北原白秋 「げんげ草」 / 子守唄の記憶




寡黙な父が「聴く人」であったとすれば、賑やかな母は「歌う人」だった。

庭先で洗濯をする母。
小さな台所で、食事の支度をしている母。
母がいつも楽しそうに口ずさんでいたそれらの歌は、今でも折に触れて耳元によみがえる。
中でもおそらく一番古い記憶にある歌は、私や妹たちを寝かしつけるときにいつも母が歌っていた子守唄。

まずは下記に記した歌詞のタイトル「げんげ草」をクリックしてメロディーをお聴きください。
(「げんげ草」とは、れんげ草のことです。)



「げんげ草」 北原白秋作詞 中山晋平作曲


  ねんねのお里の げんげ草
  ぽちぽち仔牛も 遊んでる
  牧場の牧場の げんげ草
  誰だか遠くで 呼んでいる

  ねんねのお里は よい田舎
  ねんねのお汽車で 下りたなら
  道は一筋 田圃道
  藁屋に緋桃も 咲いている

  ねんねのお守りは いやせぬか
  ちょろちょろ小川も 流れてる
  いつだか見たよな 橋もある
  小薮のかげには 閻魔堂

  ねんねのお里で 泣かされて
  お背戸に出て見た げんげ草
  あのあの紅い げんげ草
  誰だか遠くで 呼んでいる

             



母の細い声でゆっくりと歌われたこの歌を今改めて聴いてみると、牧場に遊ぶ子牛やれんげ草のイメージを微妙に裏切る哀切な感覚がある。
子守唄に哀切な調子があるのは、この歌に限ったことではないのだが、長閑(のどか)な風景の遠くから「誰かが呼ぶ声」は聞こえてくるけれど、そこに人の気配はない。
「この世ならぬ」どこか非現実な光が当たっているデジャ・ヴュのような光景が、ただ森閑と明るく静まり返っている。



画像





白秋の作詞による子守唄ではこの「げんげ草」より、草川信作曲の「ゆかごのうた」の方がよく知られているようだ。
実際に母は、この「ゆりかごのうた」もよく歌ってくれた。
「ゆりかごのうた」の優しい午睡の夢に誘うような歌詞、そしてメロディーに比べてみても、
10年後に発表された「げんげ草」には沈潜する憂いの影がある。
独断と偏見ではあるが、私はこの「げんげ草」の静寂の中に見え隠れする微かな死の気配を感じてしまう。
詩の中に満ちている明るさには「影」のイメージがない。
そして遠くから木霊のように繰り返えし呼びかけてくる声に、人影はない。
歌の中の世界を限りなく希薄に感じさせるこの光は、いったいどこから落ちてくるのだろうか。


この「げんげ草」について書こうと思い立った当初は、遠い昔の母の思い出を書くつもりでいた。
なぜ唐突にこんな感想が頭をもたげてきたのかわからないが、「死」とは目覚めることのない眠りであり、
眠りとは、目を覚まして初めて「眠り」となるのだから、本来「眠り」と「死」は限りない近似値にあるものだろう。
それならば眠っているあいだの無意識がそのまま「死」の無意識につ繋がったとしても、何の不思議もない。
もちろん母が、そうしたイメージでこの歌を歌っていたとは毛頭思わないが、そう考えれば、
子守唄が仮初めの死へと誘う歌であってもおかしくない。

そして「お背戸」とは単純に木戸のようなものだと思っていたのだが、
調べてみると「裏庭」または「裏門」の意であると同時に「隠された場所」という意味があった。
明るい覚醒の庭が「表庭」ならば、無意識の波間に漂う眠りの庭は「隠された場所」としての「裏庭」なのではないか。
覚醒した「表庭」と無意識に隠された場所の境界としての「お背戸」。
つい100年ほど前まで、幼い子供たちの死は、限りなく「生」に近いところにあった。
自身病弱で、両親からも長くは生きられないとさえ思われていた白秋にとって、ことりと眠りに落ちる一瞬は、
日常から非日常、表庭(生)から裏庭(死)へと扉が開く時であったのかもしれない。

