消えがてのうた part 2

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zoom RSS ミュージアム・コンサート終了!

<<   作成日時 : 2012/07/18 06:17   >>

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7月15日「リコーダー・アンサンブルで辿る西洋音楽の2000年」と題したコンサートが無事終了致しました。

博物館の高い吹き抜けロビーにしつらえられたステージ、響きは最高。
演奏者にとっては、何より嬉しい演奏会場です。
コンサートは、"楽譜”として完全な形で残っている最古の音楽で始まりました。
「楽譜」と言っても、現在私たちが目にする五線譜でも、その前の時代のネウマ譜でもない、
「文字譜」と呼ばれる楽譜です。
ギリシャ時代に生きた、セイキロスという人物の墓碑に刻まれていたことから
「セイキロスの墓碑銘」と名付けられた曲です。
オリジナル楽譜に基づくソロ演奏に続き、この歴史的なメロディを用いてP氏が編曲した、中世風、ルネサンス風、
バロック風、ロマン派風、現代風の「セイキロスの墓碑銘」の演奏で、コンサートは始まりました。
5本のリコーダーによるアンサンブルの音色は、遠い時代への追憶にも似た短くとも魅力的な響きを奏で、
聴くくひとを遥かなる歴史の旅へと誘うかの如くに響き渡りました。



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当日のプログラムです。クリックで拡大してご覧ください





続く中世、ルネサンスの音楽も、ほとんどのお客様が、今回初めて耳にする旋律と和音ではなかったかと思います。
黎明期の西洋音楽の根っこにあるのは教会音楽。
音楽が神と人をつなぐものであると同時に、天上への捧げものであった時代の音楽です。
終わることのないままにたゆたい、拡散していくイメージ。
宇宙的とも言える、神秘的なそのハーモニーは身体全体を包み込むように響いていきました。


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そしてバロック以降、現代にいたる第二部。
馴染み深い曲も登場して、観客席の雰囲気も、こころなし和やかになったような気がします。


画像



ベートーヴェンやチャイコフスキーの作品をリコーダーだけで演奏するという試みも、
オーケストラの音域までカヴァーできるリコーダー・アンサンブルだから出来ること。
今回は首都圏から集まって下さった、P氏のリコーダー仲間の皆さんのおかげで実現したプログラムでした。

画像
「アンサンブル東風(こち)」 

楽器は 左より、コントラバス・リコーダー、バス・リコーダー、テナー・リコーダー、バス・リコーダー




プログラムの最後は斎藤恒芳さん作曲の現代曲「TANGUERA」
”タンゴを踊る人”という意味の通り、特徴的なタンゴのリズムを刻むメロディアスな曲。
コンサートを締めくくるにふさわしく、会場の雰囲気も盛り上がります。

アンコールはモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。
音楽の幸せな余韻の中でコンサートが終了しました。



画像

諏訪市博物館 エントランス






マニアックな第一部(古代ギリシャ時代から中世、ルネサンス時代の音楽)が終わったら、
第二部が始まるのを待たずにお帰りになる方が多いのではないか、という懸念をよそに
ほとんどの方が最後まで演奏をお楽しみ下さいました。
そして博物館の今回の企画展コンサートでも最多の90人というお客様をお迎えすることが出来ました事は、
ひとえに関係者の皆様のおかげと感謝しております。
本当に、ありがとうございました。

怒涛のような半月が過ぎた昨日、今日は、さながら「宴のあと」。
放心と虚脱の状態ですが、今月はあと2回のコンサート、8月には恒例のリコーダー合宿が控えています。


    7月19日 ホテル・アンビエント蓼科 ロビー・コンサート(こちらは8月2日、16日を含め合計3回)
    7月29日 蓼科三井の森「サマー・コミングル」コンサート



ただでさえ猛暑の夏。
今年はP氏と私にとって、さらにも”熱い夏”となりそうです。



武藤哲也リコーダー&オカリナ教室はこちら → http://folli-2.at.webry.info/201503/article_4.html 







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コメント(37件)

