「白壁の緑の扉 」 H・G・ウェルズ / 小野寺健訳





少年が扉を開けると

見知らぬ世界の 美しく幸福な庭が広がっていた。

咲き乱れる花々、柔和な動物。

そして心地よい響きで呼びかけてくる声。


少年はその庭を忘れることができないまま年をとる。

庭への入口を見失なったまま 

帰っておいで、と庭が呼ぶ声を聴きながら。




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 彼の人生において何度も眼の前に現れた扉。

見つけたその時に開きさえすれば

彼は再び、至福の庭に帰ることができたのだが

その都度、 現実に足を捕えられ、扉を開くことができないまま

少年は懐かしい記憶と一緒に 老いていった。




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しかしある晩、彼は再び扉に出会う。

今度こそ 幸福に満ちたあの庭に帰ることができる!

憧れと喜びに心を震わせながら、男は迷わず扉を開けた。

琥珀色の日差しを浴びて輝いているであろう、あの懐かしい場所へと通じる扉を・・・




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扉への憧れは、彼を裏切ったのでしょうか。
翌朝 地下鉄延長工事で掘られた深い穴の中で 男は冷たくなっていました。
安全のための板囲いにつけられていた粗末で小さな扉は、彼がずっと探し求めていた緑の扉に似ていました。

「成功者」としての彼を知る人々は、その死を不遇として、彼を悼んだことでしょう。
でも物語の最後の言葉は、彼の死が祝福に満ちたものであったことを暗示しているかのようです。
常識だけで全ての物事を判断することの無意味さと危うさを知っていたウエルズは、
それと同時に、思い続けることの確かさをも知ってました。
考えてみれば、生きることの意味も、死ぬことの意味も全てが相対的なものでしかありません。
「緑の扉」は、私たちが知り得ぬこと、いうなれば生きることの本質は、
常識や日常的な価値観を超えたところにこそあるという、ウエルズからのメッセージなのではないでしょうか。

効率とは無縁、一見価値のないように思える夢や幻。
でもそれらは、人間だけに与えられている大切なものなのです。


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「タイムマシン」や「月世界探検」などの科学小説をたくさん残したウエルズ(1866-1946)は、
「海底二万里」などで知られるジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれています。
19世紀末を生きたウエルズは、当時誰も想像し得なかった世界大戦や核兵器をも予告し、
第一次世界大戦終結の後には、国際連盟を提唱したことでも知られています。

彼が生きた19世紀末から20世紀初頭のイギリスは、産業革命を経て、近代化への道をまっしぐらに進んでいました。
「物」や「効率」が何よりも優先されたこの時代に、階級化は顕著となり、貧富の差が著しくなっていきました。
文壇の寵児として次々に「空想科学小説」を発表しながらも、ウエルズは人の心が軽んじられる社会の風潮に
警鐘を鳴らし続けた作家でもあったのです
もしかしたら、少年の日の「黄金の夢」を忘れられずにいた男は、ウエルズ自身だったのかもしれません。

物語はこんな言葉で終わります。
私の解説など、この文章の前には無意味です。



われわれは、この世を常識で見ている。
板囲いは板囲い、穴は穴だとしか思わない。
われわれのの白昼の基準で考えれば、
彼は安全な場所から闇へ、危険の中へ、
死へと転落して行ったのだ。

だが、彼はそう考えただろうか? 
 

H・G・ウェルズ「白壁の緑の扉」  J・Lボルヘス編/序 小野寺健訳 国書刊行会




物語の主人公は、懐かしい庭に帰って行ったのだと、私は信じています。
扉は裏切ったのではなく、、再び男迎え入れ、彼を抱擁するために開かれたのだと。




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扉は 人知れず開かれ




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そして 閉じられる。







自宅近くに蓼科バラクライングリッシュ・ガーデンがあります。
つい最近、新しい道が出来て一本道を車で10分。
薔薇の花にはまだ早いけれど、この週末の土日に限り長野県民は入園料無料(!)と聞いて行ってきました(*^^)v

