罠(わな)



ほとんどひと月近く姿を見せなかったソロが、久しぶりに姿を見せた。

もう完全な冬毛になって、見違えるほど。


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でも変わったのはそれだけではなかった。

ソロの右後ろ脚。
良く見れば、足先がない。
傷口はまだ完全に癒えないまま、かすかな血の色が滲んでいる。

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10月、キノコ採りの人間の姿をのがれるために雑木林の奥深くまで入っていったのだろうか。
鹿を捕獲するための罠が仕掛けられた、と言う話を聞いたのもちょうどその頃だった。
人間の脚の骨など、たやすく砕くといわれる大型の挟み罠だ。

ソロがどのような経緯で罠にかかったのか。
そして、どのようにその罠から逃れたのか。

古来から地元諏訪大社上社には、八ヶ岳の鹿を霊的な生き物とみなしてきた歴史がある。
神事においては、鹿は重要な意味を持つ捧げものであり、よってむやみに殺すことは禁忌であった。
しかし時代とともに、鹿の歴史的・霊的意味は失われ、戦後激減した鹿が保護政策によって再び勢いを取り戻すと、今度は害獣として敵視されるようになった。
増えすぎた鹿は、近隣の農家にしてみれば農作物を荒らす厄介者でしかない。
個体数が増え、行動半径が広域に及ぶようになって、自然の植生が破壊されるという意見も喧しい。
地域の重要な観光資源のひとつであるニッコウキスゲの群生が、鹿の食害によって年を追うごとに縮小していることも事実ではある。
鹿の頭数を減らすことは、焦眉の急であるとして、行政も対策に懸命だ。
猟が解禁ともなれば、この辺りでも遠く近く猟銃の発砲音が聞こえてくる。
鹿は捕獲されるのではなく、駆除されるのだ。
改めて「駆除」という言葉を確認してみる。
「駆除」とは人間にとって有害な鳥獣類または昆虫などを追い払う、もしくは殺傷すること、とあった。
新聞には「駆除」された鹿の頭数が報道され、鹿たちの知らないところで、その運命はコントロールされている。
ソロとて例外ではない。
生まれて間もないうちに群れとはぐれてしまったことはまだしも、今こうして脚の一部を失ったことは、
人間が介在することで起きた不幸だ。
ソロはただ受容するだけである。

たまたま我が家にやってくるようになったソロは、すでに私たちにとって one of them ではない。
庭で安心して草を食むソロを、遠目に見ているだけで私たちは幸せな気持ちになった。
餌付けしようなど考えたことはないが、まだ幼いソロが安心しておなかいっぱい食べられる場所として
我が家の庭を選んでくれたことが嬉しかったのだ。


動物との共生、保護。
言葉で言うことは容易いが、その実、真の意味で共生することはこの上なく難しい。
元を正せば人間は、かつて鹿たちが自在に駆け回っていた八ヶ岳の裾野に、後からやってきた新参者にすぎない。



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脚を失ったソロは何も言わない。
ただそのいたいけな目を大きく瞠って、じっと私たちを見つめているだけだ。
言葉もなくその眼差しを受け止める私の胸にも、ソロの脚と同じく、乾かない傷口がある。





夏の終わりのある日、「ソロが薔薇の葉っぱをみんな食べちゃった!」と娘にメールを送ったとき
「ソロの冬毛は薔薇の葉っぱだったんだね!」という返事が帰ってきたことを思い出す。
そうか、あの豊かな冬毛は薔薇の葉っぱでできているんだよね。
薔薇よ、もしお前が私の手を覚えているなら、どうかこの冬、ソロを守ってほしい。







