「受胎告知」 モーリス・ドニ




3月25日は、カトリック教会の「マリアのお告げの日」。
少女マリアの下に天使が訪れ、神の子を宿す運命を知らされた日とされています。

「受胎告知」はローマ教会の始まりとともに、多くの画家によって描かれてきたテーマのひとつ。
2000年の昔、天使の言葉を慄きとともに受け入れた少女がいた事によって、ひとつの壮大なドラマが始まりました。

「美しき聖像画のナビ」と呼ばれたモーリス・ドニは19世紀フランス、ナビ派の画家。
その名前の通り数多くの宗教画を残しています。
中でも「受胎告知」はドニがもっとも愛したモチーフでした。
私が知る限りでも、8枚ほどの「受胎告知」が描かれています。



その中の一枚「フィエゾレの受胎告知」 (1913年)。

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フラ・アンジェリコやレオナルドの作品に描かれた「受胎告知」のマリアたちが、怖れながらも静かに決然と天使の言葉を受け止めているのに対し、ドニが描いたマリアの、なんと純朴で可憐なことでしょう。
多くの印象派の画家たちと同様に、浮世絵の影響を強く受けたとされるドニ。
彼の平面的な構図と色、単純化されたフォルムは、晩年の作品において、より特徴的に表れています。
ドニが43歳の時の作であるこの「受胎告知」に描かれたマリアの初々しい美しさもまた、そうした「単純化」の幸せな成果であると思います。

従来の「受胎告知」において、少女マリアが「告知」の段階ですでに高潔なまでの「聖母」として描かれたことと対照的に、ドニが描くマリアは、たったいま告げられた驚くべき運命の意味も、しかと胸に落ちていないのではないかと思えてしまう、この上なく無邪気な法悦と輝くような至福の中にいます。
神秘的な金色の光の中に立つ少女には、純潔というより無垢という言葉がふさわしい。
そしてこのマリアの無垢はまさに恩寵という言葉こそが似つかわしく思えます。
多くの絵画の中で優美な威厳をもって描かれてきた天使さえも、ドニの作品の作品の中では、この「無垢なるマリア」の前に額づいています。
窓から差し込む光を浴びてひざまづく天使の姿は敬虔な美しさに満ち、あたかもマリアの内的な光に照射されたごとくに輝いています。
神秘的な光の中に対峙する両者を繋いでいる親和的な力、そして幸福感。
私がドニの絵を愛する理由もまさにこの「幸福な親和性」にあるのかもしれません。
しかしながらドニは、この「幸福で親和性に満ちた時間」の中に、マリアの運命を描きこむことを忘れませんでした。
マリアの背後に落ちている光が照らし出す窓枠のシルエットは、今まさにマリアの胎に宿った命が、十字架上の死を迎えることの暗示のように思えます。
そう言えば、天使の後ろのガラスドアにも十字架のモチーフがあります。

屋外には光が溢れ、咲き誇る花々と、そして多分ミツバチの羽音。
そこにはいつもと同じ、美しい日常の時間が流れています。
しかし、マリアと天使のいるこの場所から、いままさに歴史は変わろうとしているのです。


フィレンツェ郊外の小高い丘の上にあるフィエゾレは、作家犬飼道子さんが「世界で一番美しい場所」と書いていらしたところ。春には丘の斜面一杯に金色の水仙が咲き乱れるという、その小さな町ほど、ドニの雰囲気に似つかわしい場所はないように思えます。
さればこそ、かつてフィレンツェを訪ねながら、フィエゾレまで足を運ぶ事が出来なかった事が悔まれてなりません。





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モーリス・ドニ 「マニフィカト」1909



マニフィカトとは、受胎したマリアが喜びとともに発したとされるに言葉(「ルカによる福音書」1:46~55)。
一般に「マリアの賛歌」として知られる歌です。
カトリックの修道院では、日没時刻の聖務日課ヴェスプレ(晩祷)において、終曲として歌われます。
モーリス・ドニの「マニフィカト」は、沈黙のうちに、深い祈りを感じさせる作品。
残照に照り映える空と海を背景に浮かび上がる人物像は、感謝と喜びの祈りのうちに静かに佇んでいます。
手を取り合いながら祈る二人の女性は、マリアと洗礼者ヨハネの母エリザベト。
ルネサンス時代の絵画を思わせる古典的な画法で描かれたこの絵は、素朴でありながら、どこかピエロ・デラ・フランチェスカの気品に通じるものがあります。




<関連過去ブログ>
◇「受胎告知」 フラ・アンジェリコ     → http://follia.at.webry.info/200612/article_10.html
◇「受胎告知」 レオナルド・ダ・ヴィンチ → http://follia.at.webry.info/200703/article_8.html

