消えがてのうた part 2

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zoom RSS ”VISION ”  種村季弘 「ビンゲンのヒルデガルトの世界」

<<   作成日時 : 2011/02/10 08:59   >>

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ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098〜1178)。
彼女については過去ブログにも一度書いたことがあります。

12世紀という時代、男性に劣るものとして認識されていた女性でありながら、女性の枠を超えた存在として、
時の教皇のみならず皇帝に対しても大きな影響を与えたという彼女は、ビンゲンの聖ヒルデガルドと呼ばれると同時に、
ラインの女預言者として、また幻視者として、その名は中世ヨーロッパで広く知られていました。




彼女の名前を知ったのは、15年ほど前に友人から借りた、このCD。


画像



ヒルデガルトが神の啓示の下に作曲したとされる数多くの曲を、鬼才リチャード・サウザーがシンセサイザーによってアレンジしたものです。



CDは、ひそやかで霊感に満ちた祈りの言葉で始まります。
演奏はクラシックのソプラノ歌手エミリー・ヴァン・エヴェラと、ベネディクト会のシスター・ジャーメイン・フリッツ。
そして前述のサウザーによるシンセサイザー。
それぞれ全く異なったバックボーンに立つ三人による演奏は、エミリー・ヴァン・エヴェラがイギリスの聖アンドリュー教会の地下聖堂で、そしてシスター・ジャーメイン・フリッツは自身が所属する聖ワルブルガ修道院でと、それぞれ異なる場所で収録されています。
一方のリチャード・サウザーによるシンセサイザーはスタジオでの打ち込みです。
出自の全く異なる三人を一つに繋いでいるのは900年と言う時間を超えたヒルデガルドの音楽。
サウザーによって現代的なアレンジがされていますが、神秘的な響きは損なわれていません。
彼女の「宇宙」に取り込まれていく、若しくは一体となって行くような不思議な錯覚さえ感じられるほどです。

エヴェラの歌が祝祭的とも言えるドラマティックな輝きに彩られているのに対し、シスター・ジャーメイン・フリッツの歌は、神秘的で内省的な深さを感じさせます。
静かな詠唱のように始まった歌はやがて天高く飛翔し、宇宙的とも言える広がりの中へとたゆたうように拡散していきます。定まることなく、揺らめき、上昇し、飛躍するヒルデガルトの音たちは、世界と時代の垣根を取り払い、私たちを自由にしてくれます。








画像

「女性幻視者」 ヒルデガルト 『スキヴィアス』第一集より

 



ベネディクト会系修道院の院長であった彼女は、同時に作曲家・詩人・哲学者でもあり、
医学・薬草学・植物学・動物学・鉱物学・数学・神学などの分野においても多数の本を著しました。
形骸化した教会のあり方に早くから疑問を持ち、痛烈な教会批判を辞さなかったヒルデガルトは、教会側から異端とみなされていた時期もあったようです。
けれども教会から排除するには、国内外に名前が知れ渡った彼女はあまりに偉大な存在でした。
彼女と敵対することを良しとしなかった当時の教皇は彼女と和解します。

人間の罪を受容し、その贖いのために自らの命を捧げたイエス・キリストの愛に、母的・女性的発露としての「憐れみ」を見たヒルデガルドにとって、聖母マリアの「母たる特質」は女性性に天与のものでした。
パウロ以来、教会において男性性に劣るものとされてきた女性性が、ヒルデガルドによって「憐れみ」の徳性ゆえに教会と結び付けられたのです。
ヒルデガルトは、従来父権的であった教会に「女性的なる徳性」を見出します。
しかしながらそれは安直な女性賛美ではなく、神の前に「一人の女にすぎぬもろい器」であることを自覚し、「弱く貧しいもの」に徹することに他なりませんでした。
しかしその「弱く貧しい」現世の最下層において、ヒルデガルトは至高の存在の声を受け止め、発言したのです。
彼女が望んだのは男性と対等にものを言うことではなく、「天上の声」にじかにつながる「下からの声」となること・・・
「受胎告知」におけるマリアの謙遜、「主の婢(はしため)」としての従順をヒルデガルトもまた表明したとも言えるその「声」は、やがて教会をも震撼させるものとなっていきました。