内 容 ニックネーム/日時
熱い夏になりそうなんですね!
暑い夏を、熱く乗り越えてください。
takasi
2012/07/18 08:46
レポートを拝見しながら、プログラムに思いを寄せながら、本当に気持ちがはずんできました。博物館という会場がまた演奏する側にも聴く側にも素敵なエッセンスとなったことでしょうね。
ああ、聴きたかったです♪
P-san
2012/07/18 15:10
「怒涛のようなドイツ旅行」が終わり今は「放心と虚脱」状態です。まだ、時差ボケが続いているのでしょうか、ボケているのかいないのか、さえ分からなくなっています。
それにしても、この暑さは異常ですね。早く涼風の吹く八ヶ岳に行きたいです。もちろん、雑草は恐るべきほど繁茂しているでしょうね。楽しはヤマユリが咲いていることでしょうか、しかし、鹿たちも狙っているから、食べられてしまっているかな、あれやこれや思っています。

あれ、自分のことばかり喋ってしまいました。このコンサート凄い世界ですね。「東風」というグループはてっきりP氏的な男性ばかりと思っていたので、驚かされました。

山栗
URL
2012/07/18 19:11
リコーダーのアンサンブルいいな〜
吹きたいですね。
九想
URL
2012/07/19 02:13
へえ〜 五線譜の前に 文字譜というのがるのですね、、
邦楽のせかいに 似ている?
そんなめずらしいじだいの 音楽きいてみたいです、、
東京方面では 演奏会が ないのですか、、
コントラバスリコーダーという 巨大なリコーダーも
初めて知りました、、
カタナンケ
2012/07/19 10:24
久方ぶりにコメントを書き込ませていただきます。
文字譜。どのようなものだったのかしら、と思いますと、頭の中が湯豆腐状態になりました。
思い出したのです。何年も前ギリシアにツアーで旅行した際、デルポイ遺跡の劇場にたどり着きますと、突然、60歳くらいの男性がリコーダーを吹き始めました。曲は忘れましたが、日本の童歌でした。デルポイ遺跡の中で響き渡りはじめた日本の調べに、まわりにいた様々な国から来ているのであろう他の観光客たちも、耳を傾け始めました。
ああ、このギリシアの空間で一本のリコーダーは、こんなにも響き渡るのだ、と誰もが聴き入った風でした。私もそうでした。
すぐさま、「ジェントルマン!ジェントルマン! ストップ イット、プリーズ!ストップ イット!」
係りの女性が叫びながら走ってきました。拍手が沸き起こる中を。
 うまく言えません。それだけ、とにかくコメントしたくてしてみました。失礼をお許しください。
Zu-SImolin
2012/07/19 17:08
◇takasiさん

昨日は長野県南部でも36度を超えたそうです。
日中は軒並み30度以上のところが多いのですが、朝晩、ぐっと気温が下がり、凌ぎやすくなるのは信州ならではなのでしょう。
そちらは暑さだけでなく、またもやの大雨のようですが、お庭は大丈夫でしょうか?

>暑い夏を、熱く乗り越えてください。

P氏にとって暑さと熱さに対抗するための必需品は良く冷えたビールです。
暑さはともかく、コンサートが終わった後の「熱さ」にはこれに代わる特効薬がありません。大蔵大臣としては予算内で消費していただきたいところです(@_@;)
aosta
2012/07/20 05:25
◇P−san

おはようございます。
ご無沙汰していてすみません。
コンサート、特に第一部は。一曲ごと、音楽史的な解説が入るというかなりマニアックな内容は、会場が博物館ということで可能になったプログラムだったかと思います。
コンサートが終わった後のアンケートでは、私たちの予想を超えてたくさんの方たちから「面白かった」「楽しかった」という感想を戴けたのは、嬉しい誤算でした。

