アラバマ物語


1962年に制作されたアメリカ映画『アラバマ物語』。
Amazonはじめとして、古い作品をいつでも見ることができる。
なんとも便利でありがたい時代。

原題は”To Kill a Mockingbird”
舞台は人種差別が根強く残る1930年代のアメリカ南部の小さな町。
主役は冤罪容疑で逮捕された黒人青年の担当弁護士アティカス。
演じるのはグレゴリーペックだ。
この町で起きた事件が、成長したアティカスの娘による回想形式で語られる。


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プロローグで大写しになるのは箱の中の雑多なガラクタ。
折れたクレヨン、壊れた時計に古びたコイン、一対の素朴な人形、ビー玉、どこのものとも知れぬ鍵・・・
子供時代の大切な思い出が詰まった宝箱。
シリアスでノスタルジック。
同時に今のアメリカの問題の根っこの深さを感じさせる映画。

1930年代のアメリカと言えば世界恐慌真っただ中のアメリカ。
保守的で人種的偏見に満ちた町で、白人女性に暴行したという容疑により、黒人青年トム・ロビンソンが逮捕される。
貧しいのは黒人だけではない。多くの白人もまた貧困のなかで理由のない怒りをたぎらせている。
事件は起こるべくして起きた。

早くに妻を亡くしたアティカスは、10歳の長男ジェムと6歳の長女スカウトとの3人暮らし。
父親が黒人の弁護を引き受けたことで、子供たちの間にも不穏な風が立つ。
理不尽だと思えば、同級の男の子に馬乗りになって喧嘩するスカウトは、同時に偏見のない無垢な感性で大人たちの世界を見据える。
それが純粋な好奇心であるがゆえに、貧しさで荒くれた大人たちにまっすぐに届く。
幼いなりの疑問や不安に、誠実に答える父アティカスは、子供たちの誇りでもある。


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物語はアティカスが担当した裁判を中心に展開するが、この作品は単なる法廷ドラマに終わらない。
様々な状況証拠を提示し、最終弁論でアティカスは訴える。
誠実に、淡々と。しかし熱意を込めて。
「黒人はすべて根っから不道徳なもの、うそをつくもの、白人に対して何をするか何をするかわからないもの、そういった悪意に満ちた前提なしに、一人の人間としてトムロビンソンを見てほしい。法廷が健全かどうかは陪審員に拠って決まり、陪審員が健全かどうかは、それを構成しているひとりひとりできまるのです。」

この弁論シーンは息をつく暇もなく、まさに圧巻!

ジェムが、スカウトが、多くの黒人たちがトムの無罪を確信した瞬間だ。
にも拘わらず、陪審員が下したのは「有罪」の判決。
控訴審に向けて準備しようとしていたアティカスの元に、トムが脱走を図り、満身に銃弾を浴びて死んだとの知らせが届く。
傷心のアティカスを慰めるのは子供たちの純粋さだ。


映画が作られたのは1960年代。
黒人の公民権運動が盛り上がっていた時代だ。
完璧な人権弁護士アティカスは、確かに理想主義的だ。
そしてそれこそがアメリカ映画だった。
しかし、今のアメリカにあって、理想ははるかに遠い。


ところで、この映画にはもう一つの物語がある。
それはアティカス家の隣人”ブー”をめぐる物語だ。
夜になると街をうろついてネズミや猫を食らい、ときに子供を襲う怪物としておそれられるブー。
ジェムとスカウトそして遊び仲間のディルの三人は、ブーの住むお化け屋敷が気になって仕方がない。
夏の夜のお化け屋敷探検は未遂に終わるが、謎は深まるばかり。


20200731アラバマ物語3.jpg


裁判の経緯を逆恨みした人種差別主義者ユーイルに襲われたジェムとスカウトを助けてくれたのがこの”怪物”ブーだった。
精神的に病んでいるらしいブー。アティカスはブーにとって数少ない理解者の一人だ。
木のうろにこっそり「宝物」を隠しては、ジェムが発見するのを子供のように楽しみにしていたに違いないブー。
ブーが作ったジェムとスカウトの石鹸人形は二人にそっくりなのだ。
壊れた時計にチューインガム、古びた優等生メダル。木のうろにブーがこっそり隠した愛おしいものたち。
誰にも知られずとも、ひっそりと子供たちを愛していたブー。
だからこそブーは、狂気にかられたユーイルから二人を守ろうとして、勢い余りユーイルを殺してしまう。
それと知りながら保安官は言う。
「誰も罪のないものまね鳥” Mockingbird”を殺しはしない。」