今回の記事は種村季弘氏の労作「ビンゲンのヒルデガルトの世界」(青土社)によるところが大きいのですが、
氏の著作の中で、特に心魅かれた部分があります。
精神的な疾患が理解不能な忌むべき状態であり、反社会的な存在であった時代に、ヒルデガルトは精神を病み世間から「悪魔つき」として怖れられ隔離されていたジグヴィツアという女性を修道院に迎え入れ、他の人間と区別することなく、対等に扱い、生活を共にしたという記録です。
現代医学でいうところの統合失調症、それも深刻なまでに重篤であったと思われるジグヴィツアの症状はヒルデガルトの精神をも蝕むという結果となりました。
しかしヒルデガルトが彼女とともに苦しんだ、まさにその事実によって、ジグヴィツアの病は癒えていきます。
前後してヒルデガルトもまた同じ疾患を自らの精神力で克服し、二人して「世界のこちら側」に戻ってきたというのです。

「ヒルデガルトを筆頭とする修道女たちが、一つ部屋の中でジグヴィツアを囲んで共苦し、いわば共病した。」

このエピソードは、病をも含めて、その存在そのものを丸ごと受容する、引き受けるという「母的な愛」つまりは「キリスト的な愛」がヒルデガルトを動かしていた、という事実を知らせてくれます。
彼女は、狂気はあくまで正確な病因分析の上に措定されるべき病気であり、断じて「悪魔憑き」ではないと主張しました。
精神の病が宗教的ないし疑似宗教的狂気とみなされていた中世において、数少ない、しかももっとも早い精神医の一人が彼女でした。







極めて個人的な追記です。

実はこのCDを私に貸して下さったJさんとは、もう長いこと連絡が取れないままになっています。
Jさんも私も、名前が変わったり、引っ越したりで、そのまま音信不通に。
ヒルデガルトの存在と、その音楽を教えて下さったJさん、お元気でいらっしゃるかしら?
いつかまた、繋がる日が来ることを信じています。
都合良く、このブログに気が付いて下さる・・・・なんてことはないでしょうか(笑)。






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コメント(22件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
ヒルデガルト、とても興味深く拝見しました。
聖書には男性は数えられ女性は数のうちには入れないといった箇所もありますが、このような時代にあって認めざるを得ない否定できない存在感を持った女性がいたこと、興味深く思いました。
午前中図書館に行く予定だったのが、家事の都合で午後に行くことにしました。それでこのブログを先に読むことができました。図書館で探してみます。
 心を病んでいる方々に対するこういった認識は、当時としては希有なことでしたでしょう。透視力、慧眼あってこそ言えるところだと思います。私自身も心の病に対する偏見はありません。事実幾人かの方々と交遊があります。私自身はどうかといえば、プチノイローゼっぽくなることはありますが、ストレスは先に身体に来るようです。血圧が高くなったり低くなったり。これが心に来た場合心の病となるのでしょう。
ヒルデガルト、説得力もあったのでしょうね。彼女のように在ることは無理だとしても、理想として胸中に置きたく思います。
近頃は女性でも女であることに甘えずにしっかりと持ち場立場をこなしている女性がほんとうにカッコヨク見えています。
bunbun
2011/02/10 11:06
◇bunbunさん

