コスモス・嵐のあと





         嵐が過ぎて行った 静寂の庭で

         コスモスが咲いている。

         何度も風に倒れては
   
         そのたび 煽られながら風に向かう。      




         あなたもまた 

         びょうびょうと風が吹きつける曠野(あらの)に立っている。

         その眼差しの向こうに翻る 襤褸(らんる)の旗。

         
         しかし 嵐のなごりに結ぶ露は 涙ではない。

         柔らかな羽毛の輪郭をもつ コスモスの葉のように

         しなやかな精神(こころ)の輪郭もまた 

         いつまでも打ちひしがれることはない。






画像







         あなたの意志は まだ固いつぼみかもしれないが

         花ひらく発動の力に満ちている。


         嵐にこぼたれ 言われなき言葉に傷ついても

         引き結ばれた唇は

         快哉の発語を待っている。

      







大層なことを言うなら、詩は生まれるものであって、作るものではないと思っています。
ならば、今回のこれは詩とは言えないかもしれません。
それなのに、無力な言葉の羅列にうんざりしながらも、一度形にしたものを反故にするには忍びない。
未練という言い方はちょっとちがう気がするけれど・・・・
やっぱり未練かな。

自己嫌悪とともに、これも私、と開き直る(笑)。
言うならば、「嵐のあと」ならぬ「悪あがきのあと」。
最近は、どうにも言葉が「落ちて」来ません。
はてさて。
詩が書けないことの、悪あがきの記録ということで、ご容赦願います。





「祈りのかたち」 → http://folli-2.at.webry.info/201104/article_1.html







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この記事へのコメント

Bluebell
2011年09月25日 12:03
こんにちは!
コスモスに素敵な詩をありがとうございます。
嵐の後の惨憺たる風景にくじけてしまいそうな気持になります。
横浜では、潮風にあおられて、葉がみんな赤くなっています。
それでも、木々は葉を落とし、来年に備えようとしているんですよね。
植物は、一見ではわからない命の営みを持ち、
突然の芽吹き、花が咲くことで自分を表現します。
動物も、そう・・・でも、人間の表現は入り組んでいてわかりにくいから、
音楽や詩、絵画や技術で表現しようと試みるような気がします。
確かに理不尽って人間から見ることで、
もっと大きな目で見たら、理不尽にも理由があるのかもしれません。
人も、もっと自然に力を抜いてみたら、
色々なことが、別の視点で見えてくるのでしょうね。
落ちてこない言葉に苦しまないでくださいね。
aostaさんには、音楽があるのですから。
様々なものの助けを得て、一つの作品ができる
その喜びを思い出して!
さあ!風の中で息を感じてみましょうよっ♫
2011年09月25日 18:48
aostaさん、今晩は、お久しぶりです。

僕も最近は詩作さっぱりです、やはり言葉が降りてこないです。

>理不尽には 理不尽の理由があるに違いない。

この一行凄いですね、なかなか気づかないことですよね。
minimana
2011年09月25日 20:52
大きな爪痕の残った場所もたくさんあったようですね。
うちの方は被害がなかったことに安堵しているところです。

畑の背高のコスモスとミニトマトは、ぐんなりと倒れてしまいましたが
りんごにほとんど影響なかったのは、幸いでした。

自然の猛威に対抗するには、根を張ることと、
しなやかな枝を張ることだと改めて感じますね(^^)
アルト笛
2011年09月25日 21:54
こんばんは。
今日、aostaさんのところに寄せて頂いてよかった(#^.^#)

この「コスモス・嵐のあと」の詩を、友人の一か八かの手術が成功したら、彼女へのメッセージに入れさせて頂いていいでしょうか。
読ませていただきながら、私自身の祈りの気持ちがすっとのせられて、また正面から向き合う勇気を貰えそうです。
素敵な詩をありがとうございます。
ねこギター
2011年09月25日 22:54
コスモスが秋風に揺れているのを見るのは好きです。
今年、日本を次々と襲った脅威は、人間だけでなくその場所に棲んでいる生き物全てが受けている。
そんなとき同じ大地に生きるコスモスが花を咲かせてくれるのは、前向きに生きる勇気、心に灯りをともしてくれる感じがします。
人間が、自分以外の生物や物さえも自分と同じように人格化、イメージする能力は、逆説的に人間が自然と切り離されてしまったが故のものかもしれませんが。
他者と心を通い合わせることで生きていけるのかなと思います。

