消えがてのうた part 2

アクセスカウンタ

zoom RSS ガウディの椅子

<<   作成日時 : 2011/09/02 23:07   >>

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 25




椅子には不思議な存在感がある。

数ある家具の中で、椅子は一番人に近い。
例えそれが、見知らぬ場所の、見知らぬ椅子であったとしても。




画像







小さな美術館で出会ったガウディの椅子。
ガウディ生誕150周年を記念して、ガウディ研究センターのディレクターの監修の下で復元されたものだという。
サグラダ・ファミリアの設計で有名なかのガウディが、実のところ、私はどうにも苦手なのだ。
有機的で生き物めいた曲線が多用されたサグラダ・ファミリアの、空へと向かう尖塔は、
アフリカのサバンナ辺りに見られるという蟻塚のようだ。
急ぐことを良しとしなかったガウディの意志を継いで、未だ未完成のサグダラ・ファミリアは、
私にとって変則的に増大していく進行形の蟻塚そのものだ。
この「終わりのない完成」とも言うべきガウディのイマジネーションには
その中に絡め取られてしまいそうな不安を感じてしまう。
ガウディの建築は、言うなれば一つの異空間、一種の繭のようなものなのだ。





画像






さて件の椅子は、明るい陽だまりのような照明の下で、人待ち顔に私を待っていた。
一見アンバランスに思えるほど華奢な椅子の脚の微妙な角度。
磨き上げられた鏡のような床に反転して映し出された椅子のシルエットにも、
やはり生き物をイメージさせるものがあって、私は一瞬たじろいだ。
しかし、すべての面に装飾過多としか思えないレリーフが施された椅子を見ているうちに、
座ってみたいという衝動に駆られたのはなぜだろう。

「ここにおいで。そしてお座り。」
ガウディの椅子が誘うのだ。



予想に反して、座面の、背もたれの、あるかなしかのわずかな曲面は、柔らかく暖かく私を受け入れてくれた。
座ってみると、アームをはじめとする曲線は、むしろ優美に心地よいものに感じられた。
それは、実際に座って、触れてみて、初めて了解される安堵にも似た心地よさであった。

「自然界に直線は存在しない。」と言ったのは建築家フンデルトヴァッサーであったか。
思えば人の身体にしても、すべてが曲線なのである。
曲線に沿えるのは曲線しかない。
綿密にデザインされたガウディの椅子は、身体だけでなく、精神(こころ)の輪郭をも柔らかく解放してくれる。

直線が緊張と覚醒を促すものであるなら、曲線は許容でありまどろみであるのかもしれない。
サグラダ・ファミリアのエネルギーは、私には過剰過ぎて未だに馴染むことが出来ないままだが、
ガウディの椅子は、実際に「座る」という行為を通して身近で愛すべき存在になったような気がする。




画像








尋ねたのは、伊那市にある野村陽子植物細密画館。
ガウディの椅子は、縦が2m近いヤマユリの絵と対峙する位置に、ひっそりと置かれていた。

地上で咲き誇る花と一緒に、大地の奥深くに隠れて見えない根や球根まで描くのが植物細密画である。
絵の中で満開の花を付けたヤマユリの鱗茎(球根)は、地下で無数のひげ根を伸ばしていた。
目に見えない地下の部分で張りつめているエネルギーは、さながら柔らかく密生する曲線そのもの。
言うなれば曲線は命の始まり。そして命を育むものであった。
してみるとガウディの建築は、成長しつつある生命そのものなのかもしれない。



