消えがてのうた part 2

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zoom RSS クリスマス・コンサートも終わって・・・

<<   作成日時 : 2008/12/13 00:50   >>

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以前にお知らせしたクリスマス・コンサートが終わりました。

チケットは早々と完売、補助席も売り切れての演奏会当日。
仕事を半日で終わらせて、会場のミラノ・サローネ チャペルへ。

春先から月に一度、11月に入ってからは毎週になった練習。
練習のつど、演奏は不思議な力によって磨きあげられ光を増してゆくようでした。
でもナレーションの方は・・・
通しでの練習は、今までにわずか2回だけ。
はたして間違いなくできるでしょうか。


まずはお聴きくださいませ(リハーサルの録音です) → http://papalin.yas.mu/W811/M003/

まだリハーサルだというのに冒頭のナレーションは声が上ずっています (汗)。
マリアの受胎告知以降,少し落ち着いてきましたが、心臓は本番が終わるまで、どきどきしたままでした。


画像




私はと言えば、この演奏会が企画され、ナレーションを引き受けてから悩みは尽きませんでした。
演奏される曲のほとんどはあまり知られていない曲ばかりです。
中にはラテン語で歌われるそれらの歌の意味を、クリスマスのメッセージとして少しでも伝えるためにはどんな言葉を選んだらいいのか、毎回練習に参加させていただきながら、言葉のイメージを捕まえようとしたのですが・・・

押し付けにはしたくありませんでした。
来てくださる方はキリスト教とも教会とも縁のない方がほとんどのはずです。
クリスマスの喜びを一方的なものとして伝えるのではなく、結果として何か喜ばしいものを感じていただけたらそれでいいと思いました。
説明などなくても音楽は聴く者に言葉以上の感動を与えるもの。
ナレーションは脇役です。
けれども、あってもなくても同じというナレーションでは、意味がありません。
音楽を邪魔することなく、そっと音楽の横でクリスマスの物語を語りたい。
よく熟れた果実が自然に落ちるように、音楽に寄り添う言葉でありたいと思いました。
そのためにも、読み方だけでなく発声や間の取り方にも心しなければなりません。
そして、語る時のテンポ。
音楽においてテンポが重要なことは言うまでもありませんが、ナレーションにとってもテンポそして「間」は非常に大切。
今回のナレーションでは適切なテンポ、「間」ということに関しては、納得のいく仕上がりにはなっていませんでした。

音楽にふさわしいと思える言葉がなかなか捕まらず、テンポも定まらないままに容赦なく日は迫り、とうとう12月の9日。
最後の最後になって、開会、閉会の挨拶を除き全部で5か所予定していたナレーションの一部を削除しました。
結果的にはそれでちょうど良いバランスになったと思います。


歌の完成度にくらべたらお聴きいただくにはあまりにも未熟なナレーションであることは重々承知です。
けれども、これを始まりにしたいと思いました。
その最初の第一歩とも言うべき今回の録音をお聴きいただければ幸いです。

ナレーションにあえてマイクは使いませんでした。
あくまでも肉声で、というのが私たちのこだわりでした。
100人を優に超えるお客様のお一人お一人に、音楽に託したクリスマスの心はきちんと伝わったでしょうか。




★過去ブログでのクラッシック音楽の記事はこちらから 
                    ↓  
        http://follia.at.webry.info/theme/5fd91a072f.html







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クリスマス・コンサートのお知らせを・・・
春先から準備と練習を重ねてきたクリスマス・コンサートのお知らせです。 まだまだ先のことと、思っていたクリスマスですが、夏を過ぎ、秋になり、気がついたらもう12月は目前になりました。 ...続きを見る
消えがてのうた part 2
2008/12/13 07:40

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コメント(29件)

内 容 ニックネーム/日時
aostaさん、おはようございます。まだ録音を聞いていませんが、コメントさせていただきました。(ごめんなさい。)コンサート、私も演奏者の立場として幾度も参加しましたが、曲のイメージをわかりやすく摑んでいただくためにもMCってとても大切なものだと感じています。
 シェイクスピアの組曲のときは話のあらすじを、作曲者の方の想いだとか、すこしお話があるとそれぞれイメージって膨らみますよね。
 きっとaostaさんの包み込むようなあったかい声がきっとみなさんに伝わっていると思います。これから、聞かせていただきますね。たのしみっ
 
