消えがてのうた part 2

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zoom RSS 真澄朗読コンサート 終わりました

<<   作成日時 : 2016/09/23 20:34   >>

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9月18日の朗読コンサート「 宮沢賢治 On The バロック 」 おかげさまで、無事終了いたしました。

生憎の雨に加え、諏訪地方では7年に一度という小宮の御柱祭と重なったにも関わらず、大勢のお客様がお越しくださり、本当にありがとうございました。

コンサートが終わったあと、お客様から大変うれしい感想をいただけましたことは、何よりの喜びでした。



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リハーサル中の一枚。降り続いた雨で樹齢300年の松の緑もみずみずしく鮮やかでした。







コンサートのあと、こんなメールをいただきました。



「なめとこ山の熊」は興味深く朗読を拝聴いたしました。
帰ってから、青空文庫で読んでみましたが、やはり、岡埜さんの朗読の方がすんなりと理解できました。
文字で読んでみると、読みにくい文書だなぁと思います。
それを語り掛けるように読んでいただいた朗読は、聞く人の心に染みわたったように思います。
賢治の物語に、中世スペインの宗教曲という組み合わせにも大変興味を覚えました。
たまたま会場で顔を合わせた知人が、賢治の仏教信仰と西洋の宗教音楽との関係を指摘されていましたが、「祈り」に通じていたのですね。
また、「一枚の宗教画」とコメントいただきましたが、その方もキリスト教の中世の宗教画を引き合いに出されていました。分かる方には、通じているのではないでしょうか。

「参(しん)の星」、私も調べてみました。
オリオン座の三つ星のことだったのですね。仕事帰りに歩きながら夜空をよく見上げます。
これからの季節、オリオン座の三つ星を見るたびに、「なめとこ山の熊」を思い出すことでしょう。
岡埜さんが、宮澤賢治の「なめとこ山の熊」をお選びになったのは、人間と熊との共存。
生と死が密接にかかわっている。命の大切さが軽視されがちな時代だから選ばれたとお聞きしました。

7月下旬に「相模原やまゆり園」の事件が起きました。
この事件は高い関心を持って受け止めていました。
グローバル化の時代を迎え、より経済最優先の風潮が高まった日本において、金を稼げるかが最も大切な価値観となり、障碍者は、その生きる価値がない、その価値観が先鋭化して起こった事件だと思います。
岡埜さんが選んだ理由に合点がいったところです。


以前読んだ新聞記事にイワン・ラブジンの「心の生計をたてるために描く」という言葉があったことを思い出して、なんとなく会社員を辞めてリコーダー奏者となった武藤さんと同じではないか、と感じました。
「森の音楽家」と書いていませんでしたっけ。
心の生計のために吹いてるのではないかってね。私の勝手な想像です。

リコーダーで心豊かな時間を得ることができました。ありがとうございました。
武藤さんの音楽には、人の心を変える力があります。これからも多くの方に、また、諏訪の地で、リコーダのすばらしさを知ってもらうためにも、がんばってください。

また、参加させていただきたいと思います。





私のお返事です。



メールをいただき、大変うれしいです。
今回も私どものコンサートにお越し下さり、ありがとうございました。

今年は宮澤賢治の生誕120年ということもあって、あちこちで賢治の朗読会が行われているようですが
私の場合120年とは関係なく(笑)、たまたま7月のコンサートで「銀河鉄道の夜」のリクエストをいただいたことがきっかけとなって、いままでいつかは読みたいと思っていた賢治の作品を、この夏は続けて三作読ませていただくことができました。
賢治の文章はおっしゃられるように、そのままでは少々読みにくいと私も感じるときがあります。
まず、句読点が少ない。
賢治独特の倒置法の文章は、魅力的であると同時に、やっかいなところでもあります。
活字を追いながらですと、読み返すこともできますが、朗読の場合、それは不可能です。
どう読んだら、理解していただけるか苦労するところで、場合によっては、賢治の文章の魅力を、極力損なわないようにしながら、部分的に言葉を足したり、書き変えたりすることもないわけではありません。
私の朗読をきっかけに、原文を読んでみようと思われた方が、違和感を感じないよう、神経を使うところです。

