アボカド






厚い皮のまわりに  

ぐるりと 包丁を入れる



その頃合いが 

難しい





画像

「円の極限4 (天国と地獄)」 マウリッツ・コルネリス・エッシャー (1898-1972 オランダ)




ごつごつと 見苦しい 外皮の下には

目にも鮮やかな緑

丸く固い種と

はちみつ色の濃密な果肉



切り分けられて ふたつになった果実の

ひとつには 種の充実

ひとつには 虚ろな輪郭



右手の実在

左手の不在


かつてあって 今はないもの

不在の重さは

どちらにあるか。




2009-05-31 aosta








ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

2009年05月31日 23:31
アボカドって、食べごろを見極めるのが結構難しいですよね。
まだ若すぎて硬かったり、反対に熟しすぎて色が変わっていたり・・・
でも、種はいつも変わらず果肉の中央に丸くしっかり収まっています。
種を外したあとの思いがけない「空洞」は、かつてあって、今はないものの象徴。
ふとそんな気がして浮かんできた詩です。
2009年05月31日 23:50
 aostaさん、こんばんは。
 私の好きな作家の『寺山修司』のことばにつぎのようなものがあります。
「忘れてしまったものだけが、『思い出』になることができるのです」
 実在と不在の違いは、事実と真実のようにも感じられます。事実は理性的ですが、真実は感応的なように思うからです。
 不在の重さはそれを感じる人の心の中にある、と考えるのは観念論に過ぎるかもしれませんね。
イエローポスト
2009年06月01日 06:44
大概の人は、果実2つに切りわける時の楽しみは、スイカでもミカンでもあの面の美しさには感動します。とくにみかんは、暖かい思い出がいっぱい、小袋に詰まっているから。地球も2つに割ったらどのようになっているのだろう。山の部分、谷の部分、川の部分、草原の部分どこに切れ目をいれたらよいか迷ってしまいます。
2009年06月01日 06:52
アボガド大好きなのですが、ちょっと硬めのときに切ってしまったことが何度もあります。
そんな時はショック~ですね。

aostaさんは詩人の島崎光正さんってご存知ですか?
物を整理していたら詩集が出てきて懐かしくなりました。
2009年06月01日 07:49
◇Tenor1966 さん

>忘れてしまったものだけが、『思い出』になる・・・
一見意表を突く言葉ですが、本当ですね。
なるほど寺山修二さんの言葉という感じがしました。

>実在と不在の違いは、事実と真実のようにも感じられます。事実は理性的です が、真実は感応的なように思うからです。

この言葉にとても共感を覚えます。
自分では表現できなかったことを、見事に言葉にして頂いたように思いました。
種を取った後の大きな空洞に、一瞬、虚ろな感覚をおぼえました。
男の方に分かっていただけるかな、という危惧がありましたが、取り越し苦労だったようですね。ありがとうございます。
2009年06月01日 07:54
◇イエローポストさん

おはようございます。
果物を切った時は、まず香りでしょうか。
そしておっしゃるように、瑞々しい断面の美しさにはっとしますね。
「小袋に詰まっている暖かい思い出」素敵な表現です。
みかんと言えば、私の場合炬燵の上のみかんを山盛りにしたかごを連想します。
冬は炬燵、炬燵にはみかん。
2009年06月01日 08:08
◇Ceciliaさん

そうそう!
切ってみたら固かった、という時は本当にがっかりですよね(笑)。
食べごろになっていればはずしやすい種も、若いとなかなか取れません(泣)。

島崎光正さん、お生まれは長崎と聞きましたが、生後間もなく塩尻に移られ、その後はずっと塩尻にお住まいだったようです。
島崎さんを受洗に導かれた手塚縫蔵さんは、私の母教会の創立者でもありました。そんな御縁もあって、松本時代はよくお名前を聞きました。
ドロップス
2009年06月01日 21:09
アボガドが好きで時々料理に使います。
でもそのとき、「空洞」を見て、不在の重さなど考えた事がないです。
家の中に大黒柱がいないような感じかしら!
ちょっと違うかも・・・しれませんねー
外の皮が気になります。
アボガドの皮に果肉を入れたりしてオーブンで焼いたりします。
この皮って凄いと思います。
かげっち
2009年06月01日 23:42
こんばんは。二つ思い出しましたよ。

