すみれ




すみれ、すみれ。

汝(な)が名を知らず。

されどすみれ

たそがれゆく 夕明かりの中

かすかなる風に 揺れる

その小さき花の いかにか愛しき。



すみれよ、すみれ。

汝(な)が名を知らず。

されどすみれ

その花の色 薄ら陽の中

清らにかそけく 光りぬ

汝(な)が小さき花の いかにか懐かし。


by aosta






画像









白いすみれの花には黄昏が似合う。

庭のスモークツリーの下、群生しているリシマキア・ファイヤー・クラッカーの銅葉の中に咲いたすみれたち。
もともとは頂いた数株だったものが、こぼれた種でこんなにたくさん増えた。

この場所は、去年、忘れな草の海にしたいと願った場所。
忘れな草に代わって、白と紫のすみれがこぼれるように咲いた。

このすみれの名前を私は知らない。
園芸品種ではないと思うけれど、それが故の可憐さ、清らかさ。
春の一時、花を咲かせ、やがて背高く伸びたファイヤー・クラッカーの葉蔭に隠れてしまう小さな花たち。


画像








沈んでゆく太陽と、昇ってきた月が同じ空にある時間。
風が立ち、空気の色が青くなる。

やがて残照で金色に輝いていた空が、暮れ馴染んで深い青紫色に染まってゆく。
最後の光を集めるように、すみれの花は薄い闇の中でいつまでも白々と明るんでいる。

空には夕星(ゆうづつ)。
そろそろ月も輝きを増す時間。


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この記事へのコメント

bunbun
2011年05月20日 05:16
aostaさん、おはようございます!
ここではもうすみれの名前はわからない方がよさそうですね。この詩がそっと生かされるために。ほんとうに愛しさ懐かしさが胸中にじわりと広がります。
 同じすみれが我が家の庭にも。ただ銅葉は少ない。スモークツリーの元気もいまいちです。このブログでまたまた気づいたことは、木の根元に半日陰でも十分に咲く球根を植えると素敵でしょうね。近々擬宝珠を根元に移動させます。
庭作りはほんとうに楽しい!!
2011年05月20日 06:03
bunbunさん

朝一番のコメント、ありがとうございました。
「すみれ」の詩は(、全くそんな気はなかったのですが)このブログを書いている最中にふと浮かんできたものです。なぜか初めから文語(笑)。
変なところがあったら教えて下さい。こっそり直しておきますから(笑)。

> 同じすみれが我が家の庭にも。

珍しいすみれではないと思いますが、どんな種類もみな可憐で大好きです。
木陰のぎぼうし、葉っぱの上でちらちら揺れる木漏れ陽も素敵ですよ。
ぎぼうしも増えますから、たくさん群生して静かな森の中のような雰囲気になることを期待しています♪
琳々
2011年05月20日 14:25
たそがれに花を愛でる人影・・・。古き良きヨーロッパあるいは明治大正の頃のロマンの香りが漂って来ました。
すみれというと、単純に菫色のイメージですが、白いすみれも素敵です。しかも、黄昏なのですね。何て美しいのでしょう。うっとりしてしまいます。私も庭にすみれが欲しくなりました!私のすみれは心の中ですが、夜明けに咲いています。やはり星が似合いますね。
2011年05月20日 17:33
八ヶ岳といえば
中谷 コウ一郎さん(ランドスケープデザイナー)
比較的在来の雑草と馴染むものが残ったと
書かれています
2011年05月20日 19:39
◇琳々さん

今回、写真だけは、用意してあったのですが、文章が付いてきませんでした。
そこに琳々さんの"Nocturne"(笑)。
このブログは、半分琳々さんに触発されたからこそ、書けたと思っています。ありがとうございました♪

すみれ、と聞けば私もやはり菫色を連想致します。でも、たまたま庭に群生しているのが、この白いすみれだった、という要は単純な話なのです。
ただ、すみれ色は、夕闇の中に沈んでしまいますが、白いすみれの花は、光が薄れて行く時にこそ、いっそう冴え冴えと、その白さを増すように思います。

古き良きヨーロッパ、明治大正のロマン・・・
思いがけないお言葉をいただきました。しかしながら私の感性は、確かにひと時代前のものなのかもしれません。高校生の頃、日記に過ぎて行った時代こそが美しく思える、と言ったような、文章を書いていた記憶がありますから、筋金入りかもしれません(笑)。

すみれに限らず、花が一番美しく見えるのは、夜が明けたばかりの静謐な朝、若しくは黄昏の時、と私も思います。そしてやっぱり、すみれには星ですよね。
2011年05月20日 21:24
◇バクさん

八ヶ岳のみならず、ここ諏訪地方は日本でも有数のすみれ自生地であったと聞いています。この季節、ワンコとお散歩する雑木林の中で、たくさんのすみれが可憐な花をつけています。我が家の庭に自生しているものは5・6種類でしょうか。数えたことはありませんが、もっとありそうな気がします。

