「塔」をめぐる会話



「朗読とリコーダーによる『塔の物語』」をめぐってこんなメールやりとりがありました。

Sさんから私(aosta)、私(aost)からSさんへ。
双方とも、あくまで私信のつもりで書いたものですから、
(特に私のメールは)思いつくままの反射的といっていい内容ですが、いただいたメールには
心に響く言葉がいくつもありました。





Sさん → aosta

塔への憧れはどこから来るのでしょうね。
幾つもの塔の映像が、先日来、記憶をかすめています。

こちらはその一つ。Bernd and Hilla Becherの給水塔
http://photography-now.net/bernd_and_hilla_becher/portfolio1.html


これも一つの物語のように感じられます。





画像

蔦が絡む燕市給水塔の入り口




画像

給水塔内部


                                            ※画像は燕市HPからお借りいたしました






aosta → Sさん

おはようございます。
塔、といって真っ先に思い浮かべるものの一つに「バベルの塔」がありますね。
この塔が高みへの憧れであり、欲望であるならば、崩壊もまたその運命かもしれません。
ご紹介いただいた画像は給水塔なのですね。
水と塔、この二つの言葉には何かしら親和性を感じます。

アルバム後半の写真でフリッツ・ラングのモノクロ、サイレント映画「メトロポリス」を連想いたしました。
大昔の石と煉瓦で作られたものと違い、鉄とコンクリートで作られた塔には、より強力な力(目的)を感じます。
蔦に覆われた塔、錆びついてなお空を目指す無数の直線。
時間の経過とともに塔が当初の目的から離れて、より謎めいて魅力的になっていくのは、
そこに物語があるからだと思います






Sさん → aosta

お早うございます。素敵なお話しを、いつもありがとうございます。
お話しを伺って、また、多くの記憶や想いが蘇りました。

私もブリューゲルに魅せられ憧れてきました。
学生の折にはウィーン美術史美術館を訪れました。
ウィーンに滞在中、2度その部屋を訪れましたが覚えているのは、薄暗くなり始めた閉館間際の印象です。
絵の暗がりの中から、じっと見つめられるようなものを感じ、目を細めて凝視すると、
今度は心臓の拍動によって絵がざわめいている。そんな印象です。

もう一つの私の塔の原点は、燕市の給水塔。
そこには、一本の太い蔦に抱かれた古い給水塔がありました。

昭和16年に建設され、昭和44年にその役割を終えた後、その塔は蔦と共にありました。
蔦は塔の四季を彩りながら丈を伸ばし、塔はその蔦を受け入れ支えました。
いつしか蔦は大人が両の手で掴めない程に成長しましたが、
塔の表面は剥離し角を落とし形を変えていきました。私がその塔に出会ったのは、
塔と蔦とがそうした共生の時を経た頃でした。もう、四半世紀も前のことです。

数年前のこと。
幾度かの地震で老朽化が進んだ塔を保存するのか、あるいは解体するのか、
長年の議論に終止符が打たれ、塔は国の文化財として保存されることになりました。
そうして改修と補強がなされ建設当時の姿に復元された塔。
しかしそこには、もう蔦はありません。

人から与えられた目的から離れてもなお、そこに自立し続ける塔に、人が物語を想起する。
不思議なものですね。

今日はこれから運動会なんです。場所取りの行列で、お手紙を書いています。






画像

ピーテル・ブリューゲル 「バベルの塔 」 1563年 
114×155cm ウィーン美術史美術館




画像

ピーテル・ブリューゲル 「バベルの塔」1563年
60x74.5cm  ロッテルダム ボイマンス=ファン・ブーニンゲン美術館




     ブリューゲルは生涯において3枚の「バベルの塔」を描いているが現存しているのはこの2枚。
     いずれも建設途上の塔を描いている。
     1536年の作品においては、あたかも塔の建設と崩壊が同時に進行しているような不安がある。
     翌年1536年に描かれたものは、前作より建設が進んだ段階が描かれている。
     ウィーンのものに比べると半分にも満たない大きさではあるが、筆致は非常に精緻である。
     塔の上の雲は、より不穏な色を帯びている。
     完成が近づくにつれ、塔は人格を獲得していったのだろうか。
     主人公は人間ではなく、まさに「塔」そのものなのだ。










aosta → Sさん

素敵なメッセージをありがとうございました。
すぐにでもお返事を差し上げたかったのですが、急いで返信するにはもったいないような気がして、
しばらく文章を反芻しておりました。
ブリューゲルの「バベルの塔」、本物をご覧になられたんですね!
絵の中からじっと見詰められているような感覚、心臓の拍動とともに絵がざわめく感じ・・・・
いずれも生々しいまでの臨場感は本物ならではの迫力なのだと思います。

燕市の給水塔のお話、すでにひとつの「ものがたり」として読ませていただきました。
塔が蔦を受け入れ、支えるという感覚、塔と蔦との共生の状況が、デジャヴのように私の脳裏に浮かびます。
改修によって永らえたとは言え、蔦という半身を失った塔は、むしろ痛々しく思えてなりません。

「人から与えられた目的から離れてもなお、そこに自立し続ける塔」。
「塔」は「塔」足ることで自己完結している稀有な建物、といってしまうのは
あまりにも感情移入が過ぎるかもしれませんが、私が「塔」に惹かれる理由はまさにそこにあります。
目的は後から与えられるものであり、塔を建てるという行為自体に、
何か原初的な感情の発露があるのではないかとも思うのです。
ここで最初のブリューゲルに話が戻るのですが、「何かに見られている感覚」とは、
何者かの気配のようなもの、と言いかえることもできるかもしれませんね。
確かに私たちを魅了する塔には「人格」があります。
私たちが塔を見るとき、塔もまた私たちを見ている。双方向の視線が重なるとき、物語は必然。
ああ、これは完全に私の妄想ですが(笑)

運動会、盛会だったようで何よりでした。
今日は朝から薄曇り。
今まで庭でホスタの植え替えをしていました。
まず雑草取り(スギナがすごい!)から始めて、植え穴を掘ったのですが、
掘れば掘るほど大きな石がごろごろ出てきて大変な力作業となりました。
格闘の末、なんとか三株のホスタを移植したものの、青息吐息の私は、半死半生の状態。
思わず冷蔵庫から取り出したビールで、なんとか生き返りました。





Sさん → aosta

双方向の視線が重なる時。
また頭の深いところで、何か動き始めたようです。沢山の素敵な言葉をありがとうございます。

我が家のギボウシも、元気に葉を広げています。来春にはまた株分けをすることにします。
これから梅雨の季節に向けて、ギボウシやアガパンサスなどの花芽が伸びてくることでしょう。
早春の花々とはまた異なる趣が、次の楽しみですね。

塔の物語。遠い空からですけれども応援しております。
きっと素敵な会となりますように。





aosta → Sさん

ここ数日で一気に気温が上がり,庭仕事をしていても汗だくになるほどです。

「塔の物語」準備も佳境にはいり、わくわくどきどきしています。
メッセージでやり取りさせていただきましたそれぞれの「塔の物語」、特に燕市の「給水塔のものがたり」は、
私にとってとても興味深くまた刺激的なお話でした。
実は勝手なお願いなのですが、お許しいただけるなら、拙ブログで、このやりとりをアップさせていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか?
きっと関心と共感をもって読んでくださる方がいらっしゃるのではないかと思います。

もちろん公開を想定していないプライベートな文章ですから、お名前は出さないようにします。
ただ、メールのやりとり、という形はそのまま生かしたいと思っています。
なによりSさんのお考えを第一にしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。





