消えがてのうた part 2

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zoom RSS アントニン・レーモンドの「夏の家」

<<   作成日時 : 2011/10/18 21:04   >>

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睡鳩荘に心を残しながら、次に向かったのはアントニン・レーモンドの設計による「夏の家」でした。


同じくレーモンドが設計した群馬県は高崎市の旧井上邸を訪ねた時から、そろそろ一年を迎えようとするこの秋、
再び彼の作品に見(まみ)える機会を得たことも何かの縁かもしれません。
色づき始めた木の葉が散り敷く道を、柔らかな感触と湿った土の香りを楽しみながら歩むうちに・・・
見えてきました。
レーモンドの「夏の家」です。


1933年(昭和8年)、軽井沢・南が丘に完成したこの家は、
設計者自身の別荘として、またアトリエとして使われてきました。
その後レーモンドの帰国に伴って所有者が変わり、一時は取り壊しの話まで出たそうですが、
1986年、幸いにも睡鳩荘と同じ軽井沢タリアセン内塩沢湖畔に移築・保存され、今日に至っています。





まずは外から中を覗いて・・・(笑)。

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小さな玄関ドアから家の中に入ると・・・

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大きく開いた窓から差し込む秋の光で、室内は静かに明るんでいました。
レーモンド設計の特徴でもある広々と大きな窓。
ドアを使わず、引き戸を多用したレーモンドならではの開放的な空間設計です。
レーモンドの独創である「芯外し」の技法は、柱のあるなしにかかわらず、
引き戸のすべてを戸袋に引き込むことができるために、実際以上の視覚的な広がりを感じます。


★ A・レーモンドと「芯外し」など彼の建築手法につきましては、
   ブログ最後にリンクしました「アントニン・レーモンドの旧井上邸」の記事を参照願います



外装、内装を問わず、素材はすべて皮をむいただけの自然木。
床はもちろんのこと、壁も天井もすべて地元軽井沢で調達したという杉と栗の木が用いられています。
新しい建築材は年を経るごとにみすぼらしくなるものですが、天然の木材を使ったこの「夏の家」は、
時間と一緒に成熟して、美しい飴色の光沢を増していました。





見上げる天井はバタフライ屋根と呼ばれる特徴的な作り。
その名前の通り、同じ角度で左右に伸びあがる屋根は、羽を広げた蝶に似ています。

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一階の居間と二階のアトリエを繋いでいるのは、階段ではなく緩やかなスロープ。
傾斜を確認するように、ゆっくりとスロープを登って行ったとき、
スロープの傾斜角度が屋根の傾斜と同じであることに気が付きました。
広々とした吹き抜けの空間の中の、天井と斜路。
この平行するふたつの平面が作り出す親密とも言えるバランスが、優しく、また暖かく、
不思議に居心地良く感じられます。
多少なりとも緊張が伴う階段でなく、おだやかなスロープであるが故の伸びやかさ、
素足が、生成り色の心が、似合う家です。

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居間の片隅にしつらえられた小さな空間。
この場所は・・・?

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建築当時、真南を向いていたという居間のこの場所は、正面に浅間山を展望する最高の場所でした。
雄大な浅間の山容を愛したレーモンドはこの場所を浅間山のための指定席としたのです。
茶室を思わせる自然木の間仕切りと、簡素な造りつけの椅子・・・
それだけなのに、なんという贅沢な空間!!