萩原朔太郎は、著書『詩の原理』の中で、―詩人は「訴えようとする主観者」と「表現しようとする客観者」とが調和するのが理想だが、多くの場合はお互いが排斥し矛盾するみたいなことを言っています。その相克の果てに作品は生まれるのでしょうか。
aostaさんは、表現するということに、真摯に向き合っていらっしゃるのだと思いました。
2011年09月26日 06:26
Bluebellさん

ありがとうございます。
つい先日、日帰りで東京を往復したのですが、都内でも風に倒されたをいくつも見ました。娘が通う大学のキャンパスでは、桜の古木が何本も倒れたそうです。折れたのではなく、根こそぎに倒れている姿は、自宅近くの林の中でも見かけた光景でしたが、都会の喧騒の中で見たその姿は殊更に痛ましく無残に思えました。

仰られるように、自らの意思で何かを表現しようとする感情は人間だけのものなのでしょうね。それは大いなる喜びであり同時に苦しみでもありますが、私の場合など、ただ悶々としているだけでお恥ずかしいかぎりです。

そう、私は音楽もまた一つの言葉だと思っています。
特に管楽器のそれは人と同じく呼吸する言葉だな、と。
優しいお言葉、ありがとうございました
2011年09月26日 06:37
◇harukaetoさん

おはようございます。
ご無沙汰したままですのにご訪問ありがとうございます。

>理不尽には 理不尽の理由があるに違いない。

何故、と問う時、答えを与えられない苦しみは少しだけ知っています。
問うても問うても答えは与えられない。
その苦しさに、問う事をあきらめた時、雲間から日が差すように、理解しました。
何を理解したのか説明できないのですが、「これで良し。」と納得できたことは我ながら不思議なことでした。

でも今回の震災、そして台風と被災された方たちにとって、「これで良し」はあり得ない言葉でしょう。ならば理不尽を理不尽として、乗り越えて行くしかないのかもしれません。それは果てしなく大いなる挑戦となるでしょう。
その挑戦で勝利を勝ち取るために、私たちは傍観者であってはならない、と思います。
2011年09月26日 06:54
◇minimanaさん

おはようございます。
minimanaさんのりんご畑がずっと気になっていました。
良かった!!りんごは大丈夫だったのですね♪
車で走っていてローソン(?)があると「からあげ」が気になりますし(笑)。

>自然の猛威に対抗するには、根を張ることと、
 しなやかな枝を張ることだと改めて感じますね

人も植物も同じなのだとしみじみ思います。
目に見えないところで、しっかり根を張ることの大切さを思う時、見える部分にこだわることの多いわが身を恥ずかしく思います。
風が吹き付けても折れないしなやかな枝を伸ばすこと。
この場合、枝は感性といいかえることもできるかもしれません。
しなやかで柔軟な感性とは、想像することのできる感性でもあるのでしょう。
人の苦しみや痛みを人ごとにした感じられないのは、想像力が乏しい故ではないかしら。夢物語ばかりが想像ではありませんね。自分以外の人の苦しみ、痛みを自分の物として感じることが出来るものが、本当の想像力なのではないかと、思います。
2011年09月26日 07:09
◇アルト笛さん

おはようございます。
台風、そちらでもずいぶん猛威をふるったようですが、大丈夫でしたか?
怖い物の筆頭は「地震・台風・火事、おやじ」でしたか、その上位二つの災害に見舞われた今年の日本。テレビに流れる映像を見ていても、大地の、命の、呻きが聞えてくるようでした。

一か八かの手術、困難な手術が成功したのですね!
おめでとうございます。知らない方ではありますが、手術に臨まれる時のお気持はいかばかりであったかと思います。これからは、予後にも充分にお気を付けになって、元気に退院なさることをお祈りしています。