>ああ、聴きたかったです♪

今年は蓼科方面で複数回のコンサートを予定しておりますので、ご都合のつく日がございましたらぜひお出かけください。マチネーでしたら日帰りもできますでしょ?
コンサートの日程は改めてブログでご案内致しますね。
aosta
2012/07/20 05:32
◇山栗さん

”怒涛"のドイツ旅行、お疲れはあると思いますが、楽しい思い出もたくさん持ちかえられたことでしょう。
「放心と虚脱の日々」・・・
非日常の旅から日常生活へとすんなり着地するのは難しいことと思います。身体は日本に帰ってきても、気持ちはまだ遠いドイツの空にあるのかもしれませんね。

アンサンブル東風は、毎年我が家で行っているリコーダー合宿のメンバーで構成されたグループです。その時々によって参加人数が代わりますので、実際のところ何人なのか定かではありません(笑)。
今回はたまたま女性だけでしたが、男性の皆さんもいらっしゃいます♪
aosta
2012/07/20 06:36
マニアックなリコーダーアンサンブル、こういったコンサートに与ることのできた90人の方々が羨ましい!
リコーダーも当初は基本的な音域の楽器が一つで、次第に高音、低音ともにどこまでもカバーして幅広い音楽を、たとえシンフォニーでも演奏できたならという欲求から、様々な音域のリコーダーが派生したかと思いますが、この楽器を直接目にすることは滅多にありません。そういった意味では特別な世界、領域であるなという感じがいたします。
成功に漕ぎ着けられるまでの暑い最中の熱い思いに敬意を表したく思います。駆け付けられたリコーダー音楽家のお一人お一人、P&Aご夫妻、ほんとうにお疲れ様でした。
「聖ペテロの涙」も聴かせていただいております。
大きなイベントがまだ二つ、一刻もはやくお疲れが癒されますように!!
bunbun(中ぶんな)
2012/07/20 11:37
関連の記事もあわせて拝見いたしました。地元で作られた楽器、博物館、ギリシャから現代、無料、出入り自由、なんて素敵な組み合わせでしょう。ほんとうの音楽や芸術の楽しみ方ですね!私もちかくにいたら是非足を運びたかった。お疲れさまです。

kero
2012/07/20 17:17
◇九想さん

おはようございます。
先日聴かせていただいた「涙のパヴァーヌ」、芯のある美しい音でした。
ここで逢ったが百年目!同じ長野にお住まいという地の利もあります。
ぜひ一度遊びにお出で下さい。
Pも喜びます。一緒にアンサンブルを楽しみましょう♪
aosta
2012/07/21 04:53
◇カタナンケさん

>邦楽のせかいに 似ている?

私も同じように思いました。確か邦楽の楽譜も文字で表記されていますよね。
ギリシャ時代の楽譜も、文字で音の高さを、併記された記号で長さや強さが判るのだそうです。ある本によると、西洋音楽が音楽において世界的な影響力を与えることが出来たのは、五線譜という画期的な発明があったからだとか。五線譜があったおかげで、西洋音楽は「共通言語」になりえた、という事なのでしょう。
aosta
2012/07/21 05:05
◇Zu-SImolinさん

コメントありがとうございました。
お気もちのこもったコメントを頂き、とても嬉しいです。
文字譜については私の頭も”湯豆腐状態”ですが、一つ前のカタナンケさんへのお返事でごく簡単に書かせていただきましたので、恐れ入りますがそちらをご覧頂けますか<m(__)m>
真っ青に晴れ渡ったギリシャの空と、白く輝くデルフォイ神殿に響くリコーダーの音色・・・
考えただけで、わくわくしてしまいます。あんな吹きっさらしの場所で音が響くのですね!ギリシャの円形劇場も、天井のない野外であるにも関わらず、どこに座っても、音が届くのだとか。まったく形状(構造)のちがう円形劇場と神殿ですが、そこにはギリシャの人々の知恵が凝縮されているのでしょうね。