遠い表の世界から汽車で訪れ、橋を渡ってたどり着く裏庭は「ねんねのお里」。
それは詩人が鋭敏な感覚が感じて取っていた、幼い日の死の心象風景なのだろうか・・・


いや、これは多分とんでもない飛躍。
子守唄はやはり、普通に「子守唄」なのかもしれない。


5月30日付のブログに頂いたかげっちさんのコメントへの御返事を書きながら思い出したこの子守唄。
作詞者も知らず、題名も「ねんねのお里」と記憶していたので、何度調べてもこの歌を見つけられずにいたのだが。
何回目かのアクセスでたどりついたkakoさんのブログで偶然にもこの曲に再会することができた。
かげっちさんとkakoさんに感謝!!

お二人には、思いもよらない新説(珍説)かもしれないが、最初書こうと思っていたイメージとはあまりにかけ離れてしまったことに誰よりも私自身が戸惑っている。
さて最後までお付き合いくださいました皆様は、どんな感想をお持ちになられたのでしょう。









この記事へのコメント

かげっち
2009年06月09日 12:55
aostaさん、こんにちは。

お背戸と死の心象の話、記憶違いかもしれませんが、「流行り唄の誕生」(朝倉喬司:青弓社)という本にも出てきたような気がします。あいにくいま絶版みたいですが。白秋はときどきこういう陰のある詩を書きますね。昔は子どもの死亡率も高かったので、子守歌と死の心象が近くても不思議はないと私は感じます。中也の詩集に「亡くなった坊や」の写真が「死の影が見える文也」と題して載っているのを思い出しました。

私は白秋より後の時代に生まれましたが(笑)なんだかんだを乗り越えて、いまを生きていられることの不思議を思います。
2009年06月09日 14:25
◇かげっちさん

「流行り唄の誕生」早速調べてみましたがやはり絶版のようです。
朝倉喬司さんというお名前は初めて聞きましたが、この本でも「げんげ草」がとりあげられているのでしょうか。「お背戸」と「死」のイメージが結びつくというのは、必ずしも私の一方的な印象ではなかったことに安心すると同時に、「これは私の独断!」というところで納得する気持ちがありましたので少しがっかりしたというのも本音です(笑)。
音楽にせよ、文章にせよ、まったくのオリジナルの発想と言うのは難しいですね。
おまけに、このブログの記事を書きながら、中也の詩を連想していた、という点でも、かげっちさんと同じです。それに関連してこの次には、先日の長崎旅行の帰りに立ち寄った「中也記念館」について、また中也の詩についてブログを書こうと、ひそかに目論んでいたのですが、それも「筋書きどおり」ということになるのでしょうか(笑)。
2009年06月09日 14:27
◇かげっちさん

つづきです
白秋は「邪宗門」の印象が強く、絢爛豪華な言葉を操る詩人という印象が強かったのですが、考えてみれば、かげっちさんのおっしゃられるように、影のある詩もいくつか思い出されてきました。
自分でも忘れていることって、多いんですね。
それが何かのきっかけでするする記憶の底から立ち上ってくる・・・
自分のもの、と思いこんでいたものが、実ははるか遠い記憶の海の中で忘れ去られたまま眠っていたものであったりすることも多いのかもしれませんね。
かげっち
2009年06月09日 21:08
「流行り唄の誕生」書架を探せばどっかにあるはずなんですけど・・白秋には関係なかったと思います。うろ覚えですが・・・(汗)
幼子にとっては、自分が知る世界と異界との境目が、お背戸なんじゃないでしょうか。
でも白秋って暗いと思いませんか?自然短音階でa-mollを聞かされたような。

しかし、長崎の帰路、山口にも寄っていらしたのですね。二度訪ねたことがあります(学生の頃、後輩が中也の母上にお会いしてきたと聞いて羨ましく思いました)。よい記念館ですよね。CDお買いになりましたか?中也の詩に曲をつけたやつとか「中也絶唱」とか・・
2009年06月09日 23:50
◇かげっちさん
 再コメントありがとうございます。

