睡鳩荘 (すいきゅうそう) その2




塔の最上階へと、階段を登って行った「いばら姫」。

時計が12時を打つ音を聴きながら、シンデレラが大急ぎで駆け降りたのも長い階段。
園遊会のために着飾ったスカーレット・オハラが、階段を降りてきたときの美しさはどうでしょう。
階段を見上げる、若しくは階段から見下ろす、という行為には胸をときめかせるドラマがあります。
翻訳小説や映画の中の階段の存在感に比べ、日本家屋の階段にドラマ性を感じることが少ないのは、
建築文化の違いや生活様式の違いからくるのかもしれませんね。


「窓」が同じ次元の世界を繋ぐものだとしたら、階段が象徴しているのは、
異なる次元、異なる時間を繋いでいる場所という気がします。
などなど考えながら、階段を見るのが好きなのです。
階段の下段あたりや踊り場に腰をおろして、本を読んだり、ぼおっと考え事をしている時間が幸せです。



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         睡鳩荘の階段。
         ゆったりとした階段幅、昇り降りに負担の少ない低めの蹴上(けあげ)。
         「ヴォーリズと言えば階段」という言葉にも、なるほどとうなずけます。
         こんな階段の腰をおろし、ゆっくりページを広げるとしたら、
         繰り返し読んで、親密になった懐かしい本たちがいい。





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          階段下の、(多分物置?)小さなドアの取っ手。
          ドアノブも私の偏愛の対象です。
          時間の経過とともに、色が変わったノブ。
          このドアノブを開け閉めしたであろう、見知らぬ手の数々が愛おしく、
          不思議な懐かしささえ感じられます。



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          明るい日が差し込む踊り場の窓。
          なぜか、薄いグリーンの紗に似た生地が掛っていました。
          私の勝手な憶測ではありますが、この建物が別荘として息づいていた時代には
          硝子越しに揺れる緑を楽しむことが出来たのではないかという気がするのですが・・・
          




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          階上は、プライベートな寝室や、個人の部屋。
          いずれも丁寧な手仕事の、しかし当時の朝吹家の財力からしたら
          質素とも思える家具が、今では使う人のないままにひっそりと置かれていました。



          


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                 こちらは、おまけ。
                 ピーコック・チェアに座る謎の麗人(笑)。





             睡鳩荘(すいきゅうそう) その1 →http://folli-2.at.webry.info/201110/article_2.html






この記事へのコメント

bunbun
2011年10月15日 05:44
おはようございます!!
たしかに階段をのぼるときには、そのうえにどんな世界が、宇宙がといえばSFに迷い込むかの大袈裟な話しになりますが、何があるかわくわくすることがあります。エレベーターやエスカレーターでは、私の場合、そのような期待感が湧かないのです。このようなクラッシクな階段は特に心に何かをくれる特別なものという感じがいたします。
ドアノブ、aostaさんの偏愛に適う形と思って拝見。このドアノブに触れたこの屋敷の住人の顔を想像、物置だとすれば外部からのお客様の手が掛けられた事はないかと思います。開け閉てのかちっという音が聞こえたような気がしました。
続きがありそうですね。

いま雨がふっています。3時にはもう降っていました。
洪水にならなければいいのですが。
静かに静かな秋を冬をと願うことです。
2011年10月15日 07:11
◇bunbunさん

おはようございます。
こちらも昨夜から雨です。
天気予報が心配になりますが、bunbunさんもご用心してくださいね。

う~ん、言われてみれば確かにエレベーターやエスカレーターには、今何階かという事が優先していて「階段」とは、確かに違いますね。
自分の脚で、一段一段登る、降りるという行為が必要があってこその、感覚だと思いました。

>ドアノブ、aostaさんの偏愛に適う形と思って拝見

すみません。
毎回ドアノブにお付き合いくださいましてありがとうございます。
でも、真鍮の色といい、簿妙な形といい気になるドアノブでしょ?
それも、階段下の物置の取っ手、というところがいかにも魅力的です。
あけてみたら一対何が入っていたのでしょうか?子供のころはやたらと、いろんな場所を「あけてみたかった」aostaでした。
何十年も物置にしまいこまれたままになっているガラクタなど私にとっては宝物のように見えたものです。
このドアを開けても、多分何もなかったでしょう。
あったとしてもかつての「睡鳩荘」を偲ばせるものでないことは確かです。
Zu-Simolin
2011年10月15日 15:43
こんにちは。
「窓」といえばルネ・マグリットの絵を、階段といえばバーン・ジョーンズの『黄金の階段』を思い浮かべます。

aostaさん。ドアノブへの偏愛をお持ちなのですか。なるほど。それはドアそのものへの偏愛なのでは、と推察いたしますが、どうでしょうか?

