マグノリア
まるで白い小鳥たちを枝先に留まらせているように咲くマグノリア。
我が家ではマグノリアと呼び習わしているが、辛夷(こぶし)の仲間なのだろう。
満開の花の中心は、滲むように優しい薄紅色。
光を反射するように純白の花は、夜になると、月明かり星明りの下で、
ふわりふわりと浮かぶように咲きながら、ほのかに甘く香る。
春も浅い遠くの山の一角で、辛夷の花が咲くと、そこだけが、ぼおっと白く明るんでいた。
すらりと伸びあがった辛夷の樹のかたちは、そのまま一本のろうそくのようだった。
まだ小さかった私は、その樹を、その花を、間近に見たいとどんなに願ったことだろう。
あのころは、山へと続く道も、花の名前も知らなかった。
毎年花は、私の知らない場所で遠い憧れのように、咲いては散った。
あの樹は、今でもあそこで花を咲かせているのだろうか。
◇ 霧に咲く花 → http://folli-2.at.webry.info/201204/article_6.html


この記事へのコメント
綺麗に咲いていますね。私の処は咲き出した時に霜が降りてしまって何処の辛夷も可哀想に花びらが茶色になってしまいました。昨日美ヶ原まで様子見に行きましたが、美鈴湖辺りの山に真っ白な辛夷の大木が何本もあってとても綺麗でした。
ランタンのようですね。
実はこの季節に生まれたわたし 母が辛夷という名前をつけたかったそうなんですよ。まあ。。拳と間違われたら困りますけど!
コメントありがとうございます。
松本に住んでいたころのマンショの隣に木蓮と花水木の気がたくさん植えられていました。空き地にしておくのはもったいないからと、マンションの大家さんが植えたのだそうです。春になるとまず白い木蓮が咲き、そして花水木のピンク色が南側の窓から見下ろすことができました。木蓮は、よく遅霜にあって真っ白な花が茶色に変色してしまい悲しい思いをしたものですが、それでもいっとき、満開の木蓮の花に囲まれる幸せな季節でした。先日、久しぶりに、マンション近くを訪ねましたところ、以前木蓮と花水木の林はすっかり霧払われて、駐車場になっていました。時勢とはいえ、あの夢のような光景が無くなってしまったことが悲しくて、しばし呆然と立ちすくんでしまいました。
もしかしたらHTさんもご存じかもしれませんね。女鳥羽公園の東側、教会の牧師館に隣接した場所です。
>薄い闇のなかで咲いているのはランタンのようですね。
ランタンとは、なんと素敵な表現でしょう!
薄闇の中に浮かび上がるランタン、美しいだけでなく、どこか懐かしささえ感じてしまいます。
辛夷と拳ですか?(笑)
HNを辛夷となさったらいかがでしょう(*^^)v
こんばんは
拳と白木蓮、一見似ているようですが、花の大きさや樹形葉かなり違うように思います。すらりと背高のっぽな辛夷、たっぷりとした大きな花は木蓮。
同じ木蓮でも紫木蓮となると、また違ったあでやかさがありますが、どちらかと言うと、私は辛夷のほうが好きかもしれません(*^^)v
新婚旅行の 白馬で(4月にスキーをしました)
ゲレンデの下のまだ草木が芽生え始める所に すっくと立つ1本の木に
純白の花がいっぱい 咲きこぼれていて
当時は 名前を知らず
なんて 清々しい花か、、と おもったこと、、
われら 何十年かまえの 出来事が
まざまざ おもいだされます、、
>北国で 一番に咲く花木は 辛夷ですね、
確か「北国の春」という某演歌にも辛夷の花が出てきますよね(^^ゞ
桜より一足早く、まだ冬枯れの木々の中で辛夷の花だけが真っ白な花をつけている風景は、私たちにとってまさに春の到来を告げてくれるものです。
新婚旅行でスキーをなさったのね。
運動音痴の私はスキーどころか、人並みに走ることさえ苦手ですが、春のゲレンデから望む辛夷の花のイメージは、残雪の白さと、空の青さと相まって、さぞ美しかったことと推察いたします。本当に「清々しい」という言葉がぴったりの花ですね。