ヒルデガルトについては書きたいことがいっぱいありすぎて、胸の中の想いが深すぎて、なかなか文章にすることができませんでした。納得するには程遠いと思いながらも、今書かなければ、書く機会がないような気がして、見切り発車の形でアップさせていただきました。その分「とても興味深く拝見しました。」と言って下さるbunbunさんのお言葉が嬉しく、有り難く思ったことでした。
bunbunさんも御存じのように、旧約の神と新約の神は同じ「神」とはおもえないほどに、違う顔をもっています。旧約における神は裁く神、男性的な神であるのに対し、新約では「赦す神」。もちろん、この二つをキリストが繋いでいるのですが、「父なる神」の言葉の通り、従来のキリスト教、それもプロテスタントにおいては特に「母」若しくは「女性性」のイメージが希薄であるように感じています。
人間が、単一の性だけでは存在しえないのと同じく、神様もまた父であり母であるという両義性をもって初めて完全となるのではないか。もとより「神様」に性別などあろうはずがないことは百も承知ですが、あえて、「神の完全性」について思いめぐらすならば、「父であり母である神」に到達せざるを得なかった、と言うのが、個人的経験からの感想です。
aosta
2011/02/10 23:00
◇bunbunさん、続きです。

誤解を招くことを怖れずに言うならば、プロテスタント的神学においての、マリアの存在の希薄さは、私個人の感じ方からすれば、恣意的なもののように思われます。マリアが神でないことは承知の上でなお、この世における「救い主の母」として彼女が引受けねばならなかった苦しみの深さを思う時、私にとってマリアと言う存在は、特別な意味を持って迫ってきます。キリストの受難は、同時にマリアの受難でもあったのではなかろうか。プロテスタント神学において、マリアへの言及が、あまりにも少なく、また画一的だと感じてしまうのは、バランスを欠いた感じ方でしょうか。
aosta
2011/02/10 23:03
◇bunbunさん

実は今夜娘が帰省しまして、家族三人でワインを一本空けました。
それがとても美味しいワインでした♪
と言う訳で、今夜は私、ちょっと酔っ払いです。
勢いでbunbunさんに絡んでしまいました<m(__)m>
aosta
2011/02/10 23:07
aostaさん、昨夜また書こうかと思いましたが、楽しい家族団らんのお邪魔をするような気がして、いま書いています。
図書館で2冊見つけ、原書房の「中性を生きる女性たち」のほうがすこし詳しかったです。意志の強さの裏付けは、“これは神の意志である”というところにあったようですね。
マリアの存在の希薄さ、これは私がいうまでもなくイエスキリストは神ご自身であり、マリアさまは一人の人間として書かれていると思うのですが。しかしマリアさまの苦悩、痛みの深さからいうと、たしかにその思いが表わされているところが欲しいと人間的には思ってしまいます。キリストの受難はマリアさまの受難だというのには同感します。

御地の交響曲を聴かせながら寝かせたワイン、めずらしく息子が送ってきたので、わたしも味見しました。何の曲を聴かせたかわかりませんでしたけれど。
ヒルデガルドが、水を飲むよりもビールやワインを勧めていたようですね。むこうは水が危険だからのようです。いまなら誰しもいうのでしょうが、ヒルデガルドの時代に。それにしても不思議な方でしたね。悪魔付きではないとの保障の下に生きられたことは幸いでした。作曲が神から与えられる。こんどはCDを捜します。
お嬢さんとのお時間大切であることと思います。羨ましい光景です。
bunbun
2011/02/11 17:23
すみません。「中性」は「中世」の間違い、うっかりミスです。
CDは「天の啓示による調和の響き」は手が届かず、先ずは「天空の空」を注文してみました。お陰様でまた新たな“光”に出会えそうな予感です。気分晴れ晴れ。
bunbun
2011/02/11 20:20
◇bunbunさん

おはようございます。
この冬一番の大雪となりましたが、そちらの雪は大丈夫ですか。
訳のわからないコメントに丁寧なお返事を有難うございました<m(__)m>。
今日一日仕事、そのあと来客の予定です。落ち着きましたらゆっくり書かせていただきますので、もう少しお待ちくださいませ。
aosta
2011/02/12 06:25
"VISION"のCDは、わたしも持っています。
ヒルデガルドの曲のCDとしては、
"A Feather on the Breath of God"をよく聴きます。

