消えがてのうた part 2

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zoom RSS シャヴァンヌ 「気球」・「伝書鳩」

<<   作成日時 : 2014/02/11 05:26   >>

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もう2年近く前になるでしょうか。
自作の詩「さかなのかたち」とともに、シャバンヌの「伝書鳩」という作品をアップしたことがあります。

不思議な印象のこの絵には、対とされるもうひとつの作品がありました。
「気球」と題されたその絵は、「伝書鳩」と同じく、時代を経たフレスコ画にも似たセピア色の色調で描かれています。
デフォルメされた人物、シンプルな構図も「伝書鳩」と同じです。
そしてどちらのタイトルも、なんとも暗示的で、その意味するところがどうにも判然としません。
しかしながら、この「不可解さ」こそが、長いこと私にとって魅力そのものでもありました。



画像
「気球」ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 1870 



「気球」と題されたこの作品。
左手を高く差し伸べた女性の指先と視線の先には、まるで彼女の手から放たれたかのような気球がひとつ、
ぽかりと浮かんでいます。
彼女の右手が握りしめているのは銃剣です。
放たれた、とは書きましたが、実際のところ、この女性は気球を見送っているのでしょうか。
それとも、迎えようとしてしているのでしょうか。
喧騒とは程遠い静けさの中に粛然と立つ一人の女性。
私たちの視線は、気球に導かれるかのように、自然と大空へと向かいますが、良く見れば、彼女の足元から一段低くなった場所に、野営のテントのようなものや、大砲のようなものが並んでいることに気がつきます。
とするなら、これは戦いに因んだ作品なのかもしれません。
長閑なイメージの気球と、戦争・・・・
物語性がありそうで、その物語が見えてこない。
いかに想像力を駆使してみても、この「気球」は手強く、なかなか私になびいてくれません。
具体的な言葉では語れない、この絵の不可思議な吸引力はどこからくるのでしょうか。

先日テレビでシャバンヌの特集が放映されたときも、期待に反してこの作品についての言及はありませんでした。
残念に思う半面、自分の好きな絵に余計な解説はいらないと思う気持ちもあって、それならそれで良しと
一旦は納得したはずでしたのに・・・・
やっぱり気になります。
とうとう好奇心に負けた私、調べていくうちに、いろいろなことが分かってきました。




これら二つの作品が描かれた時代、フランスはスペインの王位継承権を巡ってプロイセンと交戦状態にありました。
世に言われる普仏戦争です。
当初は、フランスとプロイセンの二国間で始まった争いでしたが、プロイセンに肩入れするドイツ諸邦が続々と参戦した結果、フランスは孤立無援の窮地に陥り、スダンの戦いに破れたナポレオン3世は、10万人の兵士と共に降伏します。
この降伏をフランスへの裏切りと感じたフランス政府は、臨時政府を発足させ、ここにフランスの第二帝政は終わりを告げることとなりました。
臨時政府(第三共和政政府)が引き継ぐ形となった戦争は、首都パリを占領されるまでに追い詰められた結果、
プロイセンに敗れました。

1870年9月から1871年1月28日に至るまで、4ヶ月以上に及んだ包囲戦の間、全ての輸送手段、通信手段を絶たれたパリは、陸の孤島と化していました。
こうした状況の中で、フランス政府及びパリ市民が、最後に望みを託したものが「気球」と「鳩」でした。




『人智は思いのほか無力であった。これらの手段は全て失敗を宿命づけられていた。よって、古来よく知られた伝書鳩による通信のみが残った。平和を象徴するこの幸せの鳥は時の運命の悪戯により戦争の使者となった。パリを発つほとんど全ての気球が伝書鳩を積んでいた。フランス全土の人々がパリからの通信文に対する返答を託したのはこの伝書鳩にであった。この小さな愛すべき鳥のおかげで、陸の孤島と化したパリは食糧こそ欠乏したにせよ、ニュースの枯渇は生じなかった』

                                             


当時最新式の銃を装備したプロイセン軍も、大空まで支配することはできなかったのです。
気球が運んだのは、鳩だけではありませんでした。
第三共和制成立の立役者であり、当時の内務大臣でもあったレオン・ガンベタは、気球アルマン・バルベス号でパリを脱出し、トゥールで抵抗運動を続けました。
結果としてプロイセンの勝利に終わったこの戦争は、従来の王朝戦争から、第一次世界大戦へと繋がる近現代的な国家戦争の始まりを告げるものでありました。
時代はこのとき、確かに変わったのです。