残念なことに、現在はこの席から浅間山を望むことはできません。



現在の「夏の家」はペイネ美術館として使用されているそうですが、私たちが訪れたこの日は、
建物公開という事で、常設展示のペイネ作品が睡鳩荘に移され「夏の家」は久しぶりに開け放たれて
光と風に溢れた往時の面影を取り戻していました。
睡鳩荘にペイネ作品が飾られていたわけも、これで納得はしたのですが、睡鳩荘にしても、この「夏の家」にしても、
ほかならぬ建物自体が価値ある作品と考える時、関係のない展示物は不要ではないかという気がしてなりません。
こうした歴史的建築物を、美術館という形で保存、利用することのむずかしさを改めて感じたことでもありました。

あの時間、館内を見学していたのは幸か不幸か私ひとりでしたが、小さなことにこだわって質問する私に、
終始気持ちよく説明をして下さった係の女性の方に感謝です。


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           ★アントニン・レーモンドの旧井上邸  → http://folli-2.at.webry.info/201011/article_14.html
             ★旧井上邸の庭              → http://folli-2.at.webry.info/201011/article_15.html

   




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コメント(17件)

内 容 ニックネーム/日時
aostaさんが建造物を載せてくださるときは、これは必ずあとで役に立つと、解説の仕方に気をつけながら拝見しております。
景色が、四季がまるごと部屋の中にあるかに見えるこのような窓は理想です。
スロープ、これは何か実用的なメリットはあるのでしょうか。
個人的には、むしろ実用性からかけ離れた造形を好む方ではありますけれど。
浅間山のための指定席から浅間山が見えないのは何とも残念ですね。
bunbun
2011/10/19 09:36
◇bunbunさん

こんばんは。
写真に助けられて、なんとか言葉の不足を補っているのですが、三次元の構築物である建物を、言葉で説明することは、難しいと思っています。
私が建築の部分にこだわる傾向があるのは、そうした困難を回避しようとする方便なのかもしれません(笑)。
レーモンドの「夏の家」の窓は、窓というより壁そのものが大きな一つの窓とかしてしまったような感じです。記事には書きませんでしたが、部屋の三方向が大きな硝子窓、という部屋もあって、西洋建築的には「閉ざす」べき空間が、外に向かって大きく開いています。自然を排斥することで、住まいしてきた欧米の意識に対し、自由に「家の外と中」を行き来する日本的発想が、レーモンドに新しいインスピレーションを与えたのでしょう。事実、彼自身がこの家を自分の作品の大きな転換点、と位置付けていたそうです。
aosta
2011/10/19 22:18
◇bunbunさん、つづきです。

屋内のスロープ。
意表を突かれるこの発想が好きです。
でも単純に「面白い」だけでなく、bunbunさんのコメントになんとお答えしたらいいのかと考えているうちに、はたと思い当たったことがありました。
つまり、階段は、点なんです。きっと、ね。
階段を上ると言う行為はステップを一つづつ上がる、という「点」の繰り返しなんです。でもスロープにステップはありません。ゆっくりと斜面を登って行く動きは連続した線です。同じものを見ても「点」からの見え方と「連続する線」から見た場合とは、その印象は大きく変わってくるのではないでしょうか。
私が初めてあのスロープを上がって行ったときの、安らかで暖かい気持ちは、そんなこととも関係しているように思いました。
実用的か、と問われれば、実用的でないかもしれません。
あえて実用性を上げるなら、車いすの場合でも介助者がいれば容易に二階に上がれる、一種のバリアフリーと言えるのかもしれません。でも私は、仮に何のメリットがないとしても、「心地よい」という感覚に実利は必要ないと考えています。
一見無意味におもえること、無用に見えるものに私はいつも慰められてきた、と思うのです。
aosta
2011/10/19 22:20
こんにちは!
最初の写真、とっても素敵ですね。
こんな柱だったら、天上が葉っぱでも十分いけそうです。
はえている木の一本一本を見てみると
雨の日は、葉で雨をよけながら、
木の幹を雨水が伝わって根元にたどり着く・・・
こんな単純なことであっても、人間が作ると複雑な作業になってきます。
全てにおいて完璧であろうとする人類の性なのでしょうか?
子供の頃の私の実家は古いわらぶき屋根の家でした。
雨戸も古くなって板が割れた隙間や節から
朝陽が差し込んで、真っ暗な部屋に光の道をつけてくれました。
アントニン・レーモンドの建築を拝見すると
どんなに立派なものでも、何かしらかやぶきの家を連想させるものがあります。
広くとった窓も、昔の家なら当然。
縁側付きの家ならどこにでもありましたよね。
階段をはずし、スロープにしたのは・・・
あくまでも個人的な見方ですが、時間の感覚じゃないかと思うんです。
階段は、常に下や上を見て注意しないとつまずいてしまいます。
山荘にいる時の時間は、都会で働いている時の時間と
流れ方も質も違っているのです。
何にも気をとられずに、下から上に、上から下への景色の変化を楽しむ、
外の景色と一体となる自分を感じる時間を持ちたかったんじゃないかしら?
階段を登る時、いつも外を見たい欲求に駆られますからね!
浅間山の見える定位置、良く気持ちがわかります。
秘密の場所を家の中に作ったんですね。
今でも、座って目をつぶったら、
浅間山の瘤や筋まで、見えるんじゃないかな!
きゃあ〜、長くなってすみません。
Bluebell
2011/10/20 10:46
aostaさん、おはようございます!!
ほんとうにこのように応対くださいまして有難うございます。
>部屋の三方向が大きな硝子窓、という部屋もあって
引き戸だけを用いてのこの発想は、かなりの冒険であったようにも思います。
レーモンドが転換点と位置づけた、そこまでの意味がこの建物にはあったのですね。

