森の声





霧に濡れた雑木林の奥でフクロウが鳴いた。



画像




「相手をうまく否定しおおせたからと言って、自分が正しいことにはならないね。」

「自分の抱いている怒りは、相手の問題ではなく、自分の問題。」






とりあえずって便利な言葉だけれど、時々この言葉で失敗をする。
考えてみれば、とりあえずってその場しのぎと同じことなのよね。
先送りしても問題解決にはならない。
ちゃんと向かい合うことが大事 。はい、わかっています。

自分の問題を自分の問題として、距離をおいて眺めてみようと思いなおしてみたものの
これが案外難しい。
だって、自分でも認めたくないんだもの。
だから「とりあえず」自分をごまかすためには相手を言い負かすことが必要になって、言い募る。
わたし、言葉では負けないから(^^ゞ


そしたら、フクロウが鳴いたの。
「ほ、ほぉ・・・・」って。

憑き物.が落ちた。




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この記事へのコメント

HT
2015年04月14日 15:37
こんにちは。
一行目は納得しましたが二行目は、うぅ~んって云う感じにもなりました。確かにそう云う面もありますが、相手によっても違うのではないかと…。怒りにも色々あって、自分の思い通りにならない怒りはこの言葉通りなのかもしれませんね。
ぶんな
2015年04月14日 16:37
世の中には結構怖ろしいことがあり、何かで相手の気に入らなかっただけで、とんでもない事をそちこちに喧伝されてしまう事があります。そうしたときに、それがかなり重大なことであっても、そうそう簡単に訴訟を起こすこともできません。はっきりと理不尽を申し立て、理屈で納得してもらっても、感情にはまったく納得してもらえず、寧ろ怒りを煽ってしまい、状況が目には見えないところで悪化してしまうことの方が多いように思います。
また反省している者が打ちたたかれることがあります。これでもか、これでもか、見てはいられない事です。
また上下関係を固定化させているからこそ親友でいられるという間柄もあって、自分よりも下だと思っていた相手が、すこしでも頭角あらわすと、喜べず我慢できないという親友関係もあります。
理屈のみで暮らし、多くの人々を相手を理屈で屈服させ暮らせる方は、かなり強靭な方だと思われます。
とりとめのない事を書きました。何の参考にもならないですね。
怒りは怖いです。自分がかっとなる時は特に。しかし今は随分と感情の起伏が穏やかになりました。これでも。もしイエスさまを知らなければ、自分の気性の激しさに虐げられ病気になっていたかもしれません。
2015年04月14日 16:52
◇HTさん

コメントありがとうございます。
2行目というと、「自分の抱いている怒りは、相手の問題ではなく、自分の問題。」 ですね?おそらくHTさんがイメージされたのはビジネス上のやりとりではないかと勝手に思いました(^^♪
この会話、実はご夫婦の間で交わされたものなのですが、HTさんが仰られるように、まさしく相手が誰かということで共感できない部分もあるかもしれませんね。
ビジネスという縛りのないところで、個人と個人の考え方、価値観、感情というものが行き違った時、自らを振り返るのではなく、相手を攻撃してしまう・・・
私とPとの間でも、最初は些細な感情の行き違いなのに、言葉が重なってゆくにつれて闘争心に火がついてしまい、後に引けなくなる。お互い自尊心が強いほうなので、一度火がつくと、なかなか治まりがつかなくなります。いつの間にか、どちらが正しいかということより、相手に勝つことが目的になってしまう。そもそもどちらかが100%正しくて、どちらかが100%間違っているなんてことはあり得ないのに、です。
そんな時、「ほ・ほう・・・・どこまでも自分が正しいと主張するお前は、本当に正しいのかい?そもそも、正しいってどういうことなんだい?」と訪ねる声がしたというわけです。そして思い出したのが、お友達の言葉です。原点に立ち戻るための視点を与えられた、と感じました。
2015年04月14日 17:11
◇ぶんなさん

コメントをありがとうございました。
人の感情の中でも、怒りという感情はコントロールすることが困難ですね。社会的にもコントロールされない怒りが様々な事件を巻き起こしています。
ただ今回は、個人的な関係の中で、怒りが引き起こす感情的なやり取りについて書こうと思いました。長年連れ添った夫婦、親しい友人の間でも「正しいか、正しくないか」を結論しようとするならば、1かゼロの答えしか見出せません。でも一歩下がって視点を変えてみれば、それまで白と見えていたものが必ずしも白一色ではなく、また黒と見えていたものも、多分に黒ばかりではないことに気が付くのではないでしょうか。
往々にして怒りに更なる勢いを与えるものは傲慢であったりプライドであったりするものですが、燃え盛る怒りの炎の中に、謙遜のひとしずくが落ちることで、思いがけない平安が訪れることもあるように思います。この場合の謙遜とは、自らを省みることで相手の真意を理解しようとする積極的な姿勢だと思います。
kayoko
2015年04月14日 17:33
感情的な問題って、自分と相手の視座の違いだったりしますね。
時々やらかして、自分を責めたりしています(/_;)
カタナンケ
2015年04月14日 21:02
このごろはあまり 怒る事がなくなりましたが
あきれる事は 多々ありますね、、
そういう人とは接点をなるべく持たないように
した、、ということかしらね~
でもお仕事だと そうもいかず、、