>自分が知る世界と異界との境目が、お背戸なんじゃないでしょうか

そう、そうなんです!
なぜ私がお背戸(裏庭)から異界(死の世界)を連想したのかと言えば、まさにお背戸がこの二つの世界の境界だと感じたからです。
そう思ったのは多分以前熱心に読んだ中沢新一さんの著書の影響が大きいと思います。中沢さんは(たぶん「精霊の王」というご本のなかっだたと記憶していますが)、サ行の音が表す地名(たとえば瀬戸、だとか、岬、崎の字があてられた地名は、境界もしくは結界を表す名前であることが多いと言うようなことを書いていらっしゃいました。(この本も書棚のどこかにあるはずなのですが、見当たりません・笑)。「お背戸」には「背」というサ行の音が含まれ、しかもその読みは「瀬戸」に通じる響きを持っています。瀬戸は瀬戸際の瀬戸。
ぎりぎりの境界を現すことばですが、この瀬戸とお背戸の「背戸」は同じ音です。
中沢新一を読んだのは、もうずいぶん昔の事なのですが、沈澱していた記憶が急に目覚めたみたいです。
2009年06月09日 23:55
白秋のきらびやかな言葉の陰には確かにしっとり湿った暗さを感じます。
以前出た復刻版の「邪宗門」と「月と胡桃」の2冊を持っているのですが、いずれも天金仕上げ、フランス綴じ、金と赤で装丁された美しい本です。
なかなかナイフを入れる勇気がなく、未だに未読のままです(笑)。
でも今回のブログを通じて、俄然読みたくてたまらない本となりました。

>CDお買いになりましたか?

中也の曲がつく、と言うイメージがしっくりこなくて買わずに帰りましたが・・・
いえ、「しっくりこない」というより、怖かったと言ったほうが正しいです。
中也の詩には既に音楽的な独特のイメージがあるので、いったいどんな旋律がついているのか、不安な気持ちもあって。
かげっちさんはそのCDをお聴きになられたのでしょうか。
いかがですか?中也の言葉と音楽はお似合いでしたか?
2009年06月10日 05:34
aostaさんへ
お早うございます。ご無沙汰してしまいました。いやぁーすっかり忘れていた曲でした。「ゆりかごのうた」は今でも時々聞きますが「げんげ草」は小学生時代の思い出です。aostaさんの詩論、私には難しいのでコメントできませんが引き込まれるように拝読させていただきました。
かげっち
2009年06月10日 12:40
aostaさんのおっしゃる通り、中也の詩にはすでに音楽性があるので、それ以上の旋律をつけて歌うことには困難を感じます。恥ずかしながら私も何度か作曲を試みたのですが、ことごとく挫折してしまいました。「わたしの上に降る雪は」を変奏曲形式にできないか、という構想をひそかにあたためているのですが、最近はとても心の余裕がありません。実際に作曲されたものを聴いても、やはりしっくりこないですね。なお「絶唱」というのは、朗読のシャウトバージョンだと思ってください(ライブをなさる方がいるようです)。結論として、あえて買わなくてよかったかもしれません(笑)

道造だと何とか曲になりそうなんですけどね。合唱曲で聴いても、それなりに良いと思えます。
kako
2009年06月10日 22:28
aostaさん、こんばんは
このたびはひょんなきっかけでaostaさんのブログを知ることができ
うれしく思っています。
なんだか文学的なブログで、ちょっと敷居が高いかなと思うところも
あるのですが、いろいろ興味深く読ませていただいています。
実は、わたしもブログに今回の「ねんねのお里」について新たにわかった
ことを、記事にしてアップしました。
記事の中にaostaさんのことも少し書かせていただいたのでご連絡差し上げ
ました。この記事もリンクさせていただきましたがよろしかったでしょうか?
もし、何か問題ありましたら、すぐに削除しますのでご連絡ください。
2009年06月11日 00:44
僕は子守唄をほとんど知らないのですが、友人でありブログメンバーである<M>さんが出産後の情緒が不安定だったとき、赤ちゃんに子守唄を歌ってあげるだけでなぜか涙が出てきた、と言ってました。
特に「ななつのこ」の「かわい かわいと からずはなくの かわい かわいと なくんだよ」でこらえきれず毎回号泣していたといいます。
僕は彼女のその気持ちは今ひとつ理解できませんが、その話を聞いたときは、なんだかうっすらもらい泣きしてしまいそうになりました。
この記事にあんまりかすらないコメントですみません。
<S>
2009年06月11日 04:40
◇ひょうすけさん

