枕辺の音楽



古いアルバムで見つけた一枚の写真。
写っているのは、まだ1歳のころの私。

モノクロのそれは、当時写真に凝っていた父が撮影し現像したものだ。
私の目線が正面ではなく、少し上を向いて笑っているのは、そこに母の笑顔があったからだろう。
枕もとにはこれまた古めかしい1台のレコード・プレイヤー。
回っているのはいったい何のレコードなのか、いつも気になりながら、そのたび聞きそびれていたのだが、
先日母と話しながらふとそのことを思い出して訪ねてみた。



画像

アーサー・ラッカム (1867年~ 1939年)  「真夏の夜の夢」から




ああ、それは・・・と、母はこともなげに言った
「あれは『トルコ行進曲』か、『口笛吹きと犬』か、どちらかよ。」
間髪を入れぬ母の返事に私は驚いて、また訪ねた。
「え。それって、いつも同じ曲だったの?」
「枕元までプレーヤーを持っていったのはね、お前が眠っているとき。
そろそろ起きてほしいな、と思うときにはいつも『トルコ行進曲』か『口笛吹きと犬』のどちらかをかけてたのよ。
『トルコ行進曲』は、ご機嫌で目を覚ましてくれそうな気がしたし、『口笛吹きと犬』は、途中でわんわん犬が吠えるから、お前がびっくりして元気よく起きてくれるんじゃないかと思ってね。
よその人からは、そんな赤ん坊に何を聴かせても一緒だよって笑われたのよ・・・」



画像

アーサー・ラッカム (1867年~ 1939年)  「真夏の夜の夢」から




「トルコ行進曲」はモーツァルトではなくベートーヴェン。
この曲を聴くとき、なぜか言いようのない懐かしさで胸が痛くなる時がある。
なぜ私がモーツァルトのそれではなくベ-トーヴェンに反応するのかわからずにいたのだが、この母の言葉で、答えを見つけた、と思った。
まどろむ私の耳元で、絶えず鳴っていた音楽。
どんなに幼くとも、いや幼いからこそ、その旋律とリズムは清水のように私の身体にしみこんでいったに違いない。


後の記憶になるが、水仕事をしながらいつも母が口ずさんでいたのは「ソルヴェーグの歌」だった。
西日を反射して光っていた水とともに思い出す若い日の母の姿に、清らかでメランコリックな旋律はよく似合っていた。
日常の生活の中にあった音楽は、平和で穏やかだった子ども時代の記憶そのもとなって、今も私の耳元で鳴っている。



この記事へのコメント

2008年11月30日 21:43
物心がつく前に、聴いた音楽というのは、
その人の一生に影響するのでしょうね。
味覚というのもそうかもしれませんね。

自分の場合は・・・よく分かりません。
イエローポスト
2008年11月30日 23:41
「あーあーまだ眠いなぁ」は極普通のパターンですが、布団の
上から、トルコ行進曲などをかけて、音楽的に体のリズムを自然整えさせて、「はい眼が覚めたね」という起こし方でしたか。「同じこともう一度やって」というような親子の会話がある朝の風景でしかたか?
イエローポスト
2008年12月01日 00:36
モーツアルトだと、強制力がないようなので、やはりベートーベンを選ぶのが親心というものでしょうか。段々起きねばという気になってきますね。
ドロップス
2008年12月01日 09:11
枕辺の音楽とは、洒落たお父様ですねー
娘を思う優しい気持ちが伝わってきます。
それが今のaostさんに自然と伝わってきているのでしょう!
2008年12月01日 09:27
戦争前、父が手回しの蓄音機でよく聴いていた曲、すっかり忘れていたのに・・・戦後の混乱がおさまりかけたころ、ラジオからきこえてきた曲、聴いたことがある・・・モーツアルトの「フルート協奏曲第二番」でした。小さいからわからないだろうというのは違いますね。小さな子どもでもいいものはしっかりと覚えるものです。お母さんの考えはすばらしいものですよ。
2008年12月01日 13:32
◇pale moonさん