Sさん → aosta

今週は暑く蒸し暑い日が続いています。
我が家のジューンベリーとマルベリーは収穫の最盛期。
毎朝、家内と2人でせっせと楽しんでいます。

さて、私の個人的な物語ではありますが、何かのきっかけとなり、
また新しい物語へと断片としてでも繋がって行くのでしたら、私も嬉しいです。
私の拙い文章で宜しければそのままでも結構ですし、モチーフやメタファーとして、
aostaさんが料理してくださっても結構です。^ ^
ただ私自身は表に立つことが苦手なものですから、実名は伏せて頂くことを希望します。

出張先の電車の中で。


S




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この記事へのコメント

HT
2014年05月30日 22:11
こんばんは。
遅くなってしまって申し訳ございません。
メールでこんな素敵な会話をされているのですねぇ。私は私的にはあまりメールを使うことがありません。以前は子供とのやり取りもありましたが、いつの間にか電話に変わってしまいました。携帯のメールは打つのに時間がかかってあまり好きではないです。こんなお話を出来るなんて素敵ですね。文章ですから素敵な言葉もありますよね。
しっぽ
2014年05月30日 23:21
給水塔のお写真 すごく感激しました。

バベルの塔というと 神が怒られてお互いに言葉がわからなくなったという
あの話のほうが先に頭にはいって 塔のことは忘れていました。。。
言語というものの不思議と人間のコミュニケーションという問題をおもう時
いつもバベルの塔のことを思います。

二枚とも同じ年に描かれたのでしょうか。
一枚目は人間の一生懸命さ、たとえそれが不幸に結びついても・・・
二枚目はまさに人間の不遜・傲岸をあらわしているように見えます。
散逸した残る一枚はどんなバベルだったのでしょう。

でも私のイメージする塔は 
お姫様が幽閉される塔なんです。
いばら姫も確か塔?

屋根裏とか 屋根の上のなんとか とか
やっぱり高いところがいいんですね。
2014年05月31日 05:37
◇HTさん

おはようございます。
私も基本的にはメールより電話の方が好きです。
ただメールの場合ですと、同じ「思いつき」でも電話より客観的にな目線が入るような気がします。書き終われば、送信するまえに一応でも読み返します。つまり、一度立ち止まって確認できるということは、メールの利点ですね。
こうして時系列的に並べてみると、またちがった流れが見えてくるような気もします。
2014年05月31日 06:12
◇しっぽさん

しっぽさんが、激された写真は、Sさんがメール添付してくださったBernd and Hilla Becherの写真集にある給水塔ですか?それとも燕市の給水塔の方かしら・・・・

勝手に燕市の給水塔だとするなら、私もこの2枚の写真が大好きです。最初の紅葉した蔦が絡む給水塔の出入り口、何やらいわくありげで雰囲気があります。でももう一枚の塔の内部を撮った白黒の写真、これは雰囲気というより、ちょっと怖いような感じ。右手に移っている大きなバルヴ。水を流したり、止めたりするためのものなのでしょう。
それから木製らしき階段。明り取りの小さな窓。水を管理するため、かつては常駐していたかもしれない人間の長い長い不在。う~む。マニア(笑)としては二重丸の「塔」であります(;^ω^)

神に近づこう、神を超えようとした人間の傲慢を象徴する「バベルの塔」の物語。
そこに「言葉」が登場する・・・・
聖書には、一つの言語で結ばれていた人間が、その傲慢さゆえに神の怒りをかい、言葉を乱されて世界に散っていった経緯が記されていますが、バベルの塔が崩壊した、という記述はありません。それなのになぜか「バベルの塔」と崩壊のイメージはセットになっています。これって、無意識が塔の崩壊することを期待しているということになるのかしら。ブリューゲルが描いた「バベルの塔」どちらも「塔」は圧倒的な存在感で見るものを圧倒します。特に2枚目の小さいほうの作品など、じっと見つめているお絵の中に吸い込まれて行ってしまいそうな吸引力を感じます。塔の中で一心に働いている人々と一緒になって、永遠に完成することのない塔のために煉瓦を摘んでいる自分が見えるような気がします。怖い絵です。

2014年05月31日 06:21

◇しっぽさん

長くなりましたので二つに分けますね。

「塔」についての話だったら、エンドレスでいつまでも続けられそうです。
ふふふ、しっぽさんが参戦してくださったら、ブログの記事にできますよ(笑)!
題して、”もうひとつの「塔をめぐる会話”!(^^)!


「お姫様が幽閉される塔」
そうそう、私も大好き!いばら姫でが、老婆が紡ぎ車を廻していたのは、塔の一番上の小さな部屋でした。いばら姫で興味があるのは、お姫様が眠ってしまったあと、茨のつるがどんどん伸びてお城全体を覆ってしまうこと。蔦に覆われた給水塔のイメージにもつながります。植物によって隠され、護られている塔、でしょうか。
昨今はやりの「心理学的解釈」で説明してしまうのはつまらないです。
物語は説明ではないんですもの。

屋根裏もいいですよね~。
あの不思議な空間、ワクワクします。
「塔の物語」の続編「屋根裏部屋の物語」という展開もあり、ですね!
2014年05月31日 22:30
塔には不思議な魅力がありますよね。「朗読とリコーダーによる『塔の物語』」の企画は、参加できる方たちが羨ましいと思いました。この冬に帰国していたとき、チェンバロを運び込んでミニコンサートをする銀座のバーの企画に誘われたのですが、貧しい私には厳しい参加費だし、音響が悪い店なので私は耐えられないだろう、と拒否。先日の記事で教えていただいたクラヴィコードだったら、無理をしても行ったと思いますが。

改造を重ねた中世の城の民家の庭でフランス人たちと食事をしながら、「シャトー(城)の定義って何だろうね?」という話しになったことがありました。この家のように塔がなくなった建物は「お屋敷」で、「城」とは感じないからでした。逆に、そびえたつ主塔だけが残っている中世の城なら、それだけで城だと感じる…。でも、シャトー・ド・ヴェルサイユ(日本ではヴェルサイユ宮殿と呼ばれて、城の文字はない)には塔はないけれど、シャトー。給水塔は、仏語ではシャトー・ドー(文字通り訳せば「水の城」)なので、やはり「塔=シャトー」なのではないか? 等々…。

燕市の給水塔は、ツタがなくなったのが余りにも残念だと思いました…。

完成間近の東京スカイツリーが人気を呼んでいると聞いたときは、高さを誇示する塔だと不快感を覚え、バベルの塔を連想しました。それから帰国して間もなく聞いたのは、東日本大震災のニュース。バベルの塔を再び思い出しました。津波の恐ろしさではなくて、人災の方での想起です。

イタリアのサン・ジミニャーノは、富を誇示するために建てられた高い塔が林立していて、まさにバベルの塔を思わせますが、教会の鐘楼が高さを競っているように見える美しい景観になっています。気がつけば、なぜか鐘楼は、日本語でも仏語でも「塔」という文字を使わない。私にとって、鐘楼は「塔」で、入り込んで登るのが好きなのですけど...。
2014年06月01日 11:32
こんにちは。久しぶりに、お伺いいたしました。
興味深く読ませていただきました。
自称(笑)窓ウォッチャーの私にも
印象深い「給水塔・配水塔」があります。
「水戸市低区配水塔」(茨城県・昭和7年)は
その中でも一番です^^
「給水塔・配水塔の窓」として私のHPにあります。
ぜひ、お越しください^^
2014年06月02日 16:15
◇Otiumさん

