ひだまりの記憶 / 砺波周平写真展にて




                        遠くで誰かが呼んでいる

                        お~い

                        聞えるかい?



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                        ゴム底の運動靴が

                        思い出と一緒に

                        床を鳴らしながら近づいてくる



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                        古い木造の 教室は

                        私たちの記憶の はじまりの場所



                        かつて戦争があって 

                        戦争が終わり

                        歴史は変わったけれど 

                        学校は ずっと 

                        そこにあった

 


                        やがて時代は変わり 

                        子どもたちの姿は消えて

                        からっぽになった校舎は 

                        遠い追憶の時間を 生きていた
       


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                         やがて 昭和は平成になって

                          一年に一度

                         子どもたちが 戻ってくる



                         津金一日学校

                         先生は 

                         かつて子どもだった大人たち

 
                         その日だけは

                         過去は 思い出ではなく

                         教室も 子どもたちも

                         同じ時間を 呼吸しながら
 
                         ひだまりのなかで 笑いさざめいている






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知りあいの写真家砺波周平さんの写真展を観るために、初めて津金学校を訪れたのは、校庭の古い桜の樹が、
長い影を落としていた午後。
薄い初冬の陽が差し込む校舎は、まるで時間が逆廻しされたかのような懐かしい場所でした。
玄関を入って右に展示室。左は古い教室をそのまま利用したカフェ。正面には急な階段。
白熱灯の暖かな灯りと、柔らかな蔭。

一階には明治期のオルガン製造の祖、西川虎吉作の足踏み式リードオルガンや、ヤマハ楽器創業者である
山葉寅楠(とらくす)作のオルガンのほかに、山梨県出身の実業家で「鉄道王」として名を馳せた根津嘉一郎が
昭和8年に寄贈した「根津さんのピアノ」なども展示されています。
ひと気のない展示室で、古いオルガンをじっと眺めていた私たちに、受付の方が「どうぞ弾いてやってください。」
と声をかけてくださったことを幸い、さっそくお言葉に甘えさせていただきました。
はたしてオルガンは、弾いてくれる人の手を待っていたかのように、よく鳴ったのです。

二階には昭和30年代の教室を再現。
木製の椅子も机も、当時使われていたものだそうです。
机には、切り出しナイフで刻まれたと思われる傷跡がいくつも残っていました。
鋭かった切り込みがこんな風に磨滅して丸くなるまでには、一体何人の子どもたちが通り過ぎて行ったことでしょう。
机も床も、使いこまれ磨きあげられて飴色になり、窓から入る陽射しを柔らかく反射していました。




砺波さんが撮影した写真の中の子どもたちは、みんないきいきと輝いていました。
模造紙にきちんと並べて貼るという展示の仕方は、行事が終わった後、教室に写真を張り出したあのスタイルです。
遠足や運動会のあとは、注文用紙を片手に、目を皿のようにして自分が写っている写真を捜しましたっけ。
砺波さんのカメラの向こうには、好奇心にあふれた目、楽しげな身振りの子どもたち。
あの中の一人がわたしだった時代、そんな時が確かにあったのです。
人は否応なしに大人になります。
そして大人になった私たちは、あの子どもたちに手渡していかなければならないもの、手渡したいものが何なのかを
自らに問うてみなければなりません。
特別なものでなくとも、毎日の生活の中にある、つつましいけれど確かなものを、伝えたい。
親であるなしに関わらず、それが大人としての責任なのだと・・・
砺波さんの写真の一枚一枚は、そんなことを考えさせてくれました。



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津金学校



1872(明治5年)  「学制」施行
1875(明治8年)  「津金学校」落成
1887(明治20年) 「津金尋常小学校」と改称
1915(大正4年)  「津金尋常高等小学校」と改称
1941(昭和16年) 太平洋戦争直前、「津金国民学校」と改称
1947(昭和22年) 終戦後 「津金村立津金小学校・中学校」を設置
1985(昭和60年) 「津金小学校」閉校
1992(平成4年)  「藤村式校舎」解体復元 須玉町歴史資料館として開館
2011(平成23年) 「津金学校」と改称