画像

野村陽子 「ヤマユリ」 サイズ80×185p 部分








◆「誰かを待つ椅子」 → http://follia.at.webry.info/200608/article_4.html







テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 5
ナイス ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(25件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます!!
いつも身近に感じながら、どういった表現であらわしたらよいのかわからない、それを的確に心にも届く解説をくださり、一つのものをこのように書くことができたならと思ったことです。
椅子。
さまざまに思い出しました。
ベビーチェアから高齢になった祖母、母、舅が何度も何度も買い換えた椅子の一つ一つ。
ご紹介いただいた椅子がいかに緻密に考案設計製作がなされたか、材を選ぶ段階からどれほどに選びに選び抜いたかまでがわかります。装飾品のように見えながら実はもっとも自然的に人を迎え受け入れる。すばらしいものですね。華奢なように見えて強度も工夫、計算されているものなのでしょう。向こうの職業意識のものすごさです。
ヤマユリの絵、球根までを、地上から見えないところまでを細密に具現する。
足を運ばなければみることができない逸品、こうして得心のゆく解説とともに見せていただき感謝でした。
bunbun
2011/09/03 06:58
こんにちは!
ガウディの椅子、日本にあるのですね。
サグラダ・ファミリアやガウディの庭園?を見ていると
確かに目が回りそうになりますね。
構造物なのに、曲線を多用している所が
見る人に不安定な感覚を与えるのでしょうか?
これは私見ですが、ガウディは、人造物を超えた自然
人間が作る自然をめざしたのではないでしょうか?
なぜなら、人間自身も自然の一部だから・・・
人間の持っている(かつて持っていたはず)の感覚を確かめつつ、
自然の大前提である限らない時間を建築の条件にしたのかもしれません。
建築物だけを見ていた時にはわからなかったのですが、
庭園にある、長い階段、木々に囲まれたモニュメントを見たときに
ふと、人間の中に眠っている自然の一部という感覚を
目覚めさせたいと願ったのではと想像しました。
ガウディの椅子、曲線の背もたれ・・・
そして、できるだけ先入観を排除しようと描かれた詳細画、
一見、相反するような人間の行動に
微妙な一致点を感じるのは、ものを究めようとする
人間の共通点を感じ取るからでしょうか?
ブログを拝見し、
ああ〜、私も人間なんだなって思う瞬間でした。
Bluebell
2011/09/03 09:09
「ガウディの椅子」面白いですね。
座ったら、椅子が話しかけてきそうです。
可愛いような怖いような…、よく見ると、座面に目みたいものが沢山ありますね。
木がメタモルフォーゼした妖精(妖怪)みたいな感じ。
歩き出したりしそうです。
(そういえば長新太の絵本に「ぼくはイスです」というのがありました。
イスがたまには外へ出てみようと歩き出し大冒険する話です。)
直線というものは、始点と終点を結ぶ人間が意識の中作り上げた言わば空想の産物なのか。
自然界の微視的世界から巨視的な世界へとどこまでも続く無限の連鎖をガウディは見ていたのでしょうか。
最近、細密画が注目されているようですね。
生命、物質含めて存在の不思議さが見えてくるような気がします。
ねこギター
2011/09/03 10:43
わたしはガウディーの建築が好きです。実物を見たことはないのですが。
ただ、あれは乾いた空気と強い日差しの中にあって生きるもののように思っています。
ミロにも同じものを感じます。

直線的な室内に、ヤマユリの根の絵に向かってあるガウディーの椅子というのは、
なるほどと思います。
座ると自分がヤマユリになるでしょうか。
ぴぴん
2011/09/03 11:04
ガウディ。彼の「作品」は確かに、目を離せない吸引力と、見るものの心をざわつかせて落ち着かない感覚を与えて止まないものとが、対立しながら共存していますね。
ややこしい表現になってしまいましたが、そうではないでしょうか…。
ちょうど『双子と分身』という本を読み始めていた関係か、ガウディの椅子のお写真とaostaさんの文章を拝見して、そんな表現になってしまいました。
サグラダ・ファミリアに、蟻塚のイメージを抱かれておられるのですね。私は、スズメバチの巣を思い描いています。
そして、お写真で見る「椅子」は、まるで何かの昆虫のようにも見えました。その椅子に心地よく腰をおろされたとは、面白いなと思いました。
アテネのあの神殿の柱も直線に見えて、実はそうではないとか。妙な連想をするならば、音楽も曲線だけで成り立っている音符の世界では、などと思ってしまいます。そう思えば、聴きづらい現代音楽も伝統は踏まえているのかな、…などなど、とも。
Zu−Simolin
2011/09/03 15:29
椅子は教育テレビではかわいいキャラクターになっています。コッシーとか。椅子って座ってもらうのを待っているものなんですね。最近気が付きました。
ふわくもパン
2011/09/03 19:54
◇bunbunさん

コメントありがとうございました。
使っていた人の思い出が強く残るのが椅子ですね。
ベビーチェアに、お舅さんが何度も買い替えたと言われる椅子。そのひとつひとつに、その時々の想いが蘇ることと思います。椅子には不思議な郷愁が付きまといます。もう座る人がいなくなった椅子は、どこか寂しげですね。でもその分、過ぎ去った日々の大切なよすがとなるのでしょう。

