消えがてのうた part 2

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zoom RSS 5/28(日) 大麦小麦コンサート 「赤い蝋燭と人魚」

<<   作成日時 : 2017/05/18 17:42  

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物心つくころから親しんでいたのはグリムやアンデルセン。

小川未明の童話集は叔父からのプレゼントだった。
私にとってはじめての日本の創作童話。読んだのは、小学校の3年の頃と記憶している。
「赤い蝋燭と人魚」も、アンデルセンの「人魚姫」も、悲しすぎる物語ではあるのだが、
未明の童話には、お姫様も魔女も出てこない。
素敵な王子様も登場しないし、舞踏会の場面もない。
翻訳物にばかり親しんできた幼い私にとって、この物語はあまりに寂しく直截に心に響いた。
人間に我が子を託した人魚の母親が哀れで。健気な人魚の娘がかわいそうで。
何より欲に目のくらんだ人間が恐ろしくて・・・
そして物語の舞台は、見知らぬよその国ではなく、ここ日本なのだった。
暗い北の海を舞台にしたこの物語は、美しく悲しい。
子供には重すぎたこの物語だが、朗読にかかわるようになってから、いつか朗読したいと思い続けていた。
人魚の母親の思いを、人魚の娘の悲しさを、北の海の冷たさを、彼らに代わって言葉にしたかった。
年齢を重ねたからこそ読める物語もあるのかもしれない。
今月28日、大麦小麦でその願いが形になる。
さて、どんな朗読コンサートになるのやら、実は今から胸が痛い。


「海にゐるのは、
 あれは人魚ではないのです。
 海にゐるのは、
 あれは、浪ばかり・・・」

そう詩ったのは中原中也。
耳を貝殻に例えて、海への郷愁を言葉にしたのはフランスの詩人ジャン・コクトー。
中也とコクトーには、ともに海への(人魚への)イメージがある。
小川未明の童話「赤い蝋燭と人魚」と「金の輪」は、
どちらも日常において、超えてはならない境界を越えてしまった主人公たちの物語。
橋渡しをするのは中也とコクトーの短い詩。




画像





毎度のことながらご案内が遅れて申し訳ございません<m(__)m>

ここ「大麦小麦」でのコンサートも、おかげさまで4回目。
岡埜葡萄の朗読と、武藤哲也によるリコーダー演奏というスタイルでのコンサートは今回で3回目となります。
ビールはもちろん、美味しいお食事、ご用意できます。駐車場も広くなりました。
まだお席がございます。5月28日(日)の夜、お時間のある方はぜひ!
お問い合わせ、ご予約は スタジオ・パパリン 0266-79-5532 もしくは 090-3440-2719 まで。
お電話、首を長〜〜くして、お待ちしております。





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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。そちらも新緑の美しい季節と思います。
小川未明とは懐かしいですね。「赤い蝋燭と人魚」の他にも、「雪くる前の高原の話」や「港に着いた黒んぼ」なども、印象深い作品でした。
それにコクトーもいいですねぇ!
「私は常に歴史よりも神話を信じてきた。歴史の真実はみるみる虚偽に変貌するが、逆に神話の虚偽はみるみる真実に変貌する」という言葉には、たいへん感銘を受けたものです。

カーラビンカ
2017/05/20 12:02
◇カーラビンカさん

コメント欄にカーラビンカさんのお名前を発見し、とてもうれしく思いました。
ご訪問ありがとうございます。もしかしたらこのブログが”Part 2”に移行してから初めてでしょうか。そして久しぶりにいただきたコメントが、小川未明の記事だったこともうれしいです。「港に着いた黒んぼ」は美しく哀切な物語でしたね。「黒んぼ」という言い方にすぐにクレームが付くような時代ですが、この物語のなかの「黒んぼ」は遠い異国の不思議な情緒と、そこはかとない哀感を感じさせる存在のように思われます。離れ離れになった姉と弟の、それぞれの悲しさがひしひしと伝わってくるのも、そこに黒んぼの記憶が介在しているからこそという気がするのです。

小川未明(1882-1961)と堀口大学(1892-1981)、そして中原中也(1907-1937)の共通項は海と人魚。ほぼ同時代を生きた3人が互いにインスパイアされた、と勝手に考えています(笑)

引用された歴史と神話についての考察は、コクトーでしたっけ。
歴史と神話、どちらが真実で、どちらがフィクションか。その関係は、さながらメビウスの輪のようにも思えませんか?
aosta
2017/05/21 19:55
aostaさん、お久しぶりです!
色々あって、なかなかゆっくりお邪魔できなかったのですが、今年のコンサートなどがまた気になりだしてお邪魔させて頂きました。
小川未明なんですね。実は大好きです。今でも時々読むんですよ。金の輪も静かな怖さが残るお話ですよね。とっても不思議で。我が家3人とも、金の輪が好きです。
中原中也も、どこか夜を感じさせるような、静かな怖さをたたえた詩に心が惹かれます。サーカスのゆやーん、ゆよーん、、とか、私の上に降る雪は、、とか、静かで、寂しげですね。好きです。
素敵なコンサートに違いありません。よい時となりますように。
keikoさん
2017/05/25 10:26
◇keikoさん

まあ!こちらこそご無沙汰しておりましたのに、お尋ねくださりありがとうございました(^^♪
Keikoさんも未明がお好きと伺い、思わず歓声をあげてしまいましたよ。
それも「金の輪」がお気に入りなんて!「赤い蝋燭と人魚」に比べたら、かなり地味なお話ですよね。遠くから近づいてくるのは、細い金属が触れ合う透明で密やかな響き。輪を回している不思議な少年の誘うような微笑み・・・Keikoさんが書いてくださった”静かな怖さ”という表現、本当にぴったりだと思いました。
あっ!ここで私連想しちゃった!!
一人の少年に心を奪われ、コレラが蔓延するベネツァに自らとどまった老エッシャンバッハ。彼を見るタジオのまなざし、微笑みの妖しいまでの美しさに魅入られたままエッシェンバッハは死んでゆく。一瞬「ベニスに死す」の一場面を思い浮かべてしまったaostaであります。あまり関係ないですよね(;^ω^)

ゆあ〜ん、ゆよ〜ん、ゆやゆよん・・・
あの不思議なオノマトペ、中也の世界にも不思議な「魔」のようなものを感じます。
そして、その「魔」の気配が私も大好きなのです。
コクトーの詩は・・・・
短すぎて、さて、どう読もうか。思案のしどころで。私たちのコンサートを、いつかkeikoさんに聴いていただければ、と願いつつ、今日もこれから練習、練習!
aosta
2017/05/25 16:08

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