「なめとこ山の熊」に限らず、賢治の物語世界に通底しているものは、人も動物も、同じひとつの命であるということ、への共感と祈りなのではないでしょうか。改めて申し上げるまでもないのですが、仏教に深く傾倒していた賢治の作品にはいつも宗教的な祈りを感じます。
今回の朗読に際して13世紀スペインのカンティガ集から演奏曲を選んだのも、この「祈り」にふさわしい音楽を、と思った結果でした。
宮澤賢治と13世紀スペインの音楽というコラボレーションは意外に思われたかもしれませんね。
けれども、賢治の作品に見られる宗教性とスペインの宗教曲とがひとつになって、聴く人の心により深く物語が沁みていったとしたら、私たちににとって冥利に尽きるところです。
ウィリアムバードのミサ曲から選んだキリエとアニュス・デイにしても、この場面にはこの曲しかない、という思いこみが先行しての選曲でしたが、結果として成功したかな、と自画自賛しております(;'∀')

同時に、一般的に良く知られた曲の場合、すでに出来上がったイメージに左右されてしまい、虚心坦懐の状態で物語の世界に入ってゆくことが難しいのではないかという危惧もありました。
こうした意味でも、私たちがイメージしている西洋音楽とは一風異なった中世スペインの旋律とリズムは、思った以上に物語の世界を深めてくれたかと思います。

「参(しん)の星」についてもお調べいただいたのですね。
本によってはこの「参の星」に「からすきの星」とルビを振ってあるものもあります。
確かに和名はからすきの星なので間違いではないのですが、賢治は「しんの星」と呼んでいたようです。
英名では”Three Stars” ちょうどオリオンのベルトの位置に三つ並んで光っている、あの星たちです。
物語の最後に言及されるこの星は、まさに小十郎を象徴しているかのようです。
その星の下で、一晩中ひれふして小十郎の死を悼んでいる、「大きくて黒いものたち」。
私はこの場面を、いつも崇高な宗教画のように思い浮かべるのです。

今回も本当にありがとうございました。






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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
コンサート無事終えられたことおめでとうございます。
こうした感想を聞かれること嬉しいですよね。私はこういうことをしていませんが会議や総会が終わった後自分の説明はどうだったのかと気になります。最近は場慣れしてしまって気にならなくなりましたが、これじゃダメですよね。
そうそう、先日叔母さんの葬儀が有って、そこに従兄の子供(諏訪で音楽しています)とお話していたら武藤さんのこと存じ上げていました。
HT
2016/09/24 09:27
◇HTさん

いつもコメントをありがとうございます。
コンサートに限りませんが、投げかけたものに対して、何らかの反応があるとうれしいものですね。音楽や朗読のような表現にしても、会議での情報にしても、どのように伝わったか気になるのは一緒だと思います。ただ「表現」の場合、受け止め方は千差万別、違っているのが当たり前なのですが、このメールのような感想をいただけることはそれこそ冥利に尽きるところです。
従兄のお子さまは、諏訪で音楽活動をしていらっしゃるのですね(*^^)v
世間は狭いですから、もしかしたら私たちも知っている方かもしれません!
aosta
2016/09/26 05:14
13世紀のスペインというのはキリスト教徒とイスラムとの戦いの時代。人間同士が宗教の違いで殺し合う。なめとこ山では本来相いれない人間と熊とのあいだに不思議な友情が生まれる。共存というのは、きれいごとでは済まされない難しさがあると思います。命は等しく対等でいのちを持ってしか贖うことはできない。
小十郎の死は熊の死と引き換えということになりますか。
森のクマさん
2016/09/26 10:21
◇森のクマさん

こんにちは。
イベリア半島の歴史というものに昔から関心があります。
そもそものきっかけは大昔の映画「エル・シド」。失地回復の顛末をスペイン側の視点で映画化したもの。
英雄エル・シド役はかのチャールトン・ヘストン(古いなぁ)
その後、晶文社から出たリオン・フォイヒトヴァンガーの「トレド風雲録」を読んで一気にのめり込みました。アルフォンソ8世統治下のスペインの歴史に基づいた大作です。今回の「なめとこ山」の朗読に際してアルフォンソ10世の音楽を選んだ背景にはもしかしたらこの「トレド風雲録」の記憶があったからかもしれません。
この物語で相克するのはキリスト教徒のスペイン人と、キリスト教への改宗を迫られるユダヤ人たち。ここにも対立する二つの立場がありました。対立はやがて戦いになり、戦いは憎しみを増長させ人々は、負のスパイラルに飲みこまれてゆくのです。
aosta
2016/09/26 13:44
◇森のクマさん