私は園芸品種然とした華やかなものより、野趣を感じさせる伸びやかな花が好きです。愛犬との散歩の途中で気になる野草を見つけると、保護の必要なものでなければ、家に帰るなり、スコップ担いで掘りとりに出かけます♪
この春、我が家の庭では、オカトラノオが去年の4倍近くに増えています。
チダケサシも、どうしたらいいか、迷うほどたくさん出てきました。デザインされた庭ではなく、自然の植生を再現できたらどんなに素敵でしょう。
2011年05月21日 21:40
aostaさん、今晩は。
文語体の詩、素敵ですね。僕も詳しくはないですけど、読ませていただいておかしいところはないと思います。なにげなくフッと浮かぶ詩にこそいいものがあると思えます。文語の詩、憧れです。^^
2011年05月22日 05:06
◇harukaetoさん

おはようございます。
文語体には独特の品格とリズムがありますね。実家にあった父の聖書で呼んだのが、私が文語に触れた初めての経験です。同じ文章を口語訳で読んだ時、言葉に力がなくなってしまったような想いがしました。文学の世界に置いて文語から口語へと変わっていった時代の口語にも一種独特の勢いがありますね。でも、口語が当たり前になってしまった現在、文語、言葉が軽んじられている、という風潮もあるのかもしれませんが口語共に本来の力が薄れてしまっているような気がしてなりません。偉そうなことを書きましたが、私のお粗末な文語詩に目を留めて下さいましてありがとうございました。
この詩に限らず、ふっと想いが言葉になることがあります。考えて言葉を選ぶ前に、言葉がやってきます。でも、言葉は生き物ですから、うまく捕まえられる時もありますが、捕まえ損ねることもたびたび(笑)。
2011年05月22日 20:29
昨日書きそびれてしまいましたが、終わりの美しい文章も本当に素敵です。

>沈んでゆく太陽と、昇ってきた月が同じ空にある時間。
風が立ち、空気の色が青くなる。

やがて残照で金色に輝いていた空が、暮れ馴染んで深い青紫色に染まってゆく。
最後の光を集めるように、すみれの花は薄い闇の中でいつまでも白々と明るんでいる。

空には夕星(ゆうづつ)。
そろそろ月が輝きを増す時間。



まるで絵を見ているかのように映像が浮かびます、詩情豊かなaosta調が冴え渡っています。お見事です!!
2011年05月22日 21:16
◇harukaetoさん

思いがけないお褒めの言葉をいただきました。ありがとうございます。

>まるで絵を見ているかのような映像が浮かびます

そのように感じていただけたことを本当に嬉しく思います。
aosta調、ですか?少し恥ずかしいような気もしますが、やはり嬉しいです。
重ねてお礼を申し上げます。
スノーマン
2011年05月23日 20:02
こちらでは初めまして  aostaさん
すみれの詩、素敵ですね~
ちなみなワタクシもすみれ好きで、子供の頃からずーっと憧れていた花でした。
今年もずいぶんとすみれの花苗を買いましたが、
密やかに咲くすみれの姿に、春のニンフを想像しています。
画像のすみれも、ウチの庭で少しづつ増えておりますね。
また遊びに来させていただきます、では~
Anfang
2011年05月23日 23:51
ご無沙汰しております。
スミレ、特に香りのあるスミレが大好きです。
以前住んでいたところには、5~6種類のスミレが自生していました。
原村の八ヶ岳自然文化園のプラネタリウムで「八ヶ岳のスミレ写真展」を6月30日まで見られるそうです。
スミレの名前がわかるかもしれないですよ。
もし「HAYABUSA帰還バージョン」を御覧になりたいならお勧めです。
写真展はプラネタリウムの観覧料を払わないと見られないので・・・。
同じものを映画としても見ましたが、ドームで見ると感動が違います。
2011年05月24日 05:08
◇スノーマンさん
 コメントありがとうございます。

>密やかに咲くすみれの姿に、春のニンフを想像しています

可憐なニンフは確かにすみれのイメージですね。「春のニンフ」という言い方が素敵です。背の高い雑草が生い茂っていた時は目立たなかったすみれですが、雑草を刈ったあと、一斉に花をつけ、今では庭の至る所に小さな花を咲かせています。すみれでしたら、どんなに増えても大歓迎。

昨日、「レーヌ・デ・ヴィオレ」という新しい薔薇を飼いました。
「すみれの女王さま」という意味なのだそうです♪
2011年05月24日 06:45
◇Anfangさん

なんてお久しぶりなんでしょう!!
この小さな場所を思い出して下さいまして、本当に嬉しいです。

匂いすみれは、私も庭植えしたいと思っています。
すみれに限りませんが、花は夜になるとひときわ香り立ちますね。
青い月明かりの晩、足元で薫るすみれの花を想像してしまいました。