強烈な個性を持ったガウディの椅子は、一見とっつきにくいのですが、展示されているのではなく、実際に座れる状態で置かれていたことに感動してしまいました。すべすべした気肌も気持ち良く、アームの部分が他の部分よりつやつやと光っていたことからも、大勢の人がこの椅子に座って寛いだであろうことが偲ばれます。ブログの画像では地下部分だけをトリミングしてアップさせていただいたヤマユリの絵は、身の丈ほどもある大作でした。手ずから掘りとって、時間と競争しながら、花の命があるうちに一気に描かれた労作とのことでした。
aosta
2011/09/04 10:02
◇Bluebellさん

またお話が出来て嬉しいです。
この椅子は伊那市の「かんてんパパガーデン」にある野村さんの美術館で観ることが出来ます。(URL添付いたしましたのでご覧ください)
地方の一企業が、ガーデンや美術館と言う形で文化的貢献をしていると言う事は素晴らしいですね。しかも入場無料なのです!!松本から少し北の大町にありますラ・カスタ・ヒーリングガーデンも、同じポリシーで公開されていますね。こちらは有料でしたが、手入れが行き届いた素晴らしい庭でした。

ガウディの建築物は、仰られるように、本当にめまいがしてきそうな感じです。
>人間の中に眠っている自然の一部という感覚を目覚めさせたいと願ったのでは

命の始まりであるDNAも二重らせんでした。
確かに曲線は、遠い遠い記憶を呼び覚まし、私たちもまた自然の一部であることを教えてくれているのかもしれませんね。
aosta
URL
2011/09/04 10:21
◇ねこギターさん

こんにちは。
確かにこの椅子は歩きだしても不思議はないかもしれませんね。
こう一つ言えることは、この椅子は100%ネコ科だということです(笑)
孤高で人に媚びず、優美で獰猛なネコ。
この椅子に腰掛けたからと言って、かみついたりはしないでしょうが、人を選ぶかもしれません(笑)。だからと言って、私が選ばれた、というわけではなく、要するに気まぐれな椅子なのではなかろうかと、勝手に想像したくなりました。

>直線というものは、始点と終点を結ぶ人間が意識の中作り上げた言わば空想 の産物なのか

「直線的思考」は、ヨーロッパ的というか、キリスト教的思考も関係しているような気がしてきました。直線的に対して「曲線的思考」という物があると知れば、東洋的、汎神論的世界観に通じるような気もします。ナポレオンではありませんが、「ヨーロッパであってヨーロッパではない」スペイン。その風土が育んだ感性の象徴とも言うべきガウディ。教会建築にしても、こうした家具にしても、ねこギターさんのコメントにありました「自然界の微視的世界から巨視的な世界へとどこまでも続く無限の連鎖」も、アフリカ的「大地の思考」が影響しているのかしらん・・・
細密画の微視的世界が巨視的な世界へ繋がってゆく足取り。
これは子供のころ身体感覚として経験したことでもあります。
「神は細部に宿る」と言ったミース・ファン・デル・ローエも建築家でした。建築もまた一つの宇宙を想像する業と考えれば、ねこギターさんのお言葉はまさに正鵠を得たものと言えるのかもしれません。
aosta
2011/09/04 16:17
◇ぴぴんさん

こんにちは。
コメントありがとうございます。

>あれは乾いた空気と強い日差しの中にあって生きるもの

このご意見に、全く同意させていただきます。
スペインと言う、荒々しくも魅力的な大地は、ジブラルタル海峡から吹きつけてくるアフリカの風なくしては考えられませんね。
焼きつけるような日差しの下で、循環を繰り返す情念が一つの思想へと結晶してゆく過程が見えてくるのかもしれません。
ミロにしてもモダリにしても、もちろんピカソも、イベリア半島が生んだ特異な才能は、この風と光そして影に彫琢されたものなのでしょうか。

>座ると自分がヤマユリになるでしょうか。

美術館で上映されていた映像の中で、まさにこのヤマユリを描いている野村さんのの姿を拝見しました。まるでヤマユリに憑依されたかのようなその姿は、ヤマユリと一心同体といっても過言ではありませんでした。
ヤマユリが枯れるのと、作品が完成するのとはほとんど同時。ヤマユリの命は野村さんの作品として定着されたのだと想いました。
aosta
2011/09/04 17:05
◇Zu−Simolin さん