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この記事へのコメント

Richard
2014年11月10日 10:47
FBで「いいね」は押せないから、、、、
小鹿物語に重ね合わせながら見ていましたが、かわいそう以外にいろいろ感じました。気持ちが分かるから「なんとも、、」でしょうか?
HT
2014年11月10日 11:47
こんにちは。
なんだかとてもやりきれない気持ちになりました。
久し振りに庭に来て、この間何処でどうして苦しんでいたのでしょうね。あまりの事に吃驚してしまいました。人間って勝手で惨い生き物ですよね。状態からみて10月の事でしょうか。私は知識が無いので良くわかりませんが、この時期って禁止されている時期なのではないでしょうか。怒りを感じてしまいます。
ソロ君は頑張って一番安心できるこの庭にやってきたのですよね。たまらないですね。これから厳しい冬も来ますし、罠だってまだありますし、なんとかこの冬を乗り越えてほしいですね。春になったら一回りも二回りも強くなれるのですものね。
2014年11月10日 15:55
◇Richardさん

「子鹿ものがたり」の結末には胸が突かれる思い画いたしますが、まだしもあの物語にはジョディの成長とい希望がありました。
はぐれ鹿というだけで、初めての冬を越すことができるだろうかと案じておりましたので、今回のアクシデントは本当にショックでした。
かわいそう以外の気持ち・・・・
確かに諸事情を考えますと思いは複雑です。ソロと名前をつけた段階で、この子は私たちにとって特別な存在となりました。名付けるって、そう言う意味なのですよね。
ソロのあずかり知らぬところではありますが、私たちは名付け親なのです。
ぶんな
2014年11月10日 21:59
見た瞬間の自分の反応ですが、足のつま先から脚に、脚から膝小僧にかけ、さーっと鳥肌がたち、胸が衝かれ寒~い感じがしました。
ショックです。傷口なら治る事もあるでしょうが、失われた一部はいったいどうすればいいのでしょう。
でもこう考えました。ソロはこのハンディを抱えながらも素直にたくましく生きると。そしてそれを見る者に、自分も頑張ろうと思える勇気を与えるのだと。
2014年11月11日 11:27
◇HTさん

お返事が遅くなり申し訳ございませんでした。
いつもソロのことを気にかけていてくださったHTさんのお気持ちを考えると、こうした画像をアップすることがためらわれたのですが、あえて公開いたしました。姿を見せなかったひと月あまりの時間、本当にソロはどこでどのようにこの恐ろしい状況を耐えていたのでしょう。想像しただけでぞっとします。
画像ではあまりわかりませんが、以前に比べると明らかに痩せています。きっと食べることもままならない状態が続いたためなのでしょう。「人間って勝手で惨い生き物ですよね」とおっしゃるHTさんの言葉は、そのまま私の思いです。
調べたところによると、長野県の狩猟の解禁は今月15日とありました。罠を仕掛けることは解禁とは無関係なのでしょうか。よくわかりませんが、罠にかかったまま苦しんで苦しんで、そのまま命を落とすことは、考えようによっては、銃で撃たれてその場で絶命するより残酷な方法だと思います。ソロはまだ子鹿で足の骨も細かったために、自力でなんとか引き抜くことができたのかもしれませんが、それにしても大けがです。人間だったら、すぐにでも処置しなければ死んでいるところです。野生の生命力の力には驚かされます。でもでも、脚が不自由なソロがこれから迎えなければならない冬の厳しさを思うと、胸が塞がれる思いです。なんとかこの冬を越してほしい。それだけを切に祈っています。「春になったら一回りも二回りも強くなれる」ことを信じて。
2014年11月11日 11:40
◇ぶんなさん

>足のつま先から脚に、脚から膝小僧にかけ、さーっと鳥肌がたち・・・

恐ろしいものを見たときに寒気がするというのは本当なんですね。私は思わず目を疑い、そして全身が寒気立って、しばらくは正視できませんでしした。
今朝も我が家を訪れたソロを間近で見たのですが、脚の先はすっかり骨が露出している状態です。失われたものは戻っては来ません。
おそらくソロは我が身に起きたこの恐ろしい出来事を痛みとしてしか認識できないでしょう。それが悲しいのです。
誰を恨むこともなく、ただその事実だけにじっと耐えているのです。
子供の頃、夢中になって読んだ「シートン動物記」の中には、野生の動物たちが、正しい本能に導かれ、また逆境の中で知恵を学んで生き抜く物語がいくつかありましたが、ソロが置かれている状況は、物語以上に過酷なのではないでしょうか。
私たちはただただソロを信じて祈ることしかできませんが、その祈りによってこの小さな命が守られることを願っています。
2014年11月11日 14:38
新着記事にあった鹿の写真と「ソロ」の文字だけみて、あぁ、ソロがまだやって来ているのだ~♪ と、久しぶりの近況報告に喜んで写真をクリックしました。今も書きながら涙が止まりません…。