コメントありがとうございます。
音楽とか味覚、臭覚といったものは、強く記憶と結びついているように思います。音楽に関してはほとんど「刷り込み」でしょうね(笑)。
守られていたという記憶に結びつく音楽の思い出があることは本当に幸せだと思います。
2008年12月01日 13:35
◇イエローポストさん

コメントありがとうございます。
身体で覚える、というか条件反射は確かにあるでしょうね。
「口笛吹きと犬」は、幼稚園の時、お弁当の時間に流れた曲でもありました。今でもこの曲を聴くと、目が覚めるというより、お腹が空いた気分になってしまいます8笑)。
2008年12月01日 13:38
◇イエローポストさん

モーツァルトとベートーヴェン、何を基準にベートーヴェンを選んだのかは聴きそびれたままです。
当時ウィーンを包囲したオスマン・トルコの軍楽隊の音楽に影響されて作曲されたという、これらのトルコ行進曲、いずれも快活で、確かに目覚めの音楽にはいいかもしれませんね。
2008年12月01日 13:43
◇ドロップスさん

私が音楽好きなのはやはり両親の影響ですね。
それに拍車をかけたのが、小学校の時の音楽の先生。なんと!今回のクリスマス・コンサートの指揮をしてくださる花岡先生は、その先生のお孫さんだったんです。お子さん、ではなく、お孫さんというところがびっくりです。あのころ先生は、おいくつだったのかしら。
たまたま雑談をしていて判明した事実ですが、驚かれたのはむしろ先生の方だったかもしれませんね。
2008年12月01日 13:51
◇森の生活さん

枕元にあったのは、古いSPレコードでした。
実家にあったのはほとんど全部SPばかり。モーツアルトもベートーヴェンも、その時代には今よりずっとゆっくり演奏されていたように思います。とおい記憶の中で眠っていた思い出が、何かに触発されて突然よみがえる時、それはメロディーだったり名前だったりするのですが、なんだかその時の空気感まで一緒に思い出されて何とも言えない懐かしさを感じてしまいます。森の生活さんの「フルート協奏曲」は、どんな思いでとともに蘇ってきたのでしょうか。

小さいからわからないだろう、ではなく小さいからこそ、本当にいいものをという考えには100パーセント同意いたします。
そして本当にいいものは、多くの場合、眼には見えないもの、お金では買えないものであることが多いように思います。
2008年12月01日 21:48
とても頬笑ましいお話で、良いなあと思いました。aostaさんの体の一部のようになっているそれらの曲、音楽によってもつくられていらっしゃるなんて素晴らしいですね。
12月9日のコンサートにお伺いしたいなと思いつつ、今年はちょっと忙しくてその日は無理のようです。残念ですが、素敵な演奏会になりますように。
2008年12月02日 14:10
◇alexさん

こんにちは♪
音楽、絵画、文学・・・今の私を形作っているそのほとんどは、両親が私に与えてくれた最大の贈り物だと思っています。親から子へ、世代から世代へ、伝えたいもの、伝えられるものは何か、と問うた時、私も子供たちに同じものを伝えたいと思いました。
もろもろの芸術に対する興味や感性、そしてなろうことならば信仰も。
それも、子供たちが自発的に感じ取ってほしい、選んでほしいとの願いとともに。はたして受け取ってくれたかどうかは、時間がたたないとわからないこともあるでしょう。大切なものは、目に見えない、しかしながら何にもまして人生を豊かにしてくれるもの、絶望から立ち上がる勇気を与えてくれるものであると信じています。

演奏会、お気持ちだけでう入れしいです。
もう少し早めにお知らせできれば良かったですね。
来年、もし同じような機会がありましたら、改めてお声をかけさせていただきます。

この記事へのトラックバック