「双子と分身」興味をひかれる書名でしたので、ネットで調べてみましたところ、現在は絶版、若しくは重版の予定なしと言う事でしょうか、ネットでは古書の扱いになっていました。最近は、気になる本を見つけたら買っておかないと「次の機会」がないことばかりで後悔の連続ですが、いつでも欲しい本を欲しいだけ買うという余裕もなく、頭の痛いところです。本だいとはずれますが、Zu−Simolin さんは萩尾望都の「半神」というコミックをご存知でしょうか。小説ではなく少女漫画と言うジャンルの作品ではありますが、双子と言う存在の不思議、相克という点を描いた傑作です。確か小学館文庫から出ているはずです。よろしければお読みになって下さいな。20ページにも満たない短編ではありますが、漫画という概念を一変される哲学的な傑作だと想います。
aosta
2011/09/04 22:22
◇Zu−Simolin さん

すみません。
ガウディの椅子でした(汗)。
ガウディの作品に対するプラスとマイナスの感情は確かにありますね。
スズメバチの巣に見立てられた感覚は、判るような気がします。ガウディの設計によるカーサ・ミラなどはまさにスズメバチの巣を連想します。何年か前NHKだったかしら、テレビでこのカーサ・ミラの映像を見たことを思い出しました。建築当時は市民から顰蹙を買ったというこの建物、今はバルセロナの誇りとなっているようですが、やはりすぐには受け入れがたいデザインだったのかもしれませんね。Zu−Simolin さんが、この椅子を見て昆虫をイメージされたとお書きになっていらっしゃるのを拝見して、我が意を得たり、の心境でした。
サグラダ・ファミリアは蟻塚ですが、この椅子は、昆虫です!!
でもね、実は私は小学生のころはカブトムシの幼虫を飼ったり、蝶に夢中になって夏になるとバスで蓼科まで出かけては蝶を追いかけていました。あの頃は自分で展翅下標本が宝物でした。ですから、昆虫も嫌いとか、怖いとかといった感情はないのです。ただ、本来いきものとは無関係な椅子に、そうしたイメージがだぶるとちょっと怖い、かな?相反するものが一つになったような、アンバランスを感じたのです。でも、魅かれる(笑)。
ギリシャ神殿の柱はエンタシス、と習った覚えはありますが、確かに見た目は直線にしか見えません。でも、実際は極わずかながら中央部に膨らみが、つまり曲線があるはずなのですよね。そのわずかな膨らみがあることで、逆に柱はまっすぐに見える・・・目の錯覚なのかもしれませんが、不思議です。
aosta
2011/09/04 22:23
◇ふわくもパンさん、ようこそ♪

素敵なHNですね。
ふわふわした雲のように真っ白くて柔らかいパン、と言う意味でしょうか。

子供が小さい頃は良くNHKの教育テレビを見て居ましたが、最近はさっぱり。
コッシー(くん、でしょうか?)についても全く知りませんでした。
なるほど、可愛いキャラクターですね。
子供にとって、椅子は寄り身近な存在なのかもしれません。大きさも手ごろでしょうし、何より脚(足)があります。椅子が歩いたり、おしゃべりしたりという発想はむしろ自然なのかもしれません。

>椅子って座ってもらうのを待っているものなんですね。

そうですね。
私もそう思います。椅子はさびしがり屋さんなんですよ。きっと。
aosta
2011/09/04 22:31
こんばんは。
お教えくださった萩尾望都の「半神」。amazonで注文しました。中古本で、1円ですので、99%送料です。実は少女漫画は子どものころから苦手なのですが、aostaさんのお言葉であれば、パーフェクトに信じます。(因みに、私好き嫌いが激しいでしょうか。大人気のドラエモンやオバQ、あるいは筋肉マンとか、アンパンマンなども、その絵のタッチが肌に合わなくてひとコマ見ただけで素通りしてしまうんです。では何ならええんや?と思い返しますと、「あしたのジョー」でした。お笑いください)