スロープ、たしかにここでの点の動きには、仰るような安らかな暖かさがスーッと建物に馴染んで動いていく気配といったものが感じられるように思いました。
いまふと、子どものころ知り合いのお宅の屋根裏部屋にはいったときに、屋根を限りなく近い空間にいることが心楽しかったことを思い出しました。また屋根に上ってみたいといつも思っていました。なにかそんな遊び心を満たしてくれる造りの部分でもあるのかなといま思いました。

>何のメリットがないとしても、「心地よい」という感覚に実利は必要ない
ほんとうにその通りと思われます。実はこういったものこそが、自宅に、施設に、公園に、街に多くあればあるほど心豊かに過ごせる、そんな気がいたしました。
有難うございました。

bunbun
2011/10/20 10:49
◇Bluebellさん

こんばんは♪
長〜いコメント、大歓迎ですよ。それだけたくさんの事を感じて下さったからこそのコメント、嬉しくないはずがありません。
それにね、今回頂いたコメントには私の琴線に触れる言葉がきらきらといくつも輝いていたのですから。
写真から茅葺屋根を連想して下さったのですね。
実は、邸内に展示されていたに往時の「夏の家」の写真には、屋根に何かぼやぼやしたものが生えて(?)いました。茅葺屋根とは違う様に思えて、聞いてみましたら、落葉松の小枝を束ねたものである事が判明いたしました。
夏の暑さを防ぎ、また雨の音を消すための工夫だったようです。
ね!茅葺屋根に似ていたのは外見だけではなかったのです。
個人的には雨の音は好きですが、人それぞれですものね。

雨戸の隙間や節穴から漏れてくる朝の光。私の記憶の中にもあります。
それを「光の道」とは!なんと素敵な表現でしょう。

階段についてのBluebellさんの感じ方も、言葉こそ違え、私も同じように感じています。私が書きました「階段の緊張」とは、まさしく、階段は、常に下や上を見て注意しないとつまづいてしまう」事によるの緊張です。
人工的な階段と、より自然に近いスロープとの違いは、仰るように、時間感覚の違いそのものだと思います。
身体感覚というものは素直ですね。

一枚目の写真、気に入って下さったようで嬉しいです。
木の幹を雨水が伝わって根元にたどり着く・・・というBluebellさんの表現に、ふとレインツリーを連想したaostaでした。
aosta
2011/10/20 21:56
◇bunbunさん

こんばんは!
丁寧な再コメントをありがとうございました。
三方が硝子の引き戸という部屋は、ほとんど温室と同じですよね(笑)。
もしかしたらサン・ルームとして利用された部屋でもあったかとも思います。

