消えがてのうた part 2

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zoom RSS 虹を紡ぐひと (もう一つの雲つくりのお話)

<<   作成日時 : 2010/09/08 21:36   >>

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海の水は世界の果てで大きな滝となって流れ落ちている。

今では信じる人もいなくなったが、ずっとずっと記憶の向こう、忘れられるほど遠い昔から、
水は轟く雷鳴のような地響きを立てながら滝となってなだれ落ちているのだ。

世界の果てはどこにあるのかって?
わしも知らん。セカイノハテは世界の果てさ。
そこには雲つくりたちが住んでおる。

雲つくりたちの住む村には、「ウミアラシの穴」と呼ばれる大穴が空いている。
穴は底がないほど深い。
もしかしたら、本当に底がないのかもしれん。
なぜそんな名前で呼ばれるようになったのかというのには、わけがある。
ずっとずっと大昔には、ウミアラシという大きな生き物が海を我が物顔で泳ぎ回っていた。
ところがある日、クジラと遊んでいたウミアラシは、いったいなんのはずみだったのか、
セカイノハテから真っ逆さまに転げ落ちてしまった。
セカイノハテの何百メートルも下には、流れ落ちてくる海の水を満々と湛えていた一枚の大岩があったのだが、
ウミアラシはその岩を突き破り、下のそのまた下まで落下して行ったのさ。
だから「ウミアラシの穴」と言うわけだ。


世界の果ての滝の下には何層もの岩が重なっていて、それぞれの岩の上の空間で、私たちが知らない人々が暮らしていたのだ。
ウミアラシが開けてしまった大穴のために、「地面の下のひとたち」の生活は一変した。
大勢の「地面の下のひとたち」はウミアラシが落下した時に出来た無数の岩の割れ目から岩の上に這いあがって
お日様の下で生活するようなった。
それがわしらの祖先だ。
あれから随分長い時間が経った。
海が世界の果てで大きな滝となって流れ落ちていることも、
自分たちの故郷が世界の果ての滝の下にあったことも、
殆どの人たちは忘れてしまった。





画像

小野田維 「幸福な日々への思い」(部分)






だがな、地面の下にとどまった人々がいた。
雲つくりたちだよ。
雲つくりたちには仕事があった。
セカイノハテの岩の下でしかできない仕事がな。

海の水が大きな滝となってなだれ落ちる場所。
そこは雲が生まれる場所だ。
世界中の水が集まって一度に落ちてくるのだから、それはもう大変なことさ。
飛沫は細かい水の粒子になって一面視界を遮っている。
岩の上には太陽の光を反射して、大きな大きな虹が立つ。
世界で一番大きな滝の上に出来る虹なのだから、当然世界一大きくて美しい虹だ。

雲つくりたちは虹の根っこにある大きな岩山に暮らしてた。
そして毎日岩山のてっぺんに登っては虹を磨くのだ。
長い時間をかけ丁寧に愛情をこめて磨き上げたあと、雲つくりたちは小さな虹のかけらを拾い集める。
虹のかけらの中で淡く光っている、か細い糸を紡いで雲を作るために。
それが雲つくりの仕事なのだ。
雲つくりたちが仕事をしているところには、お喋りも歌もない。
轟々と落ちてくる水の音を聴きながら、ひたすら虹の光を紡ぐ。
なぜ黙ったままなのか、知りたいのかい?
考えてもごらん。朝から晩まで、空の上から滝が轟きながら落っこちているんだ。
話なんてできっこない。
聴こえない言葉に意味なんぞないじゃないか。
だから雲つくりたちはとっくの昔に話すことを忘れた。
言葉なんぞなくとも、虹と話は出来る。
虹の気持がわかればこそ、虹を紡ぐことができるというものさ。
紡いだ虹を雲つくりたちはそっと空に向かって放つ。
かつて虹だった雲は、ためらいながらゆるゆると空に昇ってゆく。

朝な夕な低い空に漂っている雲がぼおっと淡く輝いているのを見たことがないかね。
雲には虹だったころの記憶が残っているのさ。
それなのにわしらは、地面の下にいたころのことをこれっぽっちも覚えていない。
それでも昔は、雲つくりたちを訪ねて行く者もおった。
お日様ばかりがぎらぎら輝いて、どうしたって雨が足りない年や、
反対に雨が降り続いて世界中が水浸しになった年には、
必ず地上から何人かの人間が雲つくりたちの知恵を借りようと、村を訪ねて行ったものさ。




画像

小野田維 「幸福な日々への思い」(部分)





だが今となっては、村のことを思い出す人間はいない。
雲つくりたちは忘れられたままだ。
だが、それがどうだっていうんだ。
雲つくりたちは為すべきことを知っている。
自分たちのことが知られまいが、忘れられようがおかまいなしに、雲つくりたちは毎日虹を紡ぐ。
そして紡いだ虹を空に向かってそっと放すときだけ、心の中で囁く。