まず、ハウステンボスに行ったときなぜか「だまし絵展」をやっていて、エッシャーのこの作品もあったということ。

次に、瓜を二つに切ると八という字が見えるのだそうで(私にはよくわかっていない)八が二つで十六歳のことを、昔は破瓜と言った、という話。

ついでに、なかなか二つに切れない果物って思いつきますか?たとえばスターフルーツ。輪切りにすれば☆の形だけど、縦に二つに切るのは至難の業です。

最後に、果物ではないですが、二つに切っても二つにならないドーナツが作れるのをご存じですか?形を作るときに、メビウスの輪みたいな形にします。そして縦に二つに(ハサミを入れるのは難しいので)ナイフを入れていくと、あ~ら不思議、一つの大きな輪になってしまう(はず)。

二つに切ったつもりでも、見えてくる世界はいろいろです。一刀両断すっぱり割り切れないのが世界だということでしょう。ああ、きょうはほろ酔いだ(aostaさんよりは強いですけど)
2009年06月02日 01:13
僕はアボカドは好んで食べません。
あのズブスブと、とりとめなく歯が沈んでいくような食感が苦手で。
味もなんだかはっきりしなくて、ワサビ醤油でなんとか食べられる、といった感じ。

僕は自分で料理をするとお腹いっぱいになってしまうのですが、それはにおいに当てられるからではなく、食材を切るときの感触で、「歯ごたえ」や「舌ざわり」を既に味わった気になっちゃうからだと思います。
〈S〉
2009年06月02日 07:27
◇ドロップスさん

おはようございます。
私もね、いつもな何気なく包丁を入れているアボカドですが、あのときはなぜかぽっかり空いた大きな空洞をじっと眺めてしまったんです。
大量の玉ねぎを炒めているときとか、いつもと違う感覚に入り込んでいく時もあります。まるでアボカドやタマネギが呼びかけられたみたいに(笑)
アボカドの皮って確かにすごいですね。
果肉と海老のサラダなどの時は器にもなりますが、オーヴンで焼かれてもへこたれないなんて見上げた根性です。
2009年06月02日 07:56
◇かげっちさん

こちらにもコメントをくださいましてありがとうございました。
ほろ酔いのかげっちさん、いいですね~。大歓迎です!
エッシャーはベルギーのマグリットなどと並んで旧フランドルを代表する画家の一人ですね。お気づきのことでしょうが、「天国と地獄」というサブタイトルが付けられたこの作品も、見方によって見えてくるものと見えなくなる二つのものが描かれています。ハウステンボスつながり、と言う意味だけでなく、この「あってないもの」が描かれた作品を、今回の「アボカド」のイメージと重ねてみたつもりです。メビウスの輪にしても、エッシャー的ですね。「無限階段」でしたっけ、上ったり降りたり、どこまで行っても行きつくことができない不思議な階段の絵がありました。一刀両断したつもりが、煙に巻かれてしまったという感じかもしれません。

破瓜のお話、スターフルーツのお話については初めて知りました。
スターフルーツはまだ食べたことがありません。
南国の果物ですから、やっぱり甘いんでしょうね。

2009年06月02日 08:05
◇Beehive (S)さん

コメントありがとうございます。
Sさんはお料理が上手、とどこかで読んだ覚えがあります。
アボカドの歯ごたえ、お好きでない方には、「ズブズブ」という感じなのですね(笑い)。わさび醤油でお刺身感覚で頂くというより、サラダの方がお口に合うかもしれません。ヴィネガーを利かせたドレッシングで、トッピングに胡桃などお使いになると、味の輪郭もはっきりしますし、「ズブズブ感」も緩和されるかもしれません(笑)。私はシェリー・ヴィネガーのはっきりした酸味が好きで、ドレッシングにはよく使います。

>食材を切るときの感触で、「歯ごたえ」や「舌ざわり」を既に味わった気になっちゃうから

なるほど、この感覚もわかるような気がします。
といってもSさんがより繊細な感化を持っていらっしゃると、確信していますが。
2009年06月02日 08:54
◇Beehive (S)さん

>Sさんがより繊細な感化・・・

すみませんっ!
「より繊細な感覚」です。
aostaお得意のキーイン・ミスでした(汗)

それからしつこくアボカドのサラダについてですが、アボカドだけでなく、たとえばエンダイブやイタリアン・パセリ、ラデッシュなどの歯応えのあるお野菜や、ちょっとクセのある葉っぱと一緒にトス・サラダで頂いてみてください。特にほろ苦いエンダイブはお勧めです。
2009年06月02日 08:55
◇Beehive (S)さん

たびたびしつこくてごめんなさい。
アボカドは柔らかいので、トスするのは、葉っぱだけにして、アボカドは最後にドレッシングを馴染ませるくらいにしないと、グチャグチャになってしまいますね。
ズブズブのグチャグチャでは、召し上がっていただけそうもありません・・・
かげっち
2009年06月02日 12:44
スターフルーツ、意外にも林檎のようにシャキシャキしていて、甘酸っぱかったです。アボガドの対極ですね。
2009年06月02日 20:54
◇かげっちさん