コメントありがとうございます。
朗読とリコーダーによる「塔の物語」、昨日無事終了いたしました。
会場には細いアルミニウム線を使った塔のモチーフ、様々な大きさの石をランダムに天井からつるしたオブジェなど、コンサートのための演出がなされていました。
あたかも塔の内部に迷い込んだかのような雰囲気の中、半音階を多用するジェズアルドのマドリガーレ、幻惑するような不協和音に満ちたマショーのミサ曲の演奏と、ミステリアスな物語が混然と一体化した素敵なコンサートになりました。
Otiumさんがお近くでしたらっ是非にもおいでいただきましたのに残念です。

>シャトー・ド・ヴェルサイユには塔はないけれど、シャトー。
 給水塔は、仏語では文字通りの「水の塔」でシャトー・ドー。

フランス人の方でも”シャトー”の定義があいまい、というところが面白いです。

スカイツリーと東京タワーをくらべるとすれば、私は断然東京タワーの方が美しいと思いますが、考えてみれば東京タワーだって、電波塔という目的以外にも何らかの力を誇示するものであったと思いますし、エッフェル塔にしてもパリ万博においてフランスの国力を象徴する建物として建てられたことを思うと、「塔」には権力の誇示という目的は外せないのかもしれませんね。スカイツリーにバベルの塔を重ねられたOtiumさんに、私も深く賛同します。同じ目的で建てられた東京タワーとスカイツリーですが、東京タワーの方を美しいと感じるのは、時間によって権力の生々しさが希薄になっていったからかもしれません。スカイツリーは、まだ権力の匂いがむんむんしています(;^ω^)
2014年06月02日 22:33
◇Otiumさん 続きです。

同じ「鐘楼」でも欧米のそれは町並みの中でもひときわ目立つ高さと存在感を持っているように感じます。その意味では確かに「塔」であり、「鐘塔」という言い方の方が正しいような気がします。
一方、日本のお寺にある鐘楼は、どう考えてみても塔ではありませんね。いうなればあれは鐘をつるすための「櫓・やぐら」だと思うのですが・・・・。
2014年06月02日 22:58
◇太郎さん

コメントありがとうございます。
「配水塔」という言い方は初めてですが、給水塔と同じと考えていいのでしょうか?
「給水塔・配水塔の窓」というのも、確かに魅力的ですね(^^♪
Sさんから給水塔の話を伺って、私もいくつか給水塔の画像を探してみました。
いずれも作られた年代がかなり昔で、現在は使われていないものが多いんですね。ずんぐりとして頭でっかちの不思議な形をしたものもあって、興味を惹かれます。
そしてやっぱり「窓」ですよね(^^♪
特に現在は使われていない建物の窓には、塔と同じく「視線の気配」のようなものを感じます。水戸市の配水塔、見せていただきたいです。

2014年06月04日 01:56
お返事を読んで気がついたのですが、「鐘楼」という言葉は日本の寺からできた言葉なのでしょうね。「鐘塔」と呼ぶ方が相応しいと感心したのですが、フランスでは町の権威を示すための鐘を取り付けた塔としてBeffroi(英語ではBelfryらしい)があって、こちらの訳語は「鐘塔」となっていました。塔に関する文化は日本とヨーロッパでは違うので、言葉で置き換えることはできないのだろうと思いました。

車のナビゲーターがない時代、助手席に座ったときには地図を開いて方向を指示する役割を担わされていたのですが、「学校で地図の読み方を習わなかったの?」と叱られていました。曲がるべき地点が、教会の手前か後かで把握するのが「基本中の基本!」なのだそう。確かに教会の周りに集落ができていて、教会には高い塔があるから目印になる。思い出せば、日本の地図にもお寺マークがありましたけど、寺の鐘楼は遠くから見えるものではないので、それを目印にして運転することはないと思うのですけど…。URLに入れたのは、それを書いたブログです。

aostaさんもスカイツリーを美しいとは感じないと聞いて安心しました。東京タワーは現代建築で、19世紀の技術で成し遂げたエッフェル塔ほどには美しくないと私は思うのですが(エッフェル塔が夜のサーチライトの照明がレースのように見えるのが好き)。エッフェル塔が建てられることになった当時は、パリの景観を壊すとして猛烈な反対があったというのは理解できます。パリ万博の後には取り壊す予定で建てたので、そのまま残そうということになったときには膨大な費用をかけて補修工事が行われたのだそう。美しくないとして嫌われた塔が、今ではパリの象徴になっているのは面白いです。

塔にまつわるお話しには際限がないですね…。コンサートでは、会場の演出もあったとのこと。さぞ素敵なひと時だったでしょうね…(ため息)。
2014年06月05日 09:18
◇Otiumさん

おはようございます。
毎回、フランスとの時差はどのくらいかなと思いつつ、勝手にご挨拶しております(*^^)v 昔パリから実家にコレクトコールした時の記憶しかありませんが、8時間?9時間くらいかな?
鐘楼はやっぱりお寺のイメージですが、そちらでは同じ鐘を鳴らすための塔でも、教会の場合は鐘楼、市庁舎など権威の象徴の場合は鐘塔という区別があるということには大いに納得させていただきました。

スカイツリーは観光スポットとして人気を集めているようです。
東京タワーを美しいと表現したのは、このスカイツリーと比べた場合のこと。どちらも建造物としては「塔」なのでしょうが、私の興味の対象とは異なったものです。ただ一度だけ、都内でタクシーに乗っていたとき、閑静な住宅街の一角で、忽然とオレンジ色に輝く東京タワーが出現したときの幻のような光景は忘れがたいものでした。あの一瞬の東京タワーは、確かに美しかったと思います。
真昼の日差しの中で、赤と白のだんだら模様に彩色された鉄塔は醜いとさえ感じているのですが( ;∀;)
2014年06月05日 11:44
◇otiumさん 続きです。

こうして東京タワーについて書ていたらと思い出しました(笑)!
今は亡き円谷監督の「モスラ」(笑)!!!
Otiumさんはご覧になられたかしら?
南海の孤島で神と崇められていたモスラが、連れ去られた妖精(?)を追って海を渡って、東京に現れるというあの映画です。懐かしき昭和(笑)!
芋虫の姿をしたモスラは東京タワーを破壊し、折れ曲がった鉄骨の中で糸を吐いて広大な繭を作りました。「ゴジラ」と並んで、水爆実験に対する強烈なメッセージを持ったこの映画は単なる怪獣映画にはとどまらないと思います。(もちろん、子供の頃はただ恐ろしいだけでしたが・笑)
それから戦前のアメリカ映画「キングコング」。
美女をさらってエンパイア・ステートビルによじ登るキング・コング。
巨大怪獣や、古代動物を登場させることで、権力の象徴である東京タワーやエンパイヤ・ステートビルに、一瞬ではありましたが、神話的な物語を付加することに成功した作品だったと思います。
どちらも「美女と野獣」という組合わせですが、「塔」には美女が不可欠なのかもしれません。「キング・コング」はユーゴーの「ノートルダムのせむし」を彷彿させるシチュエーションですね。

ずいぶん脱線してしまいましたが、塔にまつわるお話には、確かに際限がありません( ;∀;)
2014年06月05日 11:47
◇Otiumさん

またまた思いついたことがありました。
私、一つのことを考え始めるとかなりしつこく考えるタイプかもしれません(笑)

モスラのキングコングも「塔」の内部には入れません。
大きすぎる、というのが一番わかりやすい理由なのでしょうが、それだけではなく。
本当の理由はこれらの塔(東京タワー、エンパイヤ・ステートビル)には、「塔にあるべき物語」がないから、ではないでしょうか。中身がないから、外側を攻めるしかない。
考えるに、「塔の物語」には、暗闇と塔j自身の記憶が必要です。
東京タワーとエンパイヤ・ステートビルを「塔」と考えた場合、この二つの「塔」は外側も内側も白日の下にさらされ、物語の気配を必要とする空間も記憶もありません。物語を作り上げるためには、他所から持ってきたものを力づくでとってつけるしかない。やっつけの物語は、モスラやキングコングが悲しい最期を遂げるのと一緒にに消えてしまう。
これでは「塔のものがたり」になりません。