屋根裏部屋は「ハイジ」を読んで以来、ずっと私の憧れでした。
お日様の匂いがするふかふかの藁にくるまって、丸窓から差し込む月明かりの下で眠りたい、っていつも思っていました。

「屋根を限りなく近い空間」・・・
屋根裏部屋って子供には本当にそんな感じがする特別な場所ですよね。
父の実家にも、屋根裏部屋がありました。窓に近づくにつれて屋根が低く傾斜して、窓から外を覗くためには、腰を低くしなければならなかったその部屋には、格子からいく筋も光が入り、その光の中で小さなホコリが金色に輝きながら踊っているのを、胸をドキドキしながら眺めていました。
もう何年か前に取り壊されてしまった父の生家を想うたび、そのときの光景が目に浮かんできます。
aosta
2011/10/20 22:09
こんばんは。
硝子窓から差し込んでくる光は、一日の時間帯や天候によって、毎日違った彩りをもたらしてくれるでしょうね。
室内も全て自然木を使っているということで、スロープは木立の中の細い山道を表現したかったのではと思いました。
ほんとうに昔の日本家屋を思い起こしますね。
私も小さい頃、雨戸の隙間から差し込んでくる光の中、ホコリが舞っているのを見ているのが好きでした。
雨も屋根から樋を伝っていく音なんかリズムがあって飽きませんでした。
最近の雨は、情緒に浸れるような雨量ではないので困ったものですが。
ペイネのイラストレーションは、ハートがいっぱい出てくるので雰囲気がちょっと(だいぶ)違うかなと思います。
たしかに木立の中の恋人を多く描いていたように思いますが、ペイネは、やはり街の絵です。
じつは串田孫一解説のペイネの本を持っているのですが(^_^;)
ねこギター
2011/10/21 01:32
◇ねこギターさん

おはようございます。
ねこギターさんはもうお見通しでしょうが、窓や階段がとても好きです。
どちらも「異なる世界」への入り口のような気がして・・・
階段がなければ登れない「塔」は、特に象徴的です。そして塔の「窓」は、それこそ唯一開かれたもの。中には窓のない塔もありますが、これは怖いですね。

>スロープは木立の中の細い山道を表現したかったのではと思いました。

レーモンドは素材である木を皮をむいただけの姿、つまり、削ったりしない本来の姿で、(例えそれが真っすぐでなかったとしても)使っています。
つまり木の幹のままなんです。木立の中の細い山道!!
ああ、なんて素敵なんでしょう。
レーモンドは家の中に森の中の道を再現したかったのかもしれない、という事なのですね!確かに、自然の中に階段は存在しませんもの。

レーモンドの「夏の家」の設計図を見ると、すべての窓にすだれをかけることが明示されています。そして屋根には落葉松の小枝。
簾越しに差し込む光、風・・・
現在の日本では見ることも少なくなりましたが、彼がいかに日本の建築を愛し、その心を自家薬籠中のものとしていたかという事を思います。
落葉松の小枝、と言う発想には藤森照信さんを連想しますね。
確か屋根にタンポポをはやしている家がありました。
タンポポハウスも雨音は聞えないでしょうね。
雨の音の代わりに聞えてくる音は何かしら?

>じつは串田孫一解説のペイネの本を持っているのですが(^_^;)

ねこギターさんとペイネの組み合わせは意外にも(失礼)思いましたが、ペイネと串田孫一という組み合わせもまた意外でした(笑)。
街なかの喫茶店辺りで見るならともかく、ハートがいっぱい空を飛んでいるペイネの絵、私はどうも苦手で(^^ゞ
aosta
2011/10/21 06:58
大きな窓と丸太を使った、内外の境界が薄い建物。
屋根の線と階段の線が平行であれば、
外から見てスロープのラインが「透視」できそうです。