津金一日学校 → http://www.tsugane.jp/meiji/1dayschool/intro.htm






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明治8年(1875年) 現在の山梨県北杜市須玉町下津金に 村人たちが資金と労力を出し合って創建された。
設計小宮山弥太郎、木造2階一部3階建て、総面積120坪。
費用1662円(現在の貨幣価値換算でおよそ2千万円)
正面玄関の唐破風(からはふ)造りやベランダに見られる、西洋志向と同時に、曲線的な軒や柱飾りなどに日本の漆喰・左官技術を多用する藤村式建築。
創建から現在まで同じ場所に建つ。






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この記事へのコメント

ぶんぶん
2012年12月18日 21:15
木造校舎、懐かしいです。高校までも、このような校舎でした。日にぬくもる床を雑巾がけしたときの独特な匂いも思い出しました。
>西川虎吉、山葉寅楠のオルガンが保存されているのには驚きです。もうないと思っていました。弾いてもいいということは、ちゃんと鳴るということですね。プカプカブカブカでしょうか。懐かしい音がするのでしょうね。

詩を読んで…子どもたちの顔がそこにあってこその校舎、一年に一度だけでも。
カタナンケ
2012年12月19日 17:13
油を引いた廊下のにおいがよみがえるような、、
美しい学校ですね、、
私の神戸の学校も 古いぞ~とおもい ホームページ見てみたら
寺子屋からはじまりそれは 明治6年でしたが
学校じしんは コンクリートのモダンなデザインで
昭和2年創建でしたよ~
やはり そこそこ有名なかたの 建築です~
阪神地震にもめげず いまも健在です~
なつかしい学校がそのままのこされているのは
うれしいですね、、

ほんとうに美しい学校だわ~
2012年12月21日 04:51
◇ぶんぶんさん

おはようございます。
木造校舎の雑巾がけって、懐かしいですね。当時はモップなど使わず、教室や廊下の端からたったったと勢いよく雑巾をかけていました。みんなで一直線に並んで競争したり(笑)
オルガンの、譜面台に明治時代の唱歌集が広げてありましたので、まずはそれを弾かせていた抱いたのですが、P氏、興が乗ってきたのか即興でかなり複雑な曲も演奏してみたのです。音も滑らかに出ましたし、ペダルの「ブカブカ」はほとんど気になりません。
ちゃんと手を入れている感じがしました。
あの木造校舎で古いオルガンのコンサートがしたくなりましたよ(^^♪
教室に子どもたちの笑顔、校庭には歓声、そして遠くからオルガンの響き・・・
そんな時代の懐かしい校舎とすてきな写真展でした。
2012年12月21日 04:58
◇カタナンケさん

おはようございます。
「美しい学校」というお言葉を頂き、とても嬉しいです。
子どもたちのために資金を出し合って造られたと言う学校が、その想いを汲んだ後世の人々によって愛情深く大切に使われてきた結果の、美しさだと思います。机や椅子などの備品だけでなく、展示室の様々な展示品をみてもその想いが伝わってきました。どんなものであれ、「残したい」と言う気持ちがなければ、時代とともに散逸し忘れられていってしまうでしょう。今も昔も、みんなから愛されている幸せな学校です。
ルネ
2012年12月21日 18:46
この学校は明治8年に建てられたそうですが、とびきりの素敵な年代物ですね!
私が1年生の時だけ通った名古屋の小学校も確かその頃の創立でしたが、校舎も当時のままだったのかどうか記憶は定かではありません。(もう半世紀以上前のことですものね)
その後の大阪の小学校も木造のきれいな学校でした。雑巾がけをしたことなど懐かしく思い出します。あの頃はトイレまで子供たちで掃除していました。
北海道の美唄では、廃校となった小学校をこの地出身の彫刻家安田侃氏の作品を展示する小さなギャラリーとして使用しています。周囲の里山の風景をあいまって、のどかで気持ちのいい場所でした。
ところで、北杜市からちょっと離れた村出身の同級生がいたのですが、夏にその村に遊びに行った時に、「そうだ、お家に電話してみよう」と思って電話帳を見たら、同じ名字で埋め尽くされていて断念したことがあります。津金さんでした(笑)
2012年12月22日 06:58
◇ルネさん