だからといって、あれらの映画を批判しているわけではないのです。
モスラは懐かしい映画です。機会があればもう一度見てみたいくらい。
「モスラ~や、モスラ~♪」ザ・ピーナツの歌も聞いてみたい。
ただ私にとっての「塔の物語」にはなり得ない、という意味です。


え~っと、もちろんこれも、「とってつけたような」私の思いつきですが(笑)
2014年06月08日 22:23
>毎回、フランスとの時差はどのくらいかなと思いつつ、勝手にご挨拶しております(*^^)v
⇒ 私の方もそれで始めるのが礼儀だと毎回思うのですが、日本時間はいつも頭に浮かぶので省略してしまっておりました。それが強く気になってきたときに言ってくださったので気が楽になりました(笑)。夏時間の今は、日本時間マイナス7時間です。

>ただ一度だけ、都内でタクシーに乗っていたとき、閑静な住宅街の一角で、忽然とオレンジ色に輝く東京タワーが出現したときの幻のような光景は忘れがたいものでした。あの一瞬の東京タワーは、確かに美しかったと思います。
⇒ 私も、パリのエッフェル塔が白いレースのように映し出される光景に感動したのが記憶に焼きついています。エッフェル塔に限らず、パリは夜景が美しいと思っています。フランスが芸術の国とかファッションの国とか言うのには現実にはギャップがありすぎると思っていますが、夜間照明のセンスは良いと感じます。

塔と聞いて「給水塔」は全く思い浮かんでいなかったので興味深かったのですが、「モジラ」と「キングコング」も飛び出しました♪

ストーリーを教えてくださって、そんなだったの驚きました。私の記憶の中では、小さな窓から頭を突っ込もうとしている怪獣が怖かったのが焼きついてしまっただけでした。その後に浴室に小さな四角い窓があるマンションに引っ越したら、お風呂に入るたびに怪獣が顔を覗かせてくる気がして、それでお風呂が嫌いになったのではないかという気がします。それで、日本の露天風呂がやたらに好き。それから、今のブルゴーニュの家では浴室の窓の高さが2メートルくらいあって外の木々が見えるので、その部屋が一番気に入っている気がします。

続きます...
2014年06月08日 22:26
>モスラのキングコングも「塔」の内部には入れません。
大きすぎる、というのが一番わかりやすい理由なのでしょうが、それだけではなく。本当の理由はこれらの塔(東京タワー、エンパイヤ・ステートビル)には、「塔にあるべき物語」がないから、ではないでしょうか。中身がないから、外側を攻めるしかない。

⇒ なるほど…。鋭いご指摘です!

「塔」には美女が不可欠というほかに、窓もありませんか?

塔にあるだけではありませんが、厚い石壁をくりぬいて窓を作り、そこにベンチができているのが、なぜかとても好きです。そんな窓の写真を入れて書いたブログをURLに入れます。

そういうベンチがあるのは中世の窓が小さい城のような建物なので、小さな窓恐怖症の私は住みたいとは思いませんが、閉じ込められた空間に光を差し込む窓というのは格別に嬉しく感じるのだろうと思います。
2014年06月09日 05:38
◇Otijmさん

>夏時間の今は、日本時間マイナス7時間です。

そうすると今そちらは夜の10時ころでしょうか。ただそのことを知っているだけでなんとなく安心しました。でもこれからのご挨拶はどうしましょう(笑)。

夜間照明、私は基本的に単色、それも発光ダイオードの青より白が好きです。
そう、エッフェル塔を白いレースのように浮かび上がらせたような・・・・
最近観光地のあちこちで町並みや建物、自然の風景に至るまでライトアップすることが流行っていますが、私はこのライトアップがどうにも苦手。緑や青、時には赤とどぎつい色の中では、対象がどんなに素晴らしいものであってもみな薄っぺらな映画の書割のような光景に見えてしまい、美しいとは感じられません。エッフェル塔や東京タワーのそれが単色の照明だからこそ夜景の中に調和しているからだと思います。
暗闇の中で、様々な角度から様々な色に照らし出される「名所旧跡」は、往々にして鳴物入りです。鳴り物は日中の方が賑やかですが、一方的な思い込みによる選曲(演歌だったり、はやりの歌だったり)も、あちこちでひらひらしている旗の行列も私はすごく苦手。旗もOtiumさんがブログで書かれていたような美しい旗ではなく、縦横を固定され、何やら大きな文字を染め抜いた、昔ながらの日本の旗。ほら、昔戦国時代の戦で、足軽たちが背中に差して戦かったような、あれと同じ旗です。
旗が美しいのは風にはためいているとき、と思うのですが、上下を固定されてしまった旗は、はためく自由を奪われているようです。
旗が美しいのはやっぱりヨーロッパ、それも中世ですね。
・・・・・?
いつの間にか旗の話になっている・・・・(;^ω^)
2014年06月09日 06:00
◇Otiumさん

話をもとに戻しましょう。

塔、そして窓!
もうひとつ、階段を付け加えて「塔の物語」は完成です(笑)
階段はもちろん螺旋階段でなければなりません(;^ω^)

窓は厚い石の壁をくりぬいた小さな窓、
それも鉄格子がはまっていてほしい。
明り取りの窓は壁の上の方の嵌め殺し。厚い石のベンチ! 

塔の窓で私が連想する物語のひとつに「青ひげ」があります。青ひげの正体を知ったお妃が、兄たちが助けに来るのを待ちながら立ち尽くしている窓辺の光景。
背後には青ひげ!兄たちの姿はまだ見えてこない!
この場面が、逃げ場のない塔が舞台だからこそ、緊張感も増幅されるのだと思います。

窓も階段も、塔と並んで私を引き付けます。
それだけでいくつもブログがかけてしまうでしょう。
添付していただいた記事、これから勇んで読ませていただきます!
2014年06月09日 21:17
>これからのご挨拶はどうしましょう(笑)。
⇒ コメントを開いてくださる時間もあるので、どんな挨拶でも良いのに、なぜ私は迷うの? と思ったりもしておりました(笑)。

>最近観光地のあちこちで町並みや建物、自然の風景に至るまでライトアップすることが流行っていますが、私はこのライトアップがどうにも苦手。

⇒ ライトアップは、私もシンプルな白だけが好きです。家に飾るクリスマスツリーも、色とりどりのランプがチカチカするのではなくて、白や青の光で統一した方が美しいと感じます。

ブルゴーニュにあるクリュニー修道院(ローマにサン・ピエトロ大聖堂ができるまではヨーロッパ最大規模だったのに、フランス革命で大破壊された修道院、などとaostaさんに説明する必要はない!)に残された建物に夜のイルミネーションをすることになったと騒がれたので見に行ったら、色とりどりの照明なので美しいとは思いませんでした。一緒に行ったクリュニー生まれの友達は、昔の栄光が戻ってきたかのように感激していましたけど。

>暗闇の中で、様々な角度から様々な色に照らし出される「名所旧跡」は、往々にして鳴物入りです。鳴り物は日中の方が賑やかですが、一方的な思い込みによる選曲(演歌だったり、はやりの歌だったり)も、あちこちでひらひらしている旗の行列も私はすごく苦手。

⇒ 地域活性化を狙って、大多数の人に受けるようにという企画なのでしょうけど、私は「鳴り物」は嫌いです。素朴にやって、それが好きな人たちだけに喜ばれるようにできないのか?… 本来の良さを発見をさせて感動させる企画にはできないのか?... と思ってしまう。最近行ったフランスのイベントでは、ディスコ風の音楽を聞かされるのが苦痛でした。日本では、演歌や流行歌になりますか…。日本は世界に誇れる長い歴史と文化がある国なのに…。

