松かさを燃やす





松かさを燃やす。

炎は松かさの形をなぞりながら

極北の光のように揺らめいている。




画像





庭で ひそやかな獣の気配がする。

清らかなその足取りは、月灯りの庭で蒼く翳る。


ゆるゆると過ぎてゆく時の中で

獣も私も 護られてある。






画像




獣は 降り積もる雪の下で 

たった今生まれたばかりの世界を 踏んでゆく。


金色に輝く松かさとともに

世界は ただ そこにある。







by aost   2011/01/23









ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

bunbun
2011年01月23日 18:55
この詩を拝見して、詩の味わいからはすこし外れているかもしれませんが、人間が獣になるときには手に負えず始末に負えないという感じがしますが、自然界にある人間以外の獣は本来無垢なものなのだろうと思いました。そう思ったときに、「清らかなその足取り」が分かりました。
松かさが静かに燃えてゆく炎のさま、そしてそれに温もっている。獣は獣であるがままに存在し、またそれを身近にしている人も護られてある。なにかほんとうにほっくりとあたためられているような、自分があたたまるような感じがいたしました。
有難うございました。
bunbun
2011年01月23日 21:59
書いたあとですこし気になり再コメントしています。
私が申し上げた「人間が獣になるとき」というのは、戦争とか、或いは犯罪などを想定して言ったのですが、しかし、そのような状況下であっても神の裁定といったものは一様であるとは思われませんし、またどのようであるかも私ごときが言えるところではないと思っています。
それと前ページで「智実」を智美と誤記しすみません。

2011年01月24日 06:20
◇bunbunさん

おはようございます。
コメントありがとうございました。
ストーブに投げ入れた松かさは一昨年の冬の初めに森で拾ったドイツトウヒの松かさでした。通常のまつかさの二倍くらいの大きさです。ぱっと一度に火がつくかと思いきや、くゆる火の中で、長いことその形を保ちながら金色に輝いていました。火をじっと見つめていると、静かな平安に満たされます。遠い原初に戻ったように時間の密度が高く感じられます。炎は、獣と私とを近しいものに変えて行きます。獣は「野生」そのもの、命そのものかもしれません。そしてそれは火と同じように、清らかで無垢なものだと感じています。
2011年01月24日 06:43
◇bunbunさん

ご丁寧にありがとうございます。
本を読んでも、映画を観ても、人間とは怖ろしい生き物だと実感することです。
しばらく前NHKの番組「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」と言うドキュメンタリーを観ました。これは素晴らしい番組でした。
一万年前の石器時代とほとんど変わらない生活をしているヤノマミ族の生き方は私にはとても美しく高貴なものに思えてなりません。一万年を経て、今なお無垢な「野生」を失っていない彼等に比べ、「文明人」は確かに「けだもの」です。

>それと前ページで「智実」を智美と誤記しすみません。

えっ、そうでしたか?思い込みで読んでしまうと、なかなか気がつかないものですね(笑)ボンボンをあの西本さんに重ねて下さいまして恐縮です(笑)
bunbun
2011年01月24日 10:38
おはようございます。
ヤノマミ族、さっそく読みました。
また後ですこし検索してみます。
何が野蛮であるか、世の中のそちこちに亀裂を見るいま、ほんとうにわからなくなりますね。
>「文明人」は確かに「けだもの」です。
言い切られましたね。
ボンボンほんとうに生きながらえて欲しいと願っています。
草子
2011年01月24日 12:36
こんにちは。草子です。
今ほどは大変、ありがとうございました。

火と月と獣。美しく研がれた言葉。原始の普遍性を感じました。
あるいは、ひとは、火と月と獣を、自分の内に飼っているのかもしれません。
余談ですが、わたしは小鬼を一匹飼っていて、ときどき暴れたがるので困ります。

また、おじゃまさせていただいて、よろしいでしょうか?
2011年01月24日 18:51
松かさの燃える空間
獣は現実の時間
行ったりきたりがうらやましい
2011年01月24日 22:33
◇bunbunさん

こんばんは♪
生も死も突き抜けたヤノマミの死生観は、私には崇高とも思えます。
番組の中で何度も繰り返された「森で産まれ、森で食べ、森に食べられる。」というヤノマミの言葉に震えました。
「ヤノマミ族」と呼ばれている彼等の言葉でヤノマミとは「人間」と言う意味であると同時に人間を超えた存在なのです。私が観たのは再放送でしたが、再々放送の機会があるならもう一度観たいと思います。
ヤノマミの眼差しのなんと清らかであったことか。
2011年01月24日 22:46
◇草子さん