長くなりましたので、二つに分けますね。

>居存というのは、きれいごとでは済まされない難しさがあると思います。

今年の夏は日本の各地で熊の目撃情報が相次いだばかりか、熊に襲われて命を落とした方もいらっしゃいました。本来であればきちんと住み分けがなされていた地方で起こったこの事件に、私は大きなショックを受けました。なんだか私たちの知らないところで、飛んでもないことが起きているような気がしました。
共存に必要なことは人間同士であれ、人間と動物であれ、互いに理解し尊敬し合うことだと思います。でもこれは至難の業。人という種がヒエラルキーの頂点にいるのだと信じて疑うこと少ないのが人間なのではないでしょうか。
小十郎が熊の毛皮と胆を売りにいった先の荒物屋の旦那に、いいように言いくるめられてしまう理不尽を考え合わせると、賢治ならずとも心穏やかではいられません。賢治は物語の語り手に「人間が進化すれば、こんないやな奴は消えてなくなる」と言わせていますが、果たして賢治は本気でそう思っていたのかしら、とついつい考えてしまうのです。
「進化」するとはどう言うことなのか。功利第一主義の現在、魂の進化を信じる人がどれだけいるでしょう。そうと知りつつ、それでも「進化」に臨みを託した賢治の言葉に、胸が塞がれる思いがいたします。
aosta
2016/09/26 13:47
ご無沙汰しています。近くでしたら朗読コンサート、ぜひお聴きしたいところです。宮澤賢治の、特に詩は、私は個人的に分かりづらいところがあって、取っつきづらい印象があります。詩は頭で理解するものでないことはわかっているのですが、それにしても一筋縄ではいかないなと、ずっと感じていました。一般に「雨ニモ負ケズ」が一番人気なのも、ある種のわかりやすさが理由なのかなとも思っています。村上陽一郎氏は、「雨ニモ負ケズ」は好きじゃないと言っています。ですから私自身は宮澤賢治についてはほとんど何も語れないのですが、バロックの音楽とともに朗読という形で接したら、今までに感じなかった世界に触れられたかもしれないという気がしました。
トシ
2016/09/26 17:39
朗読の終いにバードの5声のミサのアニュス・デイだったのですね。。おふたりの組み合わせだからこそ実現されるプログラムだと思います。想像するだけでも、充実した空気がひしひしと感じられました。
ichi
2016/09/26 22:50
◇トシさま

こちらこそご無沙汰しておりましたのに、コメントをいただきありがとうございました。賢治と言えばやはり「雨ニモ負ケズ」なのでしょうね。
そうでしたか、村上陽一郎氏はこの詩がお好きではないのですか・・・なんとなく、わかるような気がするというより、実は私も苦手です。ここまで正論を主張されると、なんだか居心地が悪い、と思ってしまうのは私が脛に傷持つ身だからでしょうか。
でも高校の教科書に載っていた「永訣の朝」には心を動かされました。自己犠牲も気負いもなく、ただひたすら死にゆく妹に対する万感の思いを言葉にしたこの詩にはいちずな悲しみと、不思議な美しさと静けさとがあります。ここには「雨ニモ負ケズ」とは全く違う賢治がいるように思います。
賢治の世界観は物語のほうがわかりやすいかもしれません。賢治について何かを語ろうとも、語れるとも思いませんが、読みたい(朗読したい)という思いは昔からありました。
aosta
2016/09/27 22:09
◇トシさま

追伸です。
先日いただいたコメントの中で村上陽一郎氏について触れていらっしゃいましたね。
確かどこかにあったはず・・・と思いつつ本棚を探しましたら、ありました!
「あらためて教養とは」というタイトルの新潮文庫です。
もうかなり前に読んだものですが、ぱらぱらページを繰っているうち、まさにトシさんが仰っていた「雨ニモ負ケズ」について書かれた文章を発見し、再読いたしました。いつ頃読んだものか、ちょっと記憶にないのですが、情けなや、まったく覚えていませんでした(;^ω^)
aosta
2016/10/03 07:23
◇ichiさん

ごめんなさい!
久々にichiさんからコメントをいただきましたのに、お返事が遅くなって本当にすみません。一度書いたお返事が私のミスで消えてしまい、書きなおそうと思っていましたのに、いつの間にか「書いたつもり」になっておりました。

さて、選曲について。
バードの三声のミサからキリエ、5声のミサのアニュス・デイの2曲は一番初めに決まった曲です。というより、「なめとこ山」を読もうと思った時から、これって決めていました。
主人の膨大な演奏録音の中から、これぞ!と思う曲を発掘する作業には宝さがしのようなワクワク感があります。確かにこれは「私たちの組み合わせ」だからできること。感謝です。
aosta
2016/10/05 08:30

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