない。
けれどひたすら無心に音楽の流れに身を浸しているうち、
空から落ちてくる雪を見つめている時に感じる浮遊感のような不思議な感覚に襲われる。
暖かで自由な浮力が精神(こころ)を緩やかに解いてゆく。







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1989年、厳寒の1月に八ヶ岳高原音楽堂で録音されたこのゴルトベルクには、
白一色のジャケットデザインからの連想かもしれないが、いつも静かに雪が降っている。


サラバンドのリズムによるアリアは慎ましい晴朗な美しさに満ちている。
きららかな分散和音は、光を反射する雪の結晶のようにこの主題を彩ってゆく。

低音部でひっそりと主題につながる第11変奏の軽やかな16分音符は、風に舞い上がる雪のようだ。

21変奏では暗い雪雲のように蔭る半音階が内省的かつ瞑想的に下降してゆく。



冒頭と最後に演奏されるアリアと30曲のヴァリエーション。
音のない「間」も、ひとつの音なのだと言う事を実感した演奏。
それぞれの変奏は、さまざまな表情をした雪を私の心に降らせてゆく。
ある時はやさしく、また闊達に暖かく、またある時は、暗く冷たく光る雪を。
いずれも清浄に白く輝く雪だ。



チェンバロの演奏ではないが、ゴルトベルクと言えばやはりグールド。
限りなく光に近いグールドのピアノの響きはやっぱり素晴らしいと思う。

そう言えば、グールドは唸りながらピアノを演奏したことで有名だけれど、
昔の「ケルン・コンサート」ではキースも”唸って”いた。
残念ながら、この「ゴルトベルク」からキースの唸り声は聴こえてこない(笑)。


★グレン・グールド  バッハ「ゴルトベルク変奏曲」    → http://follia.at.webry.info/200609/article_13.html

★リコーダー多重録音によるPのゴルトベルク       → http://papalin.yas.mu/W218/M988/






この記事へのコメント

bunbun
2010年12月06日 11:15
キース・ジャレット。懐かしい名前です。
aostaさん、おはようございます!!
 ここでこの名前を記憶に辿ることになるとは。
私が独身時代、ジャズとは? に発し初めて買ったレコードがキース・ジャレットでした。当時、ジャズは音の遊びと理解していました。キースを聴いて、初めてこれは「詩」であると理解しましたね。買ったジャズは後にも先にもこれ一枚きり。後年下の弟にくれてしまいました。とはいうもののあの音の流れは今も記憶の底に。
 そのキースが八ヶ岳山麓に来ていたなんて!しかもゴルドベルクを弾いていたとは!
 キースのクラシック挑戦第一作は1987年盤だったようですが、クラシックへの本格的な挑戦といえるのは1989年1月の八ケ岳音楽堂盤、ハープシコードでのゴルドベルク変奏曲なのだとわかり、その意義の大きさを思いました。初挑戦から2年後にこの八ヶ岳高原音楽堂で彼は独自の理解を確立した古典演奏を披露したもののようです。aostaさんはそれを直にお聴きになったのですね。
 お書きになった文章
>真冬の凍てつく光がどこまでも青い空を輝かせる真昼。
>張りつめた氷に乱反射する硬質な光はチェンバロの響きを思わせた。
>そして初夏になれば、夏山の緑を濡らす五月雨に、高い梢をざわざわと揺らしてゆく風に、
 これぞすばらしきゴルドベルクです。
>慎ましい晴朗な美しさ、
>きららかな分散和音は、光を反射する雪の結晶のようにこの主題を彩ってゆく。
>低音部でひっそりと主題につながる第11変奏の軽やかな16分音符は、風に舞い上がる雪のようだ。
 ゴルドベルクを聴くたびに脳内に映じることでしょう。
 影響されやすいと言われようが、きょうはゴルドベルクといたします。ただ残念ながらキース盤ではないのですが。 
2010年12月06日 20:42
◇bunbunさん