続きます。
2014年06月09日 21:33
>旗が美しいのはやっぱりヨーロッパ、それも中世ですね。

フランス人ではなくてブルゴーニュ人だと言う友人が、ブルゴーニュ公国の旗(URLに入れたページに画像を入れた旗)を見つけて庭にたてたのですが、朝市でよく売っているような化繊の旗。白地に聖アンデレ十字が赤く描かれているだけのデザインなので、見るたびに、ベージュ色の麻布にバツ印だけの聖アンデレ十字を赤い糸で刺繍したものを作ってあげたくなるのですが、実行していません。

>塔、そして窓!
もうひとつ、階段を付け加えて「塔の物語」は完成です(笑)

⇒ 確かに、階段がなければ塔にならない! 給水塔や灯台に「塔」として思い入れを持つのも、上る階段があるからでしょうね。

>階段はもちろん螺旋階段でなければなりません(;^ω^)

⇒ そうですね。こちらブルゴーニュでは「エスカルゴ式」と呼ばれる螺旋階段。教会の鐘楼を登るときも、グルグルまわて登るのが魅力なのだろうと思います。階段も大きなテーマですね。フランスやイタリアなどにある城では、階段の美しさにこだわるのが異質な文化だと感じています。

>窓は厚い石の壁をくりぬいた小さな窓、それも鉄格子がはまっていてほしい。

⇒ はぁ、鉄格子?… 牢獄にするか、泥棒除けでないと、鉄格子はつけないと思っていました。1階部分の窓に鉄格子がついている家を見ると、こういう家には住みたくないと思ってしまっています。昔の鉄細工は見事だとは思いますが、その家を手に入れたら取り外したくなるはずで、頑丈な鉄格子を取り外すのは大変だろう、と思ってしまうので。

「青ひげ」の話しは、フランス語を勉強するために聞いたテープで、お兄さんが助けに来てくれないのかをアンヌに繰り返し聞くフレーズが耳に残っています。あれも、塔に登って遠くを見るという状況でしたね。懐かしくなりました。
2014年06月10日 05:57
◇Otiumさん

何度もありがとうございます。

>白地に聖アンデレ十字が赤く描かれているだけのデザインなので、見るたびに、ベージュ色の麻布にバツ印だけの聖アンデレ十字を赤い糸で刺繍したものを作ってあげたくなるのですが

ぺらぺらした化繊と、光沢のあるリネンとでは見た目だけでなく手触りも量感も違うことと思います。手刺繍が施されたリネンの旗がへんぽんと風に翻る様子が、さぞ堂々とした風格があるのでしょうね。薄くて軽い化繊では、とても「堂々」とは行きません(笑)

>給水塔や灯台に「塔」として思い入れを持つのも、上る階段があるからでしょうね

階段を上る。階段を降りる。そして落下。
絵画や映画の中でも、階段は視覚的、心理的な効果を伴って現れますね。
たとえば・・・・ いけないいけない!これを始めたらきりがありません。

>フランスやイタリアなどにある城では、階段の美しさにこだわるのが異質な文化だと 感じています。

昔泊まったローマーのホテルにあった階段も、狛犬ならぬライオンが鎮座した壮麗なものでした。階段には「見せる」効果、演劇的な効果があることを感じます。階段へのこだわり、大いに興味がそそられます。
近いうちに今度は「階段」のテーマでブログを書かなくては!
それから「窓」これも私が大好きなテーマ。
やっぱりブログを書きたいです(*^^)v

窓の鉄格子については表現が適切ではありませんでした(;^ω^)
鉄格子ではなく、たとえば窓枠と言ったらちょっと違うかもしれませんが、例えるなら障子の桟(さん)にあたるものです。古くて厚く、ひずんだガラス窓と、鉄細工の「さん」。
これで私のイメージが少し伝わりましたでしょうか。
2014年06月11日 05:45
>階段を上る。階段を降りる。そして落下。

⇒ あら、「落下」って何でしょう?… 16世紀に建てられた農家を別荘として買った友達がいるのですが(退職したら住む家として修復中)、階段が螺旋ではないのが私は気に入りません。幅の広い立派な石の階段がご自慢なのですが、それを上り下りするたびに、足を踏みはずしたら大怪我をすると思って緊張しています。

>階段には「見せる」効果、演劇的な効果があることを感じます。

⇒ 「演劇的な効果」というのが言いあてていますね…。高い塔をつくることを競い合ったのと同様に、階段の美しさを競い合った…。やはり、上り下りには特別な意味があるのだろうと思いした。

窓の鉄格子とは?…

>例えるなら障子の桟(さん)にあたるものです。

⇒ そう聞いて、私が妙に好きなラテン十字があるゴシック様式の窓かと思ったのですが、この窓枠は石でできているのが私の記憶には刻まれているので、鉄格子のイメージにはならない…。

>鉄格子ではなく、たとえば窓枠と言ったらちょっと違うかもしれませんが、例えるなら障子の桟(さん)にあたるものです。古くて厚く、ひずんだガラス窓と、鉄細工の「さん」。

⇒ 大きなガラスを作れなかった時代、小さなガラスを埋め込んだ窓のことでしょうか? 教会のステンドグラスは鉄ではなくて鉛でつぎ合わされていると思っているのですが、ステンドガラスのようなモチーフの細工をする必要でなかったら鉄なのかもしれない。ともかく、確かに、そういう小さなガラスがうまった塔の窓は鉄格子にも見えますね…。発見です。
2014年06月12日 20:06
◇Otiumさん

お返事が遅くなってしまい、申し訳ありませんでしたm(__)m

階段と落下のイメージ。
何の脈絡もなく、唐突に「落下」と聞けばOtiumさんならずとも、面喰いますよね(;^ω^) 失礼いたしました。
階段から落ちる、というより、いつからなのかは自分でもわからないのですが、塔の高みと落下のイメージは、私の中で一つになっています。これはきわめて個人的なイメージの展開だと思われますので、説明するのは難しいのですが、塔(階段)を昇り切ったら、その次には降りるしかありません。階段を上り、また降りるという行為が日常としたら、「落下」は非日常の世界です。私は塔や階段に非日常を見たいのです。
たとえば、「不思議の国のアリス」がウサギを追いかけているうちにウサギ穴に落ち、それまで彼女が知っていた世界とは全く別の世界へと「落ちて」行きます。私にとって「塔」は異界への入り口です。アリスが落下によって、それまでとは違う世界にたどり着いたことを思えば、「落下」は「塔」と同じく”こことあそこ”をつなぐ通路のようなものと私は感じています。位相のことなる二つの場所をつないでいるという意味において、私には塔と階段は限りない近似値にあるものです。落下という非日常の手段によってしか、たどり着くことのできない世界こそが、私にとっての「ものがたり」なのです。
「落下」のイメージ、伝わりましたかしら?
2014年06月13日 09:45
◇Otiumさん

それから「鉄格子」でしたね。
これにつきましては、ただただ私の表現力のなさ。
Otiumさんを混乱させてしまいごめんなさい。鉄ではなく鉛なのですね!
Otiumさんがお好きだとおっしゃる、ラテン十字のあるゴシックのイメージに近いかもしれません。前回のコメントで言及した「窓」につきましては、私の認識不足で、いわゆる「塔」の窓にはガラスは嵌っていませんよね。誤解を招きやすい「鉄格子」という言い方は撤回させてくださいm(__)m

