水仙




           雑木林から草むらへと続く 鹿道のはずれで 

           今年もひと群れの水仙が 花をつけた




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           年ごとに 少しづつ大きくなってゆくその一群は

           自らが水仙であることを知らず 知ろうともせず

           森が尽きる場所を 

           ほのかに明るませながら 咲いている


           その香りは 冴え冴えと透明に 

           さらにも浄らな 空気の中で

           花は静かに自足している




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                             夜露 朝露 

                             ときには 夜通しの雨に濡れながら

                             水仙は 瑞々しく呼吸している   

 


              足元では 水仙が香り

              頭上では 山桜が

              風のまま

              しめやかに花びらを散らす

              おだやかな 春の朝

                             


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              わたしは あなたとは違う


              矜持と言えば 聞えはいいが 

              これが私とばかり 

              目くらましのような言葉を積み重ねてきた私に

              水仙の花は ささやく

              ただ素直であれ 自然であれと
    













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この記事へのコメント

カタナンケ
2013年05月12日 18:24
静かに 自足している、、

いい言葉ですね~
なかなか 自足できない、、まあ それが前にむかう
エネルギーになればいいけれど~
不満や欲求だけにならないように、、
たまき
2013年05月12日 20:06
自生しているラッパ水仙なのでしょうか?? 栽培種だとばかり思っていました。。。 
2013年05月13日 06:29
◇カタナンケさん

おはようございます。
植物はみな自足しています。与えられた場所で、与えられたままに。
人間のように不足を言う、不遜な輩はいないようです。同じ生き物ですから、淘汰は当然あるでしょうが、概して植物は平和です。いわれなき理由で心が騒ぐ時など、その平和が羨ましくなるのです。

御旅行は今週でしょうか。
気持ちの良い季節での御旅行、お気をつけてお出かけ下さい。
同じ八ヶ岳でも、どちらが表で、どちらが裏と言う事もないのでしょうが、山梨側から見る姿と、信州側から見る姿とは、全く違って見えるんですよ。
いつか信州にもお越し下さることを心待ちにしていま~す。
2013年05月13日 06:38
◇たまきさん

おはようございます。

これはラッパ水仙です。
もちろん園芸種の、です(^^ゞ

球根植物って、植えたところ以外からぽこぽこ顔をだしてきませんか?
水仙は確かに植えたのですが、いつの間にか林の縁で増えていました。
余り日が当たりすぎない場所が好きなのかしら?
水仙に限らず、ムスカリもチオノドクサも庭一面に広がりました。以前のブログで球根は空を飛ぶの?って書いたことがありましたが(URL貼り付けてみました)、空を飛ぶかはともかく、花を咲かせる植物ですから球根だけでなく、種を結ぶと言う方法も持っているのかもしれませんね。
ほら、球根でもムカゴで増える百合のような植物もありますし。
2013年05月13日 10:55
植えた覚えのない場所からひょっこりと植物が芽を出してくれるって嬉しいことですよね~!野の中の水仙、とてもステキです!
2013年05月13日 20:06
◇mintさん

ひょっこり!!
素敵な表現をありがとうございます。
本当。まさに「ひょっこり」なんです!

まだ元気だったボンボンと一緒に散歩していると、林の中でそこだけぽっかり明るく水仙の花が咲いている場所を発見したことがあります。近くに民家は一軒もない本当の林の中なのに、何故か水仙・・・凄く不思議でした。
あの子達もひょっこり、のくちなのでしょうね。
一体どこからやってきたのか、考えれば考えるほど謎なのですが、現に目の前で咲いている花を見ると、どこから来たかなどということは二の次で、まずは花を愛でたくなってしまいます。

>野の中の水仙、とてもステキです

本当は日本水仙が一番好きなのですが、こちらは少し寒さに弱いみたいでとても残念です。でもラッパ水仙もこんな風に野で咲いているのを見ると、花壇で見る場合と違って野趣がありますよね。
ぶんな
2013年05月13日 20:22
ことしはなぜか水仙が際立ってきれいに見え、さまざまな水仙を立ち止まっては見ておりましたところ、こちらにも水仙。
植えこんだところから離れた地点に咲くことを私も不思議に思いながら、確かめてみずにおりました。やはり種ができているのか、ことしはよく見てみようと思います。
意図的にきれいに並べた水仙もきれいですが、このような咲き方も趣きがあっていいですね。
ぶんな
2013年05月13日 20:44
aostaさん、初めて水仙を検索しましたら、面白いことがわかりました。種ができるのでそれでも増やせるが、開花までには数年かかるらしいです。品種改良の目的がある以外は一般的に球根で増やすそうです。また面白かったのは、有毒だということ。水仙の致死量は10グラム。可憐な水仙の驚くべき事実。あまりに身近で調べようとしたこともなかったわけですが。