いわれのない差別によって冤罪となり無残に撃ち殺されたトム・ロビンソンは、確かに「罪なき Mockingbird」だった。
そしてロビンソンを無実の罪に陥れたユーイルが殺されたのは自業自得だとして、ブーの殺人を不可抗力として認める保安官。
彼にとって、ブーもまたひとりの Mockingbirdなのだろうか。


時代とともに「罪」の概念は変わるにしても、生活の中に銃があるアメリカの正義を理解できずにいる。
私にとって銃が意味するものは、自己防衛というより私刑であり、こうした銃による私刑の意識は、(たとえ無意識にせよ)今もアメリカという国で生きているのではないかと思うと恐ろしい。

とまれ、グレゴリー・ペックはまさに適役。この作品でアカデミー賞主演男優賞を獲得した。
ちなみに、一言のセリフもない”ブー”を演じたのは、ロバート・デュヴァル!
でもね、何より素晴らしいのは子供たちの演技のみずみずしさ!!


原作はハーパー・リー
「アラバマ物語」昭和39年 暮らしの手帖社発行








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この記事へのコメント

katananke05
2020年08月01日 22:05
人種のるつぼである アメリカでは
差別や 偏見は 日本以上に強く いくら
知識として 「人間は平等 みんな等しく生きて行く権利を持っている」と たとえ
認識していても 働かず(それも
学歴がないために (それは貧困ゆえに上の学校に行けない それで良い職につけないの悪循環)職がなくて ゴロゴロしている
黒人(だけでなく カラードの人々)
また ことあれば すぐに暴動を起こし 商品をかっぱらう、、
このようなニュースを見て つい表面だけで
偏った見方をしてしまう 自分もいます〜

昔 アメリカにいた時に
我が小さな子供達を見て 通りがかりの子供が「チノ チノ〜」とはやして走っていった時に 「N o, We are Japanese]と
叫んだ わたしも  Chinese を
差別していたのですよね〜

軍隊が持つような銃を相変わらず
一般庶民に販売している アメリカ社会は
理解しがたい国でもあり
また他の場面では 大手術で 多大に費用がかかる 子供のために
あっという間に 寄付がうんと集まる、、というような 懐の深さもあり〜

今 テレビの「グッドワイフ」という
アメリカの 女性弁護士ものドラマに はまっていますが
陪審員を心情的にうまく操り? 味方につけるというのも
技術? 力量?〜という
シーンを多く見て 陪審員制度も ちょっと素人の集まりだから 怖いものがある、、と
思っていますよ〜





アラバマ物語
2020年08月02日 16:31
aostaさん、こんにちは。
グレゴリー・ペックは『ローマの休日』が有名ですが、
こういうのにも出ていたんですね。

私、『紳士協定』(1947)を見る機会があって、
記事にしましたが、社会派というか政治的な映画に出ても、
彼らしさを保っているのが凄いところですね。

映画が好きで、もっと見ようと思っていますが、
テレビの大画面でDVDを再生できる環境が整っていません。
iPadでも見られるんですけど、やはり大画面で見たいです。
今は無理ですけど、そのうち……
katananke05
2020年08月02日 22:39
ところで、、
aosta san は 人種差別については
どのような思いを持っておられますか?
次男が アメリカの高校から大学を出て
10年ほど いましたが 特に芸術大学だったので
黒人の彼女を連れて帰国したら
どうしようかと思った 建前と
自分の身に降りかかる状況では
微妙に食い違う 母でございましたよ〜
aosta
2020年08月03日 09:56
◇Katanankeさん

コメントありがとうございます。
アメリカという国の懐の深さについては、私も感じ入ったことがございます。長男が入院中、本気でアメリカでの骨髄移植を考えていた時がありました。今では考えられないことかもしれませんが、当時は病気の治療方法や経緯、薬の詳しい説明、わけても副作用についての説明がほとんどなく、看護婦さんがこっそり教えてくれた細谷亮太医師の「君と白血病」という本を読んで、医師や看護師のみならずソーシャルワーカーなどが一丸となって小児患者に取り組むアメリカの医療体制と日本のそれとの違いに愕然としたことがありました。
たとえ幼い子供であっても「個」としての意見が尊重される国。そして患者だけでなく家族をも含めて、サポートする社会的システム。移植のために渡米する子供たちも、国籍・肌の色にかかわらず、同じサーヴィスを受けることができるということは驚きでした。
現在は日本でも、そうした方向に進んでいることはうれしい限りですが、すでに30年も前に、そうした取り組みが行われていたのです。

