さかなのかたち





                       夜明けが近づくにつれて

                       回遊する魚のように 戻ってくるものがある

                       浅く呼吸する 遠い夢の中から

                       銀色の鱗を光らせ やってくるのは

                       美しい魚の形をしたもの

                       それは夢 それとも記憶?






画像

 「伝書鳩」ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 1870 







                       そして今 銀色の飛行機が

                       音もなくすべるように 

                       真冬日の空を 横切ってゆく 

                       その姿が なぜか懐かしくて

                       空を仰いで 大きく手を振る



                       そのとき 
                       
                       何かに応えるかのように 

                       あるいは 警告のように、
    
                       ひと声 見知らぬ鳥が鳴いた



                       私が手を振ったのは

                       果たして飛行機だったのか

                       それとも 

                       飛行機の形をした 

                       なにか別のものだったのだろうか


         



  by aosta   2012/01/30







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この記事へのコメント

bunbun
2012年01月31日 17:24
こちらは日中も氷点下4、5度ではないかと。除雪に追われております。
そちらの家周りには、またまた雪と氷の芸術品がたくさんできているのではないかと思います。
シャヴァンヌ、これも初めての絵画とシャヴァンヌを検索しますうちに、作品の中に『聖なる森』を見つけ、ああこれを描いた画家だったのかと思いました。『伝書鳩』、描かれる鳥も、鳥であって鳥ではなく、もしかすればこの女性の心の作者の心の投影なのでしょうか、そんな感じを持ちました。いま雪に閉じこめられており、ついそんな風に感じてしまったかもしれません。
aostaさんの詩の方が、この絵画をよく表現してらっしゃるように思います。懐かしさに大きく振られた手に何者かが応える。それは鳥でもなく人でもない、明確でないところに余韻を感じます。
Zu・Simolin
2012年01月31日 17:53
こんばんは。
シャヴァンヌのことは今まで気にしたこともなかったので、新鮮でした。
私もネットで検索いたしましたが、『眠るパリの街を見おろす聖ジュヌヴィエーヴ』の絵が心に留まりました。シャヴァンヌさんの絵の女性はどうして腕を宙に伸ばしているものが多いのでしょう。何か意味がありそう……。
 『伝書鳩』の女性も、手を翳しているように見える一方、ストップ!と手を上げているようにも私には見えてしまい、謎です。特に今の日本を考えますと……。
2012年01月31日 20:39
◇bunbunさん

こんばんは。
今回の詩と合わせて違和感のない絵をさがしてこの「伝書鳩」にたどり着いたのは、幸福な偶然でした。シャヴァンヌのもう一つの作品「気球」とこの「鳩」。どちらも心魅かれる作品でしたので、どちらにしようか迷ったのですが、詩の中にも鳥のイメージがありましたので、結局「鳩」を選部こととなりました。
私の中の鳥やさかなが象徴している物は何なのか、実は私自身にも漠として定かではありません。でも、もしかしたら、それがために、読んで下さる方のイメージが広がるのではないかとかと、勝手に考えています。bunbunさんにも同感していただけるかと思いますが、言葉はいつも私の思いより先行して、書いた本人の思惑を超えて独り歩きをしています。
Bluebell
2012年01月31日 21:25
こんばんは!
シャヴァンヌの素敵な絵にぴったりの詩、
特別な世界への入り口のようです。
記憶は時には懐かしみ、時には恐れとなって戻ってきます。
魚の鱗のように美しくもあり、冷たくもあります。
人は、好き嫌いにかかわらず両面を見なければいけませんものね。
何かに応えることと警告と、
よく考えたら、どちらも発せられた声です。
その両方の面を一度に感じる時、
自分の感情を決めかねてしまうことに不安を感じてしまうのでは。
必ず帰って来ようとする伝書鳩。
帰ってきてしまう記憶・・・
どちらも恐れず受け止められるような、
静かな心を持ちたいものですね。
2012年01月31日 21:28
◇Zu・Simolinさん