画像

 「伝書鳩」ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ  1871 





シャバンヌの作品に対する小さな好奇心によって、私は思いがけずも今まで知らなかった事実へと導かれました。
プロイセンの「鉄と火」の攻撃に対抗し、「気球」と「鳩」こそが、極寒のパリにおける長期の包囲戦を持ち応えさせたという事実に不思議な感慨を覚えます。



 『鳩が地平線上に姿を現わすと、多くの、貪るような眼差しがこの小さな鳥の飛翔を追った。その一挙一動がパリと祖国の命運を象徴するように思えた。鳩舎に近づいた鳩は舞い降りる前に近くの塔屋や記念碑の尖塔で羽根を休める習性があった。最後の休息場所が凱旋門であったり、カルーゼル門のオッシュ将軍の立像であったりしたときは、群衆は大勝利のニュースを予感して大拍手の喧騒を呼び起こしたけれども、人々の期待に反して良きニュースは希であって、鳩はしばしば不幸を運ぶ使者となった。にもかかわらず、パリ市民はこの無垢の使者に感謝を捧げ続けた。』  




かつて世界史で学んだはずの普仏戦争ですが、今となってはその名前意外は全て忘却のかなた。
辛うじて記憶に残っていたのが、この戦争によってドイツ領となったアルザス・ロレーヌ地方を舞台としたドーデの短編「最後の授業」のみ、というのが、我ながら情けない限りであります。                                 


さて、こうした歴史的背景が明らかになったことで、シャバンヌの絵に対する私の見方は変わったかというと、実はあまり変わってはいません。
歴史的背景と、この作品とは、私の中でそれぞれ異なった別のものなのです。
「気球」と「伝書鳩」に感じる静謐な時間の流れ、気球や鳩はもとより、大砲や銃といった道具立てさえ、私にはひとつの寓意のように感じられます。
「気球」で私たちに背を向けていた女性は、「伝書鳩」では反転して正面を向いています。
女性が空高く差し伸べている手の表情は、「気球」と「鳩」で全く異なった印象を受けます。
片方では祝福にも似た肯定、もう一方は否定。
まるでネガとポジのようなこの二つの作品は、まさに「対」なのです。

パリ攻囲戦の間、シャバンヌは城壁警護の任についていました。
破壊と死が蔓延する戦いの場にあって、画家としてのシャバンヌは戦争の悲惨をつぶさに見て取ったはずです。
しかしながら、その戦いを描いた作品は、古典的、若しくは、神話的とも言える静謐に満ちています。
シャバンヌの作品に描かれているのは「普仏戦争」という特定された歴史的事実ではなく、もっと普遍的なものなのではないでしょうか。
不条理の最たるものである戦争は、悲しいかな、現在においても繰り返されています。
シャバンヌが描いた「気球」、そして「伝書鳩」は、不条理なものへの「怖れ」であり「不安」、若しくは「警告」であると同時に、それらを乗り越えてゆく「希望」であり「祈り」であるのかもしれません。






最後になりましたが、本文中ゴシック体太字で表記されている文章は、すべて松井道明氏のブログから引用させて戴いたことを、松井氏への感謝と共に記させていただきます。






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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
長い間コメントもしないで覗き見ばかりですみませんでした。
今朝はアルプスには雲があって見えませんが綺麗な青空が広がっています。雪が少しでも解けてくれるといいのですが。aostaさんの所は私の処よりももっと積雪もあることでしょうが、気温低いでしょうからなかなか解けないでしうね。
何時も深く掘り下げてこうして書かれていることに頭が下がります。私なんかいい加減で、こんなに調べたりすることもなく(そんなテーマも書いていませんが)ただUPしています。気球と伝書鳩のシャヴァンヌの絵、時代の背景から、どんな思いで書かれたのかなぁーって想像してしまいました。
HT
2014/02/11 08:19
ひとつの疑問が 大きな背景をあぶりだす、、ということは まま
あることですが それをやるのは 一部の研究者や学者、、という
わたしの思い込みの中で
aosta さん あなたは すごい〜
なにか 寓話的な絵、、ぐらいで おわってしまうところを
みごとに 到達点迄たどり着いて、、
どこをきいても へえ〜 ふ〜む、、の
知識 まるでゼロのわたしだけど
たのしい 謎の解明への旅でした〜
インターネットが発達しても 「鳩」というアナログ
ガラパゴスに 頼る時が またあるかも、、、
カタナンケ
2014/02/11 11:28
◇HTさん