コメントありがとうございました。
こちらこそ御無沙汰したままで失礼いたしました。
ひょうすけさんもこの歌をご存じと伺ってとても嬉しいです。
小学生時代の思い出、ということは、授業でこの歌を歌われたのでしょうか?
それなら、母も同じようにしてこの歌を知り覚えたのかもしれません。
私自身、小学校のころ教わった歌は、なぜかよく覚えていますし、そういう方が多いのではと、思います。
ありがとうございました。
2009年06月11日 05:05
◇かげっちさん
 おはようございます。

>「わたしの上に降る雪は」を変奏曲形式にできないか・・・

だんだん変わっていく雪の描写は、中也らしいリフレインと心象の展開が印象に残る詩です。かげっちさんはどんな曲をイメージしていらっしゃるのか、とても気になる「構想」です。
「わたしの上に降る雪は」という繰り返しは、6連までとそれ以降は雰囲気もリズムも変わりますね。前半、時間の流れとともに、冷たく激しくなる雪の描写が、6連の最後で突然「しめやかに」なる。
この意外性はそれ以降も続いて宗教的つつましさともいえる静謐な祈りに変わっていきます・・・なるほどこれは「変奏曲」ですね。
中也の詩に曲をつけるのは難しい、とおもいつつも、かげっちさんが暖めていらっしゃる構想が実現し、実際に聴くことができたら素晴らしいと思います。
素敵な楽しみが増えました!!

シャウト・バージョンの「絶唱」、たぶん私には無理だと思われます(@_@;)
2009年06月11日 05:12
◇kakoさん

おはようございます!
最近年齢のせいか目覚めの早いaostaです(笑)。
今回は、正体不明の「ねんねのお里」を探し求めてずいぶんネットの波間を漂流いたしましたが、kakoさんのブログに漂着できて本当に幸いでした。
新しい記事をアップされたとのこと、早速拝見させていただきますね!
リンクしてくださったとのこと、ありがとうございました。
「ねんののお里」つながりの不思議なご縁を大切に、これからもよろしくお願いしますね。

2009年06月11日 08:07
◇Sさん

私もMさんと同じです。
「ななつのこ」は、子どもたちが大きくなった今でも、歌うたび目頭が熱くなって、涙がこぼれてきます。
生まれたばかりの無垢ないのち。自分では何も身を守る術を持たない、絶対的な信頼が、そのまま命の形をしている我が子を胸に抱いた時の、畏れとも喜びともつかない震えるような思い。小さな小さな命が愛おしくて、またなぜか哀しくて、涙が止まりませんでした。
「ななつのこ」のあの哀調を帯びた調べを唇の乗せるたび、あのときの胸がいたくなるような思いがよみがえります。無心に眠る赤ちゃんの耳元で、そっと囁くように歌って聞かせた子守唄は「ななつのこ」ではありませんでしたが、想いは全く同じなのだと思います。

今回のブログの記事を書いていて感じたことは、自分が聴いていたとき、歌っているときの感覚と、文字として目から詞を読む時とは受け取り方や感じ方が全く違うということでした。聴くとき、歌う時は身体で感じ、心で歌う、完全に主観的なものなのですが、読む時には、客観的で「分析」になりますね。
この「げんげ草」も、幼いころの思い出にある子守唄とは、私の中では別のものです。
かげっち
2009年06月11日 12:57
aostaさん、こんにちは。