こちらで何とか、気を取り直しての、御返事です(笑)。
スターフルーツ、見たことはあります。あれは輪切りにすれば確かに☆。
まな板の上で、タンタンタンタン・・・続けざまにお星様の大量生産ができそうです。間違ってもスターフィッシュ、ではありません。

シャキシャキと甘酸っぱい、とは意外でした。
私は「甘いだけ」の果物はあまり好きではありません。甘みと酸味、このバランスが大事です。未だにリンゴも昔ながらの紅玉が一番好きです。
スターフルーツ、この次見つけたらぜひ試してみましょう。
2009年06月02日 23:08
頃あい、確かに難しいですよね。外皮の色だけに惑わされてもダメだし・・・
最近は、その柔らかさに応じた使い方をするようにしています。
ジャストなタイミングじゃないと、がっかりするのがイヤなので。(笑)

不在・・・ですか。
う~ん、私はあの苦いタネがぽっかり無くなることに、快感を感じるのです。あの空洞に達成感を感じます。
すいません。色気無くて。
食い気が多すぎるものですから。(笑)
2009年06月03日 05:03
◇vino_secoさん

おいでくださいましてありがとうございます。
なるほど「その柔らかさに応じた使い方」これならばショックはありませんね!前向きで賢明な対応、見習わせてくださいな。

>あの空洞に達成感を感じます

このお気持ちも、わかります。私も、いつも「種の不在」に頭を悩ませているわけではなく、気持ちよく種が外れ、くっきりとカーブを描いた空洞がぽっかり、というとき「達成感」とは言えないものの、それに近い感覚を覚えることがあります。
私の「詩」は、「おもいつき」のようなものなので(笑)、同じものでも、ある時は「好き」、ある時は「嫌い」であったりもいたします。

食い気が多いのは、私も同じ(笑)。
vino_seco さんのお料理のブログも、楽しみに拝見させていただこうと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
2009年06月03日 23:33
今晩は
コメントは暫くご無沙汰でした、
コメントしなくてゴメント、?、わかるかな~
わかんねえだろうな~。m(__)m

アボガドは好き嫌いがはっきりしていますよね、
私は苦手な食材ですね、
それにしても、aostaさんにかかると何でも
詩になりそう、素敵な感性羨ましいです、
あっ、そうそう食べ物と言えば、グーズベリー
1,3センチになりました、もしかしてもう
大人ですかね、(12個しかありませんが)。

ビール強くなられたとか、修行の成果ですね。


2009年06月04日 09:39
アボガドを表現してこんな詩になるとは。
すごいです。
私も最近アボガドをよく食べますが、熟れ具合が気になるぐらいで、ここまで考え付きません。
そうですね。あの種の大きさと空洞の大きさを見比べると、aostaさんのこの詩がぴたりと感じられます。
2009年06月04日 09:43
書き忘れました。
あの、エッシャーがすごいですね。
アボガドじゃなくてすみません。そっちに目が行っちゃいました。
aostaさんは、このような作品を本当に良くご存知で、こちらに伺うと勉強になります。
ついでに、夕べアボガドと鮪で丼にしました。(^^ゞ
2009年06月04日 18:08
◇チュー太郎さん

こんにちは。
グースベリー、もうそんなに大きくなったんですね?
チュー太郎さんの愛情に応えようと一生懸命なのかもしれません。
実が12個だけとしたら、赤くなるまでそのまま熟すのを待った方が多かもしれませんね。甘酸っぱくて、そのまま食べてもおいしいと思います。

>aostaさんにかかると何でも詩になりそう・・・

もしかしたら、aostaではなく魔女staかもしれませんよ~~
2009年06月04日 20:52
◇沙羅さん

こんばんは♪
久しぶりにお話しができてうれしいです。

あの丸い種の存在感ってすごいですよね。
毎回、それを「捨てる」ことに躊躇してしまうくらいです。
果肉以上に充実した感じがして、どちらが本体なのかと迷うくらいです。
娘は二つに割ったアボカドのあの空洞の中にご飯をつめて、軽くお醤油を回しかけ、アボカドをスプーンで崩しながら、ご飯と一緒に食べるのが好きです(笑)。
2009年06月04日 21:01
◇沙羅さん

エッシャーの絵の副題は「天国と地獄」としましたが、「天使と悪魔」と言う名前の方が一般的のようです。でもこちらだと今はやりの映画のタイトルと同じなので、あえてマイナーな方を選んでみました。
まず目に飛び込んでくるのは、コウモリ、悪魔ですね。
でもふっと力を抜いてみると天使たち。黒と白を反転させると「天使と悪魔」。ふたつでひとつ。どちらがほんと?
どちらが主でどちらが従とも言い難い不思議な絵ですね。
その部分に「実在」と「不在」を重ねたつもりですが、意図をお汲み取りくださいましてありがとうございました。
チュ-太郎
2009年06月05日 19:26
魔女staさん今晩は
グーズベリーはもう少し待ちましょう
aostaさん本当の魔女かもしれませんね
前からそうではないかと思っていました.