おいで下さいましてありがとうございます。
それもこんなに早く!!
コメントを読ませていただいてから、なぜかとても嬉しくて、そしてその嬉しさがそのあともずっと続いて幸せな午後でした。

>ひとは、火と月と獣を、自分の内に飼っているのかもしれません。

飼いならしたつもりが「飼い犬に手を咬まれる」こともしばし(笑)。
草子さんの小鬼はちょっと手強そうだな、と思いました。でも草子さんは、小鬼に手こずりながらも深い井戸を掘っていらっしゃる。いや、手こずればこそ、なのかもしれません。ミズスマシのように同じ場所を回ってばかりの私にはたどり着けない深い井戸です。
どうぞまたお立ち寄りください
私には井戸掘りの修行が必要です。
2011年01月24日 22:55
◇バクさん

気密度の高いストーブでは、内部の温度が200度近くまで上がると酸素の供給を調節して、炎の勢いをコントロールすることができます。
松かさを投げ入れたのは、まさにその時。勢いよく燃え盛っていた炎が一転、優雅にゆらりゆらりと揺れながらゆっくりと燃え続けているそのときでした。
松かさは、すぐに燃え尽きると思いきや、長い間、その形のまま幻のように燃え続けていました。翌朝の庭には鹿の足跡。

>行ったりきたりがうらやましい

冬の夜は、わたしにはそのままひとつの夢のように思われます♪
2011年01月24日 23:23
この詩から何一つ音を感じられないほどの静けさを感じました。
でも、不気味でも寂しくもなく。。。
それどころか居心地いい。
何だろう?
自分の居場所で何の不安もなく夢うつつでいるみたいな、そんな感じになりました。
2011年01月25日 05:52
◇ちょびママさん

なぜかしら?
ストーブを焚くときって、仰る通りとても静かです。
実際には話しながらだったり、時にはテレビから音が流れていたりするのですが、「火を焚く」こと、そしてその火を「守る」という行為には、何か心が鎮まるものがあります。身体も心も温めてくれる炎のぬくもりと合わせて、「火がある場所」が、ちょびママさんがおっしゃられた静けさや、安心感を感じる場所になるのかもしれませんね。
2011年01月25日 20:16
aostaさん、今晩は。
とても素敵な写真ですね、琥珀色に燃えるまつかさ、はじめて見ました。山の中の一軒家の暖炉で、心静かにまつかさの燃えるのを見る、羨ましいなあ。

静かな冬の夜の詩、李白の漢詩に「静夜思」というのがありますが、そんなタイトルがぴったりの詩ですね。
「世界はただそこにある。」・・・・とても素敵な詩です、会心作ではないですか?
2011年01月25日 20:46
炎って、見ていると癒されるんですよね~。ボーイスカウトのリーダーの時、キャンプでミーティング中にいつも話を聞いてなく炎を見つめてうっとりしてました。 松かさを焼くととても燃えるんですよね。いい具合の暖が取れますね。羨ましいな~・・・
2011年01月26日 04:36
◇harukaetoさん

琥珀色という素敵な表現をありがとうございます。
「静夜思」を検索してみました。月を愛した詩人李白にふさわしい詩ですね。
月の光が霜のように輝くことも、蒼く枕元を照らし出す月の光も、暮らしの中で実感することです。タイトルを「静夜思」に変えてみたくなりました(笑)

この詩に限らず「会心作」というのはほとんどありません。
いつまでも「完成した」と思えなくて、言葉の一つ一つが気になります(笑)。
おほめ頂いた写真は主人が撮ってくれた物です。彼の写真に言葉を添えることは私の喜びです。
2011年01月26日 04:44
◇mintさん

おはようございます。
mintさんボーイスカウトのリーダーをしてらしたのですか?
私も小学生のころからずっとガール・スカウトで、社会人になってからは2・3年でしたがリーダーをやっていたことがあります。テントの張り方や火の熾し方はスカウティングで学びましたが、ボーイスカウトはやることがダイナミックで憧れていました。一緒に活動すると言う事はほとんどありませんでしたが今でもそうなんでしょうかね。
忘れていましたが、マシュマロを焼いて食べるのがキャンプの楽しみでした♪

この記事へのトラックバック