『双子と分身』は、図書館で借りてメモカードを作りながら読んでおります。見れば1995年の発行。昨今では絶版も致し方ないのかもしれません。

ところで、aostaさんが昆虫大好き少女だったとのことで、思い出しました。
二十年近く前の話。ひとりの可愛い顔と性格の少女がおりましたっけ。彼女は夏休みの自由研究だったか何かで、嬉しそうに学校にビニール袋にいっぱいに詰め込んだ生き物を学校に持ってきました。満面の笑顔で、手にした大きなビニール袋を見せたのです。袋の中身を覗き込んだ私は、危うく気を失いかけました。何十匹だったか、彼女の手元でうごめいているミミズたちの数やどこでどうやって集めたのか、それらを確認する冷静さは私にありはしませんでした。たぶん凍りついた笑顔が精一杯だったはずです。虫が苦手な人は、そんな私の環形動物に対する反応と近いのでしょうか。しかし、私はカエルに対してはもっと深い恐怖心をもっています。ガウディが人びとの顰蹙を買ったのは、どこかそれに似た拒否反応を起こさせたのでしょうか……。
 失礼しました。妙なコメントになってしまいました。
Zu−Simolin
2011/09/05 02:09
HNは、「ふわふわ くもパン 」という韓国の作家さんの絵本のタイトルからです。とってもかわいい絵本なんです。
ふわくもパン
2011/09/05 07:36
asotaさん、美術、音楽、文学に造詣が深い方だったんですね。
物を見た感想を的確に人に伝わるように文章にする才能があって、うらやましいです。

ガウディの椅子、去年バルセロナに行ったとき、見ました。
1人用から2,3人用までいろいろ。
それぞれ形は違っていたけど、どれも曲線のフォルムでしたね。
建物も内装も植物、動物など自然界のモチーフで、その感性は衝撃的でした。
ただデザインだけじゃなく使い勝手も考えていると感じられることも多かったです。が、私は住めません。疲れそうだもの。

椅子は展示だけで座れなかったんですが、日本で座って確かめられるんですね。

動く椅子と行ったら「ふたりのイーダ」を思い出してしまいました。
子供のころ読んだ記憶はちょっと恐くて心が痛くなるってイメージ。
この椅子がガウディなら怖さ倍増かも。
PJmama
URL
2011/09/05 11:13
ガウデイの椅子がありましたか
折れそうな足の細さ
腕も見事なRで、、、
バク
2011/09/05 20:18
◇Zu−Simolinさん

再コメントありがとうございます。
「半神」注文なさったのですね?
少女まんがに限らず、絵と文章が一緒に展開する、漫画と言うスタイルは、慣れるまで、ちょっととっつきにくいかもしれません。テンポっていうのかしら、それそれの漫画のテンポがあります。Zu−Simolinさんが、「半神」のテンポにうまく乗れますように!!あんなにお勧めしておいて、ちょっぴり不安なのは、このテンポです。

私は確かに「虫愛ずる姫」ではありましたが、さすがにミミズやカエルを大量に集める、と言う趣味はありませんでした。当時の学研の「科学」についてきた飼育キットがきっかけでカブトムシの幼虫や蝶の幼虫は良く飼いました。幼虫がサナギとなり羽化して成虫になるという変態の不思議を目の当たりにした感動は、子供心にもしっかりと焼き付いています。
嫌われるカエルですが、鳥羽僧正の「鳥獣戯画」に描かれたカエルやグリムでしたか、魔法でカエルにされてしまった王子様の話などなど、人々の身近にあったカエルのイメージは悪いものばかりではなさそうです。そうそうイソップにもありました。子供の期待にこたえようと一生懸命お腹を膨らませて最後に破裂してしまうお父さんカエルのお話も滑稽ではありますが、身につまされる話です(笑)・・・
aosta
2011/09/06 06:44
◇ふわくもパンさん

おはようございます。
HNは絵本に由来していたんですね♪
「ふわふわ くもパン 」美味しそうです!
初めて聞いた絵本でしたので、ネットで調べてみましたら、なんと面白そうな本ですね!写真と切り絵のコラボレーションと言う手法にも興味を魅かれます。木にひかかっていた雲を焼いたパンと言うのが、すごく素敵です。
そう言えば昔の私の本棚にジョルジュ・サンド「ばら色の雲」という本がありました。(今でもありますが・笑)雲を紡いだ女の子のお話です。
aosta
2011/09/06 06:53
◇PJmamaさん

こんばんは。
コメントありがとうございました。
美術、音楽、文学・・・どれもが私にとってはとても大切で、必要なものですが、私にとって美術と音楽、美術と文学といった区別や境界はほとんど意識しないものです。時にはこの三つが同時に感じられることもあります。
共鳴する部分は皆一緒なのかもしれません。ときどき「あっち」に行ってしまってなかなか帰って来ないので、P氏から捜索願が出されることもあります。
もっとも「行ったきり帰って来れない」のはお互いさまですが(笑)。

コメントのなかに思いがけずも「ふたりのイーダ」の文字を発見して、胸がドキンとしてしまいました。
「イナイ、イナイ。ドコニモイナイ。」
そう呟きながら一人で歩き回る椅子の哀しさ。そうでした。
これも大切な人を待ち続ける椅子のお話でした。母親になって子供にこの本を読みきかせながら、この椅子の場面で涙が止まらなくなってしまいました。