アガバンサスも一般的には株で増やすのですが、一昨年種を採取し、実験的に植えてみたところ幾つかが発芽。いま4本育っています。花をつけるまで5年かかると聞きました。それまでこの4本が無事でいてくれるかどうか。ただ水仙まではやってみる気力がわきません。これが品種改良の技術でもあればまたちがうのでしょうけれど。
植物の生き残りの仕組みもなかなか面白いですね。もしかすれば、何らかの事情で球根が全滅しても、種で何とか生き残るようになっているのかも。生き残り戦法は人間よりも優れているという気さえしてきます。
ぶんな
2013年05月14日 10:17
何回かこのページを開きながら、最初に詩を読んでの感想を書き落としました。いつも肝心なことを抜かしてしまいます。

>その香りは 冴え冴えと透明に 
 さらにも浄らな 空気の中で
 花は静かに自足している

 やはりこのところに共感しました。そして、自らも、誰にも知られずともそこにあり、過不足を思わず、そこに存在することに満ち足りてありたいものと思ったことです。

>素直であれ 自然であれ

 こういうものにわたしもなりたい!


2013年05月14日 19:26
今晩は、素敵な詩です。
植物は概して平和ですね、本当に羨ましい限りです。見習わなければなりません。



 水仙の花は ささやく

 ただ素直であれ 自然であれと

森の中で出会った一群のスイセンのやさしい声かけに感謝ですね。
    

2013年05月15日 05:29
◇ぶんなさん

たくさんのコメントをありがとうございました!(^^)!

>このような咲き方も趣きがあっていいですね。

水仙に限らないと思いますが、自然に群生している花は本当に綺麗だと思います。
一か所で増えていると言う事は、その場所が気に入った、つまり居心地がいいからなのでしょう。だから花も活き活きと美しいのでしょうね。

移植したとたん元気になった植物もあります。
アメリカ沢桔梗。ロベリアの一種で薄紫の愛らしい花をつけます。こぼれ種でどんどん増えるから、と花好きのお友達から分けていただいたのに、まったく増えなません。ふと思いついて植え変えてみましたら、今度は増えるは増えるは・・・!
沢桔梗というのですから、水が好きだったのですね。

まさに適材適所。
植物を観察していると、いろいろなことに気づかされます。
2013年05月15日 05:43
◇ぶんなさん

やっぱり種が出来るんですね!
わざわざ御調べ頂き、ありがとうございます。おかげさまで積年のもやもやがすっきりと晴れた気持ちがします。種の保存、継続にかけては確かに植物の方が人間より優れているかもしれません。人類は異性間でたった一つの方法でしか子孫を残すことしかできないのですものね。

鹿道の外れで育っていた水仙。
実はしかも水仙に毒があることを知っているので、他の植物は食べてしまっても水仙には手を出さないのです。水仙は葉だけでなく花にも毒があるそうです。そう言えばあの愛らしい鈴蘭も毒が在ります。植物にとって、毒もまた自衛のための手段なのでしょうね。

どちらも清々しく青っぽい香りがします。
私にとってはどちらも大好きな春の香りです。
2013年05月15日 05:50
◇ぶんなさん

>>素直であれ 自然であれ

自然のままに咲いている水仙の花を見て感じたこの思いから、こうした文章が生まれてきたことは事実なのですが、実は「詩」としては多いに悩むところでもあります。
詩だと考えれば、最後の6行はいらないのではないか。
例えその想いから出発した言葉だとしても、あの6行は説明になっている。
詩に説明は蛇足です。消してしまえば、事は簡単なのですが、さて、どうしたものか・・・
2013年05月15日 05:57
◇harukaetoさん

おはようございます。

>植物は概して平和ですね・・・・見習わなければなりません。

昔読んだSF小説などでも人類が戦争で滅亡し、人類に代わって植物が地球の主人公になる、というものがありました。植物だけの地球はあり得ないでしょうが、平和、と言う観点から見ると、人間がヒエラルキーの頂点にいた時よりはるかに平和に鳴るのでしょうね。