おはようございます。
昨夜、日付が変わる頃から降り始めた雪、まだ暗くてよく見えませんが、今朝はかなり積もっているようです。札幌でも雪でしょうか。
今年は例年にない寒さと雪でご苦労されているのでは、と案じておりました。
私もお掃除のこと、なぜかよく覚えています。通っていた小学校は、もちろん木造でしたが、厳寒期の朝掃除のときなど、椅子にぶら下がった雑巾がパキパキに凍っていたのはまだしも、雑巾がけをした直後の廊下に、うっすらと氷が張るんですよ(笑)!救いは、お掃除バケツが湯気を立てていたこと(笑)。温泉地(上諏訪)とあって、学校にも温泉が引かれていました。
かじかんだ手が熱いお湯の中で、一気に暖まってジンジンしてきたことも懐かしいです。トイレ掃除、やりましたね。
あの頃はまだ水洗トイレではなくて、トイレ当番は気が重かった^^;

木造校舎はかけがえのない財産だと思います。ただ保存するだけでなく、美唄の小学校のように、また津金学校のように、何らかの形でりようされてこそ、生きる。最近諏訪地方でもわずかに残っている木造校舎が映画のロケに使われたこともあって、関心が高まっているようですが、急ごしらえの観光スポットとしてではなく、自然な形で保存してほしいな、と思います。

北杜市の津金さん・・・
古いところでは同名姓の方が多いですね。私も最近「○とうさんて、富士見の『○とう一族』ですか?って聞かれました。残念ながら富士見に親族はおりませんし、もちろん「一族」ではないのですが。たまたま富士見に多い名前のようです。地名がそのまま名前になるということは、津金一族の始まりは相当古いのでしょうね。
ANNA
2013年01月29日 23:37
aostaさん、こんばんは。

こちらの記事のタイトル、ひだまりの記憶
「ひだまりの」という言葉を選ばれたaosta
さんの感性にまた感じ入りました。

あれは、おそらく3・4年生のころのこと
当時クラスの飼育・花係だった私は
休み時間に花壇の花に水遣りしながら、
花の蜜をあつめる蜂を飽かずながめて
いるような子供でした。夢中になりすぎて
始業のチャイムも耳に入らずクラスメイトが
迎えに来てくれたこともしばしば・笑

大人になった今、あの頃の記憶をひとつひとつ
手繰り寄せるとき、ほんとうにひだまりの中に
いるようなあたたかい気持ちになります。

aostaさんの「ひだまりの記憶」という言葉から
つかの間の時間旅行をさせていただきました。
ありがとうございます。


2013年01月31日 00:04
◇ANNAさん

こんばんは。
コメントをありがとうございました。
「ひだまり」と言う言葉の響きには、何か郷愁を誘うものがありますね。
気持ちが萎えたとき、大切で懐かしい記憶がそっと心を温めてくれる。
そう、優しいひだまりのように。ひだまりは笑顔が似合う場所。
遠くなっ記憶たちがいつまでも待っていてくれる場所、そんな気がします。

ANNAさんも学級花壇(私たちの小学校ではそう読んでいました)の思い出をお持ちなのですね!私も朝一番で投稿しては、花壇の花たちに水を挙げるのが大好きでした。
晴れた夏の日など、如雨露で水を撒くたびに小さな虹が立ちました。
水滴が太陽の光を受けてきらきらと輝くさまをしゃがみこんでじっと眺めている時間のなんと幸福だったことでしょう。
ANNAさんから頂いたコメントで、いろいろなことを思い出しました。
私からも、ありがとうと言わせて下さいな。

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