蛇足ですが・・・・夕食の際、いただいたワインが少しばかり過ぎたようです。
思考力が低下? いえ思考力が迷走状態(笑)?
いえ、むしろ、いうところの「ランナーズ・ハイ」の状態かもしれません。
独りよがりな言いたい放題、お許しのほど。
2014年06月13日 13:56
>「落下」は非日常の世界です。

私が夜にうなされるときは、たいてい落下する自分なのです。飛行機でエアポケットを体験しすぎたからなのかもしれません。むかしはヨーロッパ線に乗ると、必ず1回は急降下があったように思うのですが、最近は全くなくなってしまいました。あるいは、ふんわり落ちると思ったら骨盤骨折した時にできた、落下=死のイメージなのかな?…

>階段を上り、また降りるという行為が日常としたら、「落下」は非日常の世界です。

日常を飛び出す。確かに、圧迫感がある塔の中と、その外の差は大きいですね。でも、塔からの入口まで下りて、外に歩いて出ることができる、なんて考えるのはロマンチックではないですね…。aostaさんにとっての塔は、そこに閉じ込められているというイメージなのでしょうね。

考えてみれば、中世の城にあるドンジョンと呼ぶ主塔は、遠くを見晴らせる利点があるだけではなくて、戦争時に立てこもることができるように建てられていたのでした。そこに誰かを幽閉するにも適している…。

「不思議の国のアリス」は読んでいないのですが、別世界に「落ちて」いくのですね。私の子どものころの大切な空想に、別世界に彷徨いこむというのがあったのですが、水平に歩いていって入って行く世界でした。家の近所に、廃墟になった西洋館がある敷地があって、それが子ども時代にはとてつもなく広く感じたので、そうなったのかもしれません。庭園のどこかに別世界に通じる場所があって、そこに私は入って、何が見えたかという空想でした。

おしゃる「落下」のイメージ、とても興味深いです。別世界に入水平方向から入って行くというのは変な発想かもしれませんが、空に登るというのはよくあるパターンなので、逆に落ちるというのは意外でした。aostaさんには色々な発見をさせていただくので感謝しています。
2014年06月13日 20:17
◇Otiumさん

私の「ランナーズ・ハイ」にお付き合いくださいまして、ありがとうございます(;^ω^)
人って落下に対する本能的な恐怖があるんでしょうか。
何者かに追いかけられる夢と並んで、落下する夢は怖い夢の代表格のようですね。
私のイメージする「落下」はそれまでとは異なった世界に着地するという意味で、そこなしの落下とはちょっと違うようです。

>aostaさんにとっての塔は、そこに閉じ込められているというイメージなのでしょうね

はっきり閉じ込められている、と断定はできないのですが、やはり閉ざされたイメージはありますね。閉ざされた塔と外界をつなげるものが窓です。私が塔をイメージするとき、必ずと言っていいほど、塔の中から、もしくは塔そのものから、「見られている」という感覚がつきまといます。そしてこの「見る、見られる」の構図は、窓を中心線と考えると対称の関係になるように思います。窓を介することで「見ることは見られること」になる。もちろんこれは手前勝手なこじつけですが(笑)
2014年06月13日 20:19
◇Otiumさん 続きです

>庭園のどこかに別世界に通じる場所があって

これはもう私の憧れです!
異界(別世界)へと通じているのは、塔だけではありません。
庭園もまた別世界へと通じる通路の一つであると確信します(断言!!!)
たった今、「庭園」と「落下」がテーマの小説があったことを思い出しました。
URL添付いたしましたので、ご覧いただければ嬉しいです。

別世界へと私たちを導いてくれる庭は、打ち捨てられ、忘れられている庭、すなわち「廃園」こそが相応しいと思います。Otiumさんの思い出の中にある「廃墟になった西洋館がある敷地」は、まさにそうしたイメーイです。そんな素敵な場所が近くにあったなんて、素晴らしすぎます!なんて羨ましい! ああ、そんな場所があったら、一日中その庭に座って空想の世界に浸っていられるのに!
2014年06月18日 13:06
>私のイメージする「落下」はそれまでとは異なった世界に着地するという意味で、そこなしの落下とはちょっと違うようです。

やはり着地があるのですね。ブログの記事からaostaさんの世界を垣間見ているので、普通の人が思い抱く落下とは違うイメージをもたれているのだろうとは思っていました。

>塔そのものから、「見られている」という感覚がつきまといます。そしてこの「見る、見られる」の構図は、窓を中心線と考えると対称の関係になるように思います。
⇒ ジャン・ポール・サルトルの戯曲『出口なし』を思い浮かべてしまったのですが、それとは違って、塔と人間の関係なのだろうと思います。aostaさんが注目されるのは窓であって、鏡ではないのだし。

>Otiumさんの思い出の中にある「廃墟になった西洋館がある敷地」は、まさにそうしたイメーイです。そんな素敵な場所が近くにあったなんて、素晴らしすぎます!なんて羨ましい!

aostaさんの素敵なお家やお庭を垣間見ていると、たまたま彷徨いこんだ人は、私の子ども時代にあった廃墟のある庭園と同じ感覚を得るのではないかと思っていました。

私の子ども時代の空想の空間は、東京の新宿区にあったのです。今の東京に住む子供たちには、こういう空間はなくなっていますから可愛そうだと思います。aostaさんが子ども時代にフランス窓に思いをはせたように、子どものときには夢想できる空間が必要です。ずっと前のことですが、日本の新興住宅に住む男の子がクラスメートを殺害した残虐なニュースを聞いとき、この子の心境を想像したら、許せない行為をしたと攻めることはできないと思いました。親の方は機能的な家屋で恵まれた暮らしができると喜ぶ環境でしょうけれど、子どもにとっては殺伐とした環境でしかないはずなので。
2014年06月18日 13:10
ウエルズの『白壁の緑の扉』についての記事は読んでいなかったので、リンクを入れてくださったことに感謝です! aostaさんのブログの中で私が好きな、ずしんと来るお話しでした。窓、扉…。「フランス窓」はこの両方を備えているので、この窓ドアをaostaさんがお好きな気持ちが理解できる気がしました。

リンクされた記事についての文章がコメントに入っていたように思っていたのですが、勘違いだったかしら?… すぐにコメントを入れようと思ったのに日がたってしまったので、記憶があいまいです。
2014年06月19日 21:07

◇Otiumさん

お返事が遅くなりましてもうしわけありません。
そこなしの落下は怖いですね。
着地があって、そこから新しい物語(世界)が始まるからこその落下であって、永遠に落下し続けるというイメージは怖すぎます。

サルトルの名前は久しぶりです。懐かしい! 私が高校生の頃はサルトルやボーヴォワールについて熱く語ったものでした。

私にとって、鏡」は「窓」とは違う意味で、違う世界への入り口のひとつです。鏡に映った自分をじっと見ていると、鏡の中の虚像が、確かな実態をもってこちらを見つめ返してくるような不安に襲われることがありませんか。
合わせ鏡の中に出現する無限回廊にも、眩暈がしてくるような不安を覚えます。鏡の中の世界はなんだか怖そうです(笑)

>aostaさんの素敵なお家やお庭を垣間見ていると、たまたま彷徨いこんだ人は、私の子ども時代にあった廃墟のある庭園と同じ感覚を得るのではないかと思っていました。

そんなお庭だったらうれしいのですが、日当たりが良すぎて、どこか違う世界への通路が隠されているような謎めいた雰囲気はないのが残念です(;^ω^) 明るい日光が好きな植物たちには居心地がいい庭だと思いますが、最近はシェードに惹かれます。木漏れ日の下で風にそよぐ可憐な草花を見たいので、最近は日陰にばかり目が行って、せっせと木陰が好きな植物を増やしています。
2014年06月19日 21:26