水仙が囁きかけてきた言葉、その言葉は確かにやさしい声かけではありましたが、ぶんなさんへのお返事にも書いたことですが、詩として定着するためにはどのように扱ったらよいのか、今でも迷っています。なにかお考えがありましたら、伺わせて下さい
harukaeto
2013年05月15日 21:00
書き手と読み手とではこんなにも感じ方がちがうものなのかと思い知らされました。aostaさんは、いらない説明ではないかと思われても居るようですが、終蓮の6行こそこの詩の核心であると思えます。読み手は書き手の想いの深くまで、なかなか読み込めるものではありません、あの6行があってはじめてaostaさんの気持ちが伝わってきました。詩としてのまとまりもついていますし、深みを与えていると思います。

疑問を感じながらも発表した、あなたご自身の直感を信じるのがよいかとも思います。率直に言わせて頂きました、すみません。
たまき
2013年05月16日 11:25
球根は空を飛ぶ。。。 地植えならではですね! いいな。。。
ちょっと心に青空が見えました~ 来週 黄水仙を見に行くことにしました。。。
2013年05月16日 21:08
◇harukaetoさん

こんばんは。
懇切なお返事をありがとうございました。

harukaetoさんに言っていただくまで、「読み手」と「書き手」という二つの視点があることに気がつきませんでした。
終連の6行こそが、核心と読んで下さったことに感謝です。そもそも、私がこの6行の表現に抵抗を覚えたのは、言葉の選び方がいかにも凡庸で直截に過ぎるのでは、という思いがあったからでした。書きたかったことは、仰られるように、まさにこの最終連であるにも関わらず、説明以上の、実感を伴う言葉を捕まえることの難しさに、ただただ歯がゆい思いをしている、と言うのが正直なところです。それではなぜ発表したのか・・・この心境が、自身よくわかりません(汗)。この言葉たちが脱皮するためには、もう少し時間が必要なのだ、という気がしています。ならばもうしばらく人目に晒されたほうが、脱皮のきっかけを見つけられるかもしれない。ある日突然、蛹が変容するように、この6行も、違う表現に出会えるのかもしれない。その日がいつになるのか見当もつきませんが、時が至り、言葉に思いが満ちるその時を待っていたいと思います。
本当にありがとうございました。
2013年05月16日 21:21
◇たまきさん♪

こんばんは。再度コメントを頂き嬉しいです。

「空飛ぶ球根」に目を通していただきありがとうございました。
私たちが寝静まった夜更け、若しくは目覚める前、球根たちが音もなく宙を飛び交っているという光景、想像するだけでわくわくしませんか?
なぜか私のイメージの中で、球根たちはみんな箒に乗っています(笑)

先日Pが「あんなところで水仙が咲いているよ。」と驚いて報告にきました。
あんなところ、とは、去年抜いた雑草をひとまとめにしてある場所の事です。草が乾燥してくると燃やすので、そのあとは一時小さくなるのですが、また草取りをすれば元どおりになり、とうとう燃やしきれなかった雑草たちが山になったまま、冬を越した場所なのです。
その山のてっぺんで水仙が蕾をつけている!?
これはどうしたって、箒に乗った球根たちの仕業としか考えられません!!
しっぽ
2013年06月21日 22:55
えへへ
また きちゃいました!
わたしも 最後の6行がいちばん素敵だと感じました。
書いた人の心の風みたいなのが一番伝わってくるからです。

また 詩 楽しみに待っています。

何年か前には詩かいてましたが最近はさっぱりです!
おやすみなさい。
2013年06月22日 05:19
◇しっぽさん

>また きちゃいました!

「いつも何度でも」お越しくださいませ。熱烈歓迎の上り旗、用意しております(^^♪

>最後の6行がいちばん素敵だと

しっぽさんもそのように読んで下さるのですね。
言葉って本当に不思議。ちゃんと自分の意志を持って主張する・・・
考えてみれば、私の詩はその力に助けられて、なんとか体裁を保っているのかもしれないですね。もともと独り歩きが好きな言葉たちを宥めながら文章にしていく。
いつも始まりはたった一つの言葉、ひとつのフレーズ。もしく一種運目の前をよぎった風景(現実の風景とは限りません)、そうしたイメージがたまたま「詩」になる。
書こうとしても、向こうからやってくるのを待つしかないのに、最近、なかなか来てくれません。

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