おはようございます。
コメントをいただきありがとうございました。とても嬉しいです。
大正時代までは日本でも良く知られていたにも関わらず、現在では名前を聴くこともまれとなったシャバンヌですが、渋谷で日本では初めてのシャバンヌ展が開催されていることもあって、再び注目されるようになったようです。テレビの特集番組もシャバンヌ展に絡めての放映だったのでしょうね。
自然や神話に材を取った象徴的な作品の多くが、淡い煙るような色調で描かれています。ほとんど色らしい色が使われていない、「気球」と「伝書鳩」はシャバンヌの作品のなかでも異質な感じを受けるのですが、戦争という特殊な状況の中で描かれた事の意味は大きいと思います。戦争がもたらした物的心的破壊の中にあって、シャバンヌが描いたこれらの作品に、私は不断の意志と希望を見ます。
絵画を見ながらいろいろな想像にふける時間、雪に閉ざされた冬の楽しみのひとつです♪

コンサートでお目にかかれることを楽しみにしています(*^^)v
aosta
2014/02/12 06:23
これがaostaさん、これでaostaさん。
絵の解きあかし、面白かったです。
ただ、そのことを知らなかったときのほうが謎めいており、惹きつけられました。
シャバンヌ、TVで紹介されていたのですね。
ソチが始まってからは、すこしはTVの視聴時間が多くなりましたが、こんなにTVを見なくなって、10年は経っているという感じが。
先ず朝のうちに良い番組をチェックする必要がありますね。
ぶんな
2014/02/12 20:31
◇カタナンケさん

お返事をお待たせしてしまいました<m(__)m>

>たのしい 謎の解明への旅でした〜

謎って、解明されるまでの過程が楽しいんですよね。そういう意味ではミステリー小説を読むときの快感と共通した部分もあるのかもしれません。
ひと昔前でしたら、図書館に出かけて何冊もの本と首っ引きで調べなければならなかったことが、今ではネット検索という短時間、手間いらずの方法で、謎を解明することができるようになりました。これはこれで素晴らしいことなのですが、ネット上の情報は玉石混交、何が本物かを見極めることが必要ですね。
今回の「気球」と「鳩」についても、ネットには情報満載でした。でも、そのほとんどは「答え」としては合っているのでしょうが、十分な状況説明がなされているものは少なく、あれこれ調べているうちに、松井さんのブログに到達いたしました。
普仏戦争に関しての著書を何冊も上梓していらっしゃる松井さんはパリ攻囲戦について、ブログでも詳細に語っていらっしゃいます。こちらを拝見してやっと、納得できた次第です。
松井さんは同ブログで「共和国の鳩」と題された詩も紹介していらっしゃいます。当時のパリ市民が伝書鳩に託した思いが切々と伝わってくる詩です。ブログ本文中に引用させていただこうかとも思ったのですが、文章量が多くなりすぎるのであえて引用しませんでしたが、URLを添付いたしますので、ご興味がおありでしたらお読みください。

ガラパゴス、私も一緒ですよ。
立派に機能してくれるばかりか、すっかり私になじんでいます。
何をいまさら最新の機種に乗り換える必要がありましょう(*^^)v
aosta
URL
2014/02/13 06:36
◇ぶんなさん

>これでaostaさん

ありがとうございます。
私もこれで、すっかり以前の調子に戻ったような気がします(^^ゞ
今回は、ご自分で調べ上げ、検証を重ね、熟慮の上で文章になさっている松井さんのブログから、多くを引用させて頂きました。本当に感謝です。
あまたのお時間をかけたであろう労作に指一本の検索でたどりつくことができてしまうネットとは・・・・。
良くも悪くも、つくづく凄いなぁと思います。戦争のあり方も、インターネットの登場で大きく変わってしまったことを考えると、恐ろしいような気持ちになります。

>そのことを知らなかったときのほうが謎めいて

私が「さかなのかたち」リンクさせた「伝書鳩」に見ていたものは、得体のしれない恐れ、不安そのものでした。シャバンヌの作品殻受ける、不可思議でとらえどころのない不安。それは説明などなくても感知できるものでした。
しかしながら、人というものは欲張りなもので、時として「説明」が欲しくなる。今回の私も、その「欲張り」のひとりでありました(笑)
すべては好奇心のなせるワザであるのですが、今回シャバンヌの作品を介して普仏戦争の歴史を学びなおすことができたことは、私にとって大きな意味があったと思っております。同じ歴史でも40年近い前、受験のために勉強した歴史ではなく、血が通ったれ歴史の一端を知ることができました。当たり前のことですが、歴史は生きているんですね。歴史を知ることとは、今を知ること。本気で普仏戦争の本を読もうかと思います(やっぱり熟読するにはリアルな活字に限ります)

aosta
2014/02/14 08:51

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