ちょろえ♪
2008/12/13 06:43
◇ちょろえ♪ちゃん
 おはようございます。

>すこしお話があるとそれぞれイメージって膨らみますよね

そうですよね。
音楽をより深く聴いていただくためにもイメージは大切だと思います。
ありがたいことに何人かの方から「良かった」というお言葉を頂きました。でも練習不足であったことは自分が一番よく分かっているので手放しでは喜べません。耳に痛いご意見こそ大切にしたいと思います。

マイクを使わない、ということは普段よりかなり大きな声を出さなければなりませんし、ただ大きいだけでなく後部座席のお客様にもちゃんと聞きとれる明瞭な発声が肝要なのでしょうが、大きな声で明瞭にって、結構難しいですね!

また感想をきかせてくださいね。
aosta
2008/12/13 08:31
好評のうちに終わりましたね。
100人をこえる人たちにマイクなしで話すというのは大変なことですね。よくおやりになりました。機械を通した声よりあたたかなひびきになったことでしょう。これが始まり・・・きっとよいものになっていくでしょう。期待しています。
森の生活
2008/12/13 08:52
早速拝聴しました。なかなかに魂に響く気持ちなごむコンサートでしたね。相当な練習を重ねた成果に感じられます。どのようなメンバーがやっているのでしょう。ソプラノのソロも高き天井にたなびくように、、女声と男声の醸成されウマ酒の味わいに聞き入りました。
 「言葉を捕まえる」は、なじみの少ない曲の扉を開ける前ぶれは、程がよく、100人以上の方々へ掌にある鳩をそっと放つような仕草に感じられます。ゲネプロの終わったあとの緊張がほぐれるような一同の声も楽しそうでしたね。 このコンサートもこの一回きりでは勿体ないですね。
当方も近所のイエズズ会の修道所でもこのような催しがあるとは思いますので、調べてみたい。
イエローポスト
2008/12/13 10:18
aostaさん こんにちわ。
今、aostaさんの言われた音楽を聞きながら、これを書いています。
凄く本格的な演奏だと驚きます。
リハーサルとは思えません。
そして素晴らしい音楽をありがとうございます。
もう、一年も終わるのですね。
今、「天使の糧」です。
静穏な美しさを感じます。
クリスマスも近いですね。
この日記はコーラスが中心で少し話題からずれるのですが、以前、aostaさんがバッハを紹介してくれていましたが、バッハにも色々ありますが、
『主よ、人の望みの喜びよ』
を聞きたくなりました。
では。
坂本誠
2008/12/13 16:36
素敵な経験をなさいましたねー
録音を聞きましたら、演奏の前にナレーションが聞こえますがaostaさんの声ですねー
マイクを使用されてないようですが聞き取れますよ!
どんな場合でも「間」は必要ですねー
aostaさんの思いは会場の皆さんに伝わった事でしょうー
ご苦労様でした!
ドロップス
2008/12/13 19:24
おはようございます!

リハーサルの録音有り難うございます。全部聴きましたよ。
良い曲ばかりですし、何よりも手造りコンサートのハートフルな雰囲気に満ち溢れていて素晴らしいです。
それに随分謙遜されていますが、aostaさんのナレーションも心がこもっていて良いですよ。こういう場合には語り慣れし過ぎたプロのナレーターよりもよほど良いと思います。
ハルくん
URL
2008/12/14 12:08
お疲れ様でした!
録音ちょっとだけ聞かせていただきました。
爽やかでクリスマス気分になれました。
うさみ
URL
2008/12/14 19:28
おつかれさまでした。aostaさんの真摯な姿勢に敬意を表します、その思いは響きとなって実現したように思います。
主題はちがいますが十数年前に企画した室内楽コンサートを思い出しました。カフェを会場にお茶・ケーキ付でいろいろな室内楽ライブを聴けるという趣旨で、福祉活動のチャリティコンサートという性格上、ノーギャラで出てくれる友人やそのまた友人をかき集めました。みんな演奏機会に飢えていました(今では音大の先生をしている人もいますが)。めいめいが弾きたい(弾ける)曲を持ち寄っただけではコンセプトのない演奏会になるので、友または交わりをキーワードにするという約束で(実はたいていの曲にこじつけられる)、あとは相異なる曲の橋渡しをするような季節の詩を私が選び、朗読の巧みな友人に読んでもらいました。若気の至りの冒険でしたがけっこう好評でした。なぜいまここでこの曲を演奏するのか、ちょっとした言葉の示唆があると世界が拡がるものだと思いました。(私は音大生ではなかったので念のため)
かげっち
2008/12/15 12:24
◇森の生活さん
 こんばんは。