いまはすでに遠い昔となりましたが、当時まだ学生だった私が新宿東口を歩いていたとき、どこからかバグパイプの音色が風にはこばれてきたことを思い出しました。
あの特徴的な響きと、旋律を追いかけて新宿の街並みを歩きまわりました。結局、どこで、誰が吹いていたのか確かめることができないままに終わったその演奏は、幻の記憶として留まっています。思いがけない場所で想像もしない音色に出会った、という点でZu-SImolinさんのお話に少し通じるところがあるかしら、と思いました。

>「ジェントルマン!ジェントルマン! ストップ イット、プリーズ!」

Zu-SImolinさんがご覧になった光景が、私にも一瞬見えたような気がします。
小さな断片が、その断片だけが、ありありと甦る・・・
記憶、とは不思議なものですね。
aosta
2012/07/21 05:59
◇bunbunさん

P氏によればリコーダーという楽器は、(楽器の名称と、実際の声の音域とが1オクターブ違うようですが)人の声に対応して作られているそうです。
たとえば女声のソプラノに対応する楽器はテナーリコーダーです。
リコーダーが活躍した時代、その特性を見込まれて、まず今で言う4フィートのリコーダーが作られ、その後、低音の必要性から8フィートのリコーダーが作られるようになったのだとか。でもシンフォニーが作曲されるようになった時代には、既に音量の小さいリコーダーはフルートにとって代わられ、20世紀になって再発見されるまで、忘れ去られていたといってもいいでしょう。
オーケストラスコアを見ながら、リコーダーでシンフォニーを演奏する、演奏してしまう、という発想はP氏まで誰も思いつかなかったことかもしれません(笑)。

aosta
2012/07/21 06:01
◇keroさん

>なんて素敵な組み合わせでしょう。

keroさんからそんな風に言って頂けると、なぜかとても嬉しいaostaです。
博物館の企画展があって実現したとも言える今回のプログラム、一回だけの演奏で終わるのはもったいない、という声もあります。
時間と場所が確保できれば、東京方面での演奏会も可能かもしれません。
でも1時間半というプログラムは聴く方も演奏する方も、結構疲れます(笑)。
かしこまって椅子に座ったまま、というより、好きな姿勢、好きな態勢でのんびり気ままに楽しんでいただく、というのも一考かもしれませんね。
aosta
2012/07/21 06:01
拙コメントへの、ご丁重なお返事、痛み入ります。
記憶とは不思議なものだとのお言葉が、私の心に響きました。
ちょうど、福岡伸一氏の「せいめいのはなし」を読んでいて、養老猛司氏との対談で、記憶とは何か、意識とは何かなどのことどもを読んでいたところでしたから。
たぶん図書館の書物のように蓄えられたものとは、記憶というものは異なるのだろう、とか、夢と現実の記憶とどこが違うのだろうかなあ、などと考え、頭が湯豆腐ふやふや状態沸き立っております。

Zu-Simolin
2012/07/21 19:32
◇Zu-Simolinsん

おはようございます。
「せいめいのはなし」、どこかで聞いたことのある名前だと思いながら調べてみましたらバージニア・リー・バートンの絵本「せいめいのれきし」を読んだ時の記憶に触発された書名だったのですね。「せいめいのはなし」の対談者の顔ぶれに興味を引かれます。
何十年も生きて、いつの間にかミルフィーユ生地のように何層にも重なった記憶。でもそれが記憶として意識されるのは、そのほんの僅かな部分なのでしょうね。
思いだされることのないまま眠り続ける記憶は、その時点では「記憶」とは呼べないのかもしれませんが、思いがけないきっかけで、鮮やかに、また次々と思いだされることがあります。いわゆる「知識の記憶」ではない「体験の記憶」が、いつから記憶になるのか、不思議です。
または意識と眠り、時間の関係。
眠りは死とほとんど同じように思います。では「夢」は?
まさしく「胡蝶の夢」を生きている自分を思います。「