一方で、ご存知のように全米ライフル協会という組織があって、銃を所持することへの規制に根強く反対する人々がいます。ここでもキーワードは、ニュアンスはかわりますが「個」です。「個」を尊重すること、認めることで充実する医療があり、「個」を守るために、銃を所持する自由を手放さないという考え方がある。コロナの感染が拡大するなかでもマスクの着用に反発する人々。日本人に多い「長いものには巻かれよ」式がいいとは思いませんが、相反する価値観が共存している国であることに改めて気づかされますね。

陪審員制度については、私も疑問に思うところです。
もうずいぶん古い映画になりますが「12人の怒れる男」という映画がありました。
父親殺しの罪を問われている黒人少年の無罪を信じた一人の陪審員(ヘンリー・フォンダ)が有罪票を投じた11人の陪審員を説得し、無罪を勝ち取る、という映画でしたが、ここでも陪審員たちの心証を左右するのは、被告の少年ががスラムの黒人だということでした。日本でも陪審員制度が導入されると知ったとき、まず思ったのは人が人を裁くことなんかできるのかしら、ということです。ましてや、専門的知識もない一般人が・・・ Katanankeさんがおっしゃるように、怖いなあ、と思います。
aosta
2020年08月03日 20:47
◇アラバマ物語さま

初めまして。ようこそお越しくださいました。
コメント、嬉しく拝見させていただきました。

確かにグレゴリー・ペックと言えば「ローマの休日」。
スクーターの後ろにヘプバーンを乗せてローマを走り回るペックの姿、最後に王女としての彼女にどこの町が一番印象的でしたか?と尋ねるペックの表情、質問に答えるヘプバーンの表情がなんとも素敵な映画でした。「アラバマ物語」でのペックはおなか周りがすこし大きくなっていましたが、私にはアティカスを演じたペックが最高に格好よく思えます。スカウト役のメアリー・バタムはじめとする子役たちも素晴らしかったです。重いテーマの映画であるにも関わらず、子供たちの曇りのない目を通すことで、不思議に透明感のある余韻と、郷愁をも感じさせる素晴らしい作品でした。

「紳士協定」については、タイトルだけは知っておりましたが、なぜかケーリー・グラントが主演という勘違いをしておりました。
ユダヤ人への差別がテーマの映画だったんですね。こちらもぜひ見なくては!

アラバマ物語さんは、「紳士協定」についてお書きになられたとのことですが、そちらもぜひ拝見させていただきたく、ブログをご紹介いただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
只野乙山
2020年08月04日 00:52
上に登場した「アラバマ物語」なる者は、乙山でした。
名前を書くべき所に題名を入力してしまいました。
申し訳なく思います。
風信子
2020年08月04日 07:45
梅雨が明けたとたん、容赦ない日差しにやられて毎日汗だく。マスク何とかならないものか。映画館に行けば涼しいのでしょうが、感染も気になるし、見たい映画もないので自宅で無料動画のお世話になっています。アラバマ物語を探してみます。
aosta
2020年08月05日 06:17
◇Katanankeさま

再コメントをありがとうございました。
「人種差別をどう考えるか」・・・
そうですよね。何らかの考えがあるからこそ、こうした記事をも書いたつもりでおりましたが、真正面から問われると、お恥ずかしいことにたじたじです。もちろん「~であるべきだ」という、それこそ、理想論、優等生としての返事は、簡単ですけど、そこではたと立ち止まってしまう自分がいます。

建前と自分の身に降りかかる状況では微妙に食い違う・・・
最初のコメントでそう書いてらしたKatanankeさん。
映画の話ばかりで恐縮ですが、「招かれざる客」という映画を思い出します。人種的偏見はない解明的な家庭で育った娘が、黒人の恋人を結婚相手として紹介した時の、両親の戸惑い。自分たちがどうすればいいか、頭で理解できていても、感情が付いていかない事実。
黒人青年側の家族でも、息子が白人女性と結婚するということを認められずにいる。確か1960年代の映画だったと思いますが、今でも本質的なところで、問題は何ら変わっていないのかもしれません。