こんばんは。
bunbunさんもキース・ジャレットをお聴きになった時があったのですね♪
彼の演奏をして「詩」になぞらえたbunbunさん。さすがだと思いました。
私もここでキース・ジャレットの演奏について書いてはみたものの、実際聴いたアルバムは極わずかです。でもその数枚のレコードにはbunbunさんが仰るようにリリカルで詩情豊かな演奏であったと思います。
彼のゴルトベルクは、CDで聴いたのみ。演奏会には行っておりません。誤解を招く書き方で済みませんでした。
彼の演奏というか解釈は、このCDで聴いた限りでは、ある意味正統的。ジャズ的な展開を期待していたら当てが外れたかもしれませんが、幸か不幸か、ジャズを演奏していたころの演奏をそう多くは知らない私には、極自然に聴こえてきました。
フレーズのひとつひとつを丁寧に、テンポはどちらかと言えばゆっくりめに取った演奏です。衒いのない素直で暖かいバッハだと思います。
もともとクラッシクピアノを学びジャズに転向したわけですから、全く無理のない演奏と言ってもいいのではないかしら。本来、即興性に富んだバロック音楽とは一種の「なまもの」に近いのではないかと考えるaostaです。ゴルトベルクの自在な変奏を見ても、そのように思います。
鍵盤楽器とは言え、構造からすれば、本来、打楽器であるピアノに対し、チェンバロは擦弦楽器。ペダルのないチェンバロには演奏上の制限もあるかと思いますが、反面、ストッパーを使って音色を変えることが出来ます。私はストッパーを使った演奏、ああ、何番のバリエイションだったか、なかなか出てきませんが(笑)、あの乾いてちょっと詰まった感じの音が好きです。歌舞伎では雪が降る音を太鼓で表現しましたが、私はストッパーを使った鈍い響きに雪の音を感じます。
2010年12月06日 23:20
ご無沙汰しております。
キース・ジャレットのゴルトベルク変奏曲のCD、私も持っています。確か初めて買ったゴルトベルクだったように思います。
彼の演奏では第4変奏が私はとても印象的です。舞曲のリズムが活発でまるで弾んでいるように感じ、とても楽しいです。
ねこギター
2010年12月07日 01:48
こんばんは。
窓の外の舞い落ちる雪を見ながら聴くチェンバロの音は、雰囲気があっていいですね。
特に、この八ヶ岳での録音は美しいです。
ここで使われたチェンバロは鍵盤が2段式のやつなのですね。
キースはクラシックでは、うならず弾いていますが、あ、ここ乗ってるな♪と感じる部分はあります。
これより以前にチック・コリアとともにモーツアルトを演奏したことがありますが、チックがジャズ的な華やかな演奏に対してキースは正攻法な真摯な演奏だったように思います。
キースのクラシック作品は、音楽ジャンルの枠で聴いてしまうと、クラシック側からは評価しないとか、ジャズ側からは面白くないとかになってしまうかもしれません。
制約のない即興ピアノ・コンサートばかりを続けていると、最初の高揚感は失われ、やがて創造性は枯渇してしまう。
クラシックに挑戦したのは、そんな時期だったような。
そこでは逆に、譜面とチェンバロという与えられたもので、どう表現するのか。
作曲者と演奏者が時間を超えて対話するような感じなのでしょうか。
聴く方としては、演奏者を通して、作曲者が今まさに生きていて、作曲している、演奏していることを幻視するのですが。
2010年12月07日 20:40
◇Tenor1966 さん

思いがけず懐かしい方からコメントを頂きました。本当に嬉しいです♪
初めて買ったゴルトベルクがキース・ジャレット・・・
世代の違いを感じてしまいました(笑)。
第四変奏、仰る通り弾むように快活で素朴な舞曲ですね。
私はこの第四変奏から第五変奏へと繋がってゆく感じが好きです。
テンポ・アップしながら高揚してゆく感じに心が弾みます。
2010年12月07日 21:18
◇ねこギターさん

こんばんは。
ねこギターさんは音楽にも詳しくていらしたのですね。
ジャズのこともキース・ジャレットについても体験不足のまま、ブログをアップした私は怖れを知らぬ不届きものであったと、反省しています。

>ここで使われたチェンバロは鍵盤が2段式のやつなのですね。

はい。二段鍵盤です。確か日本人が製作者であったと思います。
私が住んでいる八ヶ岳山麓には楽器製作者の方が何人もいらっしゃいます。
知っている限りではチェンバロを作る方が2名、ヴァイオリンを作っていらっしゃる方、それからつい数年前亡くなられましたが、マンドリンを製作していらした方・・・直接のお付き合いがあるかた以外に、私が知らないだけで、もっと大勢の方たちが楽器製作に携わっていらっしゃると思います。
空気が清浄で乾燥していることが、楽器製作に適しているだけでなく、都会の喧騒や多すぎる情報から遠く離れた山の暮らしは、音楽に向かう時間をより真摯な喜びに満ちた物にしてくれるような気がしています。

キース・ジャレットのチェンバロは、クラッシック音楽を聞きなれている人たちにとっても、あまりに正統的で面白みに欠けるのでは、という感想もあるようです。私も本文に描きましたがメリハリに欠ける、という感じ方は確かにあると思います。でもねこギターさんがお書き下さったように、あえて「制約の道」を選んだキースにとって、楽譜に忠実であると同時に、どのように自らの音楽を表現するか、というストイックなまでにひたむきな姿勢を感じます。
2010年12月07日 21:19
◇ねこギターさん

続きです。
>作曲者と演奏者が時間を超えて対話するような感じなのでしょうか。
 
このお言葉は、まさに音楽の喜びの真髄とも言える在り方だと思います。
よく音楽は時間芸術である、と言う言い方をいたしますが、ここで言われている、今現在の時間、私たちの時間と並行して流れて行く時間とは違うもう一つの時間の流れ、つまり猫ギターさんが仰るように、過去の時代の作曲者と共有する垂直の時間の流れがあるように思います。

