vol.5サマー・コミングル / マルティヌーそしてシューマン




お昼の時間を挟んで午後から始まったコンサートの中でも圧巻だった2曲。

マルティヌーのヴァイオリンとヴオラのための”三つのマドリガル”
そしてシューマン、ピアノ五重奏曲 第一楽章


 演奏は
    ◇マルティヌー 「ヴァイオリンとヴオラのための”三つのマドリガル”」              
     
       ヴァイオリン  梅津美葉さん  
       ヴィオラ     安藤美佳さん


    ◇シューマン  ピアノ五重奏曲                   

       ピアノ      宇治田かおるさん
       ヴァイオリン1    梅津美葉さん  ヴァイオリン2  粟津惇さん
       ヴィオラ     安藤美佳さん
       チェロ      茂木新緑さん
 




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まずは、ヴァイオリンとヴオラのための”三つのマドリガル”から。
今回初めて耳にしたマルティヌーという作曲家の名前は忘れられない記憶とともに刻みこまれた。

第一曲。追いつ追われつするヴァイオリンとヴィオラの緊迫感。
焦燥に満ちた短いボウイングは第二曲になると、はらはらと滴り落ちる涙のような、
またはやるせなく長い溜息のような響きへと変わってゆく。
弱音器を使った弦が囁く音は、魂に深く彫琢されて声になる。
切り込むように肉薄するヴァイオリンと、そのヴァイオリンを遮り、抗うヴィオラの音色。
飛翔と落下を繰り返す二つの楽器は生き物の暗い情念となって、捻じれてはもつれ、熱く冷たく揺らいで消える。
マドリガル、という典雅なタイトルからは予想もつかない胸苦しいまでの「舞曲」だ。

いったいどこからあんなにも私の心を乱す音色を探し出してきたのだろう。
ヴァイオリニストの眉根は固く結ばれ、華奢な身体が弓のようにしなる。
彼女は、自身が音楽に憑かれたかの如く全身で鳴っている。
ヴィオラの密度高く凝縮した音色は、ほの暗く翳る想念の響きだ。

もうこの先はない。
あたかもこの世の果てで鳴っているかのような音楽・・・・


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演奏が終わったあとのお二人の笑顔に、お帰りなさいと、私は呟く。
ずいぶん遠くまで行ってらしたのね。
もしかしたら帰ってくる道を失ってそのまま迷子になってしまうのではという危惧さえ感じさせるほど、遠くに。
とまれ、安堵。
帰り道は見つかり、音楽は、終わった。

いや、終わってしまった。






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力強く雄々しいまでのピアノで始まった、シューマンのピアノ五重奏曲。
プログラムの関係上第一楽章のみの演奏だったことがいかにも残念。

ピアノの音が弦の音色で宥められ小さな呟きのように変わっていって、やがてチェロが奏でる、穏やかで清明なフレーズ。
短いその呼びかけに応えるヴィオラ。
チェロとヴィオラの間で繰り返される短く小さなやり取り。
それが。
あまりにも美しすぎて胸も目頭も熱いもので溢れてしまいそうだ。
大切で密やかな秘密を、そっと明け渡すかのような深い信頼に満ちたチェロの響き。
それに応えるヴィオラは慎ましやかに目を伏せているが、心は畏怖と喜びに震えている・・・・

このちいさなフレーズが私の心にいつまでも灯り続けている。
聴いたのは、もう一週間も前になると言うのに。
輝きは損なわれることなく、響きは確かにこの胸にある。



もう一度、と思った。
せめてあの輝きの輪郭だけでも確認したくて、CDを探した。
けれども、著名な演奏者によるお墨つきの演奏だったにも関わらず、あのときの感動は蘇らなかった。


あのとき、あの場所で聴いたマルティヌー、そしてシューマン。
魔力に満ちた磁場はすでに失われ、あのときの音楽が、あのフレーズが記憶の中でさらにも美しく歌い始める。






       ★Vol.5 サマー・コミングル@蓼科~プロローグ 
                  → http://folli-2.at.webry.info/201008/article_1.html
       
       ★Vol.5 サマー・コミングル@蓼科~テレマン四重奏曲二短調
                  → http://folli-2.at.webry.info/201008/article_2.html

       ★vol.5サマー・コミングル / ドップラー「ハンガリーの主題による幻想曲」
                  → http://folli-2.at.webry.info/201008/article_3.html





この記事へのコメント

2010年08月08日 22:22
マルティヌー 「ヴァイオリンとヴオラのための”三つのマドリガル”」

僕も是非聞いてみたかったです。aostaさんにここまで書かせる曲、そして演奏、さぞかし素晴らしかったのでしょうね。残念ながら音楽は一期一会、二度と同じものは聴けません。それがまた、音楽の醍醐味でもあるのですね。
bunbun
2010年08月09日 06:07
おはようございます。
唸ってしまいました。この表現に音楽も満足しているのではないでしょうか。aostaさんの表現が、また+αの新たな音楽表現を連想させます。
音楽も、最初の一音からが瞬間瞬間の出会いですよね。その瞬間のその瞬間だけの音は二度とは戻ってこない。たとえCDがあろうと、それはまた別物で、美しくも儚いものという感じが。
aostaさんとP氏に、再びこのような音楽の至福の時がございますように
!!
2010年08月09日 06:21
◇harukaetoさん