薄曇りの土曜日、迎えてくれたのは優しく咲き揃った春の花たちでした。
勿忘草、プルモナリア、ヴィオラ、シラー、ゼフィランサス・・・


そして魅力的な「扉たち」。
広い庭の空間を仕切るものとしての扉です。
でも、それだけかしら?
時間と時間をつないでいる扉、日常と非日常をつないでいる扉。
そんな扉がどこかにあるのだとすれば・・・
扉の向こうにはどんな光景が広がっているのかしら?
閉ざされているからこそ、想像の中の庭は美しく、懐かしく広がっていきます。

もしかしたら私たちが気づかずに通り過ぎている場所で、そうした秘密の扉は誰かが開けてくれる時を
ひっそりと待っているのかもしれません。
それともこれは、遅い春が見せてくれた夢想かしら。







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この記事へのコメント

琳々
2010年05月23日 13:46
わあ、あの「緑の扉」の詩を書いて下さり、嬉しいです♪国書刊行会の本は装丁も素敵ですね。文庫本でしか持っていないので、思わずよだれが・・・(失礼)。
私は主人公は至福のうちに死んでいったのだと思います。彼の目には少年の日に見た夏の庭が広がっていたはずです。あるいは、本当に扉の向こうに行ってしまったのかも知れません。許されない領域に足を踏み入れるには、代償が必要なのでしょう。
イングリッシュガーデンの扉、好みです。思わず手をかけたくなりそうになりました。隠されているものを見たくなる、人間の性なのでしょうね。。。
alex
2010年05月23日 20:12
aostaさんが以前ちょっと触れていたお話ですね。
どんなお話なんだろうと興味を持っていました。私は知らないので。
懐かしい扉・・・・以前と同じ景色を見たいだけではなくて、扉に手を掛け、心を震わせながら開けられる自分であったことが、素敵な人生の結末のように感じました。
お話の終わり方、誤解を恐れずに言えば私はこういう感じが好きなんです。

バラクライングリッシュ・ガーデンは、もう10年以上前に行ったことがある思い出の場所です。また行ってみたいと思っていますが、でも、思い出の中でそこからつながっている扉は、開けないことにします(笑)。
HT
2010年05月24日 00:18
こんばんは。
今日の詩素敵ですね。でも悲しくなってしまいました。
何でかな?。分からないけれど…。
「少年はその庭を忘れることができないまま年をとる。」
自分はどうかなって考えてしまいました。
2010年05月24日 08:02
◇琳々さん

素敵な本を教えてくださってありがとうございました♪
どんな風にアップしようか、考えていたのですが、バラクラで素敵な扉をいくつも発見して、「扉繋がり」の記事にしようと思いつきました。
短い物語ですが、「だが、彼はそう考えただろうか?」という文章で終わることで、何とも言えない余韻が残りますね。
国書刊行会のこの本、古書で800円でした(笑)。
装丁が素敵でしょう?
「白壁の緑の扉」他、5編の幻想的な物語が収録されています。
「水晶のたまご」もとっても良かったです。
2010年05月24日 08:11
◇alexさん

おはようございます。
今日も寒いですね。その後体調はいかがですか?

>扉に手を掛け、心を震わせながら開けられる自分であったこと

私たちにもまだ開けていない扉がたくさんあるのかもしれません。
扉に出会った時、心の声に耳を傾ける素直さと勇気が欲しいと思います。

バラクラはさすがに良く手入れされ、薔薇も元気よくシュートを伸ばしていました。
10年前に比べると、庭のレイアウトもずいぶん変わりましたし、薔薇も宿根草も大きな株になり、これから一番見応えのある季節になります。
一度ご一緒しましょうか?
2010年05月24日 12:43
◇HTさん