機能的一点張りの家は、もしかしたら日陰のない庭に似ているかもしれませんね。
想像したり空想するためには日陰(暗がり)が必要だと思います。
機能優先の家にはこうした日陰に該当する場所が少ないのではないでしょうか。
私は階段の下とか、納戸などに一人でじっとしているのが好きな子供でした。何か足りないものを、想像で補う楽しみ、部屋の隅っこで独り遊びする楽しみは、明るく清潔な真四角の部屋では育ちにくいのではないかしら。
今の家はそうした空間がみな、収納のためのスペースとして最大限活用されています。日本の住宅事情を考えれば、いたしかたないのかもしれませんが、人間関係においても完全な核家族化、近隣とのコミュニケーションの断絶といった生活の在り方が、子供たちの心に少なからぬ影響を与えているのかもしれませんね。

「白壁の緑の扉」、お気に召されたようで嬉しいです。

>リンクされた記事についての文章がコメントに入っていたように思っていたのですが、勘違いだったかしら?… 

Otiumさんからいただいたコメントへのお返事の中で、「白壁の緑の扉」について、私が何か書いていた、ということかしら?
今読み返してみると、リンクしたという事実だけしか書いていませんね。
でももしかしたら、私がお返事を書きなおしたという可能性もあります。いったん公開したあとでも、読み直して気になるところがあると、手直ししたくなるという悪い癖があります。文章の切れる一とか、ちょっとした言い回しといった些細なことなのですが、気になると、どうしても気になる・・・・ で、いったん削除して書きなおすと、最初に書いた文章と同じには書けません。Otiumさんがお読みになられた後、何か気になる部分があって書き直したのかしら? 私の記憶もあいまいで申し訳ありません。

しっぽ
2014年06月19日 22:27
お二人様 すごい会話が交わされているのを とんと気づきませなんだ!多忙とパソコンのストライキが主な理由です。残念!かみたかった!今漸くスマホでこうして 遅かりし由良之助をかこっております。

移動の楽しみが増えました。まずじっくり拝読させてくださいませ。
わあいわあいヾ(≧∇≦)( ^_^)(*´∀`)(´▽`)ノ(▼∀▼)(^_-)
しっぽ
2014年06月19日 22:32
大事なこと!

私もスカイツリーを美しいなどとはおもいません。初めてこの欄で同じ感覚の方々にあいました!わ~い

2014年06月19日 22:56
◇しっぽさん

わぁ~い!コメントありがとうございます\(^o^)/
Otiumさんとふたりで行ったり来たりしながら、しっぽさんいらっしゃらないかなぁとずっと思っていたんですよ!
これからの参戦、熱烈歓迎!!!! すごいなぁ、うれしいなぁ。
2014年06月19日 22:58
◇しっぽさん

>私もスカイツリーを美しいなどとはおもいません。

ふふふ♪
これで少なくとも3人は共通の感性の持ち主であることが判明いたしました。
再訪お待ちしております!
2014年06月20日 06:13
>サルトルの名前は久しぶりです。懐かしい!

⇒ 私が専攻したテーマだったからといって、サルトルなんかを持ち出したらご気分を害されるかと懸念しておりましたので安心しました。

>そんなお庭だったらうれしいのですが、日当たりが良すぎて、どこか違う世界への通路が隠されているような謎めいた雰囲気はないのが残念です(;^ω^) 

⇒ そうなんですか。光と影が同居するお庭を連想していました。でも、植物は太陽の光が必要なのが大半なので、元気に育っているでしょうね。

しっぽさんが「スカイツリーを美しいなどとはおもいません」と言われたことをとても嬉しく思いました。これが明るい日本の未来の象徴のように受け取られて人気があるようなので、違和感を感じる私が異常なのかと思ったりしていたのです。スカイツリー煎餅なるものをプレゼントされたのですが、大きな煎餅なので珍しいからと飾っておく気にもならないし、食べる気にもならなくて...。
しっぽ
2014年06月20日 09:26
スカイツリーを最初に見たのは 高速道路からです。
くもった空に灰色の、、、唐突に付きたっていました。
あれはなんじゃ? とぎょっとしたのがまず最初でした。

まず瞬間 大仏などのおつむりの擬宝珠?を連想しました。

あのデザインは高くするために究極の選択だったのか?
コンペだったとしたら残念なはなしです。
ここだからあえて申し上げるとすれば 醜い・・・

わあい いっちゃった!


東京タワーは美しいですね。きっと我々の世代のノスタルジアが
つまり物語が色濃く反映されているからでしょうね。パリのもそうなのでしょう。

初めてパリに着いた夜 商工会議所の集まりに義理で出て 解放されて出てきた時
仰ぎ見た下からの美しいエッフェル塔。それが個人的エッフェル塔です。

美の基準はじだいによって変わりますが
わたしも人生のどんづまりには スカイツリーが美しいと思うのか?
わかんないですね・・・・

塔のお話は順次伺わせてくださいね。
しっぽ
2014年06月20日 11:54
あ 大仏さんはラホツでした…螺髪!おもうにスカイツリーがもてはやされるのは ただ高いから!ではないでしょうか?美的かどうかは二の次…なかなか塔に行き着きません(▼∀▼)
2014年06月20日 21:01
◇Otiumさん

サルトルを専攻されたOtiumさんとは違い、熱く語ったとは言っても、読んでいなければ恥ずかしいような雰囲気の中、所詮頭でっかちの高校生のポーズだったと思いかえしています。その証拠に、今では何も思い出せません(/_;)

光と影が同居する庭、私の理想です。
今はまだ日向を7とすれば、日陰は3くらいでしょうか。ただ年々木が大きくなり、日陰の面積は確実に広くなっています。朝のうちは陽がある場所でも、太陽が高くなるにつれて、樹木の陰が伸びて気持ちよい木陰にになります。一昔前には日陰に憧れる、なんて考えもしませんでしたのに、不思議ですね。

スカイツリー煎餅。
いかにも、という感じがして笑ってしまいました。
幸か不幸か、私はまだお目にかかったことがございません。
最近の日本のお土産はどこで何を買っても同じ味がします。
エイジレスを封入することで、信じられないほど長い賞味期限が表示されているものは、食べたくないし、買おうという気持ちにもなれません。
2014年06月20日 21:20
◇しっぽさん

早速のコメント、ありがとうございます。

>ここだからあえて申し上げるとすれば 醜い・・・

スカイツリーが初めてお目見得となった際には、美しいという反応はなかったように思うのですが、皆さんのご記憶ではどうなんでしょう。ただ高いということだけが、かまびすしく喧伝されていていたよう////
「高い」という事実に、あとから「美しい」というイメージが付加されて、いつの間にか「スカイツリーは美しい」という認識が行き渡ってしまったような気がします。「みんなが「美しい」というからには、本当に美しいのだろう」と一方的にインプリンティングされているような気がします。

しっぽさん、pcの調子があまりよくありません。しっぽさんのコメントへのお返事は明日の朝、書かせていただきますので、もうしばらくお待ちください。
しっぽ
2014年06月20日 22:39
あすの朝を 楽しみにしています。
なにしろ遅れてきた文字通りのしっぽ。帰宅途中のMETROの中でようやく皆様の会話を一部始終読みおわりました。(。・∀・。)ノふぅ…

で 聖アンデレ十字って…なあに?
フリーメーソン?
これでも専攻はキリスト教美術です。ごめんなさい!
2014年06月21日 06:05
◇しっぽさん

おはようございます。
いまのところPC君のご機嫌はよさそうです(^-^;