>聴く方としては、演奏者を通して、作曲者が今まさに生きていて、作曲してい る、演奏していることを幻視するのですが。

幻視者の喜びは、まさにここにあるのでしょうね。
幻視すること、また、されることによって、音楽はさらにも深度を増してゆくのではないか・・・
そんな風に思いました。
ねこギター
2010年12月08日 19:18
こんばんは。
いつも丁寧なご返事をいただいてうれしいです。
チェンバロのこと説明していただてありがとうございます。
aostaさんの方がはるかにお詳しいですよ!(^^)
楽器の背後にもその歴史や職人さんの技術、思いがあるのですね。
八ヶ岳という場所やあらゆるものが出合って生まれる一期一会の音楽。

私は、クラシックはそんなに聴く方ではないのですが、熊本でバロック音楽を中心に活動されている姉妹の方と数年前に知り合って、年に数回開かれる演奏会に行ったりします。
お姉さんがチェンバロ、妹さんがソプラノ。リュート奏者つのだたかしさん、メゾソプラノの波多野睦美さんらを招いたりして。
古楽は、素朴で、音楽そのものの喜びが感じられて好きです。
チェンバロは、湿度に影響されやすく調律も難しいらしいですね。
演奏会の休憩時間でも調律されていました。
2010年12月08日 22:31
◇ネコギターさん

こんばんは。
またお話が出来て私も嬉しいです♪
チェンバロについてbunbunsannkara頂きましたコメントへのお返事で「擦弦楽器」と書きましたのは、私の間違いです 
きっと御存じのことと思いますが、チェンバロは鳥の羽部分で作られたツメで弦を弾いて音を出す撥弦楽器です。
小川洋子さんに「優しい訴え」という、チェンバロ作りの男を巡る二人の女の物語がありましたね。男と女と「音楽」との三角関係が小川洋子さん、独特の筆致で魅力的に描き出されています。私はこの小説でチェンバロの何たるかを知りました(笑)そして時を同じくして、自宅近くでチェンバロの工房を開いていらっしゃる方にご縁を頂いたのも今思えば不思議なことでした。

>リュート奏者つのだたかしさん、メゾソプラノの波多野睦美さん・・・

なんて贅沢な演奏会でしょう!!
つのださんも波多野さんも、私の憧れの方たちです。
リュートの音色には鄙びた雅を感じます。波多野さんのノン・ビブラートのソプラノの美しいこと!!ひたすらため息です。

チェンバロと同じく、リュートの調弦も大変ですね。
いずれも木製、加えて鳥の羽軸、象牙、骨などを材料とするこれらの楽器には音量を追及して進化してきた楽器にはない、優美で繊細な音色があり、こうした魅力は古楽のそれに通ずるものがあるように思います。
かげっち
2010年12月10日 12:19
キースジャレットにこんな一枚があるのは知りませんでした。バッハはどんな楽器でもOKと言いつつ、ピアノで弾くのはけしからん、と意固地に主張しているものでバッハのピアノ演奏に疎いのです(笑)自分がピアノを弾けないひがみがあるのですが、「ピアノは何でも思ったように弾けてしまう楽器で、楽器の自己主張があるチェンバロのほうがチャレンジしていて面白い」という小林道夫さんの意見に賛同する者です。
リュート奏者の間では、練習時間より調弦時間のほうが長い、と言うそうですね。私はつのだたかしさんと一緒に温泉に入ったことがあります。ガンバの宇田川さんも一緒でした(もちろん波多野さんは一緒でありませんでした)。皆さん楽しい方でした。
2010年12月11日 06:51
◇かげっちさん

コメント有難うございました。
アドヴェントはいかがおすごしですか?

私がキース・ジャレットのチェンバロを初めて聞いたのは、ミカラ・ペトリとのデュオによるバッハのリコーダー・ソナタ集です。
ピアノに比べ音の強弱が付けにくいチェンバロですが、キースは天性のものなのか、絶妙のリズム感で素晴らしい演奏。一方のペトリ、昔はテクニックが先行し過ぎた感じがしてあまり好きでなかったのですが、このCDでは、気負いのようなものがなく、二人の息もぴったりと合って、とても伸びやかで自然な演奏です。
ゴルトベルクと合わせて、私のお気に入りの一枚です♪

つのださん、宇田川さんと一緒に温泉?!
かげっちさんといい、ねこギターさんといい、何とゴーセイな!!!

>波多野さんは一緒でありませんでした。

それはさぞかし心残りだったことでしょう(爆)。

それからこれはたまたま、なのですが、現在我が家のリビングの一角に、一台のスピネットが鎮座しております。夏のリコーダー合宿の際、メンバーの一人がはるばる東京から運んできて下さったものですが、必要になったらまた取りに来るから、とそのまま置いて行っちゃった。
で、私も、鍵盤に触ってみたわけです。
やはり押すときの抵抗や、返る時の反発の感覚が、ピアノとはずいぶん違いますね。Pは常々チェンバロかリュートを合わせたい、と言っておりましたので、「渡りに船」だったのでしょう(笑)。Pはリコーダーに合わせて、このスピネットで有元利夫さんの「ロンド」を演奏いたしました。


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