コメントありがとうございます。
『眠るパリの街を見おろす聖ジュヌヴィエーヴ』、私も今回初めて知りました。
夜空に水のように満ちている月の光を思わせる淡い青の諧調、心がしんと鎮まるような絵です。背景に見える青は、最初地中海かと思いましたが、説明を読みましたらセーヌ川なのですね。パリというよりイタリアの古い街並みを思わせる絵ですが、フレスコ画に関心があったと言うシャヴァンヌですから、意図的にイタリア風のパリを描いたのではないかと思ってしまいます。
腕を伸ばす女性・・・
確かにとても暗示的というか、象徴的な構図だと思います。
右手上方から降り立とうとしているかに見える鳥と、それを静止させるかのような身振りをしている女性。確かに何か寓意的な感じがします。
私には空から飛来する鳥と、女性の胸に抱きかかえられた鳥。
この2羽が意味するものが何なのか判りませんが、特定する意味も必要もないように思います。見る人の数だけ、解釈も、感じ方も異なる、と考えてもいいのかもしれませんね。
ねこギター
2012年02月02日 00:42
こんばんは。
魚のかたちをした銀色の飛行機が横切っていくのを想像して読みました。
飛行機がキラリを光るのと魚の鱗の光がイメージでつながるのが面白いです。
詩と絵画を組み合わせるのは二重に想像が膨らむので贅沢な試みですね。

雪の積もった寒々しい街。伝書鳩を守るように胸に抱く女のひと。
鳩は伝言を持ってたどり着いたばかりなのか。
それともこれから届けるために放たれようとしているのか。
鋭いくちばしを向けて覆いかぶさるもう一羽の鳥。
鳩は希望・幸福?それを妨げる不安。
女性の想いをいろいろ想像してしまいます。

子供の頃は、朝方の夢をよく覚えていることが多かった気がします。
続きものの夢をみたりして。
SF映画のようなスペクタクルな光景をみると得した気持ちになります。
夢は、記憶の光の断片が、純粋な気持ちとランダムに組み合わされる万華鏡のようなイメージがあります。
2012年02月02日 20:54
◇Bluebellさん
 
お返事をお待たせして申し訳ございませんでした。
「特別な世界への入り口のようです。」
ありがとうございます。そんな風に感じていただけてとても嬉しいです。
今回は、いつになくイメージに合う絵を見つけるのに苦労いたしましたので、尚更に嬉しく思います。でも苦労した甲斐があって、シャヴァンヌの「伝書鳩」に出会う事が出来ました。魚も鳥も、私にとって、何かのメッセージの象徴なのかもしれません。過去においてもさかなや鳥をモチーフにした作品がいくつかあるのは、それらが繰り返し私の中にある何ものかのイメージを喚起するからなのでしょう。

>何かに応えることと警告と、よく考えたら、どちらも発せられた声です。

本当に。応える声も警告も、同じ一つの「声」なのですね。
その声をどう聞きとるか、それもまた私たちに委ねられたものであり、委ねられる、ということは、時には不安や恐れ、場合によっては悲しみさえも伴うような気がします。そうした不安や悲しみをどのように超えてゆくか、「声」はその道行きの標(しるべ)でもあるように思います。
2012年02月02日 21:14
◇ねこギターさん、

>詩と絵画を組み合わせるのは二重に想像が膨らむので贅沢な試みですね。

そもそもは、私の詩の貧困なイメージを絵画の魅力によって補えたら、という思惑から発したものではありましたが、結果的に、今では絵画を捜すという行為自体を楽しむようになりました。

「朝方の夢」・・・
この作品はまさにこの「朝方の夢」に端を発したものです。目覚める前の夢うつつの時間、無意識のうちにふうっと言葉が繋がって一つのフレーズになる。意識が覚醒していくにつれ、その言葉のイメージは希薄になり、はっきりと目覚めた時は、見ていた夢は残滓のようにはかなく漂っている。その残滓を必死にかき集めて、夢を再現しようとしたむなしい悪あがきの結果が、第一連となりました。
書き止めてはみたものの、それ以上にもそれ以下にもならず、数日PCの中で眠っていた言葉たちでしたが、ある日、見上げた空を低く飛んでいく飛行機を見た時、ふたつのイメージがすっと繋がりました。鳥は本当にそのタイミングで鳴いたのです。それはトンビだったと思うのですが、そのまま「トンビ」では、あまり詩的ではないような気がして(笑)、ただ「鳥」と致しました。