ヒルデガルドももう少し新しい時代だったら、
「魔女」にされてしまったかもしれませんね。
音楽を通じて、彼女の存在は現代にまで残りました。
音楽の力を感じます。

ぴぴん
2011/02/12 19:15
こんばんは。
先日は、どうもありがとうございました。
ヒルデガルドについての詳しい情報を書いていただいてうれしいです。
いろんなCDが出ているのですね。
取り寄せてぜひ聴きたいと思います。
2009年にはドイツで伝記映画「vision」が作られているようですね。
ヒルデガルトはその多方面の才能から様々な評価や興味の持ち方ができますね。
精神医としてみるというのは、なるほどなあと思いました。
ヒルデガルト自身、幼い頃から病弱で、幻視という特異な体験をしていたので、
理解されない、弱い立場のひとに寄り添うことができたのでしょうか。
ねこギター
2011/02/14 00:21
◇bunbunさん

お返事お待たせしてしまい申し訳ございませんでした。
またお心遣い、ありがとございます<m(__)m>
原書房の本は知りませんでした。
この本でもヒルデガルトについての言及があるのですね。
執筆者も充実していますね。 私も読んでみようかしら。

>マリアの存在の希薄さ

聖書においてのマリアの存在はbunbunさんが仰ることに100%同意します。
私が気になっているのは、プロテスタント教会で、意図的にマリアへの言及を避けているのではないかと感じた経験があったからです。
初期カトリック教会において、マリアのイメージが聖書から離れて独り歩きした(?)事への批判、若しくは反省もあるのでしょうか。私の場合、カトリック的環境で育ったという理由からかもしれませんが、女性として、また母としてのマリアには、感情移入してしまう嫌いがあるのかもしれません。パウロやペテロの信仰が一つの規範となっているように、「マリア」の信仰も一つの「規範」として尊重されてもいいように考えます。いずれにしてもカトリックにしてもプロテスタントにしても、そんなに多くの教会を知っているわけではありませんので、私の勘違いや誤解もあるかと思いますが、プロテスタントを批判するつもりは毛頭ありません。どちらの教会も大好きですから。
aosta
2011/02/14 20:49
◇ぴぴんさん

こんばんは。コメント有難うございました。
"VISION"、お持ちなのですね(^^♪ あの分厚いラ英文のイナーノーツもぴぴんさんなら、何の苦もなくお読みになるのだろうと想像して羨ましくなりました。

A Feather on the Breath of God、検索してみましたら、エマ・カークビーがソプラノなんですね!おまけに"VISION"と同じく、シュスター・ヴァン・エベラも!!
私はヒルデガルトというと、セクエンツィアの演奏しか知りませんでしたので、とても興味があります。と言うより、これはぜひ聴いてみたいです♪
早速「ほしいものリスト」に追加致しました。

時代が時代ならヒルデガルトは確かに「魔女」だったのでしょうね。
彼女は4歳ころから幻視体験があったようですが、安易に人に話すことはせず、本当に信頼関係に会った極少数の人だけが彼女の「幻視」を知っていたようですね。後に彼女の幻視が教皇のお墨付きをもらうようになったのも、静かにひたすらその時を待つ、というヒルデガルトの忍耐と賢さに拠るところが大きかったのでしょう。楽譜に記されたとはいえ、900年もの歴史の中で、彼女の音楽(楽譜)が失われずに残ったと言う事は、一つの奇跡のように思います。
aosta
2011/02/14 21:16
◇ねこギターさん

こんばんは。
こちらこそ、いつも有難うございます。
今回のヒルデガルトの記事ですが、初めのうちこそ、ものにするという野望に燃えたaostaではありましたが、途中からどうにも進むことができなくなりました。
ヒルデガルトという、あまりにも大きすぎる存在で、一体どこからとっかかったらいいのか、見当もつかず、個人的に興味を持った部分だけに絞ったとしてもそこだけで膨大な記録ににっちもさっちも状態(^^;
結局収拾不可能のまま何週間かが過ぎて、かくなる上は私の必殺技「針小棒大」に頼るしかない!!と、腹をくくりました。とは言え、アップしてしまってからも、気になるところが多々あって、皆さまからコメントを頂くたび冷や汗を流しているaostaです。
それでも、今回の記事がきっかけで、CDを購入したいと言うコメントを何人かの方たちから頂けたことは嬉しい限りです。
言葉では説明できないヒルデガルトの音楽の美しさ、神秘性を直接聴いて頂けるならば、それに勝る喜びはありません。