>好評のうちに終わりましたね。

ありがとうございます。
おいでいただいた方が、何かの感動を持ってお帰りになられたっとすれば、何よりの喜びです。
観客のいないリハーサルの時と、大勢のお客様を迎えた会場とでは音の響き方が全然違ってきますね。人が多くなればなるほど、音は吸収されて聞き取りにくくなります。隅々まで通るように大きな声で話すと情感のないただの「アナウンス」になってしまいます。アナウンスではなくあくまで「ナレーション」にこだわると、難しいですね(汗)。
aosta
2008/12/15 23:14
◇イエローポストさん
 コメントありがとうございます。

>なじみの少ない曲の扉を開ける前ぶれ

今回のナレーションをそのように理解してくださいましてとても嬉しいです。「扉」とは素敵な表現ですね。
マリアの受胎告知の場面からキリスト降誕までの物語を音楽の流れによって伝えようという構成でのナレーションは、まさに一つの場面から次の場面への「扉」でした。イントネーションや間の取り方など、録音を聞きなおしてみれば未熟なところばかりが耳に付きますがこれをよき反省材料として、少しづつでも前に進めたらと思っています。
ありがとうございました。
aosta
2008/12/15 23:20
◇坂本さん

>今、「天使の糧」です

「天使の糧」、本当にきれいな曲ですよね。
今回この歌を歌ったMさん、練習の時はいつも緊張してしまって最初の音が取れないと嘆いていらっしゃいましたが、本番では、ね、素敵ですよね、とても。清らかで敬虔な、心が洗われるような曲です。
「天使の糧」の「糧」とは、人間の身代わりとなって十字架上で死んだキリストの身体を意味する言葉ですが、そんなことを知っていても知らなくても感動できるということこそが音楽の素晴らしさだと思います。

バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』もクリスマスにはぴったりの曲です。どうぞ聴いてみてください。
aosta
2008/12/16 00:10
◇ドロップスさん
 ごめんなさい。お返事が遅くなってしまいました。

>aostaさんの声ですねー


恥ずかしながら確かに私の声のようですが・・・
「間」については最初に読んだ際は「間」が長い、と言われました。
リハーサルや本番では、逆に意識しすぎて短くなってしまいました。
おかげさまで、言葉ははっきりと伝わったようでやれやれです(笑)。
aosta
2008/12/16 20:53
◇ハルくんさん

>全部聴きましたよ。

全部、ということは1時間近くかけて聴いてくださったのですね。
貴重なお時間を咲いていただきましたこと感謝です。
ほんとうにありがとうございました。

>語り慣れし過ぎたプロのナレーターよりもよほど良いと思います。

私の中でも流暢に過ぎるナレーションは、私のナレーションではないという感じがありましたので、嬉しいお言葉をいただきました。
でもどう聴いても素人そのままというのも考えものかと、反省してしまいました。
選曲は指揮者の花岡先生がなさり、構成についてはご一緒に考えさせていただきましたが、最終的には先生の意向が第一と考えての結果になりました。。それが正解だったと思います。
花岡先生、まだお若い方ではありますが、とても音楽的なセンスが優れている方です。その情熱と熱心には毎回頭が下がる思いでした。
aosta
2008/12/16 21:04
◇うさみさん
 コメント、ありがとうございます。

>爽やかでクリスマス気分になれました。

本当に清らかですがすがしい音楽ですよね。
クリスマスの音楽ってどうしてこんなに素敵な曲が多いのでしょう♪
ルログラムの最後の曲、見よく知られている曲が3曲続きますが、知られている曲で感動していただくことは案外難しいのではないかと思います。
その意味で、(自画自賛かもしれませんが)、今回のこの3曲は本当に美しく心洗われるようでした。
aosta
2008/12/16 21:09
◇かげっちさん
 コメントありがとうございます♪

>あとは相異なる曲の橋渡しをするような季節の詩を私が選び、朗読の巧みな友人に読んでもらいました。

この場合の「詩」もコンサートでのナレーションも橋渡し、という意味では同じ役割ですね。
季節の詩・・・かげっちさんんがどのような詩を選ばれたのか気になります(笑)。