むしろ、人種に限らず、病気への偏見や宗教の違いに対する差別は当時よりあからさまになっている部分もあるかもしれません。私がこの「アラバマ物語」について書いたのもアティカスが最終弁論で語った言葉に、現在のアメリカを見たからでした。でもそれは「昔から同じこと言ってるじゃない、という安易で批判的な考えからであったことに気が付きました。外からはなんとでも言えます。
差別に限らず、当事者でなければわからない事実(問題)というのは確かにあること。そこで私がしなくてはならないのは、こうしなくてはだめ、という言葉だけではなく行為なのかもしれない。デモに参加して声を上げるということでなく、私たちの身近にいるひとりを大切にするという行為です。

ああ、なんだかこれも理想論、きれいごとかも。
振り返ってみれば、幼い時からミッションの幼稚園で、神父様やシスターはみな外国人でした。長男の病気で長い年月を私自身も病院で暮らし、病気や障害が決して他人ごとではないという事実もいたいほど経験しました。外国人や病気への偏見はない方だと思っていたつもりですが、Katanankeさんの質問に答えようと思えば思うほど、言葉を失っていくように思います。

お返事を書いているうちに、思い出したことがあります。
最初の結婚で旭川で暮らしていたころ、年に一回、自衛隊とアメリカの海兵隊(?)との合同訓練があったのですが、ある日、何気なく子供と一緒にマクドナルドに入ったら、店内が見上げるように大きい黒人の兵隊でいっぱいで、思わず「怖い」と思ったのです。慌てて店から飛び出しました。当時仲良くしていた奥さんから、「黒人兵は怖いよ。」と言われいたことも影響したのかもしれません。あの時の条件反射のような恐怖、あれはなんだったのかしら。あの時の反応が私だとしたら、先に書いた「良き行為」などお笑い種ですね。自分でも混乱。恥ずかしい。
aosta
2020年08月05日 06:20
◇只野さま

おはようございます。
そういうことでしたか(^^♪
いえいえ、どういたしまして。私にもありがちなことと思います。ご丁寧にありがとうございました。
でも只野さんと知ってうれしかったです。「紳士協定」についてお書きになられたとのこと、早速お邪魔させていただきます!
aosta
2020年08月05日 06:27
◇風信子さま

おはようございます。
本当に梅雨が明けて一気に熱くなりましたね。
体がついていきません。映画館の涼しさが懐かしいとおっしゃる風信子さんのお気持ち、よおくわかります。

「アラバマものがたり」ぜひご覧になってください。私は今小説の方を読んでいる最中です。ジェムとスカウトの兄妹の毎日が生き生きとすがすがしく描かれています。流れてゆく時間のはかなさをも同時に感じます。いまのところ、アティカスはまだトムの裁判にかかわっていません。これからトムの弁護を依頼され、物語がどのように進んでいくか、映画に比べ、非常に丁寧に書かれています。翻訳の文章もこなれて読みやすい。お時間があればこちらもどうぞ。
 katananke05
2020年08月05日 11:01
aosta sanの 旭川でのご経験、、
同じようなことが、、
S`poreで 我が家は 高層のマンションにいましたが乗り込んだエレベーターで
大きなシャベルを持った 真っ黒のインド人が乗っていて、、
降りるまでに 誰も乗って来ず
私はエレベーターの隅で 固まっていたら
彼が にっこり 笑ったので
ホッとした時1階についたのですが〜
あれも もし 白人だったら
それほどの「恐怖」を感じなかったかも〜
まあ それでもかの国は 殺人罪は死刑というくらいに 厳しい国だから
大きな事件は起きないのですが
アメリカだと もっと恐怖かもです〜
色の違いだけで 「恐怖」を感じるというのは 生理的なものか 刷り込まれたものか、、   今でもわからない〜
aosta
2020年08月06日 21:47
◇Katanankeさん

こんばんは。
Katanenkeさんはシンガポールで生活してらしたこともあるんですね。
エレベーターの中で見知らぬ人と一緒になるって、お相手が外国人じゃなかったにしても思わず身構えます。密室という逃げ場がない空間というのも不安を助長します。

でも、Katanankeさんのお返事の中で、そのインドの方が笑顔を見せてくれた、と書いてくださいました。笑顔は、世界共通で伝わるもの。「私はあなたの敵ではない」という最高のメッセージですね。
日本人は見知らぬ人ににっこり笑いかけることが苦手ですが、外国の方は、視線が合えば微笑んでくれることが多かったように思います。笑顔は人を幸せにします。

コロナの感染拡大で皆がマスクをしている現在、表情がまったくわからない、という状況は、気が付かないまでも、みなの不安を増大させているに違いありません。不安が募れば、時として人は暴力的に、攻撃的になる。コロナが心まで蝕む。悲しい時代ですね。