それは、ねこギターさんの言われる「山道」のようです。
山道がそこにあると知っていると、
道そのものが見えなくても、山肌を見て思い浮かぶようなこと。

緑の芝生には赤い外壁が強いコントラストになりますが、
浅間山山麓ではなじんでいたのだろうかなぁ、と思いました。

それにしても、一度実際に行ってみたいものです。
ぴぴん
URL
2011/10/21 08:35
◇ぴぴんさん

コメントありがとうございます。
その後、お加減はいかがでしょうか?
気になりながらもご無沙汰をしたままの失礼をお許しください。

>外から見てスロープのラインが「透視」できそうです。

仰られるように、外から仰ぎ見る屋根の勾配は、そのままスロープのラインとなります。そしてそれはねこギターさん言うところの山道。
勝手な思い込みかもしれませんが、レーモンドの意図も、まさにそこにあったのだという気がいたします。

赤い外壁、もともとはベンガラで塗られていたのではないかと想うのですが、本来のベンガラであれば、々赤でも、もう少しくすんだ感じ出会ったのではないかと思っています。さらに、雨風に晒されていい頃合いに色が沈んでいたのではないか、とも思います。最近の建築資材に、経年変化の美しさを見ることはまれですね。

タリアセンには、このほかにも、明治の昔、郵便局として使われ、現在は深沢紅子美術館となっている建物や、堀辰雄・野上弥生子はじめとする軽井沢ゆかりの文人の別荘が、移築され一日回っても飽きることがありません。
湖畔を巡る小径は、手を入れ過ぎない自然が楽しめます。
体調のよろしい時を見計らって、ぜひお出かけ下さい。


aosta
2011/10/21 14:44
夏の家、夢にえがいていたそんな佇まいです。
いつかそんな、木の暖かさ感じる家、住みたいものですね。

あっ、そうそう、お誕生日でしたね、おめでとうございます。
今後とも宜しくねがいますね。
チュー太郎
2011/10/22 00:50
◇チューたろうさん

簿無沙汰したままでしたのに、誕生日を覚えていて下さって、ありがとうございます。この季節、信州の空気は、明るく冷たく澄んで見るものがみな美しく見えます。この日が誕生日であることが感謝です。

夏の家、お金をかけた家ではありません。
荒削りの板材と自然木を使いながら軽やかで、明るさに満ちた家です。
チュー太郎さんが家をお建てになる時の参考になるかもしれませんね。
ただ、あくまでもこれは「夏の家」、断熱は充分に=^_^=
aosta
2011/10/22 06:18
開放的で
素朴な家ですね
レーモンドとは 思えない、、、
バク
2011/10/28 17:54
◇バクさん

レーモンドが設計した教会や大学関係の建物などとは、確かにずいぶんイメージが違うかもしれません。同じレーモンドが設計したものでも、こうした和洋折衷とも言うべきプライベートな建物には、「公」の建物である西洋建築には見られない日本的な感性が垣間見えるような気がします。ロイドとともに来日し、ロイドとともに日本の近代建築におおきな影響を与えたレーモンドですが、チェコ出身だと言うレーモンドの精神文化と、日本的感性とはどこかで響き合うものがあったのかもしれませんね。
すみません、釈迦に説法でした<m(__)m>
aosta
2011/10/28 18:41
小さな木造であること
開放的な窓
レーモンドのイメージにつながりませんでした
レーモンドの精神文化と日本的感性
確かにつながっているように思います
今でも事務所が続いているわけですから、、、
有難うございました
バク
2011/11/01 19:09
◇バクさん

こんばんは。コメントありがとうございます。
レーモンドと親しかった実業家井上房一郎は、戦時中、ドイツを追われたブルーノ・タウトを高崎に招き親交を深めたと聞いています。
レーモンドは井上氏を介して、桂離宮など日本建築の美を世界に知らしめたタウトから和の空間が持つ美意識に目を開かれたのかもしれませんね。

それにしても未だにレーモンドの事務所(設計事務所ですよね?)は続いているとは知りませんでした!!
最初はレーモンドの直弟子が後を継いだにしても、今ではもう孫弟子くらいになりますよね。う〜ん、凄い\(◎o◎)/!
aosta
2011/11/01 22:10

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