>夢と現実の記憶とどこが違うのだろうか

現実の記憶でさえ、人間は時に主観的な「あらまほしき記憶」とも言う形にかわっていくこともあります。意図的に操作された集団としての記憶だけでなく、個人の記憶の中でもそうした記憶の変容とも言うべき変化があります。無意識の取捨選択やねつ造が行われていると言う事なのでしょうか。記憶の不思議は、そのまま脳内の不思議ですね。

因みに、私は湯豆腐が大好きです。
カボスなど効かせて、好みの薬味で熱々を頂く。飽きません。
だいたいが鍋はシンプルなものが好き。よせ鍋より、断然、常夜鍋です!
aosta
2012/07/22 06:28
ごぶさたしています。多忙の合間をぬって第九に備えているところです。

古代の文字譜、どのようにして解読したのか興味深いです。五線譜だって、初めて見る人には意味不明でしょうから。

高校でオケをやっていた頃は弦楽器の人数が不足気味だったので、管楽器奏者数人でオケスコアをのぞき込んで、弦パートをリコーダーを吹いて遊ぶことがよくありました。非常に古典的な由緒正しい遊び方(笑)だと思います。
かげっち
2012/07/23 12:43
◇かげっちさん

>古代の文字譜、どのようにして解読したのか・・・

そうそう!ここなんですよね。
文字と記号をどのように読み説いてどのように再現したのか、考えただけで胸が躍ります。すべての芸術が理想的な形で完成された古代ギリシャに洗練された形の音楽があったであろうことを想像するのは容易です。しかしながら、時間芸術である音楽の哀しさ、その再現が困難であったであろうことも充分に理解できます。
まずは、残された壁画や壺などに描かれている楽器の復元から始まったのでしょうか。
音楽が数学の一つの分野として位置づけられていたことも考え合わせれば、ピタゴラス音律に思いが至ります。少なくとも、このピタゴラス音律が古代ギリシャの文字譜解明の一つの手掛かりになったのではあるまいか・・・って、何の根拠もなく想像するaostaであります(^^ゞ
上尾信也さんの「歴史としての音」(柏書房)は楽譜の歴史を知る上でとても興味深い本ですが、残念なことに「ヨーロッパ中近世の音のコスモロジー」という副題の示す通り、古代ギリシャの文字譜については本の数行の記述しか在りません。
ロゼッタストーン解読の経緯はいくつもの本で知ることが出来ますが、古代ギリシャの文字譜についての書籍は、残念ながら心当たりがありませんが、音楽史の本なら文字譜に言及しているものもあるかもしれませんね。

>非常に古典的な由緒正しい遊び方・・・

なんだかすごく楽しそう。
私の高校時代の思い出の中にそうした光景がないことはとても残念です。
音大を受験する友人のピアノを放課後の音楽室で聴いていた記憶を懐かしく思い出しました。受験課題曲は「テンペスト」。もしその友人が男性だったなら、多分恋に落ちていたかもしれませんが、女子高となればあり得ないことでした(笑)。
aosta
2012/07/24 23:07
ある時代のギリシアでは、音程の高低を現代と逆の言葉で表していた、と読んだことがあります。ピアノの鍵盤の右の方を低い音、左の方を高い音と呼んだとか。高い低いは地球の重心との位置関係を表すのが元の意味ですから、比喩表現なわけですが、比喩の向きが反対なのですね。

さてかげっちは、そういう昔の仲間もふくめOB100人ほどで第九を演奏するため汗をかいています。本番は8月13日、私は一日しか練習に出られませんが、練習量豊富な若い者に負けないよう(老練さで勝負)準備中です。「みんな好きだねぇ・・・笑」という濃いメンバーしかOBステージには出てきませんから、朝まで宴会になることは言うまでもない(?)
かげっち
2012/07/25 12:40
◇かげっちさん