考えてみれば、そうした絵画なども、知らない世界へ誘う窓であったり階段であったりするのかも、と思ったりもしますが……。
握ってみるようにと誘惑するノブをひねってドアを開けると、……そこにはたとえば、エヴェレット・ミレー描くところの『熟れたサクランボ』に描かれた少女がじっとこちらを見つめていたりして…………。

この世の中、気づかないだけで不思議なものに満ち溢れているのかもしれませんね。謎の麗人も含めまして。
2011年10月15日 21:20
◇Zu-Simolinさん

こんばんは。
コメントありがとうございます♪
マグリットの窓・・・あの、青い空にぽっかりと空いた窓でしょうか。それとも私が大好きな「光の帝国」に見るように、暗闇の中でぽつんと明かりがともされた窓でしょうか・・・仰るようにマグリットの窓は、確かに異なる世界へと開かれた不思議な窓であるように思います。
バーン・ジョーンズの「黄金の階段」については、今回すっかり失念しておりました。さんざめく女性たちが何人も登り下りしている美しい絵でしたね。
バーン・ジョーンズでは、階段とは関係ありませんが、「フラジョレットを吹く天使」がとても好きです。

>それはドアそのものへの偏愛なのでは、と推察いたしますが

自分では意識したことがありませんでしたが、考えてみれば、かくもドアノブに魅かれる背景には、確かにドアそのものに興味があるからなのかもしれませんね。
開けたい、という欲求にあらがう時の、奇妙なジレンマを思い返しています。
開けたいのに、あけられない。開けたら、見知らぬ世界に繋がってしまうかもしれないと言う不安。ドアには「見るなの座敷」ではありませんが、ある種の禁忌を伴う場合が多いように思います。
小さな子どもだった頃から今に至るまで、私は「開けてはならない」とされるドアを開けたくてうずうずしているのかもしれません(笑)。
2011年10月15日 21:21
「熟れたサクランボ」の絵は存じませんでしたので、探してみましたところ、私の想像とはちょっと違っていました。こちらを見つめているのは、まだ幼さが残る小さな少女なのですね。
あまりにも幼い無垢な瞳だからこそ、何もかも見通してしまいそうな透徹した視線。ドアを開けて、そんな視線に出会ってしまったら、どうしましょう?!

それにしても、Zu-Simolinさんは、美術の関しても造詣が深い方なのですね。
バーン・ジョーンズもミレイも、そしてマグリットも、大好きな画家なので、とても嬉しいです。もう何年も前に書いたブログですが、今回Zu-Simolinさんから頂いたコメントにも関連する内容かとも思いましたので、URLを添付させていただきました。たびたびの事で恐縮ですが、お読み頂ければ幸いです
Bluebell
2011年10月15日 22:56
こんばんは!
階段の曲がってる所が素敵ですね。
踊り場に光がさしていて、幸せの予感がします。
直線の階段は事務的ですが、
曲がっていると、急に生活空間になるような気がします。
登った先になにがあるのかわかってるけど、
踊り場にたつと、気持ちの切り替えができますね。
そこには、窓があるはずなんです。
降りる時にはあまりみないけど、
登るときには、必ず目に入るんです。
自分が、外の木と同じ高さになっていく・・・
上に行くってことは、よりプライベートな空間になるって
そんな気持ちがするんです。
ドアノブ・・・これまたいいですよね。
私はなんだか、回すのが好きなんです。
丸いドアノブには、握る部分が白くなっていて、
毎日使っていた方の手の感覚が残っていくんですね。
手には、多くの感情があり、優しく開ける日もあれば
乱暴な日もあって・・・
ノブに指の繊細な感覚が伝わっていきます。
楽器と同じなんですよね。
ドアノブはどんな音楽を奏でるんでしょうね!
2011年10月16日 05:48
◇Bluebellさん

おはようございます。
Bluebellのきらきらした視線は、階段の小さな表情も見逃さないのですね♪
本当に、ただまっすぐな階段には「ものがたり」を感じません。
踊り場があって、そこからちょっと角度が変わって、そこには光が落ちてくる窓があって・・・
そんな場所が私に特別な場所に思えるのです。
階段を上り、踊り場で、ふっと気持ちが解放され、目を挙げれば明るい窓。
そしてその窓の外には、風に揺れる樹が見えていてほしい。
そう「自分が、外の木と同じ高さになっていく・・・」という感覚が嬉しいのです。
毎日上り下りする階段が、非日常的空間になるのは、そうしたもろもろに実がついた時ですね。

>ドアノブはどんな音楽を奏でるんでしょうね!