シャヴァンヌの作品を丁寧にまた繊細にご覧下さいまして、私がこの絵に見たいと思ったものをそのまま言葉にしていただきました。本当にありがとうございます。
2012年02月04日 09:20
最近人に手を振ったのいつだったかな。昨年硫黄岳に登った時、遠く赤岳に登る登山者の一行に向かって振ったかな、山を下りてきて小さな峠で小休止した時、頂上にいる米粒ほどの人にも手を振ったかな。山を登った時の喜びが素直にそうさせたのでしょうね。会ったことも顔かたちも知らない人に対する、親近感、喜びの共感の表出。
街に戻ってくると、皆素知らぬ顔をして、日々の暮らしに追われている。山でのひと時は、幻だったのか。私も目を合わそうとすらしない。

大切な手紙を運ぶ伝書鳩に襲いかかる雄鷲と、鳩を守ろうとする女性の毅然とした姿
2012年02月05日 06:15
◇山栗さん

おはようございます。
その昔、私も山に登っていた時代がありました。仰るように、山では、登るにつけ下るに漬け、顔を合わせれば、そのたび素直な喜びと一緒に挨拶をかわしたことを思い出します。そして、遠く稜線を行く人影や頂上にいる小さなパーティーに手を降ったことも。
見知らぬ人に、想いをこめて手を振る動作は大きく信頼に満ちていましたっけ。
合ったこともない人、これからも合う事のないだろう人への、あの不思議な共感を懐かしく思い出しました。
山を下り、登山道から一般道に出て、足にコンクリートの固い衝撃を感じると、現実の世界に戻ってきてしまったことを否応なしに知らされて、今降りてきたばかりの山がどんなに懐かしく感じられたことでしょう。
山での時間はいつも非日常そのものでした。今となっては遠く眺めているだけの八ヶ岳ですが、山栗さんのコメントを拝見して、あの時、空に向かって手を振った気持ちと同じ郷愁を、今も記憶の中の山にも感じている事に気づかされました。

先日、音もなく空をゆく飛行機を見挙げていた時は、小さな機影に手を振る私がいると同時に、その飛行機の中から、彼方の下界で手を振っている自分を俯瞰していような、不思議な一瞬でした。
かげっち
2012年02月09日 13:12
いろいろな見方ができて面白いですね。
伝書鳩というとノアの方舟から放たれた鳩のことを思い出します。魚というとローマ時代の地下教会でキリストの象徴だったことを思い出します。そんなことを連想しながら詩を読むと、また別の隠喩を考えてしまいました。
2012年02月10日 22:50
◇かげっちさん

>魚というとローマ時代の地下教会でキリストの象徴だった・・・

私は「クオ・ヴァディス」の中で、ヒロインのリディア(?)が、地面に魚の絵を描いて恋人に自らの信仰を告白する場面を読んで、それと知りました。
確か小学館の「少年少女世界名作全集」の中の一巻。ダイジェスト版ではありましたが、この場面はしっかり覚えています(^^♪
そう言えば、未だに完訳を読んでいません(汗)。

今回の作品につきましては、私のイメージの中で魚とキリスト教が結びついていたわけではないのですが、鳩の絵からノアの方舟を連想されたことと言い、かげっちさんのイマジネーションには逆に触発された思いがします。
公開された以上、それがどのように読まれるかは、完全に読み手の感性に委ねられているわけですが、今回のように自分では思ってもみなかった読み方を示唆していただき、とても嬉しいです。実際のところ「さかな」が意味するところのものは、私自身、今もって漠としたままなのです。

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  • シャヴァンヌ 「気球」・「伝書鳩」

    Excerpt: もう2年近く前になるでしょうか。 自作の詩「さかなのかたち」とともに、シャバンヌの「伝書鳩」という作品をアップしたことがありました。 Weblog: 消えがてのうた part 2 racked: 2014-02-11 05:26