2009年06月05日 20:34
◇チュ-太郎さん

カエルの目玉に、トカゲのしっぽ、ヤモリの黒焼き・・・

バレました?
2009年06月05日 21:56
魔女staさん

そうですよね~、そうに決まってます、
そうでなくちゃ、今ごろ気ずくなんて、‥‥
お酒が弱い魔女さん、それもまた‥‥

「天使と魔女」かな?。  何を言っているんでしょう。

2009年06月05日 23:05
◇チュー太郎さん

お酒が弱いわけでは決してありません。
強いというわけではない、ということです(^^ゞ
2009年06月06日 00:02
ハイ、そうでしたね、
魔女staさんのホーレン草と油揚げの
お味噌汁とっても美味しそう、
長年使ってもらったまな板も幸せそうです、
美味しい食事だけは、魔法じゃつくれませんよね。
2009年06月07日 04:06
◇チュー太郎さん

>美味しい食事だけは、魔法じゃつくれませんよね

時間をかけれればいい、というものでもないでしょうが、掛け声一つで出来上がってしまうインスタントヤ、出来合いのものに、どうしても抵抗があるのは、年齢のせいでしょうか?でも、お味噌汁にしても、お出しをとるか、取らないかで全く違うものになります。
我が家は煮干しが定番です。
bunbun
2009年08月31日 14:16
いま雨が降っていて何となく落ち着いた心境になったところです。
心のアボガド、お帰りなさい!!
天への捜索願いが届いていたのですね。
<かつてあって/今はないもの/不在の重さ
お父様の死とか、ちょっと重たい方を連想してしまいました。
不在の重さ、自分の人生でもあれこれ引き出されました。
アボガド一つで哲学への「どこでもドア」がちょっと現れた感じでしたね。 
2009年09月01日 07:45
◇bunbunさん

おはようございます。
昨夜の雨が上がり、今朝も深い霧に包まれています。
アボカド、不思議な経緯を経て戻ってまいりました。
いったいどんな霧の中をさまよっていたのでしょう。
消えたと思っていたものでも、その実在はどこかに隠れていたのだ、という思いは、「見えないことは存在しないこと」というような、短絡的な考えを改めさせる力がありますね。
「実在」と「不在」は同じものの見え方の違いに過ぎないのだとも思います。
信じることによって、見えないものの存在を感じられるということは、大きな恵みだと実感します。

この詩を書くにあたっては、特別哲学的な命題が閃いたというより、生活の中で「どこでもドア」的な感覚が、二つの世界を繋げた(繋がった、と感じた)一瞬を言葉にしてみた、といった方が当たっているかもしれません。
このような思いつきの詩を、bunbunさんに読んで戴けてとても嬉しいです。
bunbun
2009年09月02日 20:16
きょう水曜日ですが日曜に聞くお話を今日も聞いてきました。
それがですね、aostaさんのアボガドがずっと頭の中で、わたしに語っているのです。自転車を踏むときも。
種のある方ではなく、種を抜かれたほうのあの半球のくぼみ。種よりもくぼみが言葉を用いずして語るんですね。得た方ではなく失ったほうがより多くを語る。見えていなくとも確かな存在、真実がです。
何ともすごいアボガドです。当分アボガドは食べません。当分アボガドはまな板に載るものではなく、現実には視界になく、ただ心の中でぽっかりと開いた穴を見せていて欲しい。そしてそれに充足を感じていたい。こそがいま確かにあるアボガドであるという感じがします。
2009年09月04日 05:41
◇bunbunさん

こんなにたくさんのコメント!!
有難うございます。
「語るアボカド」自転車に乗っていても追いかけてくるなんて(笑)。
でもそれもbunbunさんにアボカドの言葉を感知するアンテナがあるからなのではないでしょうか。もしかしたら、私のものより感度がいいかもしれません。

>得た方ではなく失ったほうがより多くを語る。

この言葉なんです。
昨夜わたしに「マタイ」を書かせたのはこのbunbunさんの言葉でした。

お返事順番に書いていきますね。

この記事へのトラックバック