消えがてのうた part 2

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zoom RSS 秋のリボン

<<   作成日時 : 2015/11/07 01:52   >>

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                 秋の庭で 子供がひとり
                 後ろ向きに しゃがんでいる

                 庭石に 影法師が黒く落ちて
                 ナツメは静かに熟れてゆく
                 土の上に 金木犀が散る
                 小さな星のように
                 静かな雨のように



                          いいえ あれは金木犀ではありません
                          子供がこぼした金平糖です



                 だから ほら 
                 蟻が群がる
                 暗く湿った土の上を  
                 細いリボンのように 黒い線が伸びている





画像
クノップフ 「ヴェール」 1887  40 x 21 cm   シカゴ美術研究所







                 秋の庭は からんと明るく
                 子供はひとり 俯いたまま
                 落ちたナツメを眺めている
                 小さな花グモが一匹 
                 銀色の糸を引きながら 風にさらわれていく



                          香っているのは 金木犀
                          こぼれているのは 金平糖



                 だから ごらん 
                 蟻が群がる
                 庭土の上を 黒いリボンが 
                 細く長く どこまでも 伸びていく







小学生の頃、通学路沿いに、1本のナツメの木がありました。
もちろん、個人のおうちの庭に植えられていたものですが、長い枝を板塀の外まで伸ばしたナツメは
秋も半ばともなると、小さな子どもの手でも容易に届く高さで、少しづつ色づいて行くのです。
完全に熟しきる前の、まだ半分青いナツメのかりかりとした歯ごたえが好きだった私は、
学校からの帰り道、毎日好みの硬さの実を摘むことを楽しみにしていました。
今でしたら、よそ様の庭先から勝手に実を取って食べることなど、言語道断と叱られるのでしょうが、
当時はのんびりしたもので、家の人もそれと知っていながら何も言わないのです。
それどころか、雨の中を傘を持たずに歩いていた私に、傘と一緒に、実がいっぱいついたナツメの枝を
持たせてくれたことさえありました。

再近では民家の庭先で、ナツメの木を見かけることもなくなりました。
黒く塗られた板塀と、そこからはみ出すように枝を伸ばしていたナツメ・・・
あの塀の向こう側にはどんな庭があったのかしら。
長い年月が過ぎた今、私の想像は、知ることのなかったその庭へと広がっていきました。
そしてふと、その庭で、見知らぬ子どもがひとり、じっとしゃがんでいる姿が目に浮かんできたのです。
あの子は何を見ているのかしら。そんな思いが言葉になりました。
夏の名残りのような日差しに照らし出された秋の庭は、明るいのにどこかさびしげです。
私の記憶を結界のように隔てる黒い板塀。懐かしくて、どこか少し恐いイメージが広がりました。

もう何十年も前の、あのナツメの木はどうなったでしょう。






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コメント(8件)

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こんばんは。
ナツメの木、私の家にうぅ〜ん11年くらい前まではありました。子供の頃、何もない時代でよく食べていました。そうそう私の家にはクワやナシもありました。みんなで採って食べて…なんか胸キューンとなってしまいました。あの仲間はどうしたろうか、2人は若くし亡くなってしまいましたが、あとはどうしているのか。相変わらずここに住んでいるのは私だけです。
HT
2015/11/07 17:58
◇HTさん

こんばんは(^^♪
コメントありがとうございました。Htさんのおうちのお庭にもナツメがあったんですね。昔はあちこちの家でナツメの木を見かけたものですが、最近はほとんど見ることがなくなってさびしいです。
桑や梨の実をみんなで一緒に採って食べた思い出・・・・
年月が流れるにつれ、みんな違う人生を歩んで、ある時、いつの間にかお互いに遠くまで来てしまったことに気がつくのですよね。あの無邪気な時代は一体どこに行ってしまったのでしょう。
同じ家に住んでいるのは自分だけ、という最後の文章が切ないです。
aosta
2015/11/08 22:32
小学校からの帰り道に ひろい角塀が 皆ピラカンサで
囲われている友達の家があり
ソノ実を ときどきかじって 帰りましたよ〜
苦くて酸っぱく すぐにはきだしましたけど 判っていても
そこを通るとまた 口にいれ〜

デモ青い なつめは 毒はないの?