「流行り唄の誕生」まだ見つかりませんが、筆者の朝倉氏はノンフィクションライターでいろんな題材を手がけている人です。確か明治期あたりの「東京の成立」と当時の流行り唄の背景なども書かれていました。

変奏曲、なかなか書けそうにありませんが、頭に浮かぶのはシューベルトです。「ます」の変奏曲、そして「冬の旅」の"Gute Nacht" ... 中也の無邪気さ、純粋さ、凄味、悲しみ、諦観、そして夭逝 ... 表面的にはシューベルトに通じるところもある、と感じます(あくまで表面的にですが)。既に音楽と化している詩を、あえてシャウトする必要はないと私は思いました、正直。
かげっち
2009年06月11日 12:57
ところで、巷でも若いピアニストの受賞が話題になっていますが、彼のような方はどんな思いで子守歌を聴いたのだろうと知りたくなりました。だって、ちらと聴いた演奏が、とっても明るくて自由で躍動しているのですもの。Mozartの演奏ってこんな感じだったかもしれないなあ、と思いました。

日本の子守歌にはけっこう、辛さと恨みが込められたものもありますが、そうでない唄を聞いたり歌ったりして生きてこられたことに、感謝します。
2009年06月12日 08:22
◇かげっちさん

きっとかげっちさんの本棚には宝物がいっぱいなのでしょうね。
「流行り唄の誕生」、私も古書で探してみます。

中也の詩にシューベルトのイメージを重ねてみました。
中也の詩に内在する音楽的な響きと、シューベルトの「うた」・・・
「おやすみ」の寂寥と慈しみに満ちた曲調と、ⅠからⅡへと静かに密やかに高揚しながら転調し、祈りへと近づいていくような中也の詩は、いかにも似つかわしい物に思えます。
実際に一つの変奏曲として完成されないまでも、この二つの美しい「魂の音楽」が一つに溶け合った時の幸福を想像できただけでもうれしいです。
チューベルトと中也の無邪気さ、諦念、もしくは断念。
似ているのは必ずしも表面だけではないかもしれません。

2009年06月12日 08:55
◇かげっちさん

今話題のピアニストととは、ヴァン・クライバーン コンクールで優勝したあの方でしょうか。私はまだ聴いていませんが、これから耳にする機会も増えることと思いますので楽しみにしています。
視覚障害のある方にとって、聴くことは世界と繋がる始まりの一歩であり、てがかりでもあるのだと思います。その始まりにお母様の子守唄によって育まれた世界が今大きく花を咲かせようとしているのかもしれませんね。
2009年06月12日 08:56
◇かげっちさん まだ続きます(^^ゞ

日本の子守唄の辛さと恨み、ほんとですね。
それも古ければ古いほど恨みは深くなるような気がします(笑)。
なぜでしょうね。日本的な音階がそもそも陽ではないですね。
童謡という形の「子守唄」が生まれるまでどこかに滲むような蔭があります。
同じ白秋の子守唄でも「ゆりかごのうた」は穏やかで愛らしいメロディーと歌詞がついていて「げんげ草」の雰囲気とはかなり違います。
詞と旋律が一つになってのうたですから、一概には言えませんが、「げんげ草」は、白秋の個人的なそして原点ともいえる子守唄。「ゆりかごのうた」はちょっと「個人」から離れたところで客観的にイメージされた子守唄なのでは、といつもながら勝手な感想ですが(笑)。

日本の歌だけでなく、モーツァルトやシューベルト、またブラームスの子守唄の、明るさや暖かな眼差しに満ちた子守唄も一緒に思い出として残してくれた母には私も感謝しなくてはいけませんね。
かげっち
2009年06月13日 18:15
ありました「流行り唄の誕生」。大正~昭和初期「童謡」「民謡」と呼ばれるジャンルの唄が成立した背景を論じています。