>音程の高低を現代と逆の言葉で表していた

ということは・・・
ギリシャの時代、高い音を「低い」、低い音を「高い」と呼んでいたと言う事なのですね。
比喩表現にしても、一瞬頭が混乱しました(^^ゞ

8月13日が本番の第九、佳境ですね。
連日の猛暑で燃え上がらんばかりの日本列島ですが、かげっちさん初めとするオーケストラの皆さんも、熱く燃えているご様子、九州方面から発火しないよう願います。

>朝まで宴会になることは言うまでもない

こうした展開は充分に理解できます(笑)。
音楽には演奏する楽しみばかりでなく、音楽を語るというとびっきりの楽しみもあるのですものね。宴会の場においてもぼうぼう気炎が上がるのでしょうね。
火の用心、火の用心!!
aosta
2012/07/26 21:59
いよいよ本格的な演奏家活動ですね。安全な生活を断ち切る、という大決心が伝わってくる気がします。きっとPapalinの心に本物が見え始めたという事でしょうね。“今”という一瞬がものすごく尊く大切であると実感されたのでは!
Papalinとaostaさんの強い信頼と、愛情に溢れた中から生まれてくる音楽に、だれもが感動し、喜びを感じることでしょう。M家万歳!Hosanna!
ウタキチ
URL
2012/08/01 09:07
◇ウタキチさん

コメントを頂きまして、大変嬉しいです。ありがとうございました。

>安全な生活を断ち切る、という大決心

P氏の場合、経済的、社会的な”安全”が精神的安定とは一致しないのだと言う事を、ここ数年の間に実感した次第です。これからはPが目指す音楽を微力ながら応援していきたいと思っています。不思議なことに「一大決心」のあと、思いがけない方から様々なお声をかけていただき、ぼんやりとではありますが進むべき道が見えてきたように感じています。
ウタキチさんには、これからも公私ともにお世話になるかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します。
aosta
2012/08/02 07:17
あついあつい想いの夏ですね、aostaさんはやはりリコーダー奏者でいらしたのですねホームページを拝見し、わっーと驚きました。流れる演奏にここでも静かに心震わせて聴いております。
大きな森の小さなギャラリー
2012/08/07 19:32
◇大きな森の小さなギャラリーさん

おはようございます。
個々のところご無沙汰しておりましてすみません。

>aostaさんはやはりリコーダー奏者でいらしたのですね

誤解を招くようなブログの書き方で申し訳ございませんでした。
リコーダー奏者は主人のPで、私はそのマネージャーです。HPもご覧いただき演奏をお聴きくださったとのこと、本当にありがとうございます。"ILL DIVO"での演奏は、皆Pの一人多重録音によるものです。多重録音というと、安易な物を連想されがちですが、Pの録音を初めてお聴きになられた方のほとんどが、一人の演奏とは思えない、と言って下さいます。曲の頭をきっちり合わせること、これがとても重要でかつ難しいところなのですが、彼の場合、長い経験の蓄積があります。音程もぴたり。リコーダーの場合これが難しい。音が出る、ということと、正しい音・美しい音を出すと言う事は全く別次元のものです。奏者は違いますが、どうぞこれからもPの「音楽室」をよろしくお願い致します<m(__)m>

Pのマネージャー aostaより
aosta
2012/08/08 06:38
お忙しいようですね、、

山栗さんのブログで  うつくしい aostaさんちの
お庭拝見〜 秋にはまた 風情のある景色を
みせてくださいね〜
カタナンケ
2012/08/08 21:39
◇カタナンケさん

最近いろいろいろなことが重なって忙しく、ブログ更新の時間がありませんでした。
気がつけばもう8月も一週間が過ぎ、立秋とともに秋風の気配が・・・
庭では女郎花や秋海堂の花が風に揺れています。
まだまだ夏のうちに済ましておかなければならないことがたくさんあるというのに、気持ちは焦ります。書きたいことがないわけではないので、もうしばらくお待ちくださいませ。
aosta
2012/08/09 07:03
> 古代の文字譜、どのようにして解読したのか興味深いです。