>ヒルデガルト自身、幼い頃から病弱で、幻視という特異な体験をしていたので、

「幻視」と言う言葉からは往々にして、非現実的な性格、理性と結び付けられるられることが多いように思いますが、ヒルデガルトの場合は、非常に明晰で透徹した意識あっての「幻視」でした。「幻視」という体験をどう考え、どう受け入れるか、人さまざまだとおもいますが、ヒルデガルトの幻視が導いたものの豊かさを思うとき、「中世」という時代が内包していたものがいかに巨大であったことか、という想いに至ります。
aosta
2011/02/14 21:58
◇ねこギターさん

追伸です。
伝記映画「vision」については、私もとても興味があります。
ただ、映像化されることで、失われてしまう真実もあるような気がして、見ることをためらっています。撮影は実際のシトー会修道院で行われたとか。中世の修道院の内部を見られると言うのは魅力です。迷いますね(笑)
もう少し映画の情報を集めてみたいと思います。
aosta
2011/02/15 07:59
おはようございます。
>原書房の「中性を生きる女性たち」
この著書、たまたま図書館にあったもので、内容的に私には十分ですが、しかしaostaさんにはもっと専門的な方をお勧めします。テドリクス修道士の英語版なども出ているかと。お忙しいaostaさんに時間の浪費をさせては申し訳ないので、一応申し添えます。
bunbun
2011/02/15 09:01
ヒルデガルドについては知らなかったので、とても興味深く拝読しました。彼女の時代の音楽が残っていること自体、不思議です。岡田暁雄さんだったかが書いていたことで「クラシック音楽とは音楽を楽譜に残そうと努めた人々の音楽である、とも定義できる」という話がありますが・・・

友人で精神科医の原田誠一さんによれば、過労・不眠・ストレス・孤立の4つが揃えば誰でも幻覚を体験する可能性がある、ということです。そういう体験の起こりやすさに差があるだけだと。また、そうした体験をしている人の間近にいる「素因のある人」までも変調を経験することを、「感応性精神病」と言う呼び方もあったと言います(現在は正式の病名ではないですが)。それらと、エゼキエルやパウロやヨハネが体験した幻(神による体験)は、聖書的には区別されるべきだと思いますが、現実にヒルデガルドのような人がそういう体験をした場合に「それが神に由来する体験かどうか」を第三者が峻別することは不可能でしょうね。そのすべてを「理性的に」否定する態度と、そのすべてを「聖なる体験」として受け入れる態度の、中間に正解があるのだとは思いますが。

母性について言えば、キリストは決して父権的な存在でなかったというだけでなく、「理想的な母子関係」つまり良い意味で甘え依存させる関係の中に、本来の神-人関係の「雛形」があるように感じています。無条件で愛され、包まれる経験を、幼時に味わえることは、きたるべき青年期以降で重要な自尊感情や社会関係を獲得するための重要な伏線である、という意味です。
かげっち
2011/02/15 12:45
◇bunbunさん

今回、種村さんの「ビンゲンのヒルデガルドの世界」を読了するだけで呻吟した私です(笑)。お勧めのテドリクス修道士の本はとても逆立ちしても無理です。
いわゆる文学作品と違い、専門用語も多々出てくるでしょうし、想像で補って読み進むことはできないと思いますので(汗)。

昨日は一日で30センチ以上の雪が降りました。
三日連休に降った大雪と合わせると50センチを超えます。ボンボンの散歩の時にもサングラスが必要です。もちろんボンボンに、ではなく私に、ですが。
aosta
2011/02/16 06:17
◇かげっちさん