「行っておいで。そして帰っておいで。」とな。


ウミアラシはどこまで落っこちて行ったのかって?
さあな・・・
なぜわしが雲つくりたちのことを知っているのかって?
知っているのとはちょっと違うな。
覚えているのだ。
わしらの祖先があの場所に残してきてしまった大切なものをな。
雲が生まれるあの場所には、やり残してきた仕事がある。
雲になった虹が、最後には世界の果ての滝に帰っていくように、わしもあそこに帰る日が来るのだろうか。




画像

小野田維 「幸福な日々への思い」





世界の果ての滝の事を今では信じる人もいない。
ましてや「雲つくり」と呼ばれた人たちがいた事など覚えているわけなかろう。
空には毎日雲が浮かび、風に流れて行くけれど、雲つくりの指先がどんなに優しく虹の光を集め、
どんなに優雅に虹を紡ぐのか、今となっては誰も知らない。
全ては神様の思し召し、というわけだ。


もしおまえさんがこの話を信じるなら、雲に聞いてみておくれ。
雲つくりたちは今も空に向かって微笑んでいるのか、と。
今でもわしらを待っていてくれるのか、と。






           

この物語の公開に当たり、私が敬愛する画家小野田維さんから、小野田さんの作品「幸福な日々への思い」の画像使用のお許しを頂けました事を心から感謝いたします。
この「もうひとつの雲つくりのお話」は、小野田さんの絵からインスピレーションを得て生まれました。
奇しくも「幸福な日々への思い」というタイトルもこの物語にぴったりでした。

また「ウミアラシ」という生き物のイメージにつきましては合唱曲集「まど・みちお/いそべ・とし こどもの世界」の中の「ヤマアラシ」という曲からからヒントをもらいました。
この歌をご存じの方が、「本歌取り」として物語を二回分楽しんでいただけたなら嬉しく思います。
最後に、「ヤマアラシ」を巡る私とP氏との会話の中で私が口にしたアメフラシという名前に対して、
「アメフラシ・・・知らなかった。クモツクリとか、ユキオトシとかもいるの?」
と尋ねてくれたP氏の言葉がこの物語の始まりであったことを記させていただきたいと思います。




             ★クモツクリのおはなし → http://folli-2.at.webry.info/201009/article_1.html






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コメント(17件)

内 容 ニックネーム/日時
>なお最後に「ヤマアラシ」を巡る私とP氏との会話の中でアメフラシの話題が出た際、
>「アメフラシ・・・知らなかった。クモツクリとか、ユキオトシとかもいるの?」
>と訪ねてくれたP氏の言葉がこの物語の始まりであったことを記させていただきたいと思います。

P氏様、よくぞお尋ね下さいました!!
わたしはこちらの話の方が好きです。ただ個人的には「クモツクリ」という日本語に馴染みにくいものがあります。aostaさんの事ですから熟考の上でのUPだとは思うのですが、それでもなお違和感があるのはなぜでしょう?「クモ」がどうしても蜘蛛を連想させるからではないでしょうか?「くもつくり」「kumoつくり」「雲つくり」「雲ツクリ」なにかピッタリくる言葉がないかなぁ〜と思いながら読ませていただきました。打ち間違えて「クモックリ」と書いた方がおられましたが、「くもっくり」もかわいいですね♪紡ぐということならスピナーもありかも?勝手な意見ですが・・・。

書記
URL
2010/09/08 22:14
◇書記さん

わお!
こんなに早くコメントを頂けるなんて思ってもいませんでしたよ!
ありがとうございます<m(__)m>

>わたしはこちらの話の方が好きです

私も断然こちらの話が好きです。書記さんも同じと伺って嬉しいわ。
「クモツクリ」の語感については全くその通りだと思いましたので、とりあえず「雲ツクリ」と改めさせていただきました。日本語、難しいですね。
何かもっと雰囲気のある呼び方があればいいのですが・・・

糸を紡ぐ虹を紡ぐ(笑)、そして物語を、夢を紡ぐ・・・
「紡ぐ」という言葉が大すきです。
「紡ぐ」という行為には、一心なもの、混じりけのない純なものを連想します。
紡ぐという行為を繰り返すことによって濾過されていく魂をおもいます。
aosta
2010/09/08 23:03
◇書記さん