初期の童謡運動は「赤い鳥」「金の船」などの雑誌を軸に展開されましたが、「背戸」については特に野口雨情の詩に頻出するそうです。「お背戸のお背戸の赤蜻蛉 狐のお話致しませう」等々・・・「背戸が山に接しているのであれば、山は柳田国男がいうようにムラビトが死後に行く場所であり目の色が違った異人の領域でもある。」「他界と現世との境界を線状をなして漂泊したのが中世の芸能民であったとしたら、里の家々い斑点のように付着した境界域をめぐり歩いたのが雨情だったのだろう。」などと書いた後で白秋(雨情と共に童謡運動を牽引した)が引用され、白秋が郷愁を彼岸を慕う心と考え、異界を前提とした人間の感情であると考えていたと述べています。

朝倉氏の解釈にはいろいろな意見があるでしょうが、何となくわかるような気はします。でも私は北海道育ち、「内地」とは裏山の環境がずいぶんちがうので・・(笑)・・むしろ熊が住む山の端っこを人間が間借りしていた土地ですから。

2009年06月14日 12:52
はじめまして。きょうは拙ブログへお越しくださり有難うございます。
ありし日の母上さまの子守唄を歌っている情景が浮かんでくるようです。父上さまは寡黙でしたか。私事で恐縮ですが、私の父も寡黙で母と正反対でした。
中山晋平は我が郷里の生んだ作曲家、とても誇りに思います。

それにしても、aostaさまのブログは素晴しいです。さっそくRSSリーダーに登録させて頂きときどきお邪魔させて頂きます。
2009年06月14日 21:14
◇かげっちさん

「流行り唄の誕生」見つけてくださったんですね!
ありがとうございます。
「漂泊したのが中世の芸能民」とは、その特異性のために人々や社会から排斥され差別の対象となったあの人たちのことを言うのでしょうか。
例えばそうした「被差別民」の一人であったとされている、観阿弥や世阿弥もが完成した「能」に現れる幽玄と死とは、限りなく近しいものと感じます。「漂泊の民」の存在そのものが、この世と異界をつなぐお背戸、もしくはお背戸との接点であったのかもしれませんね。
白秋という人について、あまり詳しいことは知らないのですが小学生のころ読んだ「伝記物語」によれば(笑)、幼少期は腺病質でしょっちゅう熱を出していたとか。
早熟な彼が、幼いころから「死」を意識したとしても不思議はないように思います。また、彼が育った柳川という街に巡らされた水郷も、「水」と「死」との親和性を感じるとことでもあります。
雨情にしても白秋にしても、「お背戸」は”二つの世界を行き来する通路”として常に意識されていたということなのかもしれませんね。

2009年06月14日 22:05
◇閑話ノートさん

おいでくださいまして、ありがとうございます。
「閑話ノート」とは何て素敵なHNでしょう。

子どもが手離れたせいもあるのでしょうが、最近は父や母について思い出すことが多くなったように思います。
物理的というだけでなく精神的にも現在ある「私」を形作っているものは、すべて両親から引き継いだものであり、両親が育ててくれたものであると思っています。

>私の父も寡黙で母と正反対でした。

余計なことはしゃべらない父でしたが、その分、少ない言葉には重みがありました。幼いころは父が本当に怖かった・・・・
父にはなにか「絶対」を感じるものがありました。
父と対照的に陽気で賑やかな母は、ほっと甘えられる存在でした。

最後にお願いがひとつ。
次回からは、どうか”aostaさま”、ではなく”さん”づけでお願いいたしますね(笑)。
かげっち
2009年06月15日 12:05
こんにちは。上に引用した雨情の詩は、安部晴明の誕生にまつわる伝説を背景にしているそうです。異界とつながる人、漂泊民、子ども、どれもマージナルマン(ルソー)?という点が共通でしょうか。