文化園の「八ヶ岳のスミレ写真展」のこと、教えて下さいましてありがとうございます。すぐ目と鼻の先に住んでいますのに、全く知りませんでした。
早速見に行ってきます!合わせて「HAYABUSA帰還バージョン」も。
HAYABYSAではありませんが、先日BSでNASAの火星探査のドキュメンタリーを観て、探査機の健気さ(?)に感動したばかりです。
かげっち
2011年05月24日 12:20
朝に咲き夕べには枯れる花の代表として聖書にも引き合いにだされる花、モーツァルトの歌曲にもありますね。唯一ゲーテの詩につけた曲だそうですが。

こちらは、九州の梅雨にはめずらしい肌寒い天候です。
2011年05月24日 15:52
すみれ、可憐で春の庭を彩る素敵な野の花ですね。
パンジーとか大きすぎて、好みじゃないのですが小さなすみれは大好きです。
と言っても、最近はパンジーを鉢植えにしていますから、裏切りかな。(^_^;)
先日、当地に来て初めてすみれを見たという方がいました。
全国どこにでもあるのかと思っていましたが。
2011年05月25日 05:18
◇かげちさん

モーツァルトの「すみれ」は転調が繰り返されることで、愛らしいすみれの想いと運命が伝わってくる曲ですね。私はこの曲を聞くと、オスカー・ワイルドの「ナイチンゲールと薔薇」の話を思い出してしまいます。どちらも報われぬ恋のために命をささげる物語、詩ですね。モーツァルトの「すみれ」の美しすぎるピアノ伴奏はすみれの花への哀歌なのでしょう。

>聖書にも引き合いにだされる花

今年は白と紫のヒソップも植えてみました(^^ゞ
2011年05月25日 05:25
◇沙羅さん

コメントありがとうございます。
私もパンジーよりヴィオラが好きです♪
でも確かに鉢植えなどには大きな葉の咲くパンジーの方が見栄えがすることは確かですね(笑)。ただ最近は、パンジーも華やかなだけでない、ニュアンスのある花色のものも多くなっていることは嬉しいですね。

昔まだパンジーの花を知らなかったころ、シュトルムの「三色すみれ」を読んで、勝手に花を想像していたのですが、花屋さんで園芸品種の三色すみれ(パンジー)を観て、イメージの違いにがっかりしたことがありました。今考えてみますと、シュトルムの三色すみれも野生種だったのでしょうね。

すみれはどこにでも咲く花、初めて見た、と言う方も今まで気が付かなかっただけではないでしょうか。一度目に止まれば、きっとそのほかのすみれも見えてくるような気がします。
かげっち
2011年05月25日 12:13
チューリップは見る花、すみれは想う花、これは私が勝手に考えたことです。

ネット検索していたら、ヴィオラがパンジーの一種なのか、パンジーがヴィオラの一種なのか、わからなくなってきました。

聖書に出てくるヒソップは清く白いのでしょうかね。
2011年05月26日 05:12
◇かげっちさん

パンジーとヴィオラ。分類学上はどちらもViola属の植物なんだそうです。
私も漠然と花が大きく華やかな印象の花はパンジー、小ぶりで清楚な感じのものはヴィオラ、と思っていましたが明確な違いを知っているわけではありません。それでは、と調べてみましたら、歴史からすればパンジーの方が古いのですね。意外でした。もともとは野生種の三色スミレを品種改良したもののようです。大きさが違うだけでなくパンジーが一年草であるのに対し、ヴィオラは多年草で花期も長い。
なるほど、と納得。

すみれは想う花・・・
さすがかげっちさん!恐れ入りました。
本当に仰る通りだと私も思います。

浄めのハーブ、ヒソップ。
花の色としてはピンクもあるようですが、果たして何色だったのでしょう。
残念ながら聖書の中で色についての記述はないようですね(笑)。
2011年06月06日 15:11
こんにちは。昨日は我が鴨池にお立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。

すみれのうた、文語がぴったりですね。現代の口語ではこの雰囲気を出すのは難しいですね。素敵です。

たからものがそっと大切にしまわれているような優しい空間を訪うことができました。
2011年06月06日 21:31
◇ももごろうさん

こんばんは。
道草が好きなaostaです(笑)。
そうでしたか、ももごろうさんのお宅は鴨池だったのですね。

拙い作品をお読み下さいまして、ありがとうございました。
最初に浮かんできたフレーズが「汝が名を知らず。」でしたので、乗りかかった船ではありませんが、結果的には初めての文語体の詩になりました。
同じ情景を言葉にしても、文語と現代口語とでは、全く違う雰囲気になってしまう事が不思議ですね。

鴨池、またお邪魔させていただきます。ありがとうございました。

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