追伸です。
その後「クモツクリ」という言い方について考えました。一度は「雲ツクリ」としてみたのですが、漢字の「雲」とカタカナはあまり相性が良くないように思えてきました。
「くもっくり」は確かに可愛らしいと思いましたが、ちょっと違うかな・・・
という事で、やはり「雲つくり」がいいような気がします。
書きなおしてみましたがいかがでしょう?
いかがでしょう。

aosta
2010/09/09 11:45
↑やりとりを拝見しているだけで楽しいです

わたしは「おーい雲よ」と擬人化してとらえることはあっても、「くもつくり」というキャラを想定したことはありませんでした。わたあめつくり、みたいな感じがします。雲を紡ぐと雨の糸になるのかしら。雪の結晶もできますけど。
かげっち
2010/09/09 12:35
小野田維
Tadashi Onoda

* 略歴
* カタログ・書籍
* 展覧会
* 収蔵書籍

略歴

1950年 熊本市坪井生まれ。
1971年 国立有明工業高等専門学校工業化学科卒業。
     新日本製鐵に入社し、北九州の八幡製鐵配属。
aostaさん、こんにちは!
今回も素敵な作品ご紹介いただき感謝です。「1999 油彩、テンペラ、ボードとありましたね。私はまずお名前の呼び方からでした。Tadashi Onoda氏なのですね。1950年 熊本市坪井生まれ。ご健在なのですね。日本美術家連盟会員と。

ウミアラシが落下したとき、どーんという音が世界中に津波を起こしそうですね。そしてaosta版人類創世。雲つくりたちの活動拠点、ナイアガラの瀑布を10個ぐらいくっつけて想像したらもう、もんもんとあがり立ちこめる飛沫で景色なぞ見えませんです。ー虹の付け根といえば、前回のaostaさんのクモックリさんの話を読んだ翌日、ほんとうに大きな見事な虹をみました。クモックリさん、また紡ぎにくるな、と思いましたですよ。ーそしてまた虹の光を紡いでる。たしかに意思疎通があれば言葉は要りませんものね。たしかに雲には虹だったころの記憶が見えています。日照りとなったら「おろおろ歩き」はやめて、くもつくりさんをお訪ねします。「トントン、もう1週間も38度が続いて一滴も雨が降りません。どうか雲を紡いでいただけませんか」。もうこれで岩手には旱魃はないでしょう。農作物安泰です。雲つくりさん、いつもそこにいてくださいね。わすれません。アメフラシさんとともにね。
bunbun
2010/09/09 14:10
すみません。またまたミス。小野田さんのコピペ、うっかり先に出してしまいました。しかも肝心の画業歴が欠けてしまって。双方に失礼してしまいました。お詫びいたします。
bunbun
2010/09/09 14:15
「紡ぐ」という行為には、自分がいなくなるような感覚がありますね。紡ぎ車ありますわよ。やってみます???
その他色々はリアルにてまた!
書記
URL
2010/09/09 16:23
◇かげっちさん

コメント、ありがとうございました。
暮鳥の雲は雲自体も、雲を見る人もなんともおおどかでいいですね。
丘の上で年寄りと子供がうっとりと雲を眺めている、という詩がありました。「うっとり」という言葉がこんなに「詩的に」聴こえてくるなんて魔法のようだとおもいました。  
わたあめつくりは「ねじり鉢巻き」のクモツクリさんかもしれませんね(笑)
一握りのザラメがふわふわと煙るような糸になり、それが絡め取られていく様は幼いころの夢のような光景でした。

「ユキオトシ」についても何か物語ができればいいな、と考えているのですが、さすがにまだ暑過ぎて、姿を見せてくれません。
aosta
2010/09/09 17:55
◇bunbunさん

こんにちは。
小野田さんの作品、素敵ですよね。
しんと鎮まった空間に沈黙という音楽が響いてくるようです。
この「幸福な日々への思い」という作品にしても、人の姿は描かれず、ただ不思議な気配だけが漂っています。建物の中からふうわりとたなびく雲はまるで吐息のようです。テンペラとはルネサンス期にイタリアを中心に発達した技法なのですが、つややかで透明感のある発色が魅力的です。小野田さんがあえてテンペラにこだわる理由は作品を見ていても解るような気がします。この緻密にして典雅な筆致は小野田さん特有のものなのかもしれません。
aosta
2010/09/09 18:11
◇bunbunさん

「日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩いた」賢治さんもいたと思いますが、賢治さんは雲つくりを一番理解する人ではないかとも思いました。

画業歴より作品を見て感じることが多いと思いますから、お気になさらず。
aosta
2010/09/09 18:16
◇書記さん

確かに紡ぎ車には、誘眠作用があるかもしれませんね。
ぶんぶんという単調な繰り返しとともにどんどん自分が小さくなっていく・・・
消えていなくなる・・・
ちょっと、怖いではありませんか。

消えてしまわずとも、素敵な王子様が優しいキスで眼を覚まさせてくれるのですから少々の間、眠り込んでしまってもいいかもしれません。

>その他色々はリアルにてまた!