おはようございます。
昨夜から久しぶり雨が降って涼しい朝です。
マルティヌーと言う作曲家の名前はもちろん、この「三つのマドリガル」も全く知らなかったのです。リハーサルで初めて聞いたとき感動で胸が痛くなってしまいました。
練習のたび、毎回お二人にかじりついて聴いていたP氏によれば、練習を繰り返すお二人の間に言葉はほとんどなかったようです。あっても最小限のひとことのみ。
それであの壮絶なまでの演奏、完成度!!
「本物の」プロ、を目の当たりにした思いでした。
一期一会が音楽の醍醐味・・・
本当にお言葉の通りだと思います。今回のコンサートでは全曲録音されていますので、後日この演奏を聞き返すことはできると思います。
でもそれは、あの時の生々しいまでの息遣いを感じたあの演奏とはやっぱり違うのでしょう。
音楽とは、演奏者と聴衆が同じ場所で、同じ空間を共有して初めて完成する、生き物のようなものではないでしょうか。
2010年08月09日 06:38
◇bunbunさん

コメントのタイムスタンプを見て、きゃっと思いました。
bunbunさんんがコメントをお書き下さった直後、PC開いてましたよ~。

この2曲、語るにも言葉がなく、果たしてどのように書いたら読んで下さる方にあの感動が伝わるだろうかと不安に思いながら書きだしたのですが、あにはからんや、「です・ます調」ではもどかしくなるほど、勢いが止まりませんでした(笑)。

文学作品や美術と違う時間芸術である音楽は本当に儚く、それゆえの一回性であり、それゆえに美しいと言うのは本当ですね。楽譜だけでは、芸術になり得ません。
演奏され、音になって初めて音楽の「実体」を得るのでしょう。
どんなに素晴らしい演奏のCDであっても、それは「再現」。
リアルタイムで聴く音楽の息遣いや手触りが戻って来ることはありません。
かげっち
2010年08月11日 12:27
マルティヌーにはクラリネットの曲もあり、なかなか好きな作者ですが、”三つのマドリガル”は存じませんでした。確かチェコの方ですよね。今回はチェコとかハンガリーとか東の曲が多かったのでしょうか、何か今年のコンセプトがあったのですか?
2010年08月12日 22:15
◇かげっちさん

マルティヌーは、かげっちさんの仰られるようにチェコの方のようですね。
ヤナーチェクとも近いようです。何の関係もないのですが、コミングルが始まる前1週間ほどからヤナーチェクの「クロイツエル・ソナタ」を聴いていて、ひどく魅かれるものを感じていました。マルテヌーには、クラリネットやオーボエの曲もあるんですね。

一回聴いただけの「三つのマドリガル」についての感想は、印象に強かった部分のみが増幅して記憶されている嫌いがあるやもしれません。
聴きなおしてみたら全く別の印象だった、ということもあり得るので、記事をアップすることに若干の迷いがありました。でも、あの時の演奏に首根っこ掴まれた感じで(笑)、歪曲された感想であったのしても、書かずにはいられなかった、と言うのが現実でした。
またドップラーの「東欧」と、マルティヌーやヤナーチェクの「東欧」にはちょっと距離があるように感じます。今回のコミングルでは特別なコンセプトがあったとは聴いていませんので、チェコの曲が重なったのはたまたまの偶然だと思います。
かげっち
2010年08月25日 12:08
マルティヌーのシンフォニーをN響アワーで聴きましたが、それもなかなか味わい深かったですよ。
2010年08月26日 07:41
◇かげっちさん

>マルティヌーのシンフォニーをN響アワーで聴きました

それって最近のお話ですか?
マルティヌーはこの「三つのマドリガル」しか存じませんので、とても残念です。
かげっち
2010年08月26日 12:12
数年前の話だと思います。室内楽的ともいえる緻密な、しかし激しい交響曲でした。叙情的だがムダのない構成がこの人の特徴かもしれません。
2010年08月26日 21:48
◇かげっちさん
 コメントありがとうございました。

>数年前の話だと思います。

最近の放送を見過ごしたわけではなかったのですね。
ちょっと安心しました(笑)。

>叙情的だがムダのない構成

この「三つのマドリガル」しか聴いたことがない私が申し上げるのも僭越かもしれませんが、確かに贅肉のない引き締まった構成であると思います。演奏もそれに似つかわしいきびきびとしたものでした。ある時は魂がきしる声のような、またあるときは優しく呼び交わす風のような音楽とでも言ったらいいでしょうか。
マルティヌーの交響曲、いったいどんな曲なのでしょう。

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