私のそばでは カエルが
「ヶッ ケッ」と 鳴きました、、
ルネ
2015年04月14日 23:42
>言葉が重なってゆくにつれて闘争心に火がついてしまい、後に引けなくなる。
我が家でも夫婦げんかではこういう成り行きが多いですね(苦笑)
それにわたくし、口では負けませんし!
まぁ半ばゲームと化しているので後をひきませんが。
外ではいたって気の弱い私です(?)
2015年04月15日 05:15
◇kayokoさん

おはようございます。
コメントありがとうございました。
視座の違いに、正しいも正しくないもないはずなのに争いになるのは、その違い自体が気にいらないんでしょうね。
考えてみればなんとも自分勝手なものです(;^ω^)
2015年04月15日 05:26
◇カタナンケさん

怒りってすごく体力を消耗しますよね。疲れる。これは実感です。

>怒る事がなくなりましたがあきれる事は 多々ありますね

なるほど。怒るのではなくあきれる、のですね。
たしかにこのほうが距離感があるような気がします(笑)必要以上に近づかないということも大事かもしれません。

「ヶッ ケッ」
そうでしたか。カタナンケさんの場合はカエルでしたか。
フクロウもカエルも賢者ですね。

2015年04月15日 05:37
◇ルネさん

おはようございます。

>それにわたくし、口では負けませんし!

おお、お仲間ですね。仲良くいたしましょう(笑)
でも私の場合、往々にして後味が悪いのは「相手をうまく否定しおおせたからと言って、自分が正しいことにはならない。」ということが真実であると知っているからでしょう。
つまりは、勝つことがことが目的になっている。
同じゲームだったら、一緒に楽しめるほうがいいですね。
2015年04月15日 08:02
ある所属している団体の中で、我が儘し放題の人がいて、自分が一番!って思ってる人。人を柔らかく動かして、想い通りにならないとじわじわと無視したりとやる。 女性特有?の意地悪さを感じて嫌になります。 私はそういうのが嫌いなのでめんどくさい。「とりあえず・・・」って言葉もよく耳にします。ちょっと考えた文章でした。
2015年04月16日 05:56
◇mintさん

職場での人間関係って、ひとことでは言えない難しさがあるのでしょうね。
人間関係が業務に影響するのは避けなくてはならないし、仕事中に「この怒りは、翻って自分の問題なんだわ」なんて哲学していると、周りから奇異な目で見られるかもしれません(笑) 
フェンリル
2015年04月16日 22:07
外にある事物というのは、この度のaostaさんの美しい文章で綴られているように、本来自分の心が描き出しているものなのでしょうね。
けれど、自分自身の夢の中に囚われている我々という存在は、普段自分が夢を見ているという事に気が付かないでいるので、何か自分の感情を波立たせる相手がいると、その相手に原因を求めてしまうものだと思います。フクロウの鳴き声は、自分が今夢を見ているのだという事を気が付かせてくれる象徴的出来事のようで、ハッとさせられました。ゲドだって、戦っていた相手が自分自身だったという事に気が付くためには、死に等しい試練を乗り越えなくてはいけなかったのですから。生きている限り何度も何度も夢から覚め続ける必要のある我々ですが、フクロウの鳴き声がそのきっかけを与えてくれるなんて!何という素敵な詩なのだろうと思いました。
2015年04月17日 06:17
◇フェンリルさん

>フクロウの鳴き声は、自分が今夢を見ているのだという事を気が付かせてくれる象徴 的出来事のようで

感じてはいても上手に言葉にできなかった感覚を、まさにその通り!とでも言いたくなる表現してくださいましてありがとうございます。
「生きている限り何度も何度も夢から覚め続ける必要のある我々」という言葉も不思議な感動を覚えます。私たちが生きている世界と、夢見ている世界、つまり、こちらがわと、あっちらがわの世界のどちらが本物なのか・・・
前にも書いたような気がしますし、フェンリルさんもよくご存知の「胡蝶の夢」のような境地とでも言えばいいのかしら。怒りという感情に身を任せているときの自分は、まさに「我を忘れた」状態。「我を忘れた我」が平常時の「我」に戻るためには、夢から覚めなくてはいけないのですね。あのとき、夢から醒めたい(怒りから自由になりたい)と、意識下で思っている自分がいることを気づかせてくれたのはフクロウでした。
世界は、象徴と印で満ちているのだと思います。フェンリルさんのおかげで、私も少しづつ彼らの身振りに気が付くようになたようです。

>何という素敵な詩なのだろうと思いました。

詩のつもりは全くなかったのですが、フェンリルさんがそう感じてくださったことが嬉しいです。ならば「詩」のカテゴリーにも入れておこうかしら。いそいそ(^^ゞ

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