コメントありがとうございました。
この物語の主人公にとって「庭」は失われた充足と平安の象徴だったように思います。かつては確かにあって今は失われたものへの憧れが、主人公の人生を導いていたとするなら、彼はこの物語の最後にそれを再び手にしたのだと思います。
長い歳月を経ても、忘れることのできない究極のものとは何でしょうね。
HTさんが感じられた悲しさと良く似た感情を私も知っています。
ほとんどの人は、年を取ることで、そうした大切なものを忘れていきます。
もしかしたら、そうした大切なものを自分で否定して行くことが生きることの一部分なのかもしれません。でも悲しいと思うのは、その大切なものを捨て切れずにいるからこそなのだと思います。
だとしたら、それは痛みを伴うにしても、素敵なことだと私は思います。
bunbun
2010年05月24日 12:44
これもまた面白いですね。
 わたしは多すぎる感情のゆえに常に凄まじい葛藤を潜ってきましたが、どこかは非常に醒めてもいて、ついに扉の向こうに行くことだけは土壇場で踏みとどまった人生となりました。まだ数十年の人生の時間があると危うい予測を持っていますが、これは今後もたぶん変らないでしょうし変われないでしょう。ただし想念の世界として、扉の向こうのさまざまな世界、空想といったほうがいいかもしれませんが、そんな世界をも行き巡っています。
>常識だけで全ての物事を判断することの無意味さと危うさ
 これはたしかに人の置かれる状況は様々、持って生まれた性格、能力、資質も、またたどる人生もさまざまですから、同じ物差しを当てて結論をくだすことはできないのでしょうね。
>考えてみれば、生きることの意味も、死ぬことの意味も全てが相対的なものでしかありません。
 そういった考え方も、様々な立場、支持する論理によっては成り立つのだろうと思います。一時期はわたしもそう考えたことがあります。
 枠の中のウェルズの詩、人の幸せ、満足はその人にしか分らない。単純な私はそういうことかなと解釈しましたが…
 蓼科バラクライングリッシュ・ガーデン、きれいですね。イギリスの田舎風景は大好きです。自然の美しさの中にも伝統的な趣を感じます。この庭もそんな美しさがあります。ほんとうに魅力的な扉ですね。
 きょうこそ創作に打ち込もうと思っていたところが、ついブログが素敵だったので、反応してしまいました。
 当地、きょうは雨です。気温20度。新芽がぐんぐん深い緑になっていくのが分ります。八ヶ岳を望む山荘は、爽やかなシーズンを迎えているでしょう。忙しい毎日です。そちらに伺うのは或いは杖を突いて歩くようになってからという事態もあり得ます。そのときには、老人介護をさせないように気を配らなくてはなりませんね。
2010年05月25日 08:28
◇bunbunさん

おはようございます。
私も想念の世界を行き巡る事が多いです。出口が見つからなくて立ち往生することもしばしですが、誰にも邪魔されることなく、自分の価値観の中で様々な思いを巡らせることができる幸せがあります。広く、豊かな世界な世界でもあります。
現実と想念、この二つの世界が与えられていることを幸いに思います。
ウェルズが言いたかったことは、この想念の世界の大切さだったのではないでしょうか。見えないもの、形のないものを、どう位置付けるか、これはまさにそれぞれの物差し、価値観でしか計ることのできませんね。他の人はどうであれ、自分にとって大切なものを守り育てること、これはお言葉の通り論理ではありません。
むしろ私も論理ではないからこそ価値があると思っています。人生においての意味が相対的だと書きましたのも、その意味や幸せには絶対的な物差しがないからなのだと思います。自己満足でいいのだと、私は時に開き直っています(笑)。
「絶対的な物差し」はこの世にはないもの。いつかその物差しで計られる時があるのでしょう。今はただそうした物差しがあるとう事だけを知っています。
バラクラにはたくさんの花々が可憐な花が美しく咲かせていました。
物差しなど持たない花たちが、こんなにも私たちを楽しませてくれる。
在る、というそのことだけで存在の意味を知らされたような思いがします。
bunbunさんにお目にかかれる日もそう遠くないかもしれません。
「そのときには、老人介護をさせないように」ですって?
わたしも体力には自信がありません。
老々介護にならないよう、心してお待ちしています(笑)。
bunbun
2010年05月25日 11:45
いま庭仕事から戻ったところです。
奥行きあるたくさんの言葉を有難うございます。頷きながら読ませていただきました。
>老々介護とは!大笑い。
aostaさんは、どうぞいつまでも5月の若葉のごとくでいらしてくださいね。
それでは今から昼食作りです。
失礼いたします。
2010年05月25日 14:21
◇bunbunさん

私も今さっき庭の仕事を切り上げて食事を済ませたところです(*^^)v
あと少し、あと少し、と欲張るうちに12時をとうに超え、気がつけば2時!
なるほどお腹が空くわけです(笑)。
天気予報では、午後からまた雨とか。
それならば、音楽など聴きながらアイロンかけをいたしましょう♪
2010年05月26日 11:23
aostaさん 初めて書き込みさせていただきます。
『白壁の緑の扉』。
児童文学からの卒業時期に読んだ時は、結末の意味が分かりませんでした。
ただずっと、幸せにつながる「緑の扉」のイメージだけが残っていました。
成人してから読んだ時には、その苦い味に驚きました。
これがイギリス文学というものかなぁ...と。
ウェルズは、『タイムマシン』も苦いですね。

ボルヘスの編/序で、この本が出ているとは知りませんでした。
なるほど、彼が選びそうな作品です。
ご紹介いただいてありがとうございました。
2010年05月26日 18:18
aostaさん、ご訪問ありがとうございました。
aostaさんのおっしゃる通り、価値のないように見えるもの、非効率的なものをもっと大事にするべきですね。
ウェルズは、もちろんSF作家として有名ですが、根底に社会思想家、運動家としての活動があったからこそ彼の創り出す夢・幻に強度が備わったような気がします。
これからもよろしくお願いします。
2010年05月27日 04:34
◇ぴぴんさん

ようこそおいで下さいました。
「白壁の緑の扉」の結末・・・。
私はこの展開に足をすくわれました。もっとストレートに庭への扉が開かれると思っておりましたので(笑)。仰る通りの「苦さ」を感じました。
でも今では、これ以上完全な結末はないのでは、という気がしています。
男の魂は落下の「瞬間」に永遠にとどまって幸福な庭の夢を見続けているのではなかろうかという思いです。
場所はアメリカに変わりますが、アンブロ-ズ・ビアスという作家の「アウルクリーク橋の一件」という短い作品も意外性に富んだ短編でした。
これも同じく「落下」の物語なのですけれど。

>ボルヘスの編/序で、この本が出ているとは知りませんでした。

そうなんですよね!!
この事実だけで「バベルの図書館」に触手が動きませんか?
2010年05月27日 04:57
◇モバサム41さん

こちらまでお越し頂き、ありがとうございました。

>価値のないように見えるもの、非効率的なものをもっと大事にするべきで・・・

「時代」というものの影響は大きいのでしょうね。
ヴィクトリア期のイギリスにあんなに多くのファンタジーの傑作が誕生しているのも
ひとつの時代性なのでしょうか。キングスレーやラスキンも社会運動の結果と思われる作品を残しています。でも私はやっぱり「アリス」が好き!(笑)。

>根底に社会思想家、運動家としての活動があったからこそ彼の創り出す夢・幻に強 度が備わった

まさにお言葉の通りなのだと得心いたしました。
ものがたりはひ弱な夢でも、儚い幻ではないと思います。
苦さや毒を合わせ持つことで、強靭でしなやかな物語が誕生するのでしょう。
そしてこの苦みや毒には中毒性があるようです。
私はなかなかこの「幻の物語の世界」から抜け出すことができません。
その意味ではすでに一つの「緑の扉」を開けてしまった口かもしれませんね(笑)。
2010年05月27日 11:37
>効率とは無縁、一見価値のないように思える夢や幻。
>でもそれらは、人間だけに与えられている大切なものなのです。
ですです(^_^)
が、効率もね・・・。

効率の悪い書記より
2010年05月27日 19:48
◇効率の悪い書記さん(#^.^#)

今日の私は半日草取りに汗を流しつつ手はフル回転、同時に想念は全開の状態で非常に効率的な仕事をしたと申せましょう(笑)。

効率と対極的なところにあるのが創作、物質世界の辺縁でひたすら「大物」が釣り上げられるのを待つ時間は「効率計算」の外で流れていくと思われます。
庭仕事は創造的な仕事だと信じている私ですが、さすがに草取りの段階では創造的とはいいにくいかもしれません。
さりながら、無心にヨモギの根っこと力比べをし、タンポポの牛蒡根を掘り起こすためにスコップの上で踊る時間はなかなかに楽しいものでありました♪

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