もっとも、童謡運動は文部省唱歌に対抗する運動として起こった面がありますが、いま自分が素直に子どものため聴かせてやりたいと思うか?というと、ちょっと変わった歌や怖い歌が多いとも思います。白秋や雨情の「子ども観」に一定の偏りがあるせいでしょうか。中山晋平らが巧みに曲を付けたからこそ今日まで生き残った歌だといえるでしょう。
2009年06月15日 22:19
◇かげっちさん

境界人としての、マージナルマン・・・
4歳違いの弟の卒論が「エミール」に関するものでした。
なるほど、と前回頂いたかげっちさんのコメントに改めて得心したaostaでした。

引用してくださった雨情の詩「お背戸のお背戸の赤蜻蛉 狐のお話致しませう・・・」ここから「安部晴明」が出てくるとは。
全く予想していなかった展開に少々あせっておりますが、確かに清明はマージナルマンの最たる人物かもしれませんね。
雨情の詩について、この後を知りたいと思い、検索してみましたがヒットしませんでした。この一行だけでの解釈というのも乱暴な話ではありますが、蜻蛉とは、あちらとこちらの世界を行き来する魂の象徴でしょうか。
狐はさしずめ清明・・・?
2009年06月16日 07:16
◇かげっちさん

雨情の歌でよく知られている「赤い靴」にしても、相当怖い詞です。
異人さんに連れられて「あちらがわ」に行ったきり戻ってこない女の子の話は、まだ小さかったころ、日が暮れるまで遊んでいると、祖母に「早く帰らないと人さらいがくるよ」、とか「サーカスに売られるよ」などと叱られた思い出に共通する怖さがあります。
「人さらい」「サーカス」という言葉には、なぜかはわからないまでも、異様なものを感じて、そのたびに震えあがったものでした。
黄昏時は逢魔が時。
人さらいやサーカスは、マージナルマンと異界の象徴であったのかもしれません
かげっち
2009年06月16日 12:35
私の引用が短いのでわかりにくかったと思いますが、葛葉伝説、または信太狐といわれる伝説が下敷きにあるというのが朝倉氏の解釈です。「恩返しの狐」と人間の男との間に生まれたのが晴明だという話です。
2009年06月16日 22:29
◇かげっちさん

晴明については強力な陰陽道師としか知りませんでした。
伝説まで残す人だったんですか。
狐と人間の兄打に生まれた子供・・・
人間と異界の生物との結婚によって生まれた子供は、得てして、不思議な神通力を持っていることが多いですね。
清明の生誕伝説を聞いただけで、尋常ならざる人物であったのだという気がしてきました。10年以上も前に読んだ「帝都物語」での清明のイメージしかありませんでした(笑)。
かげっち
2009年06月17日 12:04
同じ本に「子守歌に、どぎつい歌詞が多いのは、どうせ背中の子どもにはわかるまいという思いがあったからだろう」とありました。それはわかりますが、他の国にはもっと心温まる子守歌があるのに、とも思いました。
2009年06月18日 07:22
◇かげっちさん

おはようございます。
子どもに聴かせる、というより、自分の心情が歌となったのでしょうか。
「おんぶ」という形には、背中から伝わる暖かさや安心感がありますが、親も子も、互いの表情は見えませんね。
かげっちさんのコメントを拝見して、顔と顔を見合わせる状況で歌われるものでしたら、古い日本の子守唄も、違ったものになっていたかもしれないと思いました。
2010年03月26日 18:29
昨年の6月にお書きになったこの記事。
驚きをもって拝見しました。私も自分の子供時代の
思い出の歌として、何と言う題なのか、どういう
詩だっがのか・・・知りたい、知りたいと
思い続けてきたからです。げんげのお里は、
どこでしょか・・・ポチポチ子牛も鳴いて
いる・・・それだけが頼りでした。それは、
夢の中で聞いた歌なのかと思っていましたが、
現実の歌であることを知りうれしくてたまり
ません。
2010年03月26日 20:04
◇Tamayamさん