このヴェールの婦人は
[告悔」をしてるように 思わせるわ〜
(いま曾野綾子の 本を読んでるせいかしら、、)
カタナンケ
2015/11/09 09:40
◇カタナンケさん

真っ赤な実をぎっしりつけるピラカンサ、季候の関係もあるのでしょうがこの辺りではあまり見かけません。子供のころには皆無だった様な気がします。
あの実って食べられるのですか?苦くて酸っぱい、すぐに吐き出すと分かっていても、口に入れてしまう気持ち、分かります(笑)一種の条件反射?不思議。
ナツメは青いものでも毒はないようです。甘みはないし、青臭いだけの未熟な実がどうしてあんなに食べたかったのか、それも不思議。

クノップフの「ヴェール」
モノクロの繊細なこの絵は昔から謎でした。いろいろ調べてみたのですが、どういう状況の女性を描いたものなのか、良く分かりません。でも、いろいろ想像する楽しみを考えると、説明はないほうがいいような気がしています。
カタナンケサンは「告解」[告悔」を想像されたの?私はこの女性のヴェールは喪のヴェールのように見えます。
曾野綾子さん、そういえば最近読んでいないなぁ。
先だって、遠藤周作の「侍」を読み終わりました。藩命を受けてローマに旅した支倉常長をモデルにしたといわれる歴史小説です。
aosta
2015/11/09 20:42
白昼夢という言葉を知ったのは中学生の頃だったでしょうか...
影と言うものを色々と考えていた頃が有りました。 影にも濃淡があり 不用意に入ると違う世界に繋がっていてこちらの明るい世界に出てこれなくなる事が有るのではないかとか 、旧家などのお屋敷は不用意には近づけないけど北側部分などはほとんど暗くて 何かの気配を感じてたり。
考えれば考えるほど 目を閉じたりしなくても 頭の中と不思議な感じですがシンクロしてそこに違う世界が見えてました。昔ほどは熱心にそんな時間を楽しむことは無くなりましたが 色んな隙間や、光の具合、風 五感を刺激された時に ぼやっと 瞬間ですが、入口が開きます す〜っと誘い込まれ落ちていきます。

aostaさんのブログは、私もとても重なる所があり光と影が、交錯します。
そこにも入口がありました。読んでいくうちに 影の濃淡を感じました
senri
2015/11/11 01:32
子供の頃の思い出は、それだけでなぜか寂しげです。
全然情景は違うんですけど、小学校の頃、母にあげたくて土手で鬼百合を摘んでいた時、見知らぬ女の子に遠くから怒られて走って逃げた時のことを思い出しました。
なんでそんなことをいつまで覚えてるんだろうって、不思議に思います。
なんだか、この詩の女の子のうつむいた頬っぺたの感じが、見える気がします。
なつお
2015/11/11 01:33
◇senriさん♪

白昼夢! まぁ、なんてぴったりのの言葉でしょう!
昔の私の子供のころの思い出には、夏の記憶と言うわけでもないのに、強い日差しと暗い影に彩られていることが多いように思います。
子供のころ、小さな覗き穴から、驚くほど広くて大きな世界が見えて驚きました。
光と影、それは世界のあちら側とこちら側の対比の似ています。記憶になればなるほど、光と影はくっきりと交差して、あたかも生と死のようにも思えてきます。
詩の中ではあえて「陰」と言う言葉を使いませんでしたが、私が書きたかったことは、まさしくこの「陰」なのでした。
ずっと日向で遊んでいて、急に家の中に入ると、室内が真っ暗で良く見えなかったり、耀く日差しを直視した後、まなうらにギラギラ赤や緑の残像が残る感じを言葉にできたらなって、senriさんのオコメントを読ませていただきながら考えていました。
aosta
2015/11/11 06:39
◇なつおさん

コメントありがとうございます。
まだ小さいなつおさんが、土手で鬼百合を摘んでいる光景が思わず目に浮かびました。鬼百合のオレンジ色が眼に染みるようです。見知らぬ女の子にとがめられた時の、なつおさんの思いまで伝わってくるような気がしました。
「お母さんにあげたくて・・・・」この文章に胸が痛くなります。
詩の中の女の子はいったいどんな顔をしているのか、私にもわかりませんが、あの子はもう一人の私に違いありません。
aosta
2015/11/11 06:49

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