「花を持って、会いにゆく」 長田 弘





           春の日、あなたに会いにゆく。
           あなたは、なくなった人である。
           どこにもいない人である。

           どこにもいない人に会いにゆく。
           きれいな水と、
           きれいな花を、手に持って。

           どこにもいない?
           違うと、なくなった人は言う。
           どこにもいないのではない。

           どこにもゆかないのだ。
           いつも、ここにいる。
           歩くことは、しなくなった。

           歩くことをやめて、
           はじめて知ったことがある。
           歩くことは、ここではないどこかへ、

           遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
           どんどんゆくことだと、そう思っていた。
           そうでないということに気づいたのは、            
           死んでからだった。もう、
           どこにもゆかないし、
           どんな遠くへもゆくことはない。

           そうと知ったときに、
           じぶんの、いま、いる、
           ここが、じぶんのゆきついた、

           いちばん遠い場所であることに気づいた。
           この世から一番遠い場所が、
           ほんとうは、この世に

           いちばん近い場所だということに。
           生きるとは、年をとるということだ。
           死んだら、年をとらないのだ。

           十歳で死んだ
           人生の最初の友人は、
           いまでも十歳のままだ。

           病に苦しんで
           なくなった母は、
           死んで、また元気になった。

           死ではなく、その人が
           じぶんのなかにのこしていった
           たしかな記憶を、わたしは信じる。

           ことばって、何だと思う?
           けっしてことばにできない思いが、
           ここにあると指すのが、ことばだ。

           話すこともなかった人とだって、
           語らうことができると知ったのも、
           死んでからだった。

           春の木々の
           枝々が競いあって、
           霞む空をつかもうとしている。
 
           春の日、あなたに会いにゆく。
           きれいな水と、

           きれいな花を、手に持って。




                          長田 弘 「花を持って、会いにゆく」 クレヨンハウス 「詩ふたつ」 より     






画像

グスタフ・クリムト 『アッター湖の島』 1901年 100 x 100 cm 個人蔵





不覚にも詩人長田弘さんが死去されたことを今日の今日まで知りませんでした。
4年前に胆管がんの手術を受けられたことは知っていましたが、その後テレビでお元気な姿を拝見していたこともあって、順調に回復していらっしゃるのだとばかり思いこんでいたのです。
享年75歳。
昨年の11月、私はブログで氏が訳されたアーシュラ・グィンの詩について、書いたことがありました。
http://folli-2.at.webry.info/201411/article_2.html

長田さんはグィンのことを
「ひとにとってかけがえのない大切なものの記憶を刻して、
みずからのぞんで、あくまでも小さな詩人でありつづけてきた詩人」
と評していらっしゃいますが、今となっては、そのままご自身を語られた言葉のように思えてきます。

読むたびに、はっと心を揺さぶられるような眼差しに出会う長田さんの詩。
そのお人柄と同じく、親身で暖かな言葉で優しく語りかけてくる詩に、いくたび慰められたことでしょう。





           ことばって、何だと思う?
           けっしてことばにできない思いが、
           ここにあると指すのが、ことばだ。



言葉にならない思いを、その人に代わってことばにしようした長田さんの詩は、どれも対象への深い共感とともに、強靭なまでの言葉への思いに貫かれていいます。








         立ちどまる。 
     
         足をとめると、

         聴こえてくる声がある。

         空の色のような声がある。


         「木のことば、 水のことば、

         雲のことばが聴こえますか?

         「石のことば、 雨のことば、

         草のことばを話せますか?


         立ちどまらなければ

         ゆけない場所がある。

         何もないところにしか

         見つけられないものがある。


                                  「立ち止まる」 ハルキ文庫「長田 弘詩集 」より






立ち止まらなければたどり着けない場所。
何もないところにしかないもの。

「みるときには めをつぶる  めをあけても なにもみえない
あたまは じめんにくっつけて あしで かんがえなくちゃいけない」


                                             「ねむりのもりのはなし」



「人と話すことは、喋ることではない。人の言葉のなかにある沈黙を受けとる、ということだ。」

                                                  「感受性の領分」


長田さんの反語と逆説に満ちた言葉は、初めて口にする清らかな水のように心に身体に、沁みていきます。









         先刻まではいた。今はいない。

         ひとの一生はただそれだけだと思う。

         ここにいた。もうここにはいない。

         死とはもうここにはいないということである。

         あなたが誰だったか、わたしたちは

         思いだそうともせず、あなたのことを

         いつか忘れてゆくだろう。ほんとうだ。

         悲しみは、忘れることができる。

         あなたが誰だったにせよ、あなたが

         生きたのは、ぎこちない人生だった。

         わたしたちと同じだ。どう笑えばいいか、

         どう怒ればいいか、あなたはわからなかった。

         胸を突く不確かさ、あいまいさのほかに、

         いったい確実なものなど、あるのだろうか?