>彼女へのメッセージに入れさせて頂いていいでしょうか

このような拙いものが、何かのお役に立てるとしたら、本当に嬉しいです。
今回の「コスモス」の詩は、すべて傷んでいる人へのエールのつもりで書いたものでした。あからさまな言葉で書くのは恥ずかしいので、コスモスの花にその想いを託してみたのですが、アルト笛さんの心に少しでも触れることが出来て良かったと思います。感謝!!
bunbun
2011年09月26日 16:11
詩は生まれるものであると仰ることに、なるほど。
悪あがきの記録と仰いつつも、これだけの言葉をご自分の言葉の蔵から抽出なさる。一語、一語、ことばのみを取り出して私は目を凝らしてしまいました。
この詩から感じますとおり、コスモスは風に対し弱々しく見えて不屈。折れそうでしなやか。手痛さにも柔軟。秋に明るさをくれるコスモスの見えているかで目立たない芯の強さは、嵐のあとにも立ち上がり尚青空を仰ぎ見る、そんなふうに思われました。
かげっち
2011年09月26日 18:59
コスモス、大好きな花です。倒れたら、その形から再び天を求めて伸びるところも、好きです。

>ならば、今回のこれは詩とは言えないかもしれません。

ふふ・・・「私は信じる」というあたりにaostaさんらしくない力みを感じるな、と思ったらご自分でフォローなさっていました(失礼!怒らないで!)

でも、言葉が下りてこなくても、書かずにはいられない、唱わずにはいられない時が、あるものだと思います。ただ震災後で言えば、池澤夏樹が紹介した「春を恨んだりはしない」、そして和合亮一、この二つの詩を超える言葉は下りてこないのでは?という気持ちになります。

同時にまた、詩ではなく語りかける言葉、地に足の着いた説明や呼びかけの言葉も求められていますね。
2011年09月26日 21:00
詩って思うように言葉にならないこと、たくさんありますね。私も昔ちょっとチャレンジしたのですが、なかなかうまくいかなくて諦めちゃいました・・ コスモス大好きな花です!
2011年09月27日 19:10
◇ねこギターさん

お返事が遅くなりすみません。
福島県の立ち入り禁止区域で生き延びている動物たちのニュースを目にするたび、人間のしでかした災いの大きさを思います。
なかでもペットとして、若しくは家畜として飼われていた動物たちの悲惨は目に余るものがあります。物言えぬ生き物たちに課せられたものを「悲しみ」と感じるのは、私たちが人間だからでしょうか。本能の導くまま、ただ生きることに必死な動物たちを想うにつけ、人間の思いあがりの罪深さを思います。

萩原朔太郎は、私も好きで良く読んだものですが、『詩の原理』など詩以外の著書は全く読んでおりませんので、勝手な解釈になるやもしれませんが、「訴えようとする主観者」と「表現しようとする客観者」とは、「想い」と「言葉」に言いかえることが出来るように思いました。想いは多くの場合先走り、言葉はなかなかついてきてくれません。その相克に悶々としているうち、突然、一つの言葉が与えられる時があります。所詮私の詩は全くの自己流で、自己満足もいいところなのですが、それでもその「ひとつの言葉」に導かれるようにして生まれる場合があります。
でも今回は、ちょっと無理がありました(汗)。
2011年09月27日 19:19
◇bunbunさん

台風の影響を心配しておりました。
ただ月並みなお見舞いの言葉では申し訳ないと言う思いで逡巡しておりますうちに、コメントを頂いてしまいましたことを今更ながらに恥ずかしく思っています。

秋風と戯れるコスモスの風情は何とも言えませんね。
澄み切った空気の中の青い空と取りどりのコスモスを見ていると、心の中にも爽やかな風が吹き込んでくるような気がします。
倒れても倒れても、空に向かって花を咲かせるコスモスの花に「明日」を重ねてみたいと思いました。
bunbun
2011年09月27日 20:56
aostaさん、こんばんは!
こちらこそ失礼しておりました。
台風の被害はまったくありませんでした。
日曜日はよく晴れ上がり、この自治会の運動会に参加。2種目出て野菜やらポリ袋やらをしっかりといただいて参りました。また月曜日にはこれも町内の婦人部のバス遠足に参加。これは今夏の大津波で沿岸の学校勤務をしていたお嬢さんを亡くされた方の随行員のような参加でした。何とかしてお元気になっていただこうとの皆様の心があたたかく、ほんとうに楽しい遠足でした。これ以上の災害が無ければよいと願わずにはいられません。