ドアノブは、いろんな手の感触を覚えているのでしょう。
楽器と同じなんですよね、というBluebellさん言葉に、はっと胸を突かれました。
探していた言葉が、突然目の前に差し出されたような気がしたんです。
そして、とても嬉しくなって・・・
ありがとうございます。今日はドアノブの音楽に耳を澄ませて過ごそうと思います。
Zu-Simolin
2011年10月16日 13:56
URLをお添えくださり、ありがとうございました。
実は既に拝読させていただいてはいたのですが、今回再度読ませていただきました。
あらためて、「記憶の博物館」とおっしゃる、その深い静寂をともなった感覚を共有させていただいたような気持ちになりました。


2011年10月16日 19:44
aostaさんの
文章は
いつもすばらしいです。
特に
最後の写真が
気に入りました。
2011年10月18日 07:01
◇Zu-Shimolinさん

おはようございます。
もうお読み頂いていたのですね。ありがとうございます。
古いブログに、とても愛着があるので、遡って目を通して下さることがとても嬉しいです。「光の帝国」には、ご存知のように、微妙に違うバリエーションの作品が複数残されています。
空、雲、窓、ドア・・・マグリットが固執するイメージですね。
2011年10月18日 07:04
◇takasiさん

おはようございます。
最後の写真、気に入っていただいたとのこと、恐縮です^^;
ピーコックチェアの写真を載せたいと思いました。
なぜか「おまけつき」となってしまい、申し訳ありません。
coco
2011年10月18日 21:42
年月を経た真鍮のドアノブって、とても温かな色合いでとっても好きです♪
また、このドアノブの流れるようなラインが素晴らしい^^
洋館って、子供の頃からグラバー邸には何度となく足を運んでいますし、横浜の山手に建つ洋館の数々にはクリスマスの時期、各国のクリスマスの飾りやテーブルセッティングがなされて、一般に公開されるんです。
この空間にいる間は日本人という事を忘れているかも…^^
大きく羽根広げたピーコックチェアにお座りの貴婦人の笑みが素敵ですよ♪

そうそう、ラズベリーの収穫はもうそろそろ急いだ方がいいらしいので、お知らせしておきますね。
2011年10月19日 05:40
◇cocoさん

おはようございます。
そうでした。cocoさん長崎のご出身でいらっしゃいましたね。
洋館、それも本物の洋館がいつも身近にあったなんて、凄く羨ましいです。
cocoさんがお小さかったころのグラバー邸はどんなだったのかしら。
一昨年私が訪れた時はきちんと整備されていましたが、その昔は「観光のため」というよりもっと普通の生活の中に馴染んでいたのではないかという気もしますが、いかがでしょう?
そう言えば、確か大学もグラバー邸のお近くだったのではありませんか?
そして、その後は横浜に。
ずっと洋館に縁のある町でお暮らしになってきたcocoさん。
素敵なセンスはそんな生活の中で自然に身についていらしたものだったんだわ、と納得したaostaでした。

ラズベリー、情報、ありがとうございました
ここのところなぜかやたらと忙しくてなかなか時間が作れません。
私のほうから連絡を差し上げておきますね。
2011年10月19日 05:45
◇cocoさん

ピーコックチェアの謎の人物、このブログでは初登場です(笑)。
表情は判らない、と思ったのですが・・・わかりますか?(汗)
PCによって見え方、明るさが微妙に違いますよね。
もう少し小さくしようかしら。
coco
2011年10月19日 17:24
aostaさん 小さくする必要など全くありません。
逆光で表情ははっきりとはわからないのですけど、口元がにこやかに笑っていらっしゃるな、と心の目がイメージしたんですよ♪
aosta
2011年10月19日 21:27
◇cocoさん

>心の目がイメージしたんですよ♪

ありがとうございます。
さすがcocoさん、恐れ入りました(笑)。
ピーコックチェアって、実際に人が座ってる時のバランスが美しいと思うのでうが、いかがでしょう。椅子だけで見ると、その名前の由来でもあるクジャクが尾羽を広げた時のような大きくて優雅な背面にくらべると、座面が妙に小さく感じられて、どこかアンバランスな感じがします。誰でもいいのですが、誰かが座ることで、このアンバランスが解消されるように感じます。

まあ、いろいろ書きましたが、要は「言い訳」でございます<(_ _)>
2011年10月22日 15:45
aostaさん、はじめまして。
改めて、睡鳩荘の建築細部をしみじみと拝見しました。
隅から隅まで吟味されて選ばれたパーツであることが分かります。
この建物が本来の場所にいつまでもあって欲しかったのですが…
時代の流れには抗しようがありませんね。
2011年10月22日 21:24
◇空さん

お越しくださいましてありがとうございます。
そちらのブログ二アップされていました絵葉書の画像で、かつてあった場所、睡鳩荘の本来の場所へのイメージが焦点を結びました。それと知らないうちは、湖面の光を反映する居間の場所が、いかにも似つかわしく思っておりましたが、この家に似合うのは、水の反映ではなく、雑木林の木洩れ日だったのですね。
これからもどうぞよろしくお願い致します。

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