         いつのときもあなたを苦しめていたのは、

         何かが欠けているという意識だった。

         わたしたちが社会とよんでいるものが、

         もし、価値の存在しない深淵にすぎないなら、

         みずから慎むくらいしか、わたしたちはできない。

         わたしたちは、何をすべきか、でなく

         何をなすべきでないか、考えるべきだ。

         冷たい焼酎を手に、ビル・エヴァンスの

         「Conversations With Myself」を聴いている。

         秋、静かな夜が過ぎてゆく。あなたは、

         ここにいた。もうここにはいない。



                             長田 弘 「こんな静かな夜」 みすず書房 『死者の贈りもの」より 







長田弘さん。
あなたは、ここにいた。もうここにはいない。
これから私たちは、何をすべきか、でなく、何をなすべきでないか、考えてゆかねばならないのですね。








           ☆本文中の引用はすべて長田弘さんご本人の著書より引用させていただきました。







この記事へのコメント

HT
2015年06月22日 21:35
こんばんは。
どれも素敵な詩ですね。考えさせられてしまいます。
「決してことばにできない思いが、ここにあると指すものが、ことばだ」そうなのかもしれませんね。言葉に出来ないものって沢山ありますよね。私なんか職場でも家でもそんな思いばかりです。
素敵な詩をありがとうございました。

2015年06月22日 22:58
◇HTさん

コメントありがとうございます。

言葉にならないものをことばにするのが、詩人なのでしょうね。
「花を持って、会いにゆく」は、大好きな詩、読むたびに、心がしんとする詩です。

春の日、あなたに会いにゆく。
きれいな水と、きれいな花を、手に持って。

透明に揺らめく景色の中を、きれいな水ときれいな花を持って、遠くに行ったのではなく、どこにも行かないで、私を待っていてくれる人に、会いに行く。
大切な人の死を、懐かしく穏やかな記憶の中で慈しむことで、新しい自分と出会えるような、そんな希望を信じさせてくれる詩だと思います。


フェンリル
2015年06月23日 19:18
今日のライブでの素晴らしい朗読を拝聴した後に、
このようなブログを読ませていただくと、
aosta様の朗読が我々の心に響いてくる理由が、
ほんの少しだけ垣間見えるような気がするようです。
言葉にならないものをことばにする…。
まさに今日のライブからは、言葉でないことばの響きが
感じられるようでした。
本当に素晴らしいひとときをありがとうございました!
2015年06月24日 04:58
◇フェンリルさん

昨日はお忙しい中、お運びいただいましてありがとうございました。
ライブはやっぱりいいですね!
今回も素晴らしいお客様に恵まれ、素敵なコンサートになりました。お客様の反応がそのまま演奏に反映して、私たちも心から楽しんで演奏・朗読ができました。

朗読に関して申し上げるならば、「おおきな木」は何回読んでも新しい発見があります。
繰り返しの多いシンプルな物語ですが、読みこめば読みこむほど難しい。
フェンリルさんもおっしゃられていますが、「言葉にならない思い」にあふれたお話だと思っています。私の朗読で、少しでも伝わったものがあるとすれば、本当に嬉しいです。
朗読するのは「私」かもしれませんが、「ものがたり」は私のものではなく、聴いてくださるお一人お一人のものだと考えています。それぞれ違うものがたりなのです。
私の色に染め上げたメッセージを押し付けるのではなく、さらさらと透明な水のように、空気のように、伝わってほしい、というのが私のおもいでもあります。
最後にもう一度お礼を言わせてくださいね。
本当にありがとうございました。
カタナンケ
2015年06月24日 17:50
みなさま
素敵な時間をすごされたのですね、、
言葉と言葉の間の 沈黙の瞬間に潜む
魔法のような [無」の 言葉を
感じとれるような aostaさんの 朗読だったのでしょう~