かげっちさんのご質問の答えにはならないかも知れませんが、ギリシヤの"楽譜"は比較的容易に想像がつきます。ます音の高さはギリシア文字(ABCのようなもの)で表されます。音の長さは、これらのギリシア文字の上に記号として表されます。楽譜としては、これらの下に歌詞も添えられます。

ギリシヤ時代には、こんな素晴しい記譜法があったのに、なぜローマ時代以降、千年もの間この文化が絶え、稚拙なネウマ譜しか登場しなかったのか。その理由は歴史(政治史)にありました。それはまたの機会に。
 
Stanesby
2012/08/12 07:40
◇Stanesbyさん

コメントありがとうございました(^^ゞ

音の「高さ」と「長さ」。このどちらが欠けても楽譜として充分とは言えないと私も思います。ネウマ譜に長さの表示がなかったと言う事は、今まで知りませんでした。
音の長さが指定されない楽譜をどのように演奏していたのかしら。
この時代はまだ耳で聞きながら、というか、楽譜はあってもそれを補い意味での口伝のような形が残されていたのかしら、とも思います。ネウマ譜といって思いだすのは教会音楽ですが、事実がどうであったかはともかくチャントなどの口伝はあり得たかな、と勝手に想像しました。
aosta
2012/08/13 09:03
乗りかかった船で、ローマ以降の記譜についても書きましょうか。

初期のネウマ譜に、音の長さが記されていないことは、現代人である私たちにとっても、当時の演奏を再現(演奏)する際に厄介なことなのです。"初期の"と書いたのは、ネウマ譜自体も発展を重ね、白符や黒譜と呼ばれる計量記譜法が用いられるようになると、音の長さも後の世の人が"類推"することなしに明確化されました。逆にもっと初期のネウマ譜は、横線すらなく、音の長さだけでなく、音の高さも明示されませんでした。ではなぜギリシヤ時代に"音の高さ"と"音の長さ"が表記された文化文明が逆光の一途を辿ることになったのか? という疑問が生まれます。

右のURLは、記譜に関する歴史とその発展が詳しく記載されています。全部読むのは大変ですが、以下、私が書く点以外の行間を埋めて下さるサイトとしてご紹介します。
 
Stanesby
URL
2012/08/14 11:09
結論です。ローマの指導者たち、あるいはローマ帝国が崩壊した後の各国の指導者たちにとって、こうしたギリシヤ時代の記譜(法)は必要ないと判断されたからです。もっと言うなら"記譜"自体が不必要であったということです。

ローマ帝国が崩壊して、現在の各国の元となるような国がいくつも誕生した時代は、国民主義や国粋主義と似ていて、自国の文化を育て伝えて行こうとした時代です。その中で、ギリシヤの文明文化の所産物も取捨選択が行なわれました。それらを残したのは、キリスト教の教会、しかも大きな教会でした。彼らが残そうと考えたものは、文学作品など僅かなものであったそうで、音楽に関しては対象外となってしまったようです。初期のキリスト教の時代は、人の心を惑わすような音楽は粗悪なものとして認識されたためもあるようですね。

つまり、この段階でギリシヤの優れた記譜法が葬られました。一方のキリスト教においては、aostaが書いたように、教会の中で厳かに歌われる(音のついた祈りの言葉と言った方が正確ですが)ものを口伝以外の方法で伝える必要性を感じていませんでした。ところがやがて、キリスト教の祈りの仕方が各国各地で異なることに疑問を感じ、ミサや聖務日課を統一していき始めます。その過程において、口伝によらない"記譜"が必要になりました。残念ながらギリシヤの進んだ記譜法は知らず、上記の目的を満たすものがあれば良いという実情だったようです。私は初期のネウマ譜は、この目的をも満たすものではないように感じますが、おそらく口伝と共に用いられた"参考資料"のようなものだったのではないでしょうか。
 