◇バッハ BWV106 「ソナティーナ」 / モーリス・ドニ 『四月』 → http://follia.at.webry.info/200704/article_7.html






★このブログ記事を書くにあたり、removeさんのブ ログを参考にさせていただきましたことを感謝とともに記させていただきます。








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この記事へのコメント

bunbun(中ぶんな)
2012年03月27日 10:14
おはようございます!
いつもながら、aostaさんの絵画の選択、審美眼に感心してしまいます。
>無邪気な法悦と輝くような至福の中にいます
 これをそのまま頷いたことです。
>無垢であることこそが恩寵
 この絵画の場合の「無垢」というものについて考えているうちにすこし迷路に嵌ってしまいました。またここにどなたかのコメントが入り、そしてaostaさんがお答えを書かれるのを待ち、それを読ませていただいてさらに理解を深められればと思っております。
 
2012年03月27日 20:18
◇unbunさん

こんばんは♪
コメントありがとうございます。
本当でしたら祝日当日の25日にアップしたかったのですが、一日遅れてしまいました(汗)。
モーリス・ドニの「受胎告知」、気に入っていただけたこと嬉しく思います。
彼が描く光には何かこの世ならぬ神秘的な輝きに満ちて、観るひとを不思議な幸福感へと導くものがあると思います。「マニフィカト」は、bunbunさんからコメントを頂いたあと、追加させていただきました事、ご了承ください。

純潔と無垢。
私のイメージとして、純潔は意志や状況によってによって保たれるものという感覚があります。対する無垢は、本人の意志とは関係のないところにある「状態」という感じかしら。恩寵は上から来るものであり、体験するもの、とも思います。私は、マリアの無垢はカトリックでいうところの「無原罪」ともちょっと違うように思います。例えて言うならば水のイメージが近いかもしれません。器によって自在に形を変える水。どんな器をあてがわれたとしても、「水」としての本質は変わらない。与えられた形にしなやかに従いながらも、その清らかさは同じ。それでいて「水」はそのことを知らない。
この「知らない」という事こそが無垢という状態なのではないかと、考えます。これはあくまでも、私個人の感覚ですが、純潔は自らが純潔であることを自覚しているけれど、無垢は自分が無垢であることを知らないと言ってもいいかもしれません。そしてそのゆえに、水は(マリアは)、受胎の告知を受け入れることができた。無垢は純潔を超える・・・多分、変な考え方なのでしょうね(笑)。
bunbun(中ぶんな)
2012年03月27日 22:31
aostaさんがたぶんこれをお書きになっているころに、岩手・宮城に震度5弱があり、久しぶりに念のために庭に避難しました。お陰様で守られました。原発異常なし津波無しの報道にほっとしています。
マニフィカトといえば、私は真っ先に当地の盛岡バッハ・カンタータの合唱を思い出すのですが、絵画としてはここで初めて意識しました。これもまた心惹かれます。
この「無垢」というご説明、聖書を知っていても、そのときのマリアの心の状態、心情をわたしはそれほど深く理解していなかったと思いました。たぶんマリアは何が何だかわからなかったのかもしれない、けれども天使のことばと天からの霊的な浄福感に満たされそれを頷き受け入れることができたのかもしれません。変な考え方どころかむしろ真実に近いかと思われました。
有難うございました。
2012年03月27日 23:15
◇bunbunさん

震度5弱の地震、かなり揺れたことと思います。というより、私だったらうろたえて、足がすくんでしまうような揺れだと想像いたします。
何事もなかったとのこと、本当に良かった!!
夜の津波・・・考えただけでぞっとします。

マニフィカト、マリアのエリサベツ訪問に際し、エリサベツの祝福に対する返答としての言葉でしたね。ドニの絵はご覧になられたとおり、一見宗教画とは思えないほど素朴で単純です。でも過剰なものを排除したこれらの作品にはえも言われぬ品位があります。ドニ独特の色遣い、平面的な絵具の塗り方、どれをとってもドニとしか言いようのない個性が溢れています。
彼の作品の中には装飾的なものもあり、それもまたひとつの特徴なのですが、むしろ私は、単純化された線と平面によって描かれた作品が好きです。