>なぜいまここでこの曲を演奏するのか、ちょっとした言葉の示唆があると世界が拡がるものだと思いました

言葉は音楽に至るひとつの手がかり、とっかかりですね。
小さな手がかりによって開いてゆく音楽の夢、至福の時間、いつかそんなナレーションができたらいいなと思います。
aosta
2008/12/16 22:08
私の独断と偏見で選んだ詩ですから、中原中也、立原道造、萩原朔太郎、八木重吉あたりを使ったはずです。音楽は詩に近く小説は絵画に近い、と朔太郎が書いていたような気がします。
かげっち
2008/12/18 12:38
◇かげっちさん

中原中也、立原道造、萩原朔太郎、八木重吉・・・

私の若い日の記憶と濃密に結びついている詩人ばかりです。
いまでもその断片が、何かの折に、知らず口を突いて出てくることがあります。
韻を踏んだリズム、美しい日本語の響きと豊かなイメージ。
朗読、という形で「音」になったものは読み手の声、呼吸、言葉のすべてが響きあうとき、確かに詩は音楽に近いのかもしれません。

朔太郎の(特に文語体による)言葉のリズムが好きです。
繰り返されるオノマトペの魅力的なこと、効果的なこと。
最近は立原や中也にもまして魅力を感じています。
URL添付いたしまたのでよろしければ過去記事をご覧くださいませ。
aosta
URL
2008/12/19 07:52
詩の趣味はaostaさんと近いのかもしれません。あまりに完成度の高い詩は、それ以上メロディを付加する気になれないですね。

考えてみれば、オラトリオや受難曲でも、ストーリー(それは聖書のテキストそのものということもある)の合間にアリアだの合唱だのを挿入して、曲全体(=演奏全体)が構成されているわけで、異なる曲の橋渡しとしてナレーションや詩を挿入する試みもそれと同じことを目指している、と言えるかもしれませんね。
かげっち
2008/12/19 12:40
◇かげっちさん
 おはようございます。

>詩の趣味はaostaさんと近いのかもしれません

もしかしたら、時代も近いかもしれませんね

オラトリオ、受難曲の例、なるほどその通りかもしれないですね。
少なくとも形としては複数の曲をストーリとしての流れの中でアリアや合唱が果たす役割は大きいですね。複数の曲のある時は橋渡しとして、またある時は暗転の役割も担うのがあそれらアリアでありレスタティーボ・・・
なるほど、言われてみて初めて気が付きました。
ありがとうございます。
aosta
2008/12/20 06:39
◇かげっちさん

 つづきです。

話は前後しますが、この夏に三善晃さんの「三つの叙情」を聴きました。
立原と中也の詩に曲をつけたこの合唱曲は以前から聴きたいと思っていたのですが、実際には「歌詞」としてより、本来の「詩」の方に魅力があると感じました。
曲本来はとても良かったのですし、演奏も素晴らしかったのですが。
ここでもかげっちさんのおっしゃる「完成度の高い詩は、それ以上メロディを付加する気になれない」というお言葉に深くうなずいてしまうaostaです。
毎度URL添付のお返事ですみません(汗)
無視していただいてかまいませんからね
aosta
URL
2008/12/20 06:42
Papalinさんのところでaostaさんのお声を拝聴させていただきました!!
aostaさんのお声は以前ラジオ番組の記事(これもPapalinさんでした。)でも聴かせていただいていました。(あれ、そういえばアーメン四重唱もでしたっけ?)
とてもこういう内容に相応しい声のトーン、語り方だと思いました。
Papalinさんのところもまだ全部聴いていないのですがじっくり聞かせていただきたいと思います。
素敵なコンサート、お疲れ様でした。

↑のコメントのやり取りを拝見させていただきました。
(例の朔太郎の件はここでしたね!)
私、卒論で朔太郎の「詩と音楽」のことを書いたはいいのですが、非常に稚拙な論文でした。
あの頃はいろいろあったし、読み返したくない卒論ですね〜。
ただ、朔太郎は今でも非常に好きで、何というかこういうものを読んでしまうと他のものが入ってこなくなります。
Cecilia
URL
2008/12/22 10:00
「三つの叙情」有名な曲ですね。私も聴いたことあります。凄絶な曲です。こういう曲のために言葉(歌詞)はあるのでしょう。
完成された詩に音楽は要らないと書きましたが、短歌は歌えるような気がします。定型に当てはめるために無理をして言葉を加減しているあたりに、旋律を受け入れる余地があるのでしょうか。中学の時の国語の先生(中也や道造を教えてくれた方)が、授業中に、若山牧水の歌に旋律をつけた曲を朗唱してくれたのが鮮烈でした。短歌は唄うもの、という理由で、すべての歌を仮名書きしたのは会津八一でしたか。