罠は「銃で撃たれてその場で絶命するより残酷な方法」だというのに私も賛成で、余りにも卑劣だと思います。それに、動物を選ばないし、人間だって犠牲になる可能性があるのですから危険すぎるではないですか?

野生動物を罠にかけることには反対する動きもあるようですが…
http://www.alive-net.net/aboutus/action/wildlife.htm

トラバサミという残酷な道具の使用は、EUを含む88ヵ国以上で禁止されているそうですが、日本のネットショップで検索してみたら、本当に簡単に買えてしまうのでした。

キリスト教文化圏では、人間は動物を支配するものとされているのに対して、日本では人間は自然と同列に置かれて、共存するという意識を持っていると思います。それなのに、かえって日本の方が動物に対して残酷なことを平気でしているので不思議です。日本の自治体が不要なペットの回収車を無料で出していて、引き取り手を探すこともせず、安楽死の措置もとらないで苦しませながら殺しているというのも信じられない話しです。

赤ん坊のときに尻尾を牛に踏まれて切断した猫を引き取って育てていますが、切り口は毛で覆われて、短い尻尾に愛嬌があるので来客たちに人気があります。でも、足は歩くのに使うのですから、辛いだろうな…。危険が迫ったときに早く走って逃げることもできないし…。

心が痛みます。ソロが厳しい冬を乗り切ってくれるのを祈るばかりです。
2014年11月11日 15:39
最初の写真で、あれ?っと思いました。ただ、草の影になっている足先ではない事がすぐわかりました。切ないですね。one of them ではないだけに、私まで悲しい気持ちでいっぱいになりました。 自然界の動植物の中に人間が入り込んでいるのに。心が痛くなりました。 ソロ、頑張って逞しく生きて欲しいです。
カタナンケ
2014年11月11日 19:57
ううぅ、、この章は 見る事が出来ない、、
パス、、
2014年11月11日 20:07
正面を見ている写真が、悲しげでした。
生きていてほしいと願うばかりです。
抱きしめてやれるものなら抱きしめたい・・・そんな気持ちになりました。


教えていただいたURLでリコーダーの演奏をいろいろ聞かせていただきました。
幅広い演奏をなさっているのですね。
素敵です。
泣けました。。。
2014年11月12日 07:05
◇Otiumさん

おはようございます。しばらく御無沙汰しているうちに早や霜月も半ばとなってしまいました。
コメントをいただきお返事を書いている途中で、突然PCがフリーズ、お返事の文章はあっという間にどこかに消えてしまいました。そのまま気力を失い、返事が遅くなってしまいました。同じように書けるかわかりませんが、もう一度書いてみます。

日本では「有害鳥獣」に限り、狩猟禁止の時期でも駆除という看板の下で捕獲が許されているそうです。さすがに解禁前に銃を使うことはできませんので、罠が使われる。添付していただいたサイトを見ましたら、この危険で恐ろしい罠はホームセンターなどで簡単に手に入るのだそうです。おまけに罠に関しては、素人でも「免許所有者の指導により」罠を仕掛けることができるとありました。「指導」ってどのような「指導」なのでしょう。勘ぐれば、指導を受けたふりをして罠をかける人もいるかもしれません。地雷のように無差別に動物を襲う罠。諸外国の多くがこの罠を禁止している中で、おどろくほど安易な管理体制の下で使用が許されている日本の現状に愕然としてしまいます。
2014年11月12日 07:08