お返事の中での「無垢」については、私も半分迷宮入りした状態で書いたと言うのが本当です(笑)。また「霊的な浄福感」に満たされていたとしても、それはマリアの理性を惑わすようなものではなかった、と思います。自分の理解を超えた状況にあって、敢えてその言葉を受け入れる。「無垢」にはそうした強さもあるような気がします。
今夜の地震が一度で治まることをいのりつつ。
2012年03月29日 08:39
Aostaさん今日は!
3枚の受胎告知の絵を見せもらい、さなが美術史の勉強をしているような気分になりました。日頃絵画には疎い私ですので、Aostaさんのブログによって教えていただくことが多いので感謝しています。
実感的にいえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵は、キリスト教というよりも人間性を感じさせてくれます。もっといえば、封建制からの解放、生への躍動感でしょうか。
フラ・アンジェリコのは、宗教性そのものといった感じですね。
それらに対して、モーリス・ドニの絵は、宗教性の鋭さが丸くなり、優しい感情が漂っています。19世紀末から20世紀初頭の激動期、精神の不安と疲れを感じた人々は信仰心を強く求めたということの現れなのでしょうか。しかし、それはかつての堅苦しさや権威主義からは解放されています。
「無原罪の御宿り」につついて考えましたが、結局わかりませんでした。
2012年03月29日 20:49
◇山栗さん

こんばんは。
嬉しいコメントをありがとうございました♪
過去ブログにも目を通して頂き、それぞれの「受胎告知」に対して正鵠を得たコメントを頂きましてとても嬉しいです。
レオナルドもフラ・アンジェリコも、ともにイタリア・ルネサンス期の画家ですが、ルネサンス初期に活躍したフラ・アンジェリコ(1395年頃 ~1455年)の画風にはまだゴシック的生真面目さの余韻が漂っています。個人的にゴシック好きな私としては、まさにその生真面目、固さに魅かれるのですが(笑)。
フラ・アンジェリコは、画家であると同時に修道士だったようです。だからという訳ではありませんが、山栗さんのお言葉にもありますように宗教性が前面に出ていますね。
対するレオナルドの生年1452年。フラ・アンジェリコより60年近く遅れての登場です。ルネサンス盛期に活躍した彼が描くマリアは、確かによりしなやかで人間的だと私も思います。
そして、ドニ。
「精神の不安と疲れを感じた人々は信仰心を強く求めたということの現れなのでしょうか。しかし、それはかつての堅苦しさや権威主義からは解放されています。」という山栗さんのお言葉の通りだと思います。
時代が宗教を必要とした、というご指摘も、なるほどと思いました。一方で、ドニの情緒あふれる画風は、彼の個人的資質・感性によるところも大であるように思います。

「無原罪の御宿り」ブログに書くにはちょっと難しいと思いますが、機会があればお話できるかもしれませんね。
もちろんリクエストがあれば、の話ですけれど(笑)。
2012年04月03日 08:18
この日は一人静かに祈っていました。最近忙しさにかまけてお祈りもサボり気味・・マリア様に怒られてしまいそう? そんなことはないですね。優しく見守ってくれていると勝手に信じて。 癒される絵でホッとしています。
2012年04月03日 20:51
◇mintさん

マリア様のお告げの日って復活祭の前なので、ちょっと目立たない(笑)のが残念です。ドニの「受胎告知」、気に入って下さったようで嬉しいです♪
明るく温かい色使い、マリアも天使もとてもいい表情をしていますね。
従来の宗教画とはかなり雰囲気が異なるかもしれませんが、素朴で慰めに満ちた素敵な作品だと思います。
2012年04月04日 08:44
はじめまして。トラックバック、記事本文のリンクありがとうございます。TBしたのですが、「送信に失敗しました。」のメッセージ。TBいただいた記事にaosta さんの記事をリンクしました。詩の創作や植物などの記事を拝見。ずいぶん寒いところにお住まいのご様子。「桜散る 花のところは 春 ながら 雪ぞ降りつつ 消えがてにする」という和歌を思い出しました。
2012年04月05日 09:52
◇removeさま

おはようございます。
このたびの記事をアップするにあたって、貴ブログを拝見させていただき、貴重な画像の数々を確認できましたことを感謝しております。
コメント欄が見当たらないまま、御了解を得ずにTBさせていただきました失礼にも関わらず、お言葉をお寄せ下さいました事、本当に嬉しく、ありがたく存じます。
私が住んでいます八ヶ岳山麓は、標高1200m、同じ長野県でも桜が咲くのは5月の声を聞いてからです。さすがに5月に入って雪が降ることは稀ですが、何年か前に、引用下さいました古今集の歌と同様の景色を眼にしたことを思い出しました。
タイトルにもあります「消えがて」という言葉に反応していただいたこと、とても嬉しいです。リンクしてくださった記事を拝見し、「源氏物語」は「澪標」の中の、秋好中宮の歌を連想致しました。
歌の背後に隠された史実(若しくは、ものがたり)を思う時、さらにも歌は深く心に触れてきます。歴史に疎い私ではありますが、removeさんの記事を読ませていただき、改めて「もののあはれ」に想いを寄せた事でした。

お送り頂きましたTB、無事受理しております。
ありがとうございました
お風邪を召されているとのこと、どうぞお大事になさって下さい

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