↑Ceciliaさん、朔太郎は前橋でしたよね?記念館を訪ねた折、自作のマンドリンの曲(自筆譜)を見たような記憶があります。意外にシンプルな曲だったような。
かげっち
2008/12/23 18:35
◇Ceciliaさん

おいでくださってありがとうございました♪
こちらでは隠しているはずのことが、「あちら」ではオープンになっていて恥ずかしいやら、申し訳ないやら・・・複雑な思いのaostaです

そうでした。Ceciliaさんの卒論は朔太郎でしたね。
先日群馬経由で栃木に出かけた際、車が前橋に入る前から私の胸の中では朔太郎の

”ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直として前橋の町に通ずるならん”

という大渡り橋」の冒頭が何回もリフレインしていました。
昔も今も、朔太郎は私の恋人です。
前橋、と聞いただけで、胸がどきどきするんですもの(笑)。
aosta
2008/12/23 22:43
かげっちさん、朔太郎のマンドリン曲は「機織る乙女」とかいう題でしたね。(すみません。大体はこんな題ですが・・・。)
アマチュアマンドリンオーケストラの指揮者の方と交流があり、この曲の話題もしました。
音楽活動も頑張っていた人ですよね!!
Cecilia
2008/12/24 02:58
◇かげっちさん

おはようございます。
コメントありがとうございました。
わずか十七文字で表現される短歌は、無理をして、というよりこの限られた言葉で世界を集約している、というのが私のイメージです。
全体すべてを表現するならば、百万言を費やしても足りない世界の神秘を、直感とも言うべき視点で切り取って見せてくれる短歌は、魔法といってもいいかもしれません。部分の表現として完結し、残る部分は私たちの想像力によって更なる豊かさと大きさを増してゆくように思います。これはもしかしたら、音楽が私たちの心に働きかける感覚に近いものかもしれないと、かげっちさんのコメントを拝見して考えました。音楽も短歌も説明ではなく、説明を必要としない物なのでしょう。
aosta
2008/12/24 06:00
◇Ceciliaさん

おはようございます。
かげっちさんとのやりとり、嬉しく拝見させていただきました。
コンサートの記事から朔太郎、かげっちさんからCeciliaさんと話題と人が広がっていくのは素敵なことですね♪
朔太郎とマンドリン、あの繊細な指で朔太郎はどんなメロディーを奏でたのでしょう。
今回の旅行で前橋は通る予定はなかったのですが、あまりに私が前橋!前橋!と叫んでは(?)溜息をついている様子を見て、わざわざ前橋経由に道を変更していただいたのです。
そんな事情でしたので、街を通るだけ、記念館に行きたい、というわがままは封印いたしました。
でも立ち寄った足利学校近くの古本屋さんで、朔太郎の「氷島」の初版本を発見!!書店のご主人と話し込んでしまい、駐車場に走るはめになりました(笑い)。
aosta
2008/12/24 06:09
Ceciliaさん、よくぞ朔太郎の曲名を思い出してくださいました。8分の6拍子だったような記憶があります。
aostaさん、この次はぜひ立ち寄ることをお奨めします(^^)

ちなみに山口の中也記念館では「中也絶唱」というCDをつい買ってしまいましたが、聴いて絶句(笑)吉祥寺あたりでライブをしている方のパフォーマンスですが(あえて演奏とは言わない)声を張り上げ泣き叫ぶような、朗読でもないし、なんというか、その、えっと・・・という感じでした。記念館は良かったですけど・・・
かげっち
2008/12/24 12:51
◇かげっちさん
 おはようございます。

>aostaさん、この次はぜひ立ち寄ることをお奨めします

はい!かならず!!

中也記念館も長いこと私のあこがれです。
山口は遠いですね(悲)でもいつかはきっと!と思っています。
「中也絶唱」何やら名前だけで、恐ろしげな。。。
吉祥寺あたりでライブをしている方のパフォーマンス、なんだかわかる様な気がしました(笑)

aosta
2008/12/25 07:58

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