オリジナルのガウディの椅子は座れないかもしれませんが、こちらはガウディ研究センターによるレプリカなので、大丈夫と言う事なのでしょうが、野村さん個人の美術館のために資金提供をしただけでなく、たとえレプリカでもガウディの椅子を用意してしまうかんてんパパの社長さんも太っ腹!
aosta
2011/09/06 21:08
◇バクさん

ガウディの椅子、本当に細い脚でした。
でも設計がガウディがですから、強度的なに問題はクリアしているのでしょう。
あの簿妙な角度も計算されてのことかもしれません。いずれにせよ羨ましいほど細い脚でした(笑)。
腕のRもなんとも魅惑的。同じ曲線でも、アールヌーヴォーのそれとは、印象がずいぶん違いますね。
aosta
2011/09/07 05:27
こんにちは。
ご紹介いただいた『阪神』いや、『半神』の「半神」を読みました。少女漫画苦手の私でしたが、aostaさんを信頼して、よかった。80年代半ばの作品なのですねえ。全く知りませんでしたから、余計に面白かった。いわゆるシャム双生児の設定なのだろうと思いますが、少女漫画を全く知らない私でも、思いました。これは秀逸だ、と。どこかしら昭和の香りも漂っていて、抵抗なく読めたという点もあるのかもしれません。他の作品も一日ひとつづつ読んでいこうと思います。
 幼い頃、自分が漫画家になりたがっていたことを妙に思い出しました。
 他にも面白い情報があれば、ご教示ください!
Zu-Simolin
2011/09/08 17:03
◇Zu-Simolinさん

こんばんは。
「半神」、もうお読みになられたのですね!
そうです。先の私のお返事の中ではあえて触れませんでしたが、仰るように双子といってもいわゆるシャム双生児の物語です。
知的障害はあっても美しく天真爛漫な妹に対する、知的に優れてはいても醜い姉の想い。賢いがゆえの葛藤・・・
ふたりで一人、一人がふたり。失われた半身はかけがえのない分身であり、失われた分身への想いとともに生きる「姉」。切り離されたことで、主客が逆転しますね。かつては憧れた妹の美貌を手に入れた姉は、同時に「妹の中の自分」をも失ったことを痛感します。初めて、妹を、そして自らを愛おしいと思った時は、それを失った時。本を読み返すことのないまま、記憶だけを頼りに書きすすめましたので、
実際の物語の進行とは違うところや、私の思い込みもあるかと思いますが、この本のタイトルが「半身」ではなく「半神」であらねばならなかった理由を、いまさらながらに考えたことでした。

>幼い頃、自分が漫画家になりたがっていたことを妙に思い出しました。

実は、私も(笑)


aosta
2011/09/08 22:02
こんばんは。何度もコメントさせていただき、申し訳ありません。
私、嘘をつきました。ご紹介の『半神』、その一篇一篇を毎日ひとつずつ読むと申しておりながら、嗚呼、一気に読んでしまいました。少女漫画ならぬ、手塚治虫、あるいは横山光輝のタッチもここそこにあって、楽しかったせいもあります。でもでも確かに面白い視点ではありました。少し絵の描き方に不足は感じましたが、それは平成時代の今のせいでしょうね。
いずれにせよ、ありがとうございました。漫画は大好きなんです。アニメ以上に漫画は。
泣けるストーリー、感動するストーリーの小説は、いやですから、高質な漫画のほうがいいのですが。何かございますか?
Zu-Simolin
2011/09/09 18:10
◇Zu-Simolin さん

こんばんは。

>私、嘘をつきました。

こんなウソでしたら大歓迎ですよ(笑)。
一気にお読みになられたとは、なんと嬉しいお知らせでしょう!
確かこの作品集の中に「偽王」という短編があったかと思いますが、私はこの作品にも非常に魅かれます。
萩尾望都の漫画には、文学的香気があります。
SF的に展開される物語は、レイ・ブラドベリを連想するファンタジーがあります。上質で完成度の高い作品が多数ありますが、萩尾望都の代表作のひとつとも言える「ポーの一族」はいかがでしょうか。
比較的初期の作品ですが、その後の萩尾望都のすべてがここから始まった傑作だと思います。
URL、ご参考までに。

aosta
URL
2011/09/09 23:41

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
ガウディの椅子 消えがてのうた part 2/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる