「マリア・カラスという生き方」その2 マリアが愛した男たち





ディ・スタジオは初めての恋人、と言うよりむしろ庇護者と言うべきかもしれない。

第二次世界大戦中、ドイツ・イタリア占領下にあったアテネでマリアの才能を認め、慰め、何よりも「愛されたい」というマリアの願望を満たしてくれたのがイタリア軍の将校だったディ・スタジオだった。
連合軍がイタリアに侵攻し、ムッソリーニ政権が倒れると同時に彼はアテネから姿を消した。
本当の恋をするにはまだあまりにも精神的に幼かったマリアと、敵国の軍人であり、既婚者でもあった彼との関係は看過すべからざる背信行為として、世間の非難の的となった。
このいきさつについて後年のマリアは沈黙を守る。
それは彼女の「恋」が一生を通じて報われること少なかったことの予兆にも似ていた。



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1937年 母リッツァ(中央) 姉ジャッキー(右)とマリア 
すらりとしたスタイルと美貌の姉はマリアの憧れだった。
ギリシャ帰国直後の写真





そしてマリアがイタリア・デビューを果たした街、ボローニャで出会った実業家、ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニ。
情熱的なオペラファンであり、彼女の才能に惹かれたメネギーニと、父親といってもいいほども年上の彼に「守られること」を信じたマリアは、出会ってから2年目の1949年に結婚した。
しかしマリアの名声が高まるにつれ、二人の軋轢は深まっていく。
メネギーニが守るには、すでにマリアは大きすぎた。

それから ルキノ・ヴィスコンティ
ミラノの名門貴族出身で著名な映画監督であった彼は、鋭い美意識と豊かな知性にあふれた魅力的な男性であったが、同時に同性愛者でもあった。
それと知りながらも、メネギーニとの結婚に行き詰っていたマリアは、決して実ることのない恋に落ちた。

最後に、アリストテレス・オナシス。
「もっとも有名なギリシャ人」であることを自負していた世界の海運王。
おそらく、マリアが生涯で一番愛し、愛されたいと願った男。
彼女は今までのキャリアを棒に振る覚悟で、彼と一緒になるためにメネギーニと別れた。
しかし1969年、マリアの想いを裏切って、オナシスはジャクリーン・ケネディと電撃的に再婚する。
「これは愛ではない。私は君を愛している。ジャクリーンは必要なのだ。」
オナシスは、こうマリアに言ったいう。
わずか数カ月でジャクリーンとの結婚は事実上破たんしたまま、1975年、オナシス死去。
その死の二日後、ヴィスコンティ死去。

深い傷心の淵から彼女をすくい上げたのは、長年の友人であったテノール歌手のディ・ステファーノ。
マリアは歌う事を運命づけられていた。
歌うための真摯なまでの努力、覚悟、完全なまでの音楽への献身。
音楽なくして彼女はマリア・カラスたりえなかった。



音楽以外の人生において、彼女が望んだことはただひとつ。愛されること。
そして、と言うべきなのか、にもかかわらずと言うべきか、彼女は、愛すること、愛される事に渇いていた。

「愛は簡単なこと。愛、崇拝、尊敬、それらが一緒になるの」


母に愛される事なかった幼い日々、父親からの穏やかな愛情は彼女にとって何物にも代え難い拠り所であった。
その父親から、父親との思い出に満ちたニューヨークから引き裂かれた、という傷は、生涯マリアについて回った。
彼女が愛した男性は、みな父親のように年上の男性か、彼女を守るに足る権力や資力を持った男性ばかり。
大好きな父親に素直に従う小さな女の子のように、愛する男性に従順でありたいと願い、終生家庭的な幸福を夢見ていたマリアにとって、男性とは絶対的庇護者としての永遠の父親にほかならなかった。



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1936年ニューヨーク 13歳のマリア 大好きだった父ジョージと
このあとマリアは父親と引き離されギリシャへの帰国を余儀なくされた 





1977年、マリア・カラス死去。
54年の短い生涯の最期を看取ったのは、家政婦として長年彼女に仕えたブルーナだったという。

憑かれたように音楽に奉仕し、一生を音楽のために燃焼しつくしたかのようなマリアが、心から望み、得られなかったものを考える時、女としてのマリア・カラスが愛おしい。



☆アン・エドワーズ「マリア・カラスという生き方」その1 → http://folli-2.at.webry.info/200912/article_1.html





この記事へのコメント

2009年12月07日 22:02
マリア・カラスの歌うアリアはどれも好きですが、特に好きなのは「ノルマ」の「清らかな女神よ」と、「トスカ」の「歌に生き、恋に生き」です。
結ばれない失望の中にあってもなお、求め続けた人であり、燃え続けた思いの相手がオナシスだったのではないかと思っています。うまく言えませんが、総論的には不幸せでも、各論的には幸せだったのではないかと、そう思いたいものです。
2009年12月10日 20:11
私の知人にも、表現者として他の追随を許さない成功者がいますが、傍目の華やかな名声とは裏腹に、「愛されたい」という飢餓感に苛まれている人がいます。
脚光を浴びる仕事で成功するには、自分の才能に対する自信とは別に、「認められたい」「肯定されたい」という飢えがなくてはいけないのかもしれませんね。
…という解釈は、「才能はないけど幸せだからいいの」という、いかにも平凡な私たちの自己肯定なのかもしれませんけど。(笑)
〈M〉
2009年12月10日 23:05
◇alexさん

こんばんは。
最初はね、ノルマの「清らかな女神よ」についても本文で書くつもりだったんですが、思ったよりヴォリュームのある記事になてしまって、2回に分けてアップすることになりました。ベッリーニのオペラは高度な技術と演技力を必要とするドラマティック・コロラトゥーラを前提としたオペラと言う事で長いこと歌われることのないまま半ば忘れられた状態であったという事ですが、「トスカ」は人気のある演目だったのでしょうね♪
「トスカ」は私がオペラに目覚めた記念すべき作品ですが、涙を流すほど感動したのは「歌に生き、恋に生き」ではなく、カヴァラドッシのアリア「星は光りぬ」の方でした。「歌に生き、恋に生き」の素晴らしさに気づくのはそれからしばらく経ってからです。
2009年12月10日 23:06
◇alexさん

>結ばれない失望の中にあってもなお、求め続けた人

そうですね。
マリアの恋はどれも成就しません。唯一結婚した相手であるメネギーニとも結果的には破綻しますが、確かに二人がお互いを必要とし、愛し合った日もあったはずだと思います。オナシス以外の男性は」皆彼女の音楽的才能にほれ込んだ男ばかりですが、オナシスはちょっと違いましたね。音楽を愛する素養はあまりなかったようですが、彼がマリアに興味を持ったのは同じギリシャ人として不遇を克服し、もっとも有名なギリシャ人の一人になったと考えていたからのようです。もちろん芸術家としての彼女の名声は大きな魅力だったことでしょうが、同時に互いが「同志」のような連帯感を感じていたのではないかと思うのです。
世界の経済化においても、音楽界においてもマイノリティであるという共通意識、仲間意識がオナシスにはあったんじゃないかしら。ある意味では恋愛を越えた関係とも言えるかもしれません。だからこそ、ジャクリーンと結婚してマリアから一度離れながら、数カ月でよりを戻している・・・
一方のマリアは、やはり彼を男性として、また恋人として見ている
互いに相手を求めながら、相手に求めるものが違っていた事が二人のすれ違いのひとつの原因ではなかったかしら。

ごめんなさい。中途半端ですがいったん返事を終りにさせていただきますね。明日の朝にでもこの続きを差し上げたいと思います。
2009年12月11日 05:17
◇alexさん

>明日の朝にでもこの続きを差し上げたいと思います。

朝になって是夕べのお返事を読み直して見ましたら、「続き」を書く程内容のあるお返事と言うわけでもありませんね(笑)。
なんとなくalexさんとお話がしたかっただけなのかもしれません。

>総論的には不幸せでも、各論的には幸せだったのではないかと

そうかも知れませんね。私もそう思いたいです。
ただ、満足の中から芸術は生まれにくいという事も事実のような気がします。
恋は彼女の人生の中の美しく悲しい火花のようです。
2009年12月11日 18:26
aostaさん、たくさんのお返事をありがとうございます^^。

<ただ、満足の中から芸術は生まれにくいという事も事実のような気がします。

その通りだと思います。
マリア・カラスは、愛情と安定という面では、全く恵まれていなかったと思います。
苦しみで胸が裂けるように痛んでも、自分の望むものに向かっていくエネルギーは決して衰えない。
その裏には、もしかしたらそんな境遇さえも蜜にしてしまう、持って生まれたさががあったのではないかと思うのです。
そして、その蜜が、心の隅っこでマリア・カラスを幸せにしていたのではないかと思えるのです。

だから、マリア・カラスの歌う「ノルマ」と「トスカ」には、抗いがたい力に満ちていて聴き手を屈服させるのに、どこかに純粋な願いの輝きがあって、聴く者達を涙させながらもおだやかな気持ちにさせてくれるように思えます。
私の勝手な解釈ですが(笑)。
2009年12月11日 18:29
◇Mさん

こんばんは♪
コメントありがとうございます。
自分を認めてほしい、肯定してもらいたい、これはどんな人にも共通する願望ですね。対外的に認められれば認められるほど、自分だけが知っている「内なる自分」をこそ誰かに認めてほしいと願うのは、「対外的な自分」の比重が大きくなって独り歩きしていることへの不安でしょうか。
でも芸術の神様は嫉妬深いから、そうしたふたごころをゆるしてくれないのかもしれませんね。また安易に妥協できないからこそ、常人にはたどり着けない高みに至ることが出来るのかもしれません。その一方で、長い人生それなりに山あり谷ありの人生を送ってきた私としては、平凡でささやかな幸せがどんなにかけがえのないものであるかといことを実感しています。
一見ささやかな、どうでもいいようなことにも幸せを感じられるというのも、一つの才能と考え、自己肯定してるaostaです(笑)。
2009年12月11日 18:42
◇alexさん

Mさんへのお返事を送信し終わったところにalexさんの再コメントが入ってきました。ニアミス?ささやかなことで幸せを感じている自己肯定的なaostaです(笑)

>もしかしたらそんな境遇さえも蜜にしてしまう、持って生まれたさががあったのではないか

密!!
なんて麻薬的な響きを持った言葉でしょう。
マリアに限らず多くの芸術家は確かにそうした「密」を持っているのでしょうね。自分を、そして人をもからめ捕る甘やかな芸術の密は、同時に強い毒性も持っているように思います。その毒を自ら取り込んだところにマリアの音楽の魅力があるような気がしてきました。

「ノルマ」のそして「トスカ」の純潔なまでのアリアには、本当にalexさんのおっしゃる「聴き手を屈服させる抗いがたい力」に満ちていているようです。

全然関係ないんですが、コメントを拝見していて森茉莉の「甘い蜜の部屋」を連想してしまいました。本当に全然関係なんですけど(笑)。
my
2009年12月21日 16:24
 aostaさん、今日は。随分ご無沙汰致しておりました。やっと昨日あたりから、床を離れることができるようになりました。ところで マリア・カラス ですか。 私のブログで マリア については、 aostaさん とちょっとお話をしましたが、母が大のオペラファンで、日本では宝塚を、マリアの歌もよく口ずさんでいました。 「 トスカ 」 や 「 椿姫 」、「 すみれの花咲く頃 」 が、台所から流れてくるんですよ。小学生の頃は、友達が遊びに来ていると恥かしくて・・・
 私は、マリア と オナシス の関係は、シドニー・シェルダンの 「 真夜中の向こう側 」 で描かれている ギリシャの海運王 と 女優ノエル の絡みに顕著に顕われていると思っています。ただこれはあくまで私の解釈ですので。
 もう今年も僅かです。aostaさんにとっても、忙しい師走のことと思います。どうかお元気に毎日をお過ごしください。又、楽しいお話をお聞かせください。それでは失礼致します。
2009年12月22日 08:25
◇myさん

おはようございます。
お帰りになられたのですね。まずは安心いたしましたが、折しも寒波到来、ゆっくり静養なさって新しい年をお元気で迎えらますように。

>母が大のオペラファンで

素敵なお母様ですね!
私の母も歌が好きで良く歌を歌いながら家事をしておりました。
やはり「椿姫」がお気に入りでした(過去記事で母と「椿姫」について書いた記事のURLを添付いたしましたので、お暇なときにお読みいただければ嬉しいです)
母の場合はオペラと言うよりデュマの小説が好きだったようで、口ずさんでいたのはアリアではなくグリーグの「ソルヴェーグの歌」やドイツ民謡、イギリス民謡でした。

シドニー・シェルダンは一時期すごい人気でしたね。
私も何冊か読んでいますが、ほとんど忘れてしまいました(悲)。
「真夜中の向こう側」については多分読んでいないと思います。カラスがモデルという事は知っていましたが、思い入れが強かったために読むのをためらっていたような気がします。今でしたらまた違う視点で読めるかもしれません。
多分図書館にあるでしょうから探してみますね。

退院されたとは言え、まだ体調も不十分と推察いたします。
どうぞご自愛ください。ありがとうございました。
くるみ
2017年01月22日 15:46
酷な言い方ですが、オナシスはやはりマリアを愛してなかったのです。
2017年03月13日 18:58
◇くるみさま

コメントをいただき、ありがとうございました。
長い間、お返事をお待たせしてしまい申し訳ございません。
愛する、という行為にはいろいろな形があるのかもしれません。はたしてオナシスがマリアを愛していたのかわかりませんが、少なくともマリアは彼を愛していた。このことだけは事実だと思います。報われない愛もまた愛ではありましょう。マリアを愛しながら報われなかった男たちもいたことを思えば複雑な気持ちになりますが、愛し愛されることがなかった、その愛の欠如ゆえに歌姫マリア・カラス足り得たのかもしれません。

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