Staneuby
2012/08/14 11:24
中世のヨーロッパにおいても、当然のことながら音楽は教会内だけに留まるものではありませんでしたが、教会以外で歌われ奏される音楽は、記譜として残す必要がなかったようで、当時の世俗音楽がどのようなものであったかを知ることは出来ません。せいぜいギリシヤから千年ものちの吟遊詩人の歌を知るのが精一杯です。

こうしたローマがもたらした記譜に関する歴史ですが、グレゴリオ聖歌のような単旋律の音楽から多声音楽に発展してくると、複数の人が別々のパートを演奏(または歌唱)することとなり、夫々の演奏者が"合わせて"演奏する必要性が出てきます。となると、音の高さだけではなく、音の長さに関しても、きちんとした取り決めが必要になったというのも頷けますでしょう。

蛇足ですが、現代では四重奏というとスコアで書かれていますが、当時は現代で言うところのパート譜のように、各々の声部が独立して記譜されていました。今は当たり前のように見るスコアの登場も、音楽史上においては重要な発見だったと思いますし、スコアのない時代の演奏者を改めて尊敬してしまいます。
 
Stanesby
2012/08/14 11:33
前にもいちどコメントしたのですが、うまく送信できなかったようです。再度のコメントです。Stanesby氏の大幅な登場に驚きながらも、楽譜の“進化”興味深く拝見しました。
bunbun(中ぶんな)
2012/08/15 23:18
◇Staneubyさん

お返事、遅くなりましてごめんなさい。

一つの文明が崩壊したあとと、時の権力者にとって必要がないと判断されたものは失われてしまうのですね。ローマ帝国において、音の高さだけでなく長さ(リズム)記すことができた、かつてのギリシャ時代の記譜方が失われたという事実は、(よくギリシャ・ローマ時代とひとくくりにした言い方がされますが)言うまでもなく、ふたつの文明の文化的価値観には大きな断絶があったと言う事なのでしょうね。

世界帝国”ローマ”が滅んだあとのヨーロッパがひとつの精神的文化圏として存続し得た事もローマが残したキリスト教という遺産があって、初めて可能だったことと思います。
その教会の中で生き延び、さらには、キリスト教の拡大に伴って記譜法の改善の必要性に迫られた結果が、楽譜を「進化」させたのだという説明に得心致しました。(「進化」とはいえ、すでにかつてのギリシャ時代には、確立されていた記譜法なのでしょうが)。
その後のヨーロッパにおいて、音楽が教会の中だけにとどまることがなかったことも、いわゆる「西洋音楽」がヨーロッパ以外の国においても興隆を極めることが出来たのも、音の高さだけでなく長さまで、正確に表記された楽譜があって、初めて可能になったことなのでしょう。
aosta
2012/08/20 07:31
◇◇Staneubyさん

>今は当たり前のように見るスコアの登場も、音楽史上においては重要な発見だったと思 います

う〜むむむ。
「スコア」はそれまでの楽譜の常識を覆す、大きな発見だったのですね!!

「常識」がいつの時代の「常識」という訳ではない事は、当たり前だけれど、なかなかそれと気がつかないですね。目からウロコのお話でした(^^ゞ
aosta
2012/08/20 07:37
◇bunbunさん

おはようございます。
お盆も過ぎて、早くも庭では秋の虫がすだく声が聞えてきます。

コメント送信がうまく行かなかったとのこと、お手数をおかけしまして申し訳ありませんでした。

人間の歴史とは、進化と退行の繰り返しなのかもしれません。
進化と信じて退行することは、怖ろしいこととも思います。
楽譜の進化はともかく、進化、必ずしも善ならず、というところでしょうか。
aosta
2012/08/20 07:43

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