スカイツリーは日本刀の持つ極限の美しさを再現したデザイン、という話を聞きましたが、私にはどうしてもスターウォーズでスカイウォーカーが振り回してたあのライトセーバーに見えてしまいます。 日本建築の「芯柱」の技術と最新の建築技術を駆使して建てられたというこのスカイツリーですが、耐震性はともかく、もっと美しさに拘ってもよかったのではないかと思います。「美しさ」はこうした建築の大切な要素だと思います。
調べてみたところでは、スカーツリーは某大学の学長に一任され、コンペではなかったようです。私には、むしろコンペがなかったことを奇異に思われます。こうした公共性の高い建築の場合、デザインコンペはあってしかるべきと思うのですが・・・・

私は、スカイツリーを見ると都庁ビルを思い出します。
私は威圧的なあのビルが苦手。新宿に近づいて高層ビル群の中から都庁が見えてくると、毎回ざわざわとした不安に襲われます。

>東京タワーは美しいですね。きっと我々の世代のノスタルジアがつまり物語が色濃く反映されているからでしょうね。

ノスタルジア、という言葉は東京タワーにピッタリですね。
私の場合、白日の下にさらされる時間帯(真昼)を除くという条件付きですが、東京タワーは美しいと思います(^^♪

>美の基準はじだいによって変わりますが
わたしも人生のどんづまりには スカイツリーが美しいと思うのか?
わかんないですね・・・・

そう。そこなんです。
スカイツリー「が」必要としている物語、もしくはスカイツリー「を」必要としている物語があるとするなら、それはどんな物語なのでしょう。
2014年06月21日 06:10
◇しっぽさん

スカイツリー近くのビルの屋上に鎮座している、不思議な物体にはお気づきになりました科?巨大な金色の芋虫のなりそこない?のような・・・・
最近は意味不明なものが多すぎます"(-""-)"・・・・・
しっぽ
2014年06月21日 07:28
おはようございます。
日本刀の極限の美しさ…(▼∀▼)
ま 周りの人間とスカイツリーを話題にしたことがないので きいてみます
原始人が振り回す棍棒を極限までソフィスティケイトしたもの が私の意見です。刀は無理@@●

でもあれを美しいという人達と 私達三人官女は ちゃんとお友達になれる或いはなれているはずです。余り気にしないで行かないと神経持ちません ははは!
都庁も 竣工なって初登庁のときに、あの人は恥ずかしくなかったのでしょうね。

金のイモムシ?金の◎◎◎?

ああ塔に帰れない…
2014年06月22日 06:01

◇しっぽさん

イギリス国旗が、イングランド、スコットランド、アイルランドの三つの国旗からデザインされていることはご存知かと思いますが、青地に白いばってんのあるスコットランド国旗がアンデレ十字です。英語ではセント・アンドリュー・クロスといいます。12使徒のひとり、アンデレが、斜めに交差した十字架の上で処刑されてことの由来します。アンデレはカトリックでは聖アンデレですね。ちなみに聖アンデレはスコットランドの守護聖人だそうです。
アンデレ十字とブルゴーニュの関係は私も知りませんでしたので、興味深く調べてみました。以下、wikiからの引用です。

”ブルゴーニュ公フィリップ善良公は聖アンデレを守護聖人とする金羊毛騎士団を設立し、白地に赤色の聖アンデレ十字を騎士団及び公国の旗として使用した。これはブルゴーニュ十字とも呼ばれ、騎士団を継承したスペイン及び同領ネーデルラント、その他ヌエバ・エスパーニャなどの副王領で使われた。”

なるほど、合点!
aosta
2014年06月22日 06:11
◇しっぽさん

はて三人官女?
と一瞬不思議に思いましたが、なるほど「三人官女」(笑)
こちらでも合点!いたしました。
スカイツリーを美しいと思うか、否か・・・・
たしかにこんな会話はあまりしないでしょうね。
何を美しいと思うか、物差しなどないわけですから。

>ああ塔に帰れない…

へんな話題を振ってすみません。
どうぞ速やかに塔までお戻りくださいませ(^^♪

しっぽ
2014年06月22日 21:51
スカイツリー論議で自分の中にあるこだわりに気づかされました。
電波の用が足りて、高ければ、美しかろうがなかろうが関係ないという
理論も成り立つのかもしれない・・・

はいおしまい!

ここまでのお二人の会話はとても興味をそそられるものでした。
ありがとうございます。

塔から見られている意識   これは新鮮でした。
わたしには 塔は上るもの高みに通じるものです。
閉所恐怖で高所恐怖はないので とらわれるという感じはあまりない。

塔はやはりヨーロッパの幾つもの思い出につながります。
とにかくのぼる。ひたすらのぼる。すり減った石の狭い階段。
観光客などいない夕暮れ近い階段。
否応なしに脳みそが何かを考えはじめる。

そういうときには「出口なし」とは思わないかも・・・
ごめんなさいotiumさん 混ぜ返しているのではないのです。
このサルトルの言葉は その昔哲学専攻の初めてのボーイフレンドが
或る時教えてくれた言葉なんです。
半世紀近く前の思い出です。

ここらでお庭にもどりましょうか・・・
2014年06月23日 08:56
◇しっぽさん

>閉所恐怖で高所恐怖はないので とらわれるという感じはあまりない。

捕らわれのイメージは、小さいころ私が読み過ぎたお話の影響かもしれません(;^ω^)
先のコメントにも書いていますように「いばら姫」や「ラプンツエル」、「青ひげ」など、みんな塔に捕らわれる物語です。
もっとも、「青ひげ」は、厳密にいえば塔に閉じ込められるお話ではないのですが、物語の最後に行き場を失った主人公が塔のてっぺんで、お兄さんが助けに来てくれる姿を待っている姿が「捕らわれ」のイメージにつながっているような気がします。

>すり減った石の狭い階段。
観光客などいない夕暮れ近い階段。
否応なしに脳みそが何かを考えはじめる。

塔といえばやはりヨーロッパですね。まさにすり減った階段!
石が、あんなにすり減って、つるつると滑るような感じになるまでには、いったいどのくらいの年月と、大勢の人々の上り下りがあったのかと思えば否応なしに想像が広がります。人間って、じっとしているより、歩いていたり、階段を上ったりしているときの方が思索的になるそうです。
しっぽさんはまさにそれを実感なさっていらっしゃるのですね。
夕暮れに近い時間すり減った石の階段を上る・・・・
これは先日、私が朗読したマーガリータ・ラスキーの短編「塔」の世界です。
階段を上って降りる、というただそれだけなのに、驚くべき濃密な物語世界が展開します。
今ではもう古書でしか手に入りませんが、もしご興味があるようでしたら探してみてください。
2014年06月23日 09:01
◇しっぽさん、続きです。

すみません。本のタイトルを書き忘れていました。
角川文庫 異形アンソロジー タロットボックスⅠ塔の物語」です。

さて「出口なし」。

サルトルの「出口なし」も怖い話でしたね。
鏡が象徴的な意味で使われている作品でした。鏡のない部屋に閉じ込められた男女。他者が見ているだろう自分の姿は自分が知っている自分ではない。
ここで三人が閉じ込められているのは塔ではなく、寧ろ自らの精神世界であり、すべての存在や意識が相対的なものであるがゆえに自分を見失ってゆく、というようなストーリーだったと思います。
サルトルにとっての「塔」は自らの内面、精神世界だったということでしょうか。
ここでも「他人の目」「見られる」ということが大きな意味を持っていますね。
私がいうところの塔に見られている、という感覚はここまで哲学的ではなく、もっと感覚的なものです(^-^; 
若いころは手を焼いたサルトルですが、お二人からコメントをいただき、もう一度読み直してみようかという気持ちになってきました。

>ここらでお庭にもどりましょうか・・・

はい。庭でお目にかかりましょう♪


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