おはようございます。
コメント有難うございました♪
ヒルデガルトの楽譜は当然ネウマ譜で書かれていたのでしょうね。手描きで美しく彩色された楽譜は、もしかしたら、修道院の宝物として、大切に扱われ、伝えられてきたのかしら、とも思います。一介の女子修道院長でありながら、「聖」ヒルデガルトとまで讃えられた人ですから。でも実際にに演奏をされることもないままに、眠ってっていた時間も長かったのでしょうね。その楽譜が再び”見出され”、音楽として蘇った時のことを想像すると、ほんとうにドキドキします。

幻覚や感応性精神病に関して、お友達の精神科の先生が仰っていることは、よくわかります。ヒルデガルドの「幻視」をどのように考えるか難しい問題だと思います。彼女自身は天から与えられたもの、と考えていました。竹下節子さんによれば、「ヴィジョンとは神秘体験のうち、外部の知覚器官をへずに内面的に知覚されたイメージや言葉を指す。夢も広い意味でのヴィジョンである。実際にそこにあるように知覚されるものは「御出現」と呼ばれる。」とのことです。エゼキエルやパウロ、ヨハネの経験は、これに該当するのでしょうね。
ではヒルデガルドの場合は・・・?それについては、まさしく「第三者が峻別することは不可能です。
aosta
2011/02/16 06:57
◇かげっちさん、続きです。

>キリストは決して父権的な存在でなかったというだけでなく

ヒルデガルトはキリストの愛と赦しの中に母的なものを観ていました。
旧約における神が男性的な裁く神であるなら、キリストが表した神は「無条件の愛」「無償の愛」でした。私が父権的、と書きましたのは、中世ヒエラルキーの頂点に立っていた教会のあり方です。組織としての教会が排除した母的なものをヒルデガルトは女性の特質として認めた、と言う視点から、彼女をフェミニズムの先駆者と見る場合もあるようですが、彼女の意識の中にはそうした考えはなかったのではないかしら。読み込みが足りず、充分なお返事ができませんで、ごめんなさい。
aosta
2011/02/16 06:59
ヒルデガルト/リチャード・サウザー「Vision」
Amazonでみたら海外発送が多かったので、ひとまずYouTubeでいくつか聴いております。
ああ、これは、ヒリアード・アンサンブルがやったらいいなあと思い、
検索してみたら、いくつかやっているようなので、それも聴いてみたいと思います。
ねこギター
2011/02/16 12:17
適切にパラフレーズしてくださってありがとうございます。全面的に同意いたします。ヒルデガルドはたぶん、今日言うところのフェミニストではないと思います。キリストは「平凡な人」として生まれるために男か女かどちらかの性を選んで生まれなければならなかったので、男性として生まれることを選ばれたのでしょうし(笑)
かげっち
2011/02/16 12:23
◇ねこギターさん

再コメントありがとうございます♪
「Vision」、国内入手は無理なのでしょうか。私が最初にお友達から借りて聴いたCDには日本語のライナーノーツが付いていたと記憶しているのですが、その後私が買ったものは既に外盤でになっていました。それでもその時はまだAmazonで購入できたのですが・・・

私の場合、セクエンツィアばかり聴いてきましたが、確かにヒリアード・アンサンブルの音楽にもぴったりですね。
男声によるヒルデガルトの音楽・・・興味がわいてきました。
もしかしたら私も買いに走るかもしれません(笑)。
aosta
2011/02/17 06:50
◇かげっちさん

再コメント、有難うございました♪
実は今回の記事、果たしてどのくらいの方が、興味を持って読んでくださるか案じておりました。ヒルデガルトが、そうは言ってもマイナーな存在であるにもかかわらず、多くの方がコメントを寄せて下さったことは予想外の喜びでした。
適切なパラフレーズかどうかは自信がありませんが、深く掘りすぎてドツボにハマることは避けたいと・・・(笑)

>キリストは「平凡な人」として生まれるために

この御意見には100%同意させていただきます。
アンドロギュヌスでは神話になってしまいますもの(笑)
aosta
2011/02/17 06:59

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