長田弘さん 読売新聞の 子供の詩の
コーナーを 川崎洋さんのあとに
引き受けて また 突然おなくなりになったのですね、、
残念、、、です
2015年06月25日 05:30
◇カタナンケさん

おはようございます。
おかげさまで、コンサートも無事終了いたしました。
コンサート中は、突然、雷が鳴ったり、雨が降り出したり、短い時間でしたが、停電したりと思わぬハプニングもあったのですが、電気が消えたなかP氏が軽妙なトークでつないでいるうちに復旧。終わったあと、皆さん、口々に、雷も雨も素敵な効果音のようだった、と仰ってくださいました。
なるほど効果音として楽しんでくださったんですね! 
ここでもお客様の感性に助けていただきました(^^ゞ

うちでは読売を取っていませんので、実家に帰った時、まとめて長田さんのコーナーを読むことが楽しみでした。
長田さんは、「子供のような大人」ではなく、「かつて子供だったことを忘れずにいる大人」でいらしたのだと思います。
その長田さんが選ぶ子供の詩はどれも本当に素晴らしかった。
どの作品も、ほんのひとこと、ほんの数行で、涙が溢れてくるような、詩でしたよね。
ただただ、残念としか言いようがありません。
2015年06月30日 14:21
こんにちは。
「死ではなく、その人がじぶんのなかにのこしていった たしかな記憶を、わたしは信じる。」
時とともに色褪せることなく、むしろ、時が経てば経つほどに色濃く、熱を帯びてくる記憶ですよね。
涙がこぼれました。

「人と話すことは、喋ることではない。人の言葉のなかにある沈黙を受けとる、ということだ。」
これは、とてもよくわかります。
というより、肌で感じ取れます。
沈黙を読むことは、とてもたいせつだと思います。
ある意味、言葉よりもたいせつ・・・そう思います。


2015年07月01日 07:03
◇テンプルさん

おはようございます。
人生も半ばを過ぎ、大切な方の訃報を聞くことも多くなったこの頃、私も記憶について考えるようになりました。
記憶って不思議ですね。「その人」の一番凝縮した時間が、私の中でありありと蘇ります。あたかもそこに存在しているかのように。記憶の中の大切な人、記憶の中の大切な場面で私は会話をしています。今はここにいないけれど、彼女の、彼の、実在は、寧ろ死という隔てを超えて身近に暖かく感じられます。

もう、どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない

この言葉の通りなんです。

本当に傷んでいる人に取って言葉ではなく沈黙こそが大切なのだというテンプルさん、私にもわかります。そういうときって、言葉は無力ですね。
ただそばにいて、一緒にいる。手を握る・・・・

それでも、と私は思います。
熟した果実が自然に落ちるように、言葉が満ちるときは必ずあると。
その時がいつなのか、わからないまでも、繰り返し繰り返し、心の中で反芻される思いに、いつか言葉が与えられると。
2015年07月07日 00:00
すごくいい詩ですね。

心にズーンと沁みました。

深夜に朗読してみました。

ことばの手触りが伝わってきました。ありがとうございました。
2015年07月07日 02:42
◇ごろーさん

またご訪問いただきありがとうございます。
長田さんの詩は、声に出して読んでみるとまた素晴らしいですよね。
深夜に独り朗読されたというごろーさん、なんだか心がじんとします。
もうどこにもいない、どこにもいかないあまたの人々と、今ここにある私たちとをつないでくれる言葉たちだと思います。
カーラビンカ
2015年07月27日 13:38
オ久ぶりです。
こちらは美しい写真がたくさんあっていいですね!
グスタフ・クリムトの 『アッター湖の島』は初めて見ました。
特有のやわらかいタッチが繊細な陰影を表していますね。
2015年07月28日 18:51
◇カーラビンカさん

コメントありがとうございました。
またお話ができて嬉しいです。
「アッター湖の島」、水の表面の、さまざまな表情が美しいですね。
ザルツブルグ近くのこの湖のほとりに、クリムトの別荘があったそうです。またクリムトと親交の厚かったマーラーも、この湖の近くにあった小さなコテージで作曲に専念していたとか・・・・
画面のほとんどが水という構成に内省的な魅力を感じます。
長田さんの死を悼むという意味でこの作品を選んだのですが、お目に留めていただき嬉しいです(^^♪

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