◇Otiumさん 続きです

>キリスト教文化圏では、人間は動物を支配するものとされているのに対して、
>日本では人間は自然と同列に置かれて、
>共存するという意識を持っていると思います。

確かに人間を頂点とする聖書的世界観と、もともと汎神論的世界観のある日本とでは「自然」に対する考え方、感じ方が大きく異なっていたはずですね。明治以前の日本には「自然」という言葉、概念さえなかったといわれています。 natureという外来の言葉によって初めて日本人に「自然」という概念がもたらされた。つまりそれまでの日本人と今日いうところの「自然」は限りなくひとつの社会を作っていた。共存していたということになるのかもしれません。熊にしても鹿にしても、またキツネにしても畏怖の対象でした。アイヌ民族のイヨマンテ、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」などにはクマが象徴する「大いなるもの」への畏敬にあふれています。今の日本にあって経済が「大いなるもの」に取って代わり、人々の「崇敬」を集めているのでは?
功利主義に基づけば「有害鳥獣」などもっとも無駄で利益を損なうものでしかありません。無駄なものは排除する。つまり駆除する。そんな構図なのかしら。
2014年11月12日 07:10
◇Otiumさん 

もう少しお付き合いください(^^;)

最近のニュースでは、ここ数日日本の各地でペットの小型犬が大量に捨てられる、遺棄されるという事件が頻発しているようです。一度に30匹、40匹、それも同一犬種ということを考えるとブリーダーの影がちらつきます。お金儲けのために繁殖させた犬を、人気がなくなったという理由で遺棄する事件は過去にもありました。ここでも命は商品に過ぎません。キリスト教、という確固たる宗教基盤があった欧米に比べ、日本人の信仰の土台はもともと非常にファジーで、常に新しいものへの乗り換えが可能です。それは寧ろ民族的特技ともいえる能力で、この能力によって、明治以来の日本が発展してきたといっても過言ではないかと思います。教会離れが問題とされている欧米ではありますが、日本ほどモンマンに支配されることなくバランスを保っているのは、キリスト教的な精神伝統がまだバランスを取っているのではないかと思うのですが、いかがでしょう?

事故に遭った猫ちゃんを育てていらしゃるんですね。
昨日また我が家の庭に現れたソロを間近に観察しました。脚の先はちょうどフォークのように骨が付きだしている状態です。うまく肉が盛って毛でおおわれるようになればいいのですが、あの状態ではちょっと心配です。
2014年11月13日 05:59
◇mintさん

お返事、お待たせいたしました。
これでも写真を選んで載せたのです。カメラは残酷なまでリアルに状態を写していました。いつも畑を荒らされている農家の方たちからすれば、憎まれても仕方ないのかもしれませんが、ソロがこの傷を一生背負ってゆくことを考えるとたまりません。
mintさんは今、命の尊さ、重さに一番敏感になられているときではないかと思います。祝福される命も、傷つく命も同じです。
人間の命だけが大切なのだと考えるとしたら、それはあまりにも傲慢です。人も鹿も同じように「生かされている」のですものね。
2014年11月13日 06:02
◇カタナンケさん

おはようございます。
パス・・・・
お気持ち、よおくわかります。
でもこの次は、元気なソロをアップできそうですよ。
けがにも負けず、ソロはたくましいです!
2014年11月13日 06:11
◇きままなカノンさん

おはようございます。
正面を向いている写真、なんとも言えない気持ちにさせられます。いたたまれない思いでいっぱいになってしまうのは、ソロの目が誰も恨んでいないからです。誰も責めない。そのまっすぐな眼差しは、ただ「なぜ」という問いとともに私の胸に突き刺さってくるのです。もちろん、ソロが問うているのではありません。加害者である人間の一人として感じる罪の意識が、その問いを突き付けてくるのです。
幸い、傷はだんだん癒え先日も元気な姿で庭にやってきました。これから迎える長い冬、ハンデキキャップのあるソロにとっては大きな試練となるでしょう。

リコーダー演奏をお聴きくださいましてありがとうございます。
これからもお楽しみいただけたら幸いです!(^^)!

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