コミングル以降しばらくお会いしていませんでしたから、そろそろ禁断症状があらわれる頃でした。楽しみにしています。
aosta
2010/09/09 18:21

面白いお話です、よくもまあ考え付きますね。^^

>わしたらの祖先があの場所に残してきてしまった大切なものをな。
雲が生まれるあの場所には、やり残してきた仕事がある。
雲になった虹が、最後に世界の果ての滝に帰っていくように、わしもあそこに帰る日が来るのだろうか。

わたしたちは、雲が生まれるあの場所から、余りにも遠く離れてしまったのでしょうね。
harukaeto
2010/09/09 21:38
◇arukaetoさん

こんばんは。

>よくもまあ考え付きますね。

作った、というより最初からそこにあったお話し、という感じなのです。
最初のクモツクリのお話も「クモツクリ」という言葉を聴いたとたん、反射的に出てきました。今回の作品も、それに続いてすぐに出来上がったものですが、むしろお話が出来てからの方が苦労です。推敲に時間がかかります(笑)

>雲が生まれるあの場所から、余りにも遠く離れてしまったのでしょうね。

そうですね。「喪失のものがたり」なのかもしれません。

aosta
2010/09/09 22:01
aostaさん、こんにちょは♪
最近のワタクシは、雲を見上げてニヤニヤすることが多くなりました。
aostaさんとクモツクリさん(さん付けです!)のおかげです。
ふうん、そうだったのかー。と楽しく読ませていただきました。
 これは私の妄想なのですが、クモツクリさんには、とってもキレイなカゼツクリさんというお姉さんがいます。末っ子はアメちゃん≠ナす。アメちゃんは甘えん坊でまだ修行中の身、つまり『ツクリ』の称号をもらっていません。
 今年の夏はアメちゃん、いつものように泣きべそをかくことが少なくて、地上に降る雨もものすごく少なかったのです。きっと楽しい夏休みだったのでしょうね。
 なーんて(笑)やっぱりaostaさんのお話のほうが数万倍もステキです♪
失礼いたしました。いろいろ考えて、楽しい時間を過ごせました、感謝ですっ!
ちょろえ♪
2010/09/10 13:36
aostaさん、この絵について、あっ、いいな、と思いましたが、どこがどう良いのか言うことができませんでした。精密、緻密でいいな、ということと、この建物群は構築された記憶なのかもしれない、とも思いました。
雲の位置は、小野田氏にとってはやはり、この位置でなくてはならないのだろうと思いました。この雲の暗黙の表現がこの絵の持つ気配なのかもしれない、なぞと見ましたが、あまり自身はありません。虹がこの建物群に意味を付加している感じもしました。aostaさんのコメントを拝見し、また見入ってみました。

アメフラシはウミウシの仲間なようですが、海の底に潜り、ゆったりと、のほほんと転がって、波を揺らぎながらさしくる日にぼんやりと照らされている姿には、ほんとうに感心したものでした。面白い生き物だなと思いました。アメフラシは見たことがありません。検索の写真で、これもまた近親感を持ちました。
クモツクリさん、雲つくりさんとのご縁、感謝です。
bunbun
2010/09/10 13:53
◇ちょろえ♪ちゃん
 こんにちょは!

>雲を見上げてニヤニヤすることが多くなりました。
ちょろえちゃんも、ですか?
私もそうなんですよね。以前より空を眺めている時間が長くなりました。
自分が作ったお話しのはずなのに、いつの間にか雲つくりさんたちが自己主張してる?! これってすごく不思議です。
カゼツクリさんやアメちゃん、ちょろえ♪ちゃんの中でどんな風に育つのか楽しみです。そう言えば!そちらには「ユキオコシ」さんもいらっしゃるのでは??
aosta
2010/09/10 19:48
◇bunbunさん

たくさんのコメント、ありがとうございます。

>この建物群は構築された記憶なのかもしれない、とも思いました。

この発想はなんとも素敵ですね。
構築された記憶! 私にはない発想でした。
この記憶は一体だれの記憶なのでしょう。
地底から地上へと登っていた遠い昔の人々の記憶?
それとも忘れられたまま、営々と虹を紡いできた雲つくりたちの記憶?
形となった記憶が一つの街を作っている・・・
それだけでお話ができそうです。おやおや、以前私がアップした「月の言葉」が遠くの残響のように聴こえて来たように思いました。

>この雲の暗黙の表現がこの絵の持つ気配なのかもしれない

物言わぬ雲、薄絹のようにたなびく雲は、仰る通り、気配そのものなのかもしれません。「構築された記憶」といい、この「気配」といい、なんて詩的で素敵な感性でしょう。アメフラシの実物は私もお目にかかったことがありません。
これまた不思議な造形の生き物ですね。
aosta
2010/09/10 20:00

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