私、ここのところ無理が利かなくなった自らを自覚し、22時前には一日を締め括るように心がけております。というわけでaostaさんと同じ早起き組の仲間入りです。
よい「明日」がいつもaostaさんとともにありますように!!
ねこギター
2011年09月28日 01:01
福島の動物たちの受けた、今受けている苦痛を思うと辛いですね。正視できないほど悲惨な現実がある。
彼らは人間を信じて日々を生きていたのに、ただ何故なんだという悲しい声が聞こえてくるように思います。
朔太郎独特の言い回しをそのまま書いてしまってすみませんでした。
アップした後、すぐ分かりにくいなあと思ったのですが(^_^;)
やはり自分の言葉を使わないとダメですね!
aostaさんがおっしゃる通り「想い」と「言葉」です。
しかし今回の詩には、その「言葉」のもどかしさ故に、aostaさんの強い「想い」が伝わってくると思っています。
カロリーメイト(フルーツ味)
2011年09月28日 14:15
震災のことに取り組まなければならなくなって、問題が大きすぎて、自分がとても小さくなったような気がしています。他のことがかすんで見えてしまうのです。自分で蒔いた種なのでコスモスのようにしなやかに、乗り切れれば・・などと思います。励ましていただいたような気がしています。
2011年09月28日 22:16
◇かげっちさん
 こちらにもコメントをありがとうございました。

>aostaさんらしくない力みを感じるな・・・

思わず笑ってしまいました。
お見通しでしたか!

実は震災直後にもいくつか詩を書いたのですが、あの未曽有の惨事の前ではいずれも吹けば飛ぶようなことばでしかありませんでした。
ただ沈黙すること。
それだけが私に許された行為でした。
池澤さんは「僕たちが聖書について知りたかったこと」以来読んでいないのですが、「春を恨んだりはしない」というタイトルを伺っただけで、心が疼くような気がしてなりません。
池澤さんが今回の震災で何を感じ、何を考え、どのように行動されたのか・・・
今の私にとって、一つの指標となるものが見つかるような予感がしています。
2011年09月28日 22:24
◇mintさん

返信がすっかり遅くなってしまい、申し訳ありません

>コスモス大好きな花です!

ありがとうございます♪
もしかしたら嫌いな人はいないのではないかと思ってしまうほど、コスモスは誰からも愛される花ですよね。
夏の焼けるような暑さがひと段落したころ、、庭や空き地で、次々に花を咲かせ、遠くから近づいてくる秋の気配が感じさせてくれます。

詩は難しいですね。書けば書くほどそう思うようになりました。
言葉が先行した詩には共感出来ないでしょうし、言葉が足りなければ、思いは伝わりません。
2011年09月28日 22:33
◇bunbunさん

>台風の被害はまったくありませんでした。

ああ、良かった!本当に良かった!

秋空の下、運動会をバスハイクを楽しまれたとの事、すっかり安心いたしました♪
朝型になられたと言うbunbunさん、秋冷の朝は本当に綺麗ですよ。
早朝と黄昏時は、光の角度の加減でしょうか、庭が一番美しく見える時です。
明日の朝からは、庭をパトロール(笑)するときには、bunbunさんに「早起き組み」のサインを送りますね!!
2011年09月28日 23:10
◇ねこギターさん

こんばんは♪
再コメントありがとうございました。

>彼らは人間を信じて日々を生きていたのに・・・

人は人を裏切ったりだましたりしますが、動物の場合は無垢とも言える信頼があって、裏切ることはありません。そして物言わぬがゆえの、存在そのものが与えてくれる安心感があります。彼らが与えてくれるものの大きさ、暖かさを思う時、今回の原発事故の恐ろしさと怒りに身体が震えます。
人には保障や賠償があっても彼等の悲しみや恐怖への配慮はありません。
2011年09月28日 23:17
◇カロリーメイトさん

ふわくもパンさん、るんるんさん、ひもさん・・・
どのお名前でお呼びしたらいいのか迷います。出来ればお名前をひとつに統一していただきたく思うのですが、いかがでしょうか?
神奈川あたりも、そろそろ秋めいて来たことでしょうね?
コスモスの花、小さな空き地にもたくさん咲いていました。

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