こんばんは!
また越してお話出来て嬉しいです。
この子守唄はTamayamさんにとっても特別な歌だったんですね。
私もこの歌の題名を知らず長いこと母との思い出の中だけの歌だったんですよ。
何度も繰り返し母が歌ってくれたおかげでしっかり覚えてしまって、私もこの子守唄を歌いながら子供たちを寝かしつけたものでした。
ただ母が歌っていた歌詞は1番だけは正確でしたが2番以降はかなり怪しいものでした(笑)。
それでも、遠い幼い日の思い出につながるこの曲を、いつの間にか子供たちも覚えてしまったようです。親から子へ、子から孫へ・・・
一つの歌がそんな風にみんなを繋げて行ってくれることを願っています。
それにしてもTamayamさんと共通する思いがあったことがとっても嬉しいです。
こんな過去記事まで目を通して下さいまして、ありがとうございました。
ロコ
2011年04月02日 23:23
私も子供の時、姉が歌っていたこの童謡を「ねんねのお里」と思ってネットで探したら同名異曲(内容の薄い子守唄)に、立ちふさがれて行き着くことができませんでした。
そこで、後者がレコード化される時に、著作権放棄されたとか、何らかの経緯が
あったのなら真相を知りたいと「もうひとつの{ねんねのお里}」と検索して
「なっとく童謡・唱歌」の池田小百合先生に出会い「げんげ草」の題名と白秋・晋平の強力コンビの作である事を、知りました。
姉は小学6年生のとき 敬老会の演劇の主役として、この歌の一番だけを先生から習って劇中に独唱したのだそうです、ちなみに姉も「ねんねのお里」と思い込んでいました。
私は姉の 華麗な?ステージの件はこの年まで全く知らずに、「里ごころ」などと同様に 女学校の音楽教師に習ったものと思い込んでいました。
白秋の詩については、私は我が家の小学生全集と母の実家にあった絵本{赤い鳥
か 金の星}で見た記憶があり、2番までなんとか思い出せます。
ただ、4小節目は よいお里 と、5小節目は ぽっぽのお汽車で と記憶して
いました。お里は記憶違いでしょうが、次の句については、中山晋平以外にこの詩に作曲した人の記述があり、ぽっぽのお汽車 としてあります、原詩は「ぽっぽ」であったが、1番の「ぽちぽち子牛も」のメロデーに合うように変えたことも考えられます。
子供の眠りと死のにおいについては、私の娘も2~3歳の頃、眠り落ちそうになると必死に抵抗する そぶりを見せました。子供にとって眠りの世界は 現実と
別れる異次元の世界と感じられる ものがあるとしたら、詩人白秋も それを感じていたとしても不思議は無いでしょう。 ただ、短調で作られた曲の影響も大きいと思います。
2011年04月04日 07:25
◇ロコさん

コメントありがとうございます♪
過去記事に目を留めていただきまして、ありがたく、嬉しく想います。
ロコさんのコメントにありました「ぽっぽのお汽車」と、「ぽちぽち仔牛」で繰り返される「ぽ」の音の響きは印象的ですね。思わず「ぽっぽのお汽車」バージョンで歌ってしまいました(笑)。

「子供の眠りと死のにおいについては・・・」以降の内容には、深く共感させていただきました。
白秋の詩には、黄昏時、昼と夜が入れ換わるあわいの、寄る辺ない不安の気配を感じます。「昼と夜」は生と死と言い換えることも可能かもしれません。
私にとっての白秋は、小学生の頃読んだ子供のための伝記に基づいています(笑)。水のまち、柳川の造り酒屋に生まれたこと、幼いころから病弱で「ビードロびん」と呼ばれたいたこと。長くは生きられない、と両親からも想われていたこと・・・などなどです。ビードローびん、という言葉がガラスの瓶の意であることを知ったのもこの本でした。脆く壊れやすいガラスに例えられた幼い白秋は、終生、自らがいつかはこわれるビードロ瓶であることを絶えず意識し続けていたのでしょうか。

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    Excerpt: 古いアルバムで見つけた一枚の写真。 写っているのは、まだ1歳のころの私。 Weblog: